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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響の第九 Ⅸ 

2017-12-17 21:27:34 | ステージ & エンターテイメント
 今年も「札響の第九」を聴く時期となった。今や私たちにとって年中行事の一つとなった「札響の第九」であるが、昨日(12月16日)午後、9回目となる「札響の第九」を友人たち3人と一緒に楽しんだ。今回は指揮者に注目しながら耳を澄ませた。 

              

 思い返すと、2009年の年末、前年のある講座で親しくなったリタイア組のオヤジ3人組が、「年末に第九というのもちょっといいんじゃない」的なノリで「札響の第九」を聴いたのが始まりだった。
 以来欠かすことなく、途中からさらにもう一人が加わり、4人でこれまで連続して9年間も連続して「札響の第九」を聴いている。

 「札響の第九」のどこが良いのか、クラシックに疎い私には大して分からずに、ここまで惰性で続けてきた。しかし、惰性も9回も続けると「これは私にとって一つの宝物になるかもしれない」などと思い始めた。こうなったら、10年も、15年も続けてみようか、などと考え始めている。

 私たちの席は、今や定席のようになった格安であるステージ後方のP席である。このP席がなかなかなのだ。正面から後ろ向きとなる指揮者の表情がしっかりと見えるのだ。しかもステージから非常に近い位置である。
 さて、今年の「札響の第九」であるが、指揮者が札響にとっては初めての方で、広上淳一という方だった。

 演奏会はお目当てのベートーベンの第九の前に、モーツァルトの「交響曲第9番ハ長調K.73」が演奏された。
 「モーツァルトの第九」は、明るく華やかな曲調で、とても聴きやすい曲だったが、そのときの広上氏の指揮ぶりが印象的だった。とてもリラックスした表情で、しかもこれまでの指揮者では見せたことのないトリッキーな動きもあり、見ていても広上氏はいかにも楽しそうに指揮しているように見えた。
 約12分の曲が終わり休憩に入ったのだが、私は思わず隣のH氏に「指揮者はずいぶんリラニックスして、楽しんでいるようにさえ見えましたね」とつぶやいた。ところがH氏は「いや、ネットの情報を見ると、相当激しい方のようですよ」と返された。

                  

 ネットで調べてみると、広上淳一氏は今年4月から札響の友情客員指揮者に就任している。広上氏の業績を語るものとして、世界各地の交響楽団を指揮された後、2008年に京都市交響楽団の常任指揮者に就任後、低迷していた京都市響に能力を驚異的に向上させたとして、2015年に楽団とともにサントリー音楽賞を受賞されたそうで、情熱的な指揮者としても名高いようだ。

 さて、本命のベートーベンの第九である。広上氏の表情が初めから一曲目とは違っていた。明らかに気合の入った表情が見て取れた。
 動きは一段と激しく、全身を使い、四肢を使い、まるで踊るがごとくという表現がぴったりのような指揮ぶりだった。そして一人ひとりプレイヤー(演奏者)に厳しい目つきで迫るようなシーンも度々あった。
 比較的小柄な身体をフルに使い、時には指揮台から飛び跳ねるような場面も何度かあり、ともかく情熱的だった。
 そして印象的だったのは、合唱が始まったとき、合唱団と一緒に歌っている。多くの指揮者も歌っているように口を動かしているが、広上氏の場合は本当に歌っているように見えた。そして何度も合唱団に向かって親指を立てgoodのサインを送っていた。それに応えるように合唱団の歌声はいつにもまして会場内に重低音のように大きく響き渡っていたように聴こえた。

 以前の演奏との比較などとてもできない私だが、きっと演奏者たちも今年の演奏に満足しているに違いない。
 来年もまた、「札響の第九」に足を運びたいと思っている。



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