田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

フナさんとの語らい

2016-09-20 19:18:38 | その他

 フナさんは、私に言わせるとスーパーマンである。フナさんは、私から見ると努力の塊のような人である。そんなフナさんと一年ぶりに語り合うことができた敬老の日(9月19日)の夜だった。 

            
            ※ 二人が語り合ったのは、札幌駅近くの大衆的な居酒屋だった。そこで出た厚焼き玉子です。

 オホーツク管内(以前は網走管内と称した)には、北見⇔網走間NHK駅伝大会というローカルな駅伝大会があった。地域の陸上協会がチームを組む本格的なチームから、職場や仲間内で仲間を募り参加するチームなど、レベルは様々だった。
 そんな中、小学校の教員だけで参加するチームが二つあった。そのチームとは、私が所属する○○小学校と、フナさんが所属する○○小学校だった。そこで私はフナさんの存在を知った。

 その後、私はしばらくランニングを趣味として各種大会に参加していたが、いつしかランニング生活から遠ざかった。しかし、フナさんは違った。その後もずーっとランニングを続け、ベテランの域になってからはフルマラソンなど長距離に取り組むようになっていた。
 語り合いの中でフナさんのランニング歴をお聞きしたら、フルマラソンはすでに40回以上の完走、さらにサロマ湖100キロマラソンも8回完走しているという。
 そうしたフナさんは、途中挫折してしまった私に言わせると“スーパーマン”なのである。

 さらにフナさんは、小学校の校長としての激務の傍ら、教育大学大学院のサテライトに学んで修士論文をものにする、という大変な努力家でもあった。私など、本務を務めるだけで精いっぱいで、とてもとてもフナさんの真似は出来なかった。
 その努力は認められて、退職後に某私立大学の教授として招かれ、昨年まで後輩育成に尽力された。
 私から見ると、フナさんは努力の塊の人なのである。

 フナさんはそのように私とは真逆な人なのだが、同じ管内から退職後に札幌に居を移した者同士として年に一回程度お会いして親交を温めている。
 そうする中でフナさんから刺激をいただき、私は私なりに精いっぱい生きていけたら、と思いながら彼との語らいを楽しんだ。

 フナさんはまだまだ走り続けるという。私もまた老けることなく、自らの夢を追い続けたいと思っている。
 二人は「それにしても…」と一致したことがあった。それは「健康であることへの感謝」だった。
 フナさんも私も、健康であればこそ、これまでのような挑戦が、これまでのような生活が、可能であったし、これからも可能であると考えている。

 二人は「敬老の日」の夜に、これからも長く健康であり続けることを願い、来年の再会を約して楽しい語らいを終えたのだった。