ネットというのは、巡り合いとかを提供する場所でもあるようだが、果たして「自分と似たような人物」と出会えるのだろうか、と思うことがある。
たまに余所のブログとか読んで、「これは自分が書いたのでは…」と思うような記事があったりするのだが、じっくりといろんな記事をよく読むと「やはり違うのか」と思ったりするわけである。
過去が違うし、個性があるから、違って当然なのだが、やはり同じ人間であるというか、同じ感性というか、考えていることは驚くほど似ている人物が、実際にいるわけである。
ブログとかも、グダグダ書かなくとも、最初の数行で、あとは以心伝心という感じか。太古の人間は(インディアンもか)言葉を細かく必要としなかったようだし、今でもアボリジニとかは超能力のようなコミュニケーションをやっているようだ(確か『ミュータント・メッセージ』にあった)。
やっぱしブログというのは、短くなければダメだ。書けば書くほど、確実に読み手は離れていく。それは読み手を軽視しているからかもしれず、言葉というものが人間の感情を切り刻んでいくからだろう。
日常会話でも、感性の合う人間とべらべら話すのは、楽しいけれども、別に情報交換行為というより、「僕と君は似ているよ」というのを確認する行為なのかもしれない。
このブログもたぶん、そういう方に読まれているのかもしれませんが
そろそろ長くなりそうなので終わりにしますわい(この動物キャラで人格が疑われるのか)
たまに余所のブログとか読んで、「これは自分が書いたのでは…」と思うような記事があったりするのだが、じっくりといろんな記事をよく読むと「やはり違うのか」と思ったりするわけである。
過去が違うし、個性があるから、違って当然なのだが、やはり同じ人間であるというか、同じ感性というか、考えていることは驚くほど似ている人物が、実際にいるわけである。
ブログとかも、グダグダ書かなくとも、最初の数行で、あとは以心伝心という感じか。太古の人間は(インディアンもか)言葉を細かく必要としなかったようだし、今でもアボリジニとかは超能力のようなコミュニケーションをやっているようだ(確か『ミュータント・メッセージ』にあった)。
やっぱしブログというのは、短くなければダメだ。書けば書くほど、確実に読み手は離れていく。それは読み手を軽視しているからかもしれず、言葉というものが人間の感情を切り刻んでいくからだろう。
日常会話でも、感性の合う人間とべらべら話すのは、楽しいけれども、別に情報交換行為というより、「僕と君は似ているよ」というのを確認する行為なのかもしれない。
このブログもたぶん、そういう方に読まれているのかもしれませんが
そろそろ長くなりそうなので終わりにしますわい(この動物キャラで人格が疑われるのか)
そろそろ、native american の思い、を読みたいな。
と、外へ気を放しつつ、、、、。
>最初の数行で、あとは以心伝心という感じか。
とは、American の策略なのか、、、と思いつつ、
読み物としては、成功しているかもね。
make it last forever 伝説かも。
ブログ、応援してますよっ。
応援ありがとうございます。
ただ、ただ、感謝します。
全然、ネイティブ・アメリカンに関する事柄が出てこなくなりましたが、
もう一度、いや、新しく読まねば、と思います。
ネイティブアメリカンの思い、というのも、探してみたいと思います。
ありがとうございました。