インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

過ぎ去っていく列車

2012-11-13 06:42:09 | 考えるインディオ
 甘酒(しょうが&酒粕&ハチみつ)を飲んで熟睡(5時間程度)した後、そろそろブログを書かないとと、PCを立ち上げてみる。着込んでいるせいかコタツに足を突っ込んでいるせいか、16度で暖かく感じ、甘酒(残り全部)を飲むとまた眠気が襲ってきた。

 洗濯機が止まったので、洗濯物を干してまた書こう。干している間に、朝食のイワシ(鍋にある)とお湯を沸騰させ、さらにそれを食べながら、キーボードを叩くわけである。

 (中断)

 干している時、数十メートル先?に、朝の列車が通った。一瞬ではあるが、出勤するサラリーマンや学生などが窓際に座って、こちらの方を観ているのに気付いた。換気しながら、靴下とか干している吾輩に気づいただろうか? いや、考え事や音楽などの雑事、労働の疲れや、これからの拘束に備え、それどころではないだろう。

 吾輩とて、通勤時間を含めると、10時間ぐらいは仕事に拘束されるわけで、精神的にも肉体的にも周りの光景を見渡す余裕がないことぐらい想像がつく(いや、あるか)。ましてや、ITの時代で、列車の中でさえ、人々はiphoneやらスマートフォンを眺めまわし、何かを理解し、何か知ったような錯覚に陥っている。

 吾輩とて、windowsphoneで暇さえあれば、過去の出来事や一年前書いていた小説を読んだりして、勝手に一人の世界に浸っているわけである。そして今も、こうやってパソコンで…。

 時間は過ぎ、今炊きかけの玄米(四時間かかる玄米GABA増量モード)も出来上がるだろう。

 そしてさっき通った列車もほぼ同じ顔ぶれで、明日も過ぎ去るのだろう。

 そして吾輩はこうやって精密機器を凝視しているのだろう。

 意識がそこに固定されている限り。

 

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