インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

世捨て人になりたい心理

2013-04-17 19:19:30 | 考えるインディオ
  鞄の中身を見れば、その人が分かる(部屋でも、車でも?)。心配性は余計なものをたくさん抱えており、鞄が重たくなってしまう。

 それゆえに、動きにくいし、余計な労力を使う。たとえば、折り畳みの傘とか携帯のバッテリーとか本とか水筒とか。

 それも必要なのであるが、水筒を2本、本も3冊、バッテリーもたっぷり入ったもの、というように、「いざという時」「まさかのため」に準備しておくわけである。

 実家に戻るときなどは、余計なものだらけで三分の一も利用していない。

 そんな具合だから、吾輩のアパートは要らないものだらけかもしれない(ポメラ、本、服…)

 それでも昔よりはましになっている。しかしどんどん買い込んでいるかもしれない(邪馬台国の本など)。

 読書や執筆活動もそれなりに楽しいが、夢見はさらに楽しい。面白い冒険をした夢を見た後は、インターネットも、パソコンも、何もなくても幸せだ、とさえ思われる。とにかくもう一度、面白い冒険をしたいのである。

 夢見の注意力は、第二の注意力への道。そこは肉体ではなく、夢見の体(エネルギー体)で動き回る。

 もちろん、日常生活での意識がベースになっている。しかし普通の夢では流されるけれど、夢見では積極的に動けるわけだ。

 こんな面白いことが出来るなら、もっと早く知ればよかったと思うが、誰も教えてくれないから仕方がない(カスタネダ以外)。

 この楽しみを覚えたら、もう、俗世から離れて暮らしてもいいかな、と思うようになるし、実際、そう考えている。

 朝から晩まで働けば、夢見どころか、普通の夢すら見れなくなり、ストレスが溜まり、飲んだり食ったりリアルな快楽に走ることになるのだろう。

 俗世から離れて暮らすための生活の手段が問題となるのであるが……

  夢見で体験したり、研究したりした報告書を執筆したりするのが理想かも知れないわい(作家になることか)

  ナワール・エリアスのように夢見の体で治療師になるのがいいですね(え? そんなことが出来るわけない?)

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