一日中バスを駆って石狩湾岸を巡り、サケに関した箇所を見て歩くツアーに参加した。専門家の解説付きでありながら参加料は無料、しかも道民カレッジの単位6単位が取得できるという超お得なツアーだった。
10月18日(土)、「石狩湾岸 サケを巡るバスツアー」なるものに参加した。
当初、主催は石狩市の主催と思っていたのだが、実際には「石狩湾自然史ネットワーク」という石狩市、小樽市、札幌市の博物館関係者でつくるネットワークが主催ということだった。
巡ったところは次のとおりだった。
◇青島 ~ サケの定置網の様子を遠望する。
◇厚田キャンプ場 ~ 厚田川に遡るサケの様子を観察する。
◇古澤漁港 ~ 昼食を摂りながら漁港内でチカ釣りをする人たちと談笑する。
◇いしかり砂丘の風資料館 ~ 縄文遺跡から発掘されたサケ捕獲装置を見学する。
◇石狩弁天社 ~ サケ漁で賑わった石狩浜を護った弁天社を見学する。(ここで嬉しい出会いがあった)
◇石狩紅葉山49号遺跡 ~ 縄文時代のサケ捕獲装置が発掘された遺跡をみもの見学する。
◇星観緑地 ~ 星置川に遡るサケの様子を観察する。
という盛り沢山の内容だった。
それぞれの見学地において、新たに獲得できた知見、あるいは感想を綴ることにする。
まず、サケの定置網についてだが、潜水技術の発達が定置網漁法をより有効な手段とできるようになったという話は耳新しかった。定置網を設置する場合に潜水士が重要な働きをしていることを初めて知ることができた。

※ サケ漁の定置網が張られている様子を遠望しました。
厚田キャンプ場内を流れる「厚田川の支流」は川の幅が僅か2m程度の川である。その川にサケが群がるように遡っていた。川に近づくと微かに腐臭が感じられた。それもそのはず、川辺には産卵を終え、力尽き果てた相当の数のサケがすでに横たわっていた。その横を、懸命に上流を目ざすサケの姿もまた目立った。

※ 勢いよく川を遡ろうとするサケがいたかと思うと…。

※ 体を横たえているサケ、すでに息絶えたサケを見ることができました。
「古澤漁港」はチカ釣りの人たちとも談笑したが、海岸沿いの断崖に見事な地層を見ることができたのが印象的だった。

※ 古澤漁港の近くで見られる見事な地層の筋です。
「いしかり砂丘の丘資料館」では紅葉山49号遺跡から発掘された縄文時代のサケの捕獲装置について、実物を見ながら説明を受けた。約4,000年前の木製の捕獲装置が現代までほぼ腐食せずに残ることができたのは、周辺に絶えず湧水が出ていためバクテリアなどが発生しなかったことで奇跡的に保存されていたということだった。こうした木製の装置が発掘されたのは世界的にも珍しい発見だということだ。

※ 「いしかり砂丘の丘資料館」に展示されている縄文時代のサケを捕獲するための木製の柵です。
「石狩弁天社」は海上の安全、豊漁を祈願した地域の神社がその始まりであるが、特にこの神社には「妙亀法鮫大明神」という神様が祀られていることで知られている。つまり弁天社には亀に乗った神様(妙亀)と鮫に乗った神様(法鮫)の2体が祀られている。亀は和人の仏教を反映し、鮫は「チョウザメ」のことで、サケ漁に携わったアイヌの人たちがチョウザメを「石狩川の主」として敬ったことから、アイヌの信仰を反映したものとして祀られているとのことだった。

※ 「弁天社」の前で説明するボランティアガイドの石川治氏(白い上着)です。
この石狩弁天社についての説明は、「いしかりガイドボランティアの会」の方が務めてくれた。この時のガイドがなんと私が石狩市民カレッジ「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講師であった石川治氏だった。
実は石川氏と再会する前日のことだった。石川氏が偶然にも私のブログの存在を知って、「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講座の感想を投稿していていたブログを発見されたということで、私のブログを石川氏のHPにリンクしても良いか、という問い合わせがあったのだった。もちろん私はすぐさま了解の返信をしていたのだが、まさかその次の日にお会いできるとは夢にも考えていなかったので、その偶然に驚いた。石川氏もずいぶん驚かれていたようだった。
この日の石川氏の説明も、氏の博学ぶりがいかんなく発揮され、弁天社のことをより深く理解することができたひと時だった。
バスは「紅葉山49号遺跡」(現在は発寒川の遊水池になっている)を訪れたが、そこは微かに砂丘だった痕跡は残すものの、素人目には何も気づかないほどの原っぱだった。

※ 「紅葉山49号遺跡」跡です。現在は発寒川の遊水池になっているとのことです。
そして最後の「星観緑地」のところを流れる星置川に架かる橋上から遡るサケを見学しようと計画されていたのだが、前夜来の雨で川が増水していたこともあって、サケの姿を見ることは残念ながらできなかった。

※ 星置川に架かる橋上から川を遡るサケを見ようとしたのですが…。
このように内容の濃いバスツアーだったが、その箇所、箇所で専門の学芸員の方が解説してくれたのは何より参考になった。
その中で学芸員の方が強調されていたことがあった。それは海と山が互いに栄養分を交換しているという話だった。
森を整備し、森を育てることで海中の植生物に必要な栄養分を供給し、それが魚たちの成長に大いに寄与しているということだ。一方、魚とくにサケは上流まで遡り、そこで死に絶えることで森の木々たちに栄養分を供給しているという。
つまり今回のバスツアーは、山と海の成分が互いに循環することによって自然界のバランスが適度に保たれているということを理解してほしい、という趣旨だったと理解した。
10月18日(土)、「石狩湾岸 サケを巡るバスツアー」なるものに参加した。
当初、主催は石狩市の主催と思っていたのだが、実際には「石狩湾自然史ネットワーク」という石狩市、小樽市、札幌市の博物館関係者でつくるネットワークが主催ということだった。
巡ったところは次のとおりだった。
◇青島 ~ サケの定置網の様子を遠望する。
◇厚田キャンプ場 ~ 厚田川に遡るサケの様子を観察する。
◇古澤漁港 ~ 昼食を摂りながら漁港内でチカ釣りをする人たちと談笑する。
◇いしかり砂丘の風資料館 ~ 縄文遺跡から発掘されたサケ捕獲装置を見学する。
◇石狩弁天社 ~ サケ漁で賑わった石狩浜を護った弁天社を見学する。(ここで嬉しい出会いがあった)
◇石狩紅葉山49号遺跡 ~ 縄文時代のサケ捕獲装置が発掘された遺跡をみもの見学する。
◇星観緑地 ~ 星置川に遡るサケの様子を観察する。
という盛り沢山の内容だった。
それぞれの見学地において、新たに獲得できた知見、あるいは感想を綴ることにする。
まず、サケの定置網についてだが、潜水技術の発達が定置網漁法をより有効な手段とできるようになったという話は耳新しかった。定置網を設置する場合に潜水士が重要な働きをしていることを初めて知ることができた。

※ サケ漁の定置網が張られている様子を遠望しました。
厚田キャンプ場内を流れる「厚田川の支流」は川の幅が僅か2m程度の川である。その川にサケが群がるように遡っていた。川に近づくと微かに腐臭が感じられた。それもそのはず、川辺には産卵を終え、力尽き果てた相当の数のサケがすでに横たわっていた。その横を、懸命に上流を目ざすサケの姿もまた目立った。

※ 勢いよく川を遡ろうとするサケがいたかと思うと…。

※ 体を横たえているサケ、すでに息絶えたサケを見ることができました。
「古澤漁港」はチカ釣りの人たちとも談笑したが、海岸沿いの断崖に見事な地層を見ることができたのが印象的だった。

※ 古澤漁港の近くで見られる見事な地層の筋です。
「いしかり砂丘の丘資料館」では紅葉山49号遺跡から発掘された縄文時代のサケの捕獲装置について、実物を見ながら説明を受けた。約4,000年前の木製の捕獲装置が現代までほぼ腐食せずに残ることができたのは、周辺に絶えず湧水が出ていためバクテリアなどが発生しなかったことで奇跡的に保存されていたということだった。こうした木製の装置が発掘されたのは世界的にも珍しい発見だということだ。

※ 「いしかり砂丘の丘資料館」に展示されている縄文時代のサケを捕獲するための木製の柵です。
「石狩弁天社」は海上の安全、豊漁を祈願した地域の神社がその始まりであるが、特にこの神社には「妙亀法鮫大明神」という神様が祀られていることで知られている。つまり弁天社には亀に乗った神様(妙亀)と鮫に乗った神様(法鮫)の2体が祀られている。亀は和人の仏教を反映し、鮫は「チョウザメ」のことで、サケ漁に携わったアイヌの人たちがチョウザメを「石狩川の主」として敬ったことから、アイヌの信仰を反映したものとして祀られているとのことだった。

※ 「弁天社」の前で説明するボランティアガイドの石川治氏(白い上着)です。
この石狩弁天社についての説明は、「いしかりガイドボランティアの会」の方が務めてくれた。この時のガイドがなんと私が石狩市民カレッジ「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講師であった石川治氏だった。
実は石川氏と再会する前日のことだった。石川氏が偶然にも私のブログの存在を知って、「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講座の感想を投稿していていたブログを発見されたということで、私のブログを石川氏のHPにリンクしても良いか、という問い合わせがあったのだった。もちろん私はすぐさま了解の返信をしていたのだが、まさかその次の日にお会いできるとは夢にも考えていなかったので、その偶然に驚いた。石川氏もずいぶん驚かれていたようだった。
この日の石川氏の説明も、氏の博学ぶりがいかんなく発揮され、弁天社のことをより深く理解することができたひと時だった。
バスは「紅葉山49号遺跡」(現在は発寒川の遊水池になっている)を訪れたが、そこは微かに砂丘だった痕跡は残すものの、素人目には何も気づかないほどの原っぱだった。

※ 「紅葉山49号遺跡」跡です。現在は発寒川の遊水池になっているとのことです。
そして最後の「星観緑地」のところを流れる星置川に架かる橋上から遡るサケを見学しようと計画されていたのだが、前夜来の雨で川が増水していたこともあって、サケの姿を見ることは残念ながらできなかった。

※ 星置川に架かる橋上から川を遡るサケを見ようとしたのですが…。
このように内容の濃いバスツアーだったが、その箇所、箇所で専門の学芸員の方が解説してくれたのは何より参考になった。
その中で学芸員の方が強調されていたことがあった。それは海と山が互いに栄養分を交換しているという話だった。
森を整備し、森を育てることで海中の植生物に必要な栄養分を供給し、それが魚たちの成長に大いに寄与しているということだ。一方、魚とくにサケは上流まで遡り、そこで死に絶えることで森の木々たちに栄養分を供給しているという。
つまり今回のバスツアーは、山と海の成分が互いに循環することによって自然界のバランスが適度に保たれているということを理解してほしい、という趣旨だったと理解した。
私が戻らなくても,自然史ネットワークの学芸員のどなたかが案内されたのでしょうから,私はむしろ早とちりの「およびでない?こりゃまた失礼しましたっ」てなもんです。
さりながらその場で,「わたしが田舎おじさんです」だなんて名乗られたのにはおおいに仰天しました。なにとぞお手柔らかにお願いします。
そして先日の説明についてもありがとうございました。
私はお察しいただけたかと思いますが、好奇心が人一倍旺盛なのか、どこへでも顔を出すところがありまして、そのことで【花畔・網】さんの講義を受けることにもなったのですが、先日お会いできたことも好奇心のなせる業かな、と思っております。
HPkの【花畔・網】を拝見させていただきましたが、その充実ぶりに目を見張らされました。とてもとても真似できるものではありませ。
私は自分が見聞したことを、なんとかブログという形に書き留めるのが精一杯ですが、これからもこの形で続けていこうと思っております。
何かの形で【花畔・網】の講義を受講できることを願っています。どうぞよろしくお願いします。