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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

整髪ならぬ整葉をしました!

2016-05-21 22:41:22 | ボランティア
 北海道に爽やかな初夏がやってきた! 木々も一斉に芽吹き、大地はすっかり緑に覆わた。私たちが育成・管理している近代美術館前の“ART”と“MUSEUM”の花(草)文字を描くクサツゲの葉もすっかり伸びたため、このほど整髪ならぬ整葉をした。 

 私たちブリリア会が近代美術館前の歩道を定期的に清掃していることについては4月22日付の拙ブログでレポした。
 その近美前の歩道脇には二つの花壇風の空き地があり、そこに私たちはクサツゲという常緑種で“ART”と“MUSEUM”の文字を描いている。
 そのうち“ART”の方は土の栄養分が不足しているのか、あまり新葉が伸びないのだが、“MUSEUM”の方は土が豊かなのかよく伸びてくれる。

          

          ※ “MUSEUM”のbeforeの状態です。下の写真は、そのうちの“S”を切り取ったものです。

          

 全体に葉が伸びて文字全体にシャープさが欠けてきたように思えた。「いつか葉を整えねば」と思いながら、人通りの多い昼間に作業をするのは気がひけた。
 過日(19日)珍しく早起きすることができたので、宿願を果たすことができた。
          
 ホームセンターで購入した刈り込み鋏を手に持ち、感覚で刈り込んでいった。
 少し刈っては、離れて遠くから見て、修整点を刈り込む、といったことを繰り返しながら作業を続けた。素人の悲しさで、なかなか思い切っては刈り込めない。
 結局、中途半端な刈り込みとなった感はあるが、多少は刈り込みの効果が出たのではと思っている。

          

          ※ こちらがafterですが、あまり変わり映えしませんかねぇ??

          

 写真では写ってはいないが、冬越しで痛めてしまった株もある。そうした株が再生するのを待って、再び刈り込みをしたいと思っている。
 夏はそうした作業も楽しいものである。

冬季パラリンピック誘致が意味するもの

2016-05-20 21:08:16 | 講演・講義・フォーラム等
 札幌は2026冬季オリパラ(オリンピック・パラリンピック)誘致を目ざしている。その誘致を民間サイドから進める講師は、パラリンピック誘致を目ざすことによって、札幌が障害者に優しい街づくりが進むだけではなく、高齢者にも優しい街づくりが進むと主張した。 

 北海道生涯学習協会が主催する今年度第2回目の「かでる講座」が本日(20日)午後、かでる2・7で開催され参加した。
 今回のテーマは「冬季オリパラと北海道観光 そしてまちづくり」と題して、札幌大学客員教授の中田美智子氏が講師を務めた。

          
          ※ かでる講座の会場の様子です。

 講師の中田氏はエフエム北海道でパーソナリティや会社重役として活躍し、昨年退職して、現在は札幌大学で教鞭をとっているということだ。
 お話の内容はテーマが示すとおり、話が拡散するところがあり、中田氏の思いがやや空回りしたのではという感もあった。そこで私は中田氏が話された冬季パラリンピックを誘致する運動に関わっていることに対する思いに絞ってレポしてみたい。

          
          ※ 講義中の中田氏を望遠で写しましたが…。

 パラリンピックを語るとき、開催する街は「ユニバーサルデザインの街づくり」を指向することが求められている。
 2020東京オリパラにおいて、内閣官房が示したユニバーサルデザインによる街づくりの一例をあげれば次のようなものだという。
 競技会場における障害者用の座席は1.0~1.2%設置すること、障害者用のトイレは利用者の15人に1カ所設けなければならないということだ。
 また、傾斜路の踊り場は、高低差が500mmごとに設置しなければらないという。
 さらには2020年までに利用客3,000人以上の旅客施設は100%バリアフリー化が求められるという。それは、鉄道、バス、航空、タクシーなど全てに適用されるそうである。かなり高いハードルのように聞こえる。しかし、それがオリンピック標準ということなのだろう。

               
               ※ ウェブ上から拝借したエフエム北海道時代の中田氏です。

 ということは、その後に開催を予定している2026冬季オリパラは当然2020の基準を下回ることなど考えられない。つまり、2026冬季オリパラを札幌に誘致するということは、札幌の街がユニバーサルデザイン化された街づくりを進めることに繋がるというわけである。

 中田氏も気にしていたが、競技施設の建設や社会基盤の整備に多額の費用を要する冬季オリパラである。心配な面がないわけではないが、それを機会に札幌の街が障害者や高齢者に優しい街になることにはおおいに歓迎したい。

札幌ラーメンショーに行って来ました!

2016-05-19 19:26:04 | イベント
 お冷無し、レンゲ無し、サービス無しの、無い無いづくしの「札幌ラーメンショー」…。それでも会場は大賑わい! ずらーっと並んだ全国の選りすぐりの名店から私がチョイスしたのは??? 

          
          ※ 大通公園西8丁目広場で開催されている札幌ラーメンショーの入口です。

 17日(火)から大通公園で「札幌ラーメンショー2016」が開催されていることは聞いていた。しかし、私はそれほど興味もなく、行ってみるつもりもなかった。だって、いくらたくさんの店が並んでいても、食すことができるのは、どれか一つである。せめて小分けされて販売され、食べ比べができるような仕組みであれば、あるいは興味を抱くかもしれないが…。

          
          ※ まずは長蛇の列の後に並んで10分待ってチケットを入手しました。

 ところが今日、私のスケジュールがぽっかりと空いた。昼食時になって「さて、昼は何を食べようか?」と考えたときに、ラーメンショーのことが頭をよぎった。
 ちょうど、会場近くの区民センターに所用もあったので、その際に寄ってみることにした。

          
          ※ 全てのラーメンが一杯800円で統一された価格です。

 会場は平日にもかかわらず、けっこうな賑わいを見せていた。
 まず、チケット(食券)を購入するために販売ブースのところに並ばされて10分。
金800円でチケットを購入し、10軒並んだラーメン店の中から自分の好みの店の前で順番待ちをしなければならない。
 ラーメンショーは2週間の日程で前後半に分かれていて、それぞれ10店が出店していて、前後半で総入れ替えとなるようだ。
 前半の今は地元北海道から3店、それに福岡(豚骨)2店、東京(東京味噌、塩)2店、長野(煮干醤油)、山形(醤油ワンタン)、秋田(醤油)の10店だった。

          
          ※ ここで待つこと30分。一杯のラーメンを食すのも楽ではありません。

 そこで私がチョイスしたのは……。
 スープの黒さが決め手だった。「凌駕IDEA」という店が出品した「漆黒の煮干中華そば~信州山賊焼きのせ~」という一品だった。フライヤーには一品のアピールが次のように記されていた。「6種類の煮干しのスープに信州産再仕込醤油タレと自家製細麺を合わせ、ジューシーな信州名物山賊焼きをドーンとトッピング」

          
          ※ これが私がチョイスした「漆黒の煮干中華そば~信州山賊焼きのせ~」です。スープの濃さが目立ちます。

 店のブースの前に並ぶこと30分、ようやく「漆黒の煮干中華そば~信州山賊焼きのせ~」が私の手に届いた。発砲スチロール製の丼はなんだか心もとない。
 空いている席を見つけて、写真を撮って、さっそく一口すすると…。(といってもレンゲはないので丼ごとすすらねばならない) 「うん?魚介が効いているな」という感じの第一印象だった。トッピングは売り物の信州山賊焼きがドーンと載っていて、さらに半熟玉子、シナチク、ネギが載っていた。麺は細麺で、スープがよく絡んで美味しい。

          
          ※ 麺は細麺、やや柔らかかったかも?

 ところが食べ進むうちに、スープの濃さが気になりはじめた。水を口に含みリセットしたいが水はない。これがけっこう辛かった。

          
          ※ これが呼び物の「信州山賊焼き」です。

 呼び物の山賊焼きだが、鶏肉を揚げたものでボリュームがあり、若者には歓迎されるかもしれないが、私としてはラーメンにはチャーシューと刷り込まれているので、少々違和感をもったのだが…。

          
          ※ 会場のイートスペースはご覧のとおり満杯状態でした。

 けっしてお得感があるわけでない、むしろ無い無いづくしの中で不便を感じながら食するラーメンショーなのだが、私も含めて結構な人出があった。これが平日ではなく、休みになるともっと賑わうのだろうか?
 結局、日本人ってお祭好きなのかなぁ???

公務(?)多忙にて…

2016-05-18 22:24:34 | その他
 これを公務と称して良いのか、私の中では多少の疑問もあるのだが、公の仕事であることには違いない。最近の私はこの公務に忙殺されている感がある…。 

 昨年、私は某団体(それはけっして怪しい団体ではない)のあるポジションに就いたことを拙ブログで吐露したことがあった。
 以来、一年間私なりに(あくまでも私なりにということだが…)その務めを懸命に果たしてきたつもりだった。
 そして一年が経過したのだが、そのことについて拙ブログに取り上げることは敢えてしなかった。
 しかし、ここにきてその任務が私の中で想像していた以上に大きな存在となっていることから、そのことを取り上げねば片肺飛行のようなブログになりそうに思い、本日そのことに少々触れることにした。

          
          ※ 道内を網羅する退職組織の定期大会の開会前の会場の様子です。

 先週から今週にかけて、私の公務に関するスケジュールは次のようだった。
 ◇10日(火)全道規模の某団体の事務局会議を事務局長として主宰する。その後、連絡調整のために道教委へ。
 ◇11日(水)事務局会議を受けて、事務局長としての会議準備のための事務作業。
 ◇13日〈金〉事務局長として団体役員との連絡調整。
        私が所属する全道規模の退職組織の定期大会を副理事長として運営する。
 ◇16日(月)事務局長として翌日に控えた団体の「幹事会」の準備に奔走。
 ◇17日(火)全道規模の某団体の「幹事会」を事務局長として運営する。
 ◇18日(水)退職組織の事務局会議に出席。

といった具合である。たまたまこの時期は会議や大会が重なったのだが、この期間はある意味忙殺されている感があった。

          
          ※ 全道規模の某団体の「幹事会」の様子です。

 というのも、私が所属する退職組織の団体において、私は事務局の一員として副理事長の任にあるのだが、その事務局の一員としての任務に加え、もう一つ北海道内の主だった教育機関・団体を束ねる組織の事務局長という務めが付いて回っているため、いわば二つの事務局的な仕事をこなさねばならない立場なのだ。
 このあと、6月には「幹事会」を受けて、年度総会が控えている。これも事務局長として総会開催の準備に奔走しなければならない。

 やりがいがあるポジションと言われれば、その通りなのだが、なにせ私は公務(?)を離れてあれもやりたい、これもやりたい、という人間なため、いささか公務(?)多忙なことにボヤキの一つも吐きたい気分なのである。
 私の務めはまだまだ続く。この後もかなりの時間を二つのポジションに割かねばならない。ボヤいたところで、それは自分が引き受けたことによって生じた事態なのだから、自分で解決しなければならない。多忙な間隙を縫いながら、自分の趣味趣向も追い求めていきたいと考えている今日この頃である。

札幌グルメ紀行 22 ろばた・すし・北のめし「あきず」

2016-05-17 20:14:13 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 ホテル(京王プラザホテル)に入店している店ではあるが、庶民的な感じを与える店である。いろいろな和食を楽しめる店として人気があるようである。惣菜バーもその人気を支える一つのように思えた。 

          
          ※ 京王プラザホテル札幌の地下一階の「あきず」のエントランスです。

 「久しぶりに和食でランチを!」と要望したところ、妻が「あずき」を推薦してくれた。
 ろばた・すし・北のめし「あきず」は、京王プラザホテルの地下一階に入店している和食の店である。同じフロアには、以前レポした広東料理の「南園」も入っている。

          
          ※ 和食の店とあって、日本酒の銘柄も充実しているようです。

 「あきず」はなかなか人気の店のようで、土曜日の昼ということで、しばらく待たされてから入店となった。(カウンター席なら即入店できたのだが…)
 席に落ち着きメニューを見ると、お店の冠に「ろばた・すし・北のめし」とあるように和食なら何でもありといった感じだった。
 お店のイチオシとしては、「5月のあきず御膳」(1,800円)とか、「 月替りランチ」(1,300円)などだろうか? もちろん予算をはずめば豪華なランチも用意されている。
 その他にもアラカルトで、さまざまなメニューが用意されていた。私たちはそのアラカルトの中から、私は「平田牧場三元豚ロースカツ定食」(1,350円)、妻は「生寿司ランチ」(1,680円)をオーダーした。

          
   ※ 店の一押しランチ(?)の「あきず御膳」です。料理の写真はこの後のものも含めて店のHPから拝借しました。

 この店の特長の一つであり、面白いサービスだと思われるのが「惣菜バー」である。ほとんどのメニューに付随してくると思われるのだが、メインディッシュが出てくる前に「お楽しみください」というお店の配慮と思われる。
 その惣菜の種類をメモしてみたのだが、「大根の煮物」、「春雨炒め」、「白菜の玉子とじ」、「マカロニサラダ」、「レタスサラダ」、「白菜の新漬」、「揚げ芋の五目あんかけ」といった意外に庶民的な惣菜が並んでいる。
 注意しなくてはいけないのは、メインディッシュが来る前に満腹になってしまわぬように注意することだ。

          
          ※ これが「惣菜バー」ですが、一見ランチバイキングにも見えますね。

 やがて、「平田牧場三元豚ロースカツ定食」が出てきた。見た目はなかなかだったが、肝心の味の方は?というのが正直な感想だった。私としては、カツが挙げ過ぎなのではと思えたのだが、どうなのだろうか?
 味にうるさい妻の方は、特に文句も言わずに「生寿司ランチ」を頬張っていたので、そちらの方はまずまずだったのか思われる。

               
               ※ 私が食した「平田牧場三元豚ロースカツ定食」です。

               
               ※ 妻が食した「生寿司ランチ」です。

 ロースカツ定だけでは何とも言えない。いろいろな和食が楽しめる「あきず」は家族連れなどでは楽しめるお店のようだ。

【ろばた・すし・北のめし あずき データー】
北海道札幌市中央区北5条西7-2-1 京王プラザホテル札幌 B1F
電  話  011-271-3203
営業時間  ランチ  11:30~15:00
      ディナー 17:00~22:00
定休日   無休
駐車場   ホテル駐車場 レストラン利用者 2.5h 250円
座 席   75席(テーブル席56席 寿司カウンター10席、焼きカウンター9席)
入店日   ‘16/05/14

北海道低山紀行 56 黄金山(739.1m) 下山編

2016-05-16 21:52:06 | 北海道低山紀行 & Other
 山頂近くの岩峰に度肝を抜かれた私に、黄金山は下山時にもさらなる試練を私に与えた。それは、少しオーバーに表現すると垂直に切り立った壁の横腹に僅かにつけられた踏み跡を辿っていくものだった。一つ間違えば谷底まで真っ逆さま…。慎重の上にも慎重を重ね、恐る恐る下る私だった…。 

          
          ※ この異様な山の形と共に、恐怖の黄金山は忘れることのできない山になるだろう。

 山頂で20分の休憩をとり、いよいよ下山である。
 岩を這うように上ってきたところを、再び同じような格好で下りはじめた。一度通ってきたところとあってか、上りほどの恐怖はなく、なんとか通過することができた。

          
          ※ 下山は山頂からまず写真向いの岩峰を目ざします。
 
 山頂から15分で新道と旧道の分岐点に来た。計画通り旧道に歩を進めた。
 分岐の入口から登山道とは思えぬ細いたどたどしい道に変わった。
 進むにつれ、道はさらに険しさを増した。脇に張ったロープを手繰り寄せ、立木があるとそれに掴まり、壁にへばりつくように一歩一歩進むといった具合だった。
 登山には3点確保という上り方(下り方)があるが、私の場合は4点確保と言った方がいいような下り方だった。なぜなら、足元を見ると、垂直に見えるほどの谷が広がっていて、そこへ落ちたらという恐怖に支配されていたからだ。
下るスピードは登山時よりはるかにかかっている。あまりの恐怖に写真を撮ることも忘れてしまった。

          
          ※ どこを下ったか分かりますか?まさに道なき道を下りるルートでした。

          
          ※ ロープと細い木にすがりながらの下山が続きました。
          
 そうした格闘がどれくらい続いたのだろうか?ようやく壁の横腹の部分を通過できたと思っても、急斜面の下りは続いた。 そんな中を一人の女性が下から上がってきた。私は「なぜ上りに旧道を使われたのですか?」と聞いた。すると「旧道にはとてもきれいなお花畑があるんですが、一週間ほど時期が早かったようです」と答えてくれた。それも大きな理由だろうが、彼女にとっては上りを旧道にして下りは新道を、と考えた結果なのだろうと、後から思った。

          
          ※ 崖の横腹を過ぎても、ご覧のような急斜面が続きました。(写真は登っている人たちです)

 その後も何組かの旧道を上ってくるグループに出会った。
 私に言わせれば、壁のところでの格闘、それに続く急斜面で40分以上の格闘が続いたように思った。
 ようやく斜度のないところまで降り着いた。すると!
 登山道の両側に白や黄色の小さな花が咲き誇っているではないか!まさにお花畑である。この山を良く知る件の女性は、もっと見事なお花畑を期待していたということだろう。
 ここで一挙にお花畑で出会った花だけではなく、この日黄金山で出会った花々を一挙掲載することにする。山野草の花々も魅力の黄金山のようだ。

 ※ 花の名前は良く分かりません。間違えをご指摘ください。

          
          ※ フギレオオバキスミレ(黄色)とエゾイチゲ(白色)の競演?

          
          ※ これは何でしょう?花の様子がイマイチ分かりません。

          
          ※ これはエゾノリュウキンカですね。

          
          ※ これはオオサクラソウでしょう。

          
      ※ 初め何だろうと首をひねりましたが、カタクリの若い花のようです。これから花びらが反り返るんですね。

          
          ※ こちらもやや若いシラネアオイです。

 急斜面を下った鞍部のところには残雪がまだ残っていた。
 そうして、再び新道と旧道が合流する地点に到達したとき、分岐点から1時間かかっていた。上るときには私の足でこの間が55分だった。下りの方がかかったことになる。いかに厳しい下りだったか想像していただけると思う。

          
          ※ 鞍部の所にはこうして残雪がまだ溶け残っていました。

          
          ※ たまあに遊びの写真を…。熊がベンチに腰かけているように見えませんか?

 合流点からは上りの時同様、楽々ハイキングだった。山開きに参加した多くの人たちと出会い、挨拶を交わしながら登山口に着いたとき、時計は10時30分を指していた。

          
          ※ 登山口に帰り着いたときには、写真のような横断幕がかかっていました。

 黄金山に向かう時にはパスした、黄金山の麓に立つ樹齢1,500年とも言われる高さ18mのイチイの木(全国18位だそうだ)を眺めて帰路に就いた。
 私にとってはとてもスリリングな一日であり、忘れぬことのできない黄金山だった。

                
                ※ 高さ18mのイチイの木です。

【黄金山(こがねやま) 登山データ】
標 高  739.1m
駐車場  登山口のところに20台くらい駐車可能なスペース有。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
登山口→(20分)→新道・旧道の分岐点→(上りは新道経由55分)→新道・旧道の合流点→(20分)→黄金山山頂(20分滞在)→(15分)→新道・旧道の分岐点)→(旧道経由60分)→新道・旧道の合流点→(15分)→黄金山登山口
時 間  上り(1時間35分) 下り(1時間30分)
天 候  晴れ後曇り、山頂風強し
登山日  ‘16/05/15

北海道低山紀行 56 黄金山(739.1m)

2016-05-15 19:56:15 | 北海道低山紀行 & Other
 これほど怖い思いをした山は記憶がない。何せ私が立っている両脇は鋭く切れ落ちていて、一歩踏み間違えれば奈落の底といった感じである。私はビビりまくりながら、這うようにして山頂を目ざした。 

 
 ※ 黄金山山頂から暑寒別岳など増毛山地を遠望したパノラマ写真です。

 「黄金山(こがねやま)」というと、国道231号線からもその特異な山の形が望まれ、いつか登ってみたいなぁ、と思っていた山だった。高さは739mとそれほどでもないのだが、先行者の記録を読むと、かなり怖い山のようだった。
 何せ百戦錬磨のsakag氏が「これまでで最も怖かった印象が強かった」とまで記すほどなのだから…。
 この山は、その山容から別名「黄金富士」、「浜益富士」とも呼ばれているそうだ。

          
          ※ 国道231号線から見える「黄金山」です。

          
          ※ 国道から離れ、もう少し近づいたところから見た「黄金山」です。

 今日(5月15日)、早起きをして黄金山がある石狩市浜益地区を目ざした。我が家から片道85km、2時間かけての山行がはたして札幌近郊と言えるかどうかは疑問府つくところだが、まあ敢えて近郊としておこう。

 朝5時に自宅を発ち、7時に登山口に着くと、すでに3台の車が駐車していた。
 この日は、黄金山の登山開きが予定されていたが、さすがにこの時間にはそうした関係者の姿は見えなかった。

          
          ※ 黄金山登山口に建つ立派な水洗トイレです。

          
          ※ 黄金山の登山口です。

 立派なトイレが完備された登山口を7時05分に出発した。上りはじめは沢を経過しながらも穏やかな上りが続く。登山道の脇には春の山らしく、いろいろな山野草が花を付け、目を楽しませてくれる。
 私の足で20分後、新道と旧道の分岐点に着いた。私は特に知識もなかったので、上りに新道を、そして下りに旧道を行くことにした。(これが間違いだった…)

          
          ※ 登り始めは、まあ普通の登山道といった感じでした。

          
          ※ 途中、これから向かう黄金山山頂が木々の間から見え隠れしていました。

          
          ※ 新道、旧道の分岐点です。距離的にはほとんど同じくらいのようです。

 新道もしばらくは穏やかな上りだったが、やがて山容でも分かる急斜面に取り付くと、凄い登りが待っていた。もう見上げるばかりの上りが連続しているのだ。
 写真ではイマイチその感じが分からないが、かなりな急登で、脇に張られたロープに掴まり、木の枝や幹に掴まりながら高度を上げていった。
 あまりに急斜度のせいか、それとも私が最近自分の体力の衰えを十分自覚してきて無理しなくなったせいか、体力に合った上り方をしたので、それほど辛い思いはせずに上りつづけることができた。

          
          ※ 徐々に登山道が険しくなってきました。

          
          ※ 写真ではやや平板に見えますが、かなりの斜度で登り続けねばなりませんでした。

          
          ※ 写真のような梯子を使って登るところも…。

          
          ※ 典型的な岩場です。ロープを掴み、木の枝や幹につかまりながら登り続けました。

 旧道との分岐点から55分後、再び旧道との合流点があった。
 この急登部分をこの山を熟知されているらしい若いカップルと前後しながら登ってきたのだが、その彼が「この後に怖いところが待っていますよ」と教えてくれた。
 合流点からさらに上りつづけると、大きな岩場に出た。左手に岸壁が垂直に切り立っている。下を見ると目も眩みそうなほど垂直に切れ落ちている。
 風も強かった。私は岩場に座り込んで、まずウィンドブレーカーを羽織り、キャップを飛ばされないようにしっかりカバーした。
 そこからの岩場は掴まるものもなく、バランスを崩したら大変と思い、岩場を這って進んだ。もうまったくのへっぴり腰である。
 情けないのだが、もしバランスを崩したら、それを瞬時に立て直す筋力も瞬発力もすでに自分からは失われたと思っているため、余計に怖さを感ずるのだ。

           
          ※ この岩場に左から回り込むのです。

          
          ※ この写真は反対側から、下山する人を撮ったのですが、その険しさを分かっていただけると思います。

          
          ※ 第一の岩場から、男性が立っている山頂に至る岩場を目ざします。

          
          ※ 怖い思いをしながら、ようやくたどり着いた黄金山山頂です。

 ほんとうに恐る恐るといった感じだった。
 8時35分、なんとか黄金山山頂に立つことができた。登頂に1時間30分を要したことになる。健脚の人であれば1時間程度の山なのだが…。
 山頂は風は強かったが、見晴らしは素晴らしかった。360度遮るものがなく、遠く浜益の市街地や日本海、反対側にはまだ雪を被った暑寒別岳など増毛山地が遠望できた。

 
 ※ 最初の写真とは反対側の日本海方面を写したパノラマ写真です。正面に見える小さな集落が浜益集落です。その向こうが日本海。

 私の前後して上ってきた男性氏に問うた。「旧道の下山はどうでしょうか?」と問うと、「う~ん。難しいところがありますね」ということだった。
 私の試練はまだまだ続いた。旧道の下山道はまたまた私を震え上がらせたのだった…。

 その下山編は明日レポします。


民謡教室を覗いてみた

2016-05-14 19:46:34 | ステージ & エンターテイメント
 私が民謡に興味をもった、ということではないのだが、ある民謡教室の様子を拝見する機会を得た。趣味の世界って、いろいろあるが、その世界に真剣に打ち込む人の姿は素晴らしい。民謡教室に集う人たちも、誰もが真剣だった。 

 5月11日(水)午前、拙宅の近くの総合福祉センターで民謡教室があるという。そこには私の知人の一人も通っている。その知人から「民謡教室を覗いてみないか」という誘いを受けた。私にはまったく知らない世界だったこともあり、興味半分に覗いてみることにした。

          
          ※ 民謡教室の様子です。中央で唄う人。その左側に座る人は次の唄い手。その他は伴奏の皆さん。

 会場には教室に通う多くの人が集まっていた。平日の午前、しかも民謡とあって、はやりお年寄りの方が目立った。私の知人が最年少に近かったのではないか。
 教室の指導方法はとてもシステマチックになっていた。
 担当者の一人が、団扇に書いた数字を掲げると、それを見て次から次へと唄う人が準備に入る。どうやらその数字は尺八の長さを表しているようだった。
 「尺八」というくらいだから、そもそもは一尺八寸の竹笛(?)が基本のはずだが、今はさまざまな長さの尺八があるらしい。長尺のものから順に短くなっていくようだった。それはつまり、徐々にキー(基準の音)が高くなっていくということで、自分の声の高さに合った尺八で唄うということのようだった。

          
          ※ 私が唯一といっても良い、民謡で知っている「江差追分」を唄った方です。なかなか渋い声が魅力だった。

 次から次へと、唄い手の方がステージに上がっていく。ステージでは、曲に合わせて三味線と尺八、それに囃子太鼓(?)の方が唄に合せて伴奏してくれる。
 唄い手の方は、みなさんそれぞれ真剣である。
 ステージに上がるときには、足元がおぼつかなかったような人も、一声上げればもう唄の世界にどっぷり浸かって、朗々とした唄声を響かせる。
 わずか3分程度の唄に全力を尽くしていることがステージ下にも伝わってくる。
 中には自分の唄の世界にどっぷりと浸かり、陶酔しているかのように見える人もいた。

 それにしても伴奏をされるお師匠さん(?)たちは、どのような曲のリクエストがあろうとも、楽譜を見ることもなく難なく弾きこなしていたことはさすがだと思えた。合いの手を入れるお囃子の方も全ての曲に熟知しているようにみえた。

               
               ※ 私の知人の若々しい(?)唄声が会場内に響き渡りました。

 我が知人はさすがに受講者の中では若いだけに声量は十分とみた。
 そして、みなさんが真剣に取り組む姿には、ある種の感銘さえおぼえた。
 ただ、悲しいかな私には民謡についての素養がないだけに、唄の巧拙については計りかねた。
 私が民謡の世界に嵌ることはおそらくないと思うが、それぞれの趣味に没頭し、真剣に取り組む姿には教えられるものが多々あった民謡教室体験だった。

映画 161 襟裳岬

2016-05-13 09:26:41 | 映画観賞・感想

 あきらかに映画の大ヒットを受けて、それに便乗するかのような安易な創りをした映画に見えた。1975(昭和50)年制作というから、映画界に陰りが見え始め、製作費も抑えられた中でつくられたようだ。 

               
               
 5月9日(月)午後、「めだかの学校」の「映画の中の北海道」上映会が行われ、昨日レポしたように、私が初めてナビゲーターを務めた上映会だった。

 映画は主演が山口いずみ、助演が神有介、夏雄介という、いずれも当時それほど有名でもない若い俳優を押し立て、路線としては純愛ロマン(時代がかった言葉ですね)という映画だった。
 ストーリーの詳細については他に譲るとして、故郷襟裳から東京に出てきて、都会の片隅で働く若者同士が出合い、故郷の襟裳岬に思いを馳せるという筋立てだった。しかし、その故郷は別に襟裳岬でなくとも、東京から離れたところであれば、どこでも置き換えることができるのでは、と私には思われた。

          

 北海道のロケも、山口いずみと神雄介の二人が日高の牧場と、襟裳岬で数日で撮ったのではと思われるくらい、簡単なロケのように思えた。

 私は、映画のテーマを「靖子(山口いずみ)の五郎(神佑介)に対する純粋、そして一途な愛ではないか」と参加者に紹介したが、むしろ俊一(夏雄介)と五郎との男の友情の結びつきを強く感ずるところがあったので、そのことを上映後に参加者には語った。

          
  ※ 襟裳岬に立つ二つの歌碑です。写真ははっきりしませんが、右が島倉千代子、左が森進一がそれそれ歌った歌碑です。

 それより私がこの映画で注目したのは、脇役陣であった。今は亡き牟田梯三、ハナ肇、坊屋三郎などが僅かな出演時間ではあったが、確かな演技力を見せてくれ、懐かしく感ずることができた。
 また、昭和50年代のテレビ、赤電話、足踏みミシンなどの小物と共に、当時の都会のファッションも懐かしかった。

 「めだかの学校」の「映画の中の北海道」シリーズは、いずれも旧作が取り上げられる。その意味では、過ぎ去った当時のことと自分とを重ね合わせながら観賞する楽しみも内在しているのである。
 これからも続く「映画の中の北海道」を楽しみたい。

               


襟裳の春は~♪

2016-05-12 20:44:38 | 道内の旅

 「襟裳の春は~ 何もない春です~♪」…、ご存じ(?)岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲、森進一歌で大ヒットした曲である。先日、様似町まで行ったときに足を延ばして、私にとっては35年ぶりに襟裳岬を訪れてみた…。 

 35年ぶりという理由以外に、襟裳岬を訪れる理由が私にはもう一つあった。
 というのも、私が所属する「めだかの学校」において、これまでは受講するだけだったのだが、今年度は主催者の一員として、受講者に対して講座内容をナビゲートする役割が与えられるようになった。

 その私が5月の「映画の中の北海道」の映画「襟裳岬」のナビゲートをすることになったために、何かナビゲートするための材料がないだろうか、との思いから襟裳岬を訪れたのだった。
 
 映画がヒットしたとき歌詞の中の「襟裳の春は~ 何もない春です~♪」という部分が地元えりも町で物議を醸したと話題になったが、作詞をした岡本おさみは作詞するにあたって実際に襟裳岬を訪れているという。東京で暮らす岡本には、岬のあの風景はやはり何もないという印象を持つのも無理はないなぁ、と思った。
 道産子の私でさえ、岬の突端に向うにしたがって木が一本もなく、芝地が広がっているだけの光景には異様さを感じたくらいなのだから…。

          
          ※ 襟裳岬の突端に近い一帯はご覧のように木一本生えていませんでした。

 そんな中、ちょっとシュールに感ずる光景に出会った。木が一本も生えていない芝地のところに大きな看板が立っていた。そこには「えりも国有林」と書かれていた。芝地を国有林とするのか、はたまた周辺では植林が進められているということから、将来は国有林で満たされますという予告する看板だったのだろうか?

          
          ※ 木が一本も生えていないところに「えりも国有林」の看板はシュールに見えませんか?

 さて、35年ぶりの襟裳岬だったが、当たり前のことだが襟裳岬は35年前と少しも違わずに、岬の突端の先に点々と浮かぶ岩に太平洋の荒波がぶつかり白い波を立てていた。そして名物の風も勢いよく吹いていた。
 唯一違っていたのは35年前には無かった「風の館」という資料館的施設が岬の突端に半地下形式で建てられていたことだった。

          
          ※ 襟裳岬を写真に収めるなら、典型的な一枚です。

          

          

          
          ※ 半地下形式に建てられている「風の館」のエントランスです。

 映画「襟裳岬」上映の際に、ナビゲートするための材料になるようなものはないだろうか、と探したところ二つの材料をゲットすることができた。
 一つは、岬の展望台のところに「襟裳岬」の歌碑が設置されていた。歌碑は二つあり、一つは森進一が歌ったもの、そしてもう一つはそれより前に発売され、これもヒットした島倉千代子が歌った「襟裳岬」の歌碑の二つが並んで設置されていた。

          
          ※ 島倉千代子さんが歌った「襟裳岬」の歌碑です。

          
          ※ こちらは森進一さんが歌った「襟裳岬」の歌碑です。

 もう一つは、「風の館」の中のシアターに入ったときに、そのシアター内の壁に映画「襟裳岬」のポスターが掲示されていた。
 「襟裳の春は~ 何もない春です~♪」と歌い、一時は地元で物議を醸したものの、歌の大ヒットによって襟裳岬に全国から観光客が押しかけたことによって、地元はおおいに潤ったという。そのことに地元としては感謝の意を表したということだろう。

          
          ※ 風の館のシアター内の壁には映画「襟裳岬」のポスターが掲示されていました。

          
          ※ 風の館内にあった襟裳岬の風の強さを体験する風洞です。風速25mを体験しました。          

          
          ※ 風の強い日など、風の館内から岬を望める展望コーナーがありました。

 映画のナビゲートの方は、その襟裳岬の体験と、同じ「襟裳岬」の歌を歌った森進一と吉田拓郎の歌を聴き比べてみる、という手法の導入を図ったが、まあまあ、ある程度は受講者からは歓迎されたのでは、と自己診断しているのだが…。(甘いかな?)