田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

日本の世界遺産 富岡製糸場

2016-04-16 19:53:17 | 「めだかの学校」関連

 日本にとって18番目の世界遺産に一昨年指定された「富岡製糸場と絹産業遺産群」についてのDVDを視聴し、学ぶ機会を得た。視聴前の会員によるレクチャーが観る者の理解をより深める働きがあった。 

            
            ※ フランスの技術を導入した日本初の本格的製糸工場の外観です。

 私が学ぶ「めだかの学校」では、私が学ぶ以前に「日本の世界遺産」をシリーズ化して学んでいたという。3月28日(月)午後、単発であったが「富岡製糸場と絹産業遺産群」についてのDVDを視聴した。
 「めだかの学校」の場合は、映画鑑賞の場合もそうだが、単にDVDを視聴するだけではなく、会員が視聴前に視聴内容に関わって、参加者に対してレクチャーすることを恒例としている。
 この日は、「めだかの学校」の代表であるS氏がレクチャーした。

            
            ※ 富岡製糸場の内部の様子。代表的な写真ですね。
            
 それによると、注目は富岡製糸場に集まりがちだが、蚕の飼育法で「清涼育」を開発した「田島弥平旧宅」や、反対に「清温育」を開発した「高山社跡」などの存在を知ることができた。
 その中でも「荒船風穴」の存在が、富岡製糸場を絹生産地として適地に押し上げたことを知った。荒船風穴は、岩の隙間から噴き出す冷風(夏でも2℃の冷風だという)によって年1回だった養蚕を、複数回の養蚕が可能となって生産量が飛躍的に伸びたそうだ。

            
            ※ 田島弥平旧宅 瓦屋根に換気設備を取り付けた近代養蚕農家の原型です。

 また、これは良く知られたことでもあるが、富岡製糸場は官営の工場ということで、そこで生産に従事する女性たちは、生産の行程を学び、やがては地元に帰って指導的役割を担う人たちだった。そうしたこともあり、各地に存在した織物工場では「女工」と称して酷使され女工哀史が語り継がれているが、富岡製糸場は事情が違っていたようだ。
 S氏の説明によると、そこでの女性たちは「工女」と呼ばれ、待遇も明治時代としては破格の待遇だったようだ。例えば、週は6日勤務で日曜日は定休日。勤務時間も7時間45分が厳守され、年間の休日(祝日、年末年始休暇、夏季休暇など)も26日も与えられていという。

            
            ※ 高山社跡 日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した場所として有名です。

 このように単にDVDを視聴するだけでなく、関連することの解説を伺うことによって、より深く理解できることが有り難い。
 実は私も5月に視聴する映画の解説を担当することになっていて、今その資料集めに大わらわといったところである。

            
            ※ 荒船風穴 自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種貯蔵施設

 日本には、今や「富岡製糸場と絹産業遺産群」も含め19ヶ所もの世界遺産が指定されている。少し希少価値が薄れてきた感もあるが、この文章を綴っているうちに「日本の世界遺産巡り」も面白いかも、と思えてきた。
 そう思って、私が体験してたことのある日本の世界遺産を数えたところ、たった8ヵ所程度しかないことが分かった。う~ん、考えてみようかな??