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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

凄絶な幼少期を語ったサヘル・ローズさんの話を聴く

2023-03-08 14:44:22 | 講演・講義・フォーラム等

 イラン出身で、現在日本で女優として活躍するサヘル・ローズさんを知っている方は多いと思う。その彼女が自らの凄絶な生育期を語った。食べることが精一杯、生きるが精一杯の彼女の幼少期の体験から私たちは多くのことを学ばねばならないと思った。

        

 3月5日(日)午後、かでる2・7において「食フェスタ in 札幌」が開催されたので参加した。集会名は「食フェスタ in 札幌」であるが、そのメインテーマは「子どもたちに食の支援を」という子どもの貧困を考える集会だった。

 そのフェスタの基調講演としてサヘル・ローズさんが「こどもの貧困から考える今自分たちにできること」と題して講演されたのである。そのサヘルさんの幼少期の体験が凄まじい。

   

 彼女が生まれた頃は、ちょうどイラン・シラク戦争の真っ最中だった。彼女が3歳の時にイラクの空爆を受け、彼女は生みの親と離れ離れとなり、孤児院に入れられたという。そのことで、彼女は生年月日も定かでなく、親に付けてもらった名前も定かでないという。孤児院は戦争孤児で溢れていたそうだ。孤児院に入ったことによって食事があることが嬉しかったという。しかし、家庭とはまったく違った環境で職員に甘えることができないことが辛かったという。

 しかし、彼女は自分の生育過程について「幸運だった」と話す。それは孤児院に入っていた時、孤児院にボランティアで来ていたテヘラン大学の大学院生だったフローラ・ジャスミンさんに救い出され、養母になってくれたことだという。フローラの家は裕福な家だったが、サヘルの養母となることに反対しフローラへの経済的援助を一切断ち切ったという。また、イランでは養母となるためにはその後に実子が生まれないという保証が必要のためにフローラは子どもが産めない体になる手術を受けたそうだ。

 養母となったフローラは彼女に砂浜に咲くバラの花 の意味を持つ「サヘル・ローズ」という名前を付けたそうだ。そして生年月日も1985年10月21日にしたという。実家から経済的支援を受けられないフローラは当時日本に来て空手の指導者していた婚約者に相談したところ、日本に来ることを勧められたそうだ。それ受けフローラとサヘルは1993年8月13日に来日したという。

 婚約者はサヘルの小学校に通える手はずを整えたりしてくれたが、収入が乏しく生活が苦しいことで精神的にも不安定となり、フローラやサヘルに対して暴力を振るい始めたことで、フローラはサヘルを連れて家を飛び出してしまう。行く当てのない二人はホームレスとなり2週間もの間河原に転がっていた土管の中で生活したそうだ。その間、食事は親子してスーパーマーケットの試食コーナーを巡り歩いて凌いだという。そうした悲惨な生活を見かねたサヘルの学校の給食調理員が食事はもちろんの こと、彼女たちを同居させたり、日本永住のための手続きに奔走してくれたりしたという。

        

     ※ サヘル・ローズさん(左)と彼女の養母であるフローラ・ジャスミンさん。

 このこともサヘルにとっては「幸運だった」ことの一つだろう。サヘルの生育過程に関する話はここまでだった。その後彼女は高校生時代に芸能界入りをして、さまざまな分野で活躍し現在に至っている。

 彼女は自ら生育過程を話す中で、自らが弱い立場にいたからこそ、そうした立場の子どもがどのように思いなのかを話の端々で語った。

 曰く子どもに嘘をつくのは罪つくり。子どもに正直に向き合ってほしい。(孤児院の職員の子どもへの対応から)

 曰く、子どもに決定権を委ねるようにしたい。「ほんとうに私があなたのお母さんになっていい?」

 曰く、子どもを上から見下すのではなく、子どもの目線で話してほしい。等々…。

 サヘル・ローズさんはノー原稿でよどみなく1時間30分話し続けた。講演慣れしているとはいえ、彼女の中には溢れる思いがあったようだ。彼女自身、今は恵まれない子たちのためにたくさんのボランティアに関わっているようだ。その中で、けっして大きなことを言わず、今困っている子どもたちに、一人一人ができることで手を差し伸べてほしい、と訴え続けた講演だった。

 私の日常では、そうした子どもたちを目にすることはほとんどない。しかし、私の目の届かないところで多くの貧困が潜んでいるらしいことを痛感させられた。サヘル・ローズさんの言葉を心に刻みつけておきたいと思う。

 「食フェスタ in 札幌」はサヘルさんの特別講演の後、道内の現状報告や、関係者によるパネルディスカッションが行われた。その詳細は割愛するが、日本の子どもたちがおかれている現状は私が理解しているよりはるかに厳しいものであるらしいことを痛感させられた今回の「食フェスタ in 札幌」だった。