田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

古の道を往く旅を振り返る 5

2016-04-10 19:36:14 | ロングトレイルフットパス
三日目・四日目(小雲取越・大雲取越)写真集
 
 三日目・四日目は小雲取越・大雲取越という大きく二つの難所を乗り越えていくルートだった。生憎両日とも雨の中を往くトレッキングとなった。しかし、それもまたポジティブに考えれば、ある種幽玄の中を往く趣のあるトレッキングとなった。 

 トレッキング第三日(4/1)は熊野本宮大社(請川)から小口集落までの、通称「小雲取越」15キロだった。続く第四日(4/2)は小口集落から熊野那智大社までの、通称「大雲取越」(14.5キロ)だった。

 4月1日は天気予報でも雨と予報があったので覚悟していたのだが、晴れの予報の翌4月2日まで雨天となってしまったのは予想外だった。
 私は両日ともに、上下にレインウェアを着込み、手には傘を差してのトレッキングとなった。傘を差しての登山やトレッキングは初体験だったが、これがなかなか心地良いことを発見することができた。

 4月1日の「小雲取越」はもっぱら杉林の中を往くトレッキングで、唯一見晴らしが効く「百ぐら」というところがあるのだが、私が行った日は霧に隠されてしまい眺望は残念ながらゼロだった。
 この日の思い出は、トレッキング中に和歌山県地方に地震があったことだ。携帯したスマホが、地震があることをけたたましく報じたが、私は何も感じなかった。ところが、遠く北海道にいた妻がテレビを見て心配の電話をかけてくれたのが興味深かった。
 妻が心配してくれたことは嬉しいことなのだが、世界が狭くなったというか、旅の質が変質してきている象徴的な出来事のような気がした。

 4月2日は「大雲取越」といって標高883メートルの峠を乗り越えるという難所があり、ガイドブックでは古道の最難関と載っていたので、身構えたところもあったが、3月31日の「近露王子~熊野本宮大社」間の険しさに比べると、私の中では「そうでもなかった」というのが実感だった。

 両日ともに雨に見舞われる結果になったが、林間に漂う霧が一種独特の雰囲気を醸し出し、それはそれで神域を往くというムードを醸し出すルートだった。


 それでは、まず第三日の請川~小口集落間の印象に残った写真をレポします。

            
 第三日目「小雲取越」のスタート地点の請川集落からのいきなりの階段で、斜面を上っていきます。

            
 この写真もまだまだスタート直後の登り道です。

            
 「松畑茶屋跡」です。古道に所々にこうした茶屋跡がありました。熊野三山詣りが大流行した江戸時代にはこうした茶屋や旅籠がたくさんあったとガイドブックは説明しています。

            
 スタートから上り続けること7.5キロ、この日のピークでもある「百ぐら」に到達しました。しかし、眺望は霧のためゼロ。残念ながら何も見えませんでした。

            
 晴れた日の「百ぐら」の眺望です。ウェブ上から拝借しました。

            
 熊野古道は霧のため、写真のようなちょっと神秘的な幽玄ともいえる情景を現出していました。

                   
 特に「小雲取越」、「大雲取越」で目立ったのが、こうした歌碑でした。すべてをチェックしたわけではありませんが、私が判読できるものはできるだけチェックするように心がけました。この歌碑には「どちらへも 遠き山路や おそ桜」と刻まれていました。

            
 だいぶん標高が下がってきた午後、雲が若干切れてきましたが、まだ遠方は望むことができませんでした。

            
 さらに標高を下げると、この日の宿泊地の小口集落が眼下に見え始めました。

            
 下り坂の石畳です。雨に濡れて光っているのが認めらると思います。注意をしていたのに、私は不覚にも足を滑らせてしまいました。

            
 最後はやはりお決まりの桜です。ライブレポで何度も触れましたが、古道内で桜を見ることは稀でしたが、里へ下りてくるとこのように満開の桜が出迎えてくれました。


 続いて、第四日の小口集落~熊野那智大社間の写真集です。

            
 大雲取越ルートの出発直後の上り道です。
            
            
 スタートから1キロあまり、大雲取越ては唯一の見どころの「円座石(わろうだいし)」です。ライブレポでは三人のお坊さんが談笑した場所と伝えましたが、ガイドブックを見直してみると、正確には熊野三山の神々が談笑したところというのが正しいようです。巨大な石に三つの梵字が刻まれていますが、それは三つの座布団と見立てているとのことです。

            
 大雲取越の激しい上りの途中に「楠の久保旅籠跡」があり、そこに東屋がありました。雨のトレッキングでは、雨が避けられるこうした東屋はとても貴重です。私もゆっくりと休憩を取りました。傍の歌碑には「鯉のぼり 大雲取の 一軒に」と刻まれていました。ということは周りに何軒かの旅籠があったということでしょうか?

            
 こうした石が敷かれた道は古の昔にはあったでしょうか?私は登山靴など厚底の靴が開発された後になってでは、と思われるのですが…。草鞋や足袋ではとてもこの上を歩けないでは、と思うのですが…。

            
 ここは下り道ですね。この日のコースは尾根に上がってからの険しい上り下りはなかったものの、小さな上り下りはけっこうありした。雨に濡れた石が光っていて上り道以上に注意を払いながら下ることが求められました。

            
 ルートの中盤過ぎに、この日二つ目の東屋ならぬ、本格的な休憩所がありました。ここでは先行していたグループの人たちも休憩を取っていました。私もここでしっかり休憩を取りました。
                    
            
 かなり後半になって、写真のように霧が古道の中を覆い始め、一種独特な雰囲気が周りに漂い始めました。

            
 これはもう、那智の大滝がかなり近くなってからの一枚です。

            
 最後の下りのこのゴツゴツした石畳はかなり神経をすり減らす下り道でした。 
           
                   
 私にとっては最終ゴール地点、反対側から往く人にとってはスタート地点になる熊野那智大社の傍ある「青岸渡寺」脇の階段です。お世話になった「杖」を記念写真に収めました。

 こうして私にとっては激闘(?)の四日間を写真と共に振り返ってみたが、今でも私の体の中にはその激闘の余韻が色濃く残っている感じがする。
 古人たちは私の年代よりもっと体に力がある年代に熊野古道を往ったのではないかとも思われるのだが、はたしてどうなのだろうか?いや、江戸時代など庶民に熊野三山詣でが流行したころは、やはり一線を退いた年寄りが多かったのだろうか?だとすると、今よりもっともっと厳しい条件の中で、あの険しい熊野古道を往った人たちの体力・精神力は相当なものだったと素直に思えてきた…。

 もう少し、このシリーズにこだわりたいと思う。