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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北極探検家・萩田泰永の冒険を聴く

2017-07-04 20:06:47 | 大学公開講座
 萩田泰永氏はこれまで18年間の間に15回もの北極徒歩冒険行を行っているという。しかもそのほとんどが単独で…。凄いことである。しかし、聴いている私は萩田氏の話になぜか感動をおぼえることができなかったのだ。どうしてなのだろう? 

 7月2日(日)、北大総合博物館において、北大で開催された「第2回アジア永久凍土会議」の関連イベントとして一般講演会が開催され、北極探検家である萩田泰永氏「単独歩行を通して感じる“北極”の姿」と題して講演するのを聴いた。

                    
                    ※ 北極冒険家・荻田泰永氏です。

 萩田氏は現在39歳で、神奈川県出身だが、現在は北海道・鷹栖町に本拠地を置いている。
 氏の冒険の対象は、カナダ北極圏、北極海、グリーンランドで、北緯66度33分以北のいわゆる北極圏を徒歩冒険することだという。
 その北極圏徒歩冒険とは、スキーを付け、そりを引きながら歩くことだそうだ。

               
               ※ 萩田氏自身を紹介するスライドです。

 氏は、自らの北極徒歩冒険行を写真や動画を駆使しながら紹介してくれた。いわゆる“自撮り”という手法である。
 その写真や動画は美しい。汚れていない、自然そのままの北極圏の景色は美しい。その中を往く萩田氏の姿も美しい。
 乱氷帯を往く荻田氏。シロクマや北極オオカミに出会う場面も美しい。
 確かに何日間も、そして何千キロも独り往く荻田氏の冒険は簡単なものではない。
 しかし、荻田氏の話からどうも“必死さ”のようなものが伝わってこないのだ。

               
               ※ このようなスライドや動画を次々と見せていただきました。

 これまで荻田氏は北極点を目ざしての無補給単独徒歩に2度挑戦しているが、2度とも失敗に終わっているそうだ。
 荻田氏の冒険で最も誇れることは、2016年にカナダ最北の村グリスフィヨルドからグリーンランド最北の村シオラパルクまで1,000キロを48日間で歩いたことで、このことは世界最初だという。
 再度言う。萩田氏の話から私は氏の“必死さ”というものを感じ取ることができなかった。何故なのだろう?と考えた。彼の話から、九死に一生を得たような類の話は一度も出てこなかった。とすると、彼の冒険はそこまで自分を追い込むような冒険をしていないということなのかもしれない。
 それはある意味、冒険家としては正しい姿勢なのかもしれない。出来得る限り危険を回避しながら、なおかつ可能性を広げようとする営みこそが真の冒険家なのだろう。

               
               ※ 緑の線が植村直己氏が辿ったコース。黄色が荻田氏が辿ったコースだそうです。植村氏のコースは今や氷が融けて渡れないとのことです。

 しかし、私は以前に自ら命さえ差し出すようなヒリヒリするような冒険を繰り返している角幡唯介氏の話を聴き、いたく感動してしまった経験があった。
 その角幡氏は今、真冬の北極圏、太陽が一切昇らない漆黒の闇の中を80日間かけて1,500キロ移動するという冒険に取り組んでいる。(一度目は、あらかじめ備蓄しておいた食料や燃料をシロクマに襲われて何も残っていなく、冒険を断念している)

                    
                    ※ 角幡唯介氏です。

 そこで私は萩田氏の講演が終了した後、「萩田氏にとって角幡氏はどのような存在ですか?」と問うた。すると彼は、角幡氏が最初の北極圏行の際に同行して、角幡氏に北極圏の冒険のノウハウを伝授しているという間柄だ、ということだった。
 そして萩田氏はこう述べた。「北極圏徒歩冒険のスタイルが、自分と角幡氏では違う。私はアスリートタイプであり、角幡氏は思索タイプである」と…。そして「体力的には間違いなく自分の方が上である」と言い切った。

 角幡氏を心酔する私は「本当だろうか?」とちょっと鼻白む思いがした。角幡氏にお会いした時、角幡氏の胸板の厚さ、精悍に顔付きに私は圧倒された思いだったからだ。
 冒険家として、誰よりも自分の能力を信じ、誰にも負けないという自信を持つことは大切なことだと思う。しかし、私から言わせれば、これまでも凄い冒険を繰り返してきた角幡唯介氏をもう少しリスペクトしても良いのでは、と思った萩田泰永氏の講演会だった。