ピークは一つだけではなかった。ピークを過ぎ、谷に下りると、そこには渓流が流れていた。その渓流を越えると、また上りが始まる。そんなことを4度繰り返した。そしてようやく山道西口に出たと思ったのだが…。

※ 私が入手し、唯一頼ったマップです。
ピーク上の山道は快適だった。ところによってはまるで絨毯の上を歩くような心地良さを感じた。そこには長年降り積った落ち葉が厚く堆積していたからだった。

※ ピークの平らな地点では写真のように枯れ葉が降り積もったところがたくさんあった。
しかし、心地良さは長くは続かない。やがてピークは下り道となって、沢に向かった。
この沢を流れる渓流を渡るのがなかなかスリリングだった。
沢の幅が広く、比較的水量もあるため、ロープが渡されていた。そのロープを伝いながら渡りきると、今度は幅の狭い沢の脇道を通らねばならなかった。

※ 写真のような沢を渡り、下の写真のような崖を横切りとスリリングな展開が続きました。

そこを通過して第二のピークを目ざして進んでいる途中で、山道から外れたところに「日高耶馬渓」の断崖ポイントがあった。ここは断崖の上から太平洋を見渡せるポイントである。荒れた太平洋の波が断崖にぶつかり砕けていた。

※ 「日高耶馬渓」から覗いた断崖の様子です。恐ろしぃ~。
第1ピークから約1時間経過して第2のピークに達した。そこから間もなく、山中に「原田宿跡」という旅籠屋跡に到り、休憩を取ることにした。
ここで私は意外に時間が経過していることに気付いた。マップを見ると、原田宿跡はちょうど山道の中間地点にあたる。時計を見ると、スタートしてからすでに2時間が経過していた。コース全体の所要時間を3時間程度と見ていたのに、すでに2時間が経過しているということは、ずいぶんゆったりペースで進んでいたことになる。
私はあわてて休憩を切り上げ、再スタートした。
というのも、ゴール地点からバスでスタート地点まで戻る計画をしていたのだ。そのバス時間まで1時間30分しかないことが判明したのだ。このバスを逃すと、もうバスの便はなく徒歩でスタート地点まで戻らねばならないのだ。

※ 様似山道の中間地点近くの平らな所に「原田宿跡」がありました。
私は小走り状態で山道を駆けた。ところが!なんとそれから15分くらい経ったところに「山道中間地点」という看板が掛けられていた。私は断念せざるを得なかった。山中の上り下りが続く中で、小走り状態が続くはずがないからだ。しかたがない。ゴール後、徒歩でスタート地点に還ることを決断した。
それからも山道の上り下りは続き、記録によると第2のピークから25分後に第3のピーク、それから30分後に第4のピークを越えている。

※ その後からも写真のような渓谷、そして崖渡りが続きました。

第4のピークを越えて、下り道に差しかかると、急に前方が開けてきた。
すると、何となく分岐点のようなところに出た。しかし、前方にはどちらにも先ほどまで目立っていた赤いテープが見られない。踏み跡を辿り下の方へ下った。
すると、下の方になにやら黄色い海が広がっているように見えた。遠方には青い海が広がっているのに…。
近付いてみると、黄色のような海はバラス(小さな砕石)を敷き詰めたコンブ干場だった。
どうやら私は「コトニ小休所跡」に出たようだった。まだ、ゴールは先である。

※ 遠くからは一瞬、黄色の海が広がっているように見えました。幻覚?
分岐点のところまで戻り、先の道を探した。周りを360度ぐるりと目を皿のようにして赤いテープの探すのだが見つからない。
しかたなく、微かに残る踏み跡を辿ってみるも、やがてそれは消えてしまい立ち往生した。
進む道を失った私に、マップは「コトニ小休所跡」の説明書きで、「山道はこの西にさらに続きますが、ここから国道に出て終えてもいいでしょう」と囁きかけた。おまけに「バス停あり」の説明も見え、時計を見ると例のバス時間に間に合いそうだ。
せっかく200キロも走って来て、途中断念という事態は残念至極であるが、進む道を失っては手の施しようがない。
私はいたしかたなく、「コトニ小休所跡」で様似山道トレッキングを終えることにした。

※ あの崖の上から道路に出るところが見つからず、あの崖を降りてきたのです。この日一番怖かった。

※ バス停から荒れる太平洋を見たところです。
そして、近くにあったバス停からバスを利用して車を駐車させていた幌満のコミュニティセンターに帰り着いたのだった。

※ 私が入手し、唯一頼ったマップです。
ピーク上の山道は快適だった。ところによってはまるで絨毯の上を歩くような心地良さを感じた。そこには長年降り積った落ち葉が厚く堆積していたからだった。

※ ピークの平らな地点では写真のように枯れ葉が降り積もったところがたくさんあった。
しかし、心地良さは長くは続かない。やがてピークは下り道となって、沢に向かった。
この沢を流れる渓流を渡るのがなかなかスリリングだった。
沢の幅が広く、比較的水量もあるため、ロープが渡されていた。そのロープを伝いながら渡りきると、今度は幅の狭い沢の脇道を通らねばならなかった。

※ 写真のような沢を渡り、下の写真のような崖を横切りとスリリングな展開が続きました。

そこを通過して第二のピークを目ざして進んでいる途中で、山道から外れたところに「日高耶馬渓」の断崖ポイントがあった。ここは断崖の上から太平洋を見渡せるポイントである。荒れた太平洋の波が断崖にぶつかり砕けていた。

※ 「日高耶馬渓」から覗いた断崖の様子です。恐ろしぃ~。

第1ピークから約1時間経過して第2のピークに達した。そこから間もなく、山中に「原田宿跡」という旅籠屋跡に到り、休憩を取ることにした。
ここで私は意外に時間が経過していることに気付いた。マップを見ると、原田宿跡はちょうど山道の中間地点にあたる。時計を見ると、スタートしてからすでに2時間が経過していた。コース全体の所要時間を3時間程度と見ていたのに、すでに2時間が経過しているということは、ずいぶんゆったりペースで進んでいたことになる。
私はあわてて休憩を切り上げ、再スタートした。
というのも、ゴール地点からバスでスタート地点まで戻る計画をしていたのだ。そのバス時間まで1時間30分しかないことが判明したのだ。このバスを逃すと、もうバスの便はなく徒歩でスタート地点まで戻らねばならないのだ。

※ 様似山道の中間地点近くの平らな所に「原田宿跡」がありました。
私は小走り状態で山道を駆けた。ところが!なんとそれから15分くらい経ったところに「山道中間地点」という看板が掛けられていた。私は断念せざるを得なかった。山中の上り下りが続く中で、小走り状態が続くはずがないからだ。しかたがない。ゴール後、徒歩でスタート地点に還ることを決断した。
それからも山道の上り下りは続き、記録によると第2のピークから25分後に第3のピーク、それから30分後に第4のピークを越えている。

※ その後からも写真のような渓谷、そして崖渡りが続きました。

第4のピークを越えて、下り道に差しかかると、急に前方が開けてきた。
すると、何となく分岐点のようなところに出た。しかし、前方にはどちらにも先ほどまで目立っていた赤いテープが見られない。踏み跡を辿り下の方へ下った。
すると、下の方になにやら黄色い海が広がっているように見えた。遠方には青い海が広がっているのに…。
近付いてみると、黄色のような海はバラス(小さな砕石)を敷き詰めたコンブ干場だった。
どうやら私は「コトニ小休所跡」に出たようだった。まだ、ゴールは先である。

※ 遠くからは一瞬、黄色の海が広がっているように見えました。幻覚?
分岐点のところまで戻り、先の道を探した。周りを360度ぐるりと目を皿のようにして赤いテープの探すのだが見つからない。
しかたなく、微かに残る踏み跡を辿ってみるも、やがてそれは消えてしまい立ち往生した。
進む道を失った私に、マップは「コトニ小休所跡」の説明書きで、「山道はこの西にさらに続きますが、ここから国道に出て終えてもいいでしょう」と囁きかけた。おまけに「バス停あり」の説明も見え、時計を見ると例のバス時間に間に合いそうだ。
せっかく200キロも走って来て、途中断念という事態は残念至極であるが、進む道を失っては手の施しようがない。
私はいたしかたなく、「コトニ小休所跡」で様似山道トレッキングを終えることにした。

※ あの崖の上から道路に出るところが見つからず、あの崖を降りてきたのです。この日一番怖かった。

※ バス停から荒れる太平洋を見たところです。
そして、近くにあったバス停からバスを利用して車を駐車させていた幌満のコミュニティセンターに帰り着いたのだった。