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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №342 ディエゴ・マラドーナ 二つの顔

2022-03-04 16:13:21 | 映画観賞・感想

 アルゼンチンが生んだ不世出のサッカーの大スター、ディエゴ・マラドーナを追ったドキュメンタリーである。その彼は、サッカーを愛するピュアな “ディエゴ” とマスコミを騒がせるダークな “マラドーナ” という、相反する二つの顔があった…。

   

 「北澤豪さっぽろフットボールシネマフェスティバル」の上映第二弾は「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」が上映された。

      

 映画はディエゴ・マラドーナがスペインの名門「FCバルセロナ」で期待されたほどの活躍ができなく(そのため幾多のトラブルも起こしていた)、イタリアの弱小チーム「SSCナポリ」に移籍したところから始まる。ナポリに移籍した時、マラドーナは24歳だった。まだまだ老け込む年齢ではない。彼は獅子奮迅の活躍で弱小チーム「SSCナポリ」を瞬く間にイタリアの強豪に伸し上げてしまう。その間、1986年に行われたワールドカップ・メキシコ大会ではアルゼンチンのキャプテンとしてチームを率い、今でも語り草の「神の手」ゴール「5人抜き」ドリブルなど圧倒的存在感でアルゼンチンを優勝に導いた。この頃のマラドーナは彼のサッカーキャリアの中で絶頂期だったのだ。所属の「SSCナポリ」においてもセリエAで2度の優勝に導き、彼はナポリにおいて圧倒的な名声を得ていた。ところが同時に彼は私生活において愛人との間に問題を抱え、さらには麻薬使用疑惑とかマフィアとの関連が囁かれるようにもなっていた。

   

 彼の転落の契機は、1990年に開催されたワールドカップ・イタリア大会だった。彼の率いたアルゼンチンは準決勝で奇しくもイタリアと対戦することとなった。しかも会場は不運なことに彼が所属する本拠地ナポリでの開催だった。彼のその時の言動も影響する中、アルゼンチンはイタリアに勝利する。このことで彼はすっかりイタリア人の敵となってしまった。そのことでそれまで封印されていた麻薬使用疑惑やマフィアとの関連が噴出することになったしまった。プレイヤーとしての彼の技量も下降線を辿っていたこともあり、彼は追われるようにして「SSCナポリ」を退団することになった。映画はそこまでであるが、その後においても母国アルゼンチンにおいて彼の人気は高く、アルゼンチンのチームに返り咲いたり、ワールドカップの監督やアルゼンチンのクラブチームの監督などを歴任したりしたが、彼にはいつも麻薬使用疑惑が付きまとっていた。そして2020年、彼は60歳の若さで死去した。

   

 サッカーの世界で世界的名声を得たにもかかわらず、彼の生涯は毀誉褒貶に包まれた功罪相半ばする生涯となってしまった。彼は今、このような己の生涯をどう思っているのだろうか?それを聴くことは誰にもできない話だが…。

《トークセッション》北澤豪 × 吉原宏太

   

 吉原宏太氏は1996年、高卒後コンサドーレ札幌に入団し俊足FWとして大活躍し、一時は日本代表にも選出された。その後、G大阪、大宮、水戸でプレーし、引退後は札幌に移住し、サッカーの解説やサッカー選手の育成活動に携わっている。

 二人の話は、日本代表の体験について主として語り合ったが、国を代表するという責任感を感じながらのプレーは特別だと異口同音に語った。また、代表で活動することで「より上のレベルを目ざしたい」という選手同士の意識の高さを学んだと語った。

 また、北澤氏はマラドーナについて、「複雑な思いがあるが、マラドーナはマラドーナである」と、プレイヤーとしてのディエゴ・マラドーナがいかに特別な選手であるかを語った。



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