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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 237 次郎物語

2019-06-04 16:17:18 | 映画観賞・感想

 映画「次郎物語」は作家・下村湖人の自伝的小説を映画化したものであるといわれている。映画は主として次郎の少年時代から、次郎の母親が亡くなるまでを描いたものであるが、感性に乏しい私にはイマイチ映画の良さを理解することができなかったのだが…。

                

               ※ 写真の次郎は10歳児を演じた伊勢将人だと思われる。

 道民カレッジが所蔵するフィルムを定期的に鑑賞する「懐かしのフィルム上映会」が5月30日(木)午後にあり参加した。

 映画「次郎物語」は昭和62(1987)年に制作・公開されたものである。「次郎物語」は映画化に適した作品なのだろうか、それ以前の昭和16(1941)年、昭和30(1955)年、昭和35(1960)年にも映画化され、本作は4度目ということになる。

          

          ※ 肩車の上の次郎は6歳児を演じた樋口剛嗣と思われる。

 映画の内容については、ウェブ上に上手にまとめたものが載っていたので、それを拝借することにすると…、 

 昭和の初め、次郎は母・お民の体が弱かったため、生まれてすぐお浜の家に預けられた。お民も元気になり実家に引きとられたが、お浜になついている次郎は連れ戻されるたびに逃げ帰るのだった。次郎の実家、本田家は、古くから続いた由緒正しい家柄で、士族の格式を守り子供たちの躾も厳しかった。6歳の夏、とうとう実家に連れ戻された次郎は、それまで自然の中で伸び伸びと育てられていたから、本田家の家風に息もつまりそうな思いの日々が始まる。祖母のおことは、乳母のお浜を恋しがる次郎に何かにつけて辛くあたった。体の丈夫でないお民は、おことと次郎の間でおろおろするばかり。父親の俊亮は、遠く離れた役所に勤めていたため、週に一度しか帰宅しなかったが、次郎を兄弟と分けへだてなく可愛がってくれた。十歳になった次郎は、相変わらず家庭に馴染まず、お民の実家、正木家や同級生の竜一の家へ行くことで寂しさを紛らわせていた。正木家の雇人、喜さぶは次郎を弟のようにかばってくれる。喜さぶと竜一の姉、春子とは相愛の仲だったが、喜さぶの家の没落で身分が変り、春子は遠い東京へ嫁入りすることになった。ある日、次郎は餓鬼大将にいじめられている兄と弟を助け、逆に餓鬼大将に怪我させてしまう。そのことでおことやお民に責められる彼の味方となったのは俊亮だった。次郎がようやく本田家の毎日に馴染む頃から、悪いことが続くようになった。次郎を可愛がってくれた祖父、恭亮が死に、その看病疲れからお民も発病、そして本田家の破産。一家は町に移り慣れない商売を始めたが、次郎は正木一家でお民の看病をすることになった。同じ頃、お浜の一家も夜逃げ同然に故郷を離れ、消息が知れなくなっていた。お民の病は重かったが、一所懸命看病する次郎にお民もうちとけ、二人の間にはようやく母と子の愛情が通じ合うのだった。夏になり、浮立の踊りに参加する次郎の衣裳を縫いあげ送り出したお民は、知らせを聞いて炭鉱から駈けつけたお浜にこれまでの非礼を詫びた。浮立連の中で踊っていた次郎は、お民の容態急変の知らせに枕許に急ぐが、お民の顔は既に白布で覆われていた。 

ということなのだが、観ている私には次郎の成長の様子をどこか淡々と描いているような気がしてならなかった。祖母のおことが次郎につらくあたるところも、感情移入するほどの酷さとは映らなかったし、次郎もそのことは淡々と受け流しているように私は受け止めた。

               

        ※ 父親の俊亮役の加藤剛と母親のお民役の高橋恵子と共に写る次郎訳の伊勢将人

 敢えてこの映画からメッセージを受け止めるとすれば、里子に出されたことで母親の民子より育ての親であるお浜に懐いていた次郎が、母親が病気になったことを契機に親子の情が復活したところに次郎の精神的な成長を見た、といったところだろうか?

 言い訳になってしまうが、映画を観た日は私の体調が優れなかったことも多分に影響していたように思われる。いやいや、やっぱり私の感性が乏しいというのが最大の因なのだろう。



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