インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

ほぼ部屋に閉じこもった夏の一日。

2013-07-27 22:21:12 | 身の回り
 雅太は久々に備忘録であるブログを書くことにした。本日、雅太はインターネットで調べ物をし、読書をした。調査は雅太の過去にさかのぼる。1980年代に放送されていたテレビドラマやら主題歌やらを熱心に聴き入っていたのだ。ユーチューブで『ハクション大魔王』やら『家族ゲーム』といった懐かしい映像にふれた雅太は、大昔のかけらに頭をかき乱された。忘れていた感情の亡霊が、甦って来た気がした。雅太は大河ドラマも好きで家族と観ていた。『独眼竜正宗』よりも『真田太平記』の丹波哲郎、草刈正雄、遥くららなどが強く記憶に残っていた。

 数冊の読書もした。『独立国家のつくりかた』(坂口恭平)も面白いと思いながらいつの間にか半分ページをめくっていた。なぜ家賃がいるのか?という素朴な疑問を筆者はかかえているようだ。雅太は当然であり仕方がないものではないかと思っていたが、なるほど、やり方次第では要らぬのかもしれぬ。家賃を払わずに生きられるものならば、それが一番であろう。だが、アパート代を出した方が結局、楽なのではないのかと思ったりする。アパートがなければ電気水道ガスは当然、インターネットなどやりようがなく、圧倒的に情報不足となろう。もっともそれはそれで、早く寝ることが出来るし、余計な神経を使わなくてよいが、莫大な電力を消費する冷蔵庫がなければスイカの保存とて困難になろう。

 そういえば、雅太は腰が痛くなるほど大きなスイカをスーパーで調達して食べている所である。因島産は皮が厚いので日本海側、金沢産のビーチボールはあろう大きさを、腰が痛いのを担いで部屋まで持って上がったわけであった。雅太は冷蔵庫に入らない分をさっそく腹の中に収めようとした。




 甘いスイカを食べながら、雅太は『十八の夏』(光原百合)という短編ミステリーを読み終えた。著者は地元在住で(尾道大学の先生か)、それならばスーパーで出くわした可能性があるかもしれぬ、と雅太は想像したりする。小説内容は純文学に近いようにも思われたが、後半に入ると、緻密に建築された推理小説であることが分かり、なるほど、これなら推理作家協会賞を受賞してもおかしくない。読みやすかったしロマンチックだった。ただ、雅太にはやはり女性は女性の視点で描いた方が良いように思われた。ということは、雅太はやはり「雅子」とか主人公を女性に扮して綴っては相当無理をせなばならぬ、厄介だなと断念するわけであった。

 もっともデリケートな作者であれば容易いことかもしれぬが。雅太には文章の一文一文に繊細さが欠けていた。彼はそれを十分に認識している。元来、適当で大雑把である雅太からして、等身大の主人公を持って来るのが楽だと、改めて思い知らされるのであった。

 

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