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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大法学科公開講座№1 出入国管理法改正の受け止め方

2019-07-29 19:23:17 | 大学公開講座

 昨年末、国会は出入国管理法を改正したが、このことは実質的に我が国が“移民”の受け入れに大きく舵をきった改正だと言われている。こうした現状にあって遠藤教授は「移民を“包摂(ほうせつ)”する仕組みを作るべきだ」と強調された。 

 北大の法学研究科附属高等法政教育研究センターが今年も公開講座を開設したので受講することにした。今年度のテーマは「外国人の流入と日本社会の変容」というもので全4回からなっている。これから週1回のペースで、毎週木曜日に開講される。(8/15は休講)今回も講座の様子をできるかぎりレポするように努めたいと思う。

 第1回目は7月25日(木)に同大学院法学研究科の教授で、北大の公共政策大学院の院長を兼務される遠藤乾氏「政策課題としての外国人労働者-自らのために今からすべきこと」と題して講義された。

             

             ※ ウェブ上から拝借した遠藤乾教授の写真です。

 遠藤氏はまず、在留外国人労働者が2017年現在ですでに120万人を超えていることを各種統計資料を示し、その後も右肩上がりで増加するだろうことを示唆した。(在留外国人は260万人を突破している)その労働者の内訳であるが、技能実習生と資格外労働(学生のアルバイトなど)が50%以上を占めているのが実状である。それらの労働者の就業実態が時々問題となり、メディアで報道されることもしばしばだった。

        

       

       

         ※ こちらのグラフは遠藤教授が示されたものではなく、ウェブ上から拝借したものです。

 そうした中で、国内の各職場における労働者不足は深刻の一途を辿り、企業や雇い主からは悲鳴ともいえる声が政府を動かし、今般の「出入国管理法」の改正に繋がったと遠藤氏は解説した。改正された「出入国管理法」の内容はなかなか複雑だが、いずれにしても外国人の就労について緩和するわけだから、外国人の流入、定住化が一層進むことは疑いないことと思われる。

 この法律の成立ついて、遠藤教授は少子高齢化が進む我が国にとってはやむを得ぬ措置である、という立場だと私は受け取った。そのうえで遠藤教授は“移民”(正式には移民という言葉は使われないが)を受け入れる国、自治体、雇い主など関係者(ステークホルダー)による“包摂”の仕組みを整えるべきだと強調された。“包摂”とは、「一定の範囲内に包み込むこと」という意味である。今一つ、私は遠藤氏が言わんとするところを理解できていないきらいがあるが、遠藤氏が言われる“包摂”とは、「今後外国人労働者の流入が避けられない状況の中で、自治体などの関係者は外国人がスムーズに地域に溶け込んでもらうために、さまざまな手立てを講じて外国人と地域の人たちが共生できる社会を作っていかねばならない」というような趣旨だと受け止めた。

 このように日本の社会が急激に変わっていこうとしている現状に対して、私も少なからず思うところがある。そのことについては、4回の講義を受講した後に改めて考えてみたい。


北大全学企画公開講座№8 オリンピズムとオリンピックレガシー

2019-07-25 15:47:08 | 大学公開講座

 北大全学企画公開講座の最後は、東京2020の開催を1年後に控えて、オリンピックが他のスポーツイベントとは一線を画し大きな関心を集める要因とされる、二つの問題について解説し、考える講座だった。 

          

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の最終回(第8回目)は7月22日(月)夜に開講された。

 最終回は「理想主義との対話~未だ達成されぬオリンピック・デモクラシーの歴史」と題して、北大教育学研究院の池田恵子教授が講師を務めた。

          

 オリンピックが他のスポーツイベント(例えばサッカー・ワールド・カップなど)と決定的に違うのは、近代オリンピックの創始者であるクーベルタンが「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情連帯感フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という趣旨のオリンピック憲章提唱し、そのことを実現するための大会と位置付けたことである。そのことをオリンピズムと称しているという。

 それではそのオリンピズムが実際のオリンピックにおいて生かされてきたかどうかについて池田教授は振り返った。しかし、残念ながらオリンピックはオリンピズムに反するような事態を次々と産んでしまった。人々の記憶に残ることとしては、1936年のベルリン・オリンピックがナチスの宣伝の舞台となってしまったこと。1972年のミュンヘン・オリンピックにおいてはパレスチナゲリラによってイスラエル選手団9名が犠牲になったこと。1980年のモスクワ・オリンピック、1984年のロスアンゼルス・オリンピックにおける東西両陣営のボイコット合戦、等々…。池田氏は触れなかったが、ドーピングの問題もオリンピズムを著しく傷つける行為だろう。

 このように現実のオリンピックはクーベルタンが描いたような理想に必ずしも近づいているとは言い難いが、これからもその理想に向かって歩み続けることが大切なのだろうと思う。そこにこそオリンピックの存在意義があると思われるからだ。

          

         ※ アテネ・オリンピックの野球・ソフトボール会場はご覧のように雑草が生い茂っているそうだ。

 一方で、最近のオリンピックにおいて急浮上しているのがオリンピックレガシーの問題である。例えば2004年のアテネ・オリンピックに使用された施設の80パーセントが現在では未使用となっているという。また、2006年冬のトリノ・オリンピックの選手村の施設は不在滞在者によって占拠されているという。オリンピックを開催したばかりのリオデジャネイロ・オリンピックの会場もいまや閑古鳥が鳴いているというニュースが伝わってきた。オリンピックを開催するために理想的な施設を建設しても、その後は豪華な施設が開催都市にとっては維持・管理が重荷になっている事実がある。そのことがオリンピック・ムーブメントにおける影の部分としてクローズアップしてきたことから、IOCとしても座視できなくなってきて、ある指針を示した。それによると、オリンピックレガシーとは、①スポーツレガシー、②文化的レガシー、③環境レガシー、④社会的レガシー、⑤経済的レガシー、といった側面から準備し、検証する必要があるとした。

 「レガシー」を日本語に置き換えると「遺産」と訳されるが、「遺産」という言葉からは「在るものを守る」という消極的イメージがある。しかし、「レガシー」の本来的な意味はオリンピックを契機として国や都市が発展することだとするプラスのイメージを産み出すことらしい。ということから日本においても「レガシー」とそのまま表現することになったと池田氏は解説した。

 いろいろな問題や課題を抱えながら、東京2020は一年後に迫った。そこにおいて「オリンピズム」はどれだけ具現化されるのか?「オリンピックレガシー」が国や東京にどのようなプラスを産み出すのか、見守っていきたいと思う。

 

 ※ 私の表現の中で「国」という言葉を使用したが、本来オリンピックは「都市」が開催するものであることは承知している。しかし、現実においては「国」が相当部分関与している実態から「国」と「都市」を並列して表記することにした。


北大全学企画公開講座№7 障害者スポーツを考える

2019-07-22 21:42:58 | 大学公開講座

 講師の山崎助教は、講義の最後に「障害者スポーツは“観る”スポーツではなく、“する”スポーツである」という言葉に我が意を得たり!という思いだった。私の中で悶々としていたことが晴れたような思いだった。

  北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第7回目は7月18日(木)夜に開講された。

 第7回目は「障害者スポーツの世界とできない身体の創造性」と題して、北大教育学研究院の山崎貴史助教が講師を務めた。

 山崎氏のお話を伺っていて、これまでいろいろな方から聞いた「障害者スポーツ」を語る方とは少し違った視点から語る人だなぁ、ということをまず感じた。これまで聞いた多くの場合、障害を持った方がスポーツに取り組むということは大変なことなのだからそのことを理解し応援してほしい。あるいは、障害を持ちながら一般人に近い記録を出すことは素晴らしいことなのだから感動してほしい。というような論調が多かったように感じていた。ところが、山崎氏は障害者スポーツの面白さを語った。

 例えば「車椅子バスケットボール」である。車椅子バスケットは、①一般のバスケットボールのルールを採用している。そのうえで②障害の程度に応じて選手に持ち点を付与するクラス分けのシステムがある。コート上の合計持ち点が14.0を超えてはならないということだ。(障害の重い選手は低い持ち点、軽い選手には高い持ち点が付与される)そのうえで③車椅子固有のルールが存在する。

          

 このことは、クラス分けをすることによって、障害は「できないこと」ではなく、ゲームへの参加資格・要件へと変換される。障害による能力差が面白さをつくりだす。障害の重い人でも勝敗に影響を与えることができる。つまり、障害者が“面白さ”を感じながらスポーツに取り組める利点を語った。

 また、山崎氏は自ら障害者スポーツを体験して、その“面白さ”を実感しているとも語った。例えば山崎氏は「車椅子ソフトボール」を体験したという。そこでは健常者でも車椅子に乗ってプレーをすることで障害者と同じ条件でプレーすることになり、真剣にゲームを楽しむことができという。

 また、山崎氏は違う観点からも障害者スポーツを“する”スポーツとして語った。それは視覚障害者のスポーツについてである。例えば陸上競技においては、視覚障害者のために「ガイド」が必要とされる。「ガイド」はただ伴走するだけではなく、障害者と共に競技しているのだと強調された。また、ブラインドサッカーにおいては「コーラー」と呼ばれる人が声と音で選手たちに指示を出すそうである。ここでも「カーラー」は障害者と共に戦っているのである。

           

 山崎氏は言う。障害者は身体のどこかに「できないこと」を抱えているが、その「できないこと」を克服してできるようになることではないという(克服しようとすることも大切だが)。「できないこと」のある身体を媒体として、他者とつながることでスポーツの楽しさや身体の快楽を獲得していく営みである、と強調された。

 このことから、私たちが東京パラリンピック2020を観る場合は、障害者がいかに「楽しんで」いるか?いかに「身体の快楽」を感じているか?ということをパラリンピックを“観る”際の視点とすべきなのかな?と思わされた講義だった。


北大全学企画公開講座№6 ドーピングを法的に考える

2019-07-19 21:25:48 | 大学公開講座

 講師の小名木教授は、講義の最後に「なぜ、スポーツにおけるドーピングだけが規制の対象となるのか?」と疑問を呈せられたのが印象的だった。スポーツ界におけるドーピングの実状についてお話を伺った。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第6回目は7月15日(月・祝)午後、第5回目の「様々な温度環境に対する人体の生理応答」に続いて開講された。(会場はこの日だけ、フロンティア応用化学研究棟の2階レクチャーホールだった)

 第6回目は「スポーツをめぐる法と理論-ドーピング問題」と題して、北大法学研究科の小名木明宏教授が講師を務めた。

            

 ドーピングが社会問題として大きく顕在化したのは、ソウルオリンピック(1988年)の100mにおいてベンジョンソンがドーピングによって金メダルをはく奪されたことで世間を大いに騒がせたが、私もこの事件については強く記憶に残っている。

 日本におけるドーピングの規制の歴史は、2001年に「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」が設立されたのが始まりである。さらに2009年「スポーツ基本法」が全面的に改正された中で、「ドーピング防止活動の推進」が付加された。その中には違反者に対して個人、チーム、関係団体に対する制裁が明記された。

 こうしたドーピング禁止の理由として日本アンチ・ドーピング機構は次のようにその理由を明記している。「全世界で共有されているスポーツ全体のルールです。①フェアプレーの精神に反する。②アスリートの健康を害する。③反社会的行為である。といった、スポーツの価値の根幹を損なう、スポーツに正々堂々と向かうことのできない「ずる」くて「危険」な行為でもあります。」

 スポーツに人一倍興味関心のある私からみて、こうした理由は妥当だと思うのだが、法律を研究する小名木教授からすると「法益の面から考えると、はたして妥当なのだろうか」と疑問を呈する。「法益」とは、法によって保護される利益と解される。つまり現行法ではドーピングによって罰することには疑問が生ずるというのである。          

 スポーツの世界では「ドーピング」ということで選手たちは非難され、選手生命を絶たれる危険もあるが、一般社会においては筆記試験に際して向精神薬(リタリン)を服用して試験に臨んでも何の咎めもない。あるいは、眠気覚ましに良く服用される栄養ドリンクも特別問題なることはない。

 一方、現役の選手たちは体調不良で服用する薬にも禁止薬物が含まれる可能性があるため、風邪薬さえも容易に服用できない現状だという。こうしたことから、小名木教授はリード文でも触れたような疑問を呈せられたようだ。

 ドーピングの世界も日進月歩だという。例えば、頭脳ドーピング、物理ドーピングなど、あの手この手で規制をかいくぐるように新たな手法が出てきているようだ。小名木氏はそうした現状に対して法の研究者として、関係法の整備の必要性を強調された。う~ん。法を整備するということはなかなか難しいことのようだ。

 ※ 法律の話だけに、なかなか難しかった。レポの内容は必ずしも小名木氏のお話を正確にレポできていないきらいがあることをお断りしておきます。

 


北大全学企画公開講座№5 温度環境と人体の生理

2019-07-17 22:19:34 | 大学公開講座

 “暑い”“寒い”という温度環境が人間の生理に大きな影響を及ぼすことについて私たちは経験的に知っている。講義はそうした現象を科学的に解明するものだった。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第5回目が7月15日(月・祝)午後開講された。(この日は祝日だったが、午後に第5講と第6講が続いて開講された)第5回目は「様々な温度環境に対する人体の生理応答」と題して、北大工学研究院の若林佐井斉准教授が講師を務めた。

          

 講義はまず、近年熱中症による死亡数が急増していることを指摘した。このことは、地球の温暖化が進展していることを端的に示す証拠であるが、特に炎暑となった2010年の統計が突出しているのが顕著である。

          

 次に、人体が熱収支のバランスを崩す因子について図を用いて説明があったが「なるほど」と納得できるものであった。

          

 熱中症の予防としては、水分をしっかり摂ることが常識とされているが、その場合に同時に塩分を摂取することの重要性も指摘された。それは発汗する汗の中には塩分が含まれているのだから、ある意味当然のことかもしれない。

          

 ある意味の新発見として、北海道のTVの気象情報では見ることができない「熱中症予防情報」というものが関東地方では流されていることを初めて知った。また、年齢によって人体に占める水分量が違うという図も私には珍しいものだった。

          

          

 続いて寒冷環境における人体の生理について話が移った。講師の若林氏はどちらかというとこちらの方が専門に研究されている分野だと伺った。

 若林氏が強調されたのは、寒冷時において人体のパフォーマンスは低下するということだった。この点について、私も体験的になんとなく理解出来ることであった。氏の研究室では、そのことを実験を通して検証しているということである。

          

 そして、そのパフォーマンスの低下は人種によっての違いも明らかになってきているとのことだった。寒冷時において著しくパフォーマンスが低下するのはやはりアフリカンであり、続いてアジア系、最も影響を受けないのがコーカサスなど北極圏に位置する人々だとの結果が出ているということだが、納得できることだった。

 また、海女さんも低温時においてパフォーマンスの低下が小さいという結果が出ているとのことだったが、やはり長年低温の水中で作業を継続することで、体が低温に順応するということなのだろうか?

          

 寒冷時における人体のパフォーマンスの低下について、氏の専門でもあることから、残念ながら私には理解できないことも多く、理解できた部分のみのレポとなってしまったことをお断りしたい。


北大全学企画公開講座№4 認知科学とスポーツ

2019-07-14 18:51:32 | 大学公開講座

 スポーツの世界で経験的に感じていたことやメンタル面のことなどについて、認知科学の面からそうした現象について実験を交えながら解き明かしてくれるという興味深い講義だった。 

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第4回目が7月11日(木)夜開講された。第4回目は観(み)る、視(み)られる、省(かえり)みる:認知科学から覧(み)るスポーツ」と題して、北大教育科学研究院の阿部匡樹准教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる阿部匡樹准教授です。

 阿部氏はタイトルどおりに、①他者を「観る」②他者に「視られる」③自己を「省みる」の構成で講義された。

 ①の他者を「観る」ということに関しては、他者の運動を観察する際に、私たちは同じ運動を脳内でシュミレーションし、それを重ね合わせることでその運動を理解しようとしているとのことだ。そのことをミラーシステムと称しているそうだ。脳内でシュミレーションするには、私たちはその前に獲得したその運動のプログラムがあって初めてシュミレーションが可能になるとも言われた。

          

※ この図は、阿部氏が私たちに対して行われた実験の一つであるが、少し長くなるが説明すると・・・。阿部氏は「画面に出た絵と同じ手をできるだけ早く挙げほしい」と指示され、最初に右側の図を見せられた。全員素早く同じ方の手(右手)を挙げた。そのうえで次に左側の図を見せられたところ、私たちはかなりの時間を要して手を挙げた。このことは人がミラーシステムを活用しようとするとき、できるだけ早く自身の身体とイメージを重ね合わせる時に留意すべき点の一つということが言えそうである。

 続いて②の他者に「視られる」に関しては、私たちは他者の視線に敏感であり、他者の視線が私たちの運動に影響を与えるということだ。このことは私も体験から理解できる分析である。試合本番で「アガル」という現象などはまさにこのことである。他者の視線によって注意の方向が変わったり、他者の存在によってパフォーマンスが変わったりすることはよくあることである。

 最後の③の自己を「省みる」である。私たちは自分の能力を過大評価する傾向があるそうだ。このことを認知科学の世界では「平均以上効果」と称するという。こうした傾向は、能力の低い人ほど強く、反対に能力の高い人は自身を過小評価する傾向があるという。このことを「ダニング=クルーガー効果」と呼ぶそうである。

 以上のようなことについて、私たちは経験的になんとなくそう感じていることも多いのではないだろうか?そうしたことを認知科学の世界では、さまざまな実験や、データの集積によって解明してきたという。

          

        ※ 年代別の「車の運転に自信があるか」を問うた時の割合である。想像以上の数字に驚いた。

 阿部氏が提示されたたくさんのデータの中で非常に興味深いものがあった。それは③に関することであるが、運転技術に関して「自分は車の運転に自信がある」と答えた割合が60歳から80歳にかけて年齢と共に「自信がある」と答えた割合が増加しているという結果が出たということだ。このことなどは、自己の能力の低下を顧みず、自己を過大評価している典型のような気がする。阿部氏が講義の最後に指摘された「自身の能力を適切に見積もることは、思っているほど容易ではない」ということを心に深く受け止めたいと思った今回の講義だった。


北大全学企画公開講座№3 膝関節のスポーツ障害

2019-07-11 15:21:19 | 大学公開講座

 スポーツ選手が膝関節に障害を抱えるという話はよく聞くが、スポーツ選手ばかりでなく一般人にとっても経年劣化による膝痛に悩む人は多い。(私もその一人)膝関節の障害の治療に取り組む講師のお話を聴いた。

           

          ※ 正常な膝の状態の左の方、に対して右の方は典型的な変形性膝関節症の方である。

 北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第3回目が7月8日(月)夜開講された。第3回目は「膝関節のスポーツ障害」と題して、北大医学研究院の近藤英司特任教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる近藤英司特任教授です。

 近藤教授は膝関節に関わる研究者であると同時に、整形外科医として臨床にも携わっている医師のようである。

 近藤氏はまず、膝関節の治療に関して、最近は鏡視下手術が非常に発達している現状を話された。そして、半月板損傷、関節軟骨損傷、前十字及び後十字靭帯損傷の鏡視下手術の様子を動画で見せていただいた。実際の手術の様子を臨場感いっぱいに映し出される様子を見ることが出来た。

 鏡視下手術が発達したことにより、痛みや入院期間が大きく減少し、患者の負担が小さくなった利点を強調された。実際に半月板損傷の患者が鏡視下手術の後、歩いて手術室を出ていく様子には驚かされた。(場合によっては、入院の必要もないという)

          

          ※ 写真左から正常な膝関節、中は変形性膝関節症の初期症状、右は重度の膝関節です。

 さて、私にとっての関心事は「変形性膝関節症」である。膝関節症は激しい運動の繰り返しによっても引き返されるとされるが、それよりはむしろ経年劣化、つまり老人に多い症状といわれている。「変形性膝関節症」の場合、重度の場合には人工関節への置換など鏡視下手術などではなく、膝関節を開いて置換する手術が必要な場合もある。しかし、軽度の場合には薬物療法(消炎鎮痛剤、骨そしょう症治療剤、ヒアルロン酸注射)や、理学療法(温熱、電気療法、筋力訓練、装具療法)があるという。私の場合は、現在筋力訓練を毎日心がけることで快方に向かっているようだ。

          

          ※ 変形性膝関節症は女性に多い病気だということです。

 ここでも人口関節への置換手術の様子が動画で紹介されたが、あまりにも生々しく素人にはなかなか正視するのが大変な様子が映し出された。

 お話が少し専門的過ぎて、私には理解できないところが多々あったが、医学の分野は日進月歩の世界である。スポーツ選手の障害ばかりでなく、私たち老人にとってはいろいろな部位が障害を抱えることが多くなってくるが、医学の進歩がそれをカバーしてくれているようだ。また、単なる障害を除去するだけではなく、障害を生じないようにケアする予防医学も発達してきている。そのことがスポーツ選手の活躍年数が長くなってきた一因のようである。          

 近藤特任教授が強調されたことがあった、それは市販のヒアルロン酸系の錠剤の効果は疑わしい。ヒアルロン酸は注射でなければ効かないということを2度おっしゃったことが印象的だった。


北大全学企画公開講座№2 スポーツ・ツーリズムとは?

2019-07-08 16:42:48 | 大学公開講座

 近年“スポーツ”は観光のコンテンツの一つとして注目されているという。いわゆる“スポーツ”を媒介として地域の観光を盛り上げようという発想である。スポーツと地方創成を結びつける研究を進める講師の興味深いお話を聴いた。

  北大の全学企画公開講座「いま感じる、生かす、スポーツの力」の第2回目が7月4日(木)夜開講された。第2回目は「スポーツ・ツーリズムによる地方再生」と題して、北大観光学高等研究センターの石黒侑介准教授が講師を務めた。

          

          ※ 講義をされる石黒准教授です。

 石黒氏によると、“スポーツ・ツーリズム”とは、さまざまな解釈があり、一つの定義はなされていない現状だが、Gibson.H.Jが主唱した①アクティブ・スポーツ・ツーリズム、②イベント・スポーツ・ツーリズム、③ノスタルジア・スポーツ・ツーリズムの三種に分けて考えるのが一般的とされているとのことだ。誤解を恐れずに私なりに解釈すると、①は自ら“する”スポーツ。②は“見る”スポーツ、③はスポーツに関する博物館や記念の現場を訪れる旅など、ということになろうか?

 石黒氏は独自にスポーツ・ツーリズムを次のように定義している。「一定の競技性が見込めるスポーツを観光対象として消費することを基本的な動機とした旅行行動または観光形態」としたが、石黒氏はこの定義を「試験的再定義」としていて、さらなる変化(進化)を予想している。

 石黒氏はスポーツ・ツーリズムが観光業にとって優位な点として「スポーツ・ツーリズムのMICE特性」を挙げた。MICEとは、Meeting(企業会合)、Incentive(報奨旅行)、Convention(大規模会議)、Exhibition(展示会)の頭文字を取ったものだが、一般的には企業の会議やセミナー、学会、展示会、見本市など多数の人数の移動を伴う旅行を誘致する際に使われる言葉だが、それをスポーツの分野にも適用しようとする動きである。スポーツの大会を誘致したり、創設したり、あるいはスポーツ合宿やスポーツ体験の場を設けたりすることで観光業、ひいては地域の発展に繋げようとする動きである。

          

          ※ ツーリズムにおいてMICE特性を活かすなら観光客が減少する冬に仕掛けるべきという。

 また、プロスポーツチームが外国人、特にアジアの選手を入団させることによるインバウンドの誘致という例もある。日本ハムに陽岱鋼選手が在団していた際は台湾からの観光客が札幌ドームに目立ったし、現在はコンサドーレ札幌のチャナテイップ選手の活躍によりタイからの観光客が急増しているといった具合で、球団もそのあたりを意識した選手誘致を図っているようだ。今年の日本ハムの王柏融選手の獲得もそうした思惑があるようである。

          

          ※ 年度別の来日観光客数(インバウンド)の変遷です。

 最後に講義のテーマである「スポーツ・ツーリズム」に関する石黒氏の研究の一端が披露された。それは、一地方自治体が単独で取り組むのではなく、広域に連携して取り組むことにより地域全体を浮揚させようという研究である。

 研究対象は空知管内、特に南空知・中空知の各市町村が連携する取り組みである。例の一つとして、各市町村にある野球場を挙げた。夕張市、岩見沢市、美唄市、赤平市、芦別市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市、深川市にはそれぞれ立派な野球場を有している。宿泊施設としては夕張市、岩見沢市、芦別市が比較的多人数が収容できる宿泊施設を有している。さらには、上記の市にはスポーツ以外の観光資源も充実している。

 研究によると、一般的に滞在型の観光における日帰り周遊券は半径50kmとされているそうだ。その範囲内に収まる空知管内の各市町村がスポーツイベント、あるいはスポーツ合宿などで連携する意義は大きいと石黒氏は言う。

 私が知るかぎり、空知管内においてそうした動きはまだ出てきていないように思われる。スポーツ合宿においても本道の各市町村はかなり盛んであるが、空知管内が突出しているという話も聞いたことがない。石黒氏ら研究者の提言を聞き、それを政策に生かし、今後空知管内がスポーツ・ツーリズムにおいて注目される地域とになっていくのかどうか注視したいと思う。

 


北大全学企画公開講座№1 身体活動と健康

2019-07-04 15:52:27 | 大学公開講座

 健康とか、老化などについては、これまでもさまざまなところで講座を受講してきたこともあり、新たな知見を得ることは少なかったが、自らの健康、あるいは老化対策について改めて省みる機会をいただいた講座だった。 

 北大の全学企画の講座が今年も始まった。今年度のテーマは「いま感じる、生かす、スポーツの力」というもので全8回からなっている。これから週2回のペースでおよそ一ヵ月間受講することになる。その内容をできるだけレポしたいと思っている。

 第1回目の7月1日(月)は、医学研究院の玉腰暁子教授「身体運動と健康」と題して講義された。玉腰氏の専門は「疫学」ということだが、疫学の研究方法の一つとして「コホート研究」というのがあるそうだ。「コホート研究」とは、「特定の要因によってある症状が顕在化している集団と、顕在化していない集団を一定期間追跡し、研究対象となる疾病の発生率を比較する」研究方法だそうだ。

          

 そうした研究成果の一つとして、「危険因子に関連する非感染性疾患と外因子による死亡数」をまとめたところ、1位が喫煙、2位が高血圧、3位が運動不足、以下高血糖、塩分高摂取、アルコール摂取と続く結果となったという。

          

 ここで玉腰氏は3位の「運動不足」に着目して、話を進められた。人間にとって適度な身体活動が高血圧、心疾患、糖尿病、各種がん(乳がん、結腸がん)、うつなどのリスクを低下させるという。このあたりのことは、これまでさまざまな医療講座で何度も聞いたことである。

 そこで「適度な身体活動」とはということだが、玉腰氏は一番身近な身体活動として“歩く”ことに言及した。国民の健康推進運動として「健康日本21」が推奨されているが、第一次(2000~2012)と第二次(2013~2022)では、目標数値が違っていることを挙げられた。すなわち、第一次での目標数値は男性9,200歩、女性8,300歩だったものが、第二次では65歳までの男性9,000歩、女性8,500歩、65歳以上の男性7,000歩、女性6,000歩と改められた。このことから数値は数値として、個々人にとって適度な身体活動とは、「心地良さを感ずる活動」と云い改めても良いのかもしれない。

          

 最後に玉腰氏は、目標数値に達していない現状に対して、一人一人が意識することは大切なことであるが、同時に住民が運動したくなるような環境づくりも大事な視点である、と指摘された。また、現代生活では座位の生活時間が長くなっていると指摘した。できるだけ立位の生活も取り入れていくことが健康のためには大切であることを指摘された。

 日常の身体運動の大切さについては、前述したが何度も何度も聞かされてはいるのだが、なかなか実践できていないのが私の日常である。


北大スラブ研公開講座№7 ポーランドを巡る「方言文学」について

2019-06-07 16:49:30 | 大学公開講座

 ポーランドの辺地、または国境を接する地域においては、いわゆる「方言」を使った作品を「方言文学」として確立しようとしたスラブ系の少数民族がいたという。二つの民族が「方言文学」を確立しようとした葛藤を聴いた。 

 5月31日(金)夜、北大スラブ・ユーラシア研究センターの公開講座(統一テーマ再読・再発見:スラブ・ユーラシア地域の古典文学と現代」)の最終講座(第7講)が開講された。

 最終講座は「『方言文学』から『古典文学』へ:スラブ系少数民族文学再考」と題して東スラブ・ユーラシア研究センター長を務める野町素己教授が講義を担当された。

 野町氏は「方言」と「言語」について次のように説明された。「『言語』とは、政治的(そのもっとも広い意味において)権限を与えられた言葉の変種、その変種を話す(そして書く)(民族)集団である話者コミュニティが置かれている政治状況を直接的に反映したもの」と規定したが、私流に言い換えると「政治的権力を握った者たちの集団が駆使する言語がその地域の“標準語”となり、そうでない者たちが使う言語は“方言”とみなされた」と解釈するのだが、大きく間違ってはいないだろう。

 そうしたことを前提にしてポーランドの北方にスラブ系のカシュブ語を話すカシュブ人がいる。そのカシュブ語圏において、現代カシュブ文学の父とも称されるフロリアン・ツェイノヴァ(1817-1891)が、カシュブ語は独自の言語であると考え、北部方言に基き標準語形成を試み、精力的な執筆活動を展開したが、急進的過ぎたこともあり普及はできなかった。続いて現れたのがヒエロニム・デルドフスキ(1852-1902)だった。彼は「ポーランドなきカシュブなき、カシュブなきポーランドなき」と語って、方言で執筆しつつもポーランド人にも分かるようにポーランド語と同じ文字で執筆するなど、カシュブ文学はポーランド文学の一部であることを意識した活動をしたという。

               

               ※ アレクサンブル・マイコフスキ

 さらに時代は下って現れたのがアレクサンブル・マイコフスキ(1876-1938)である。彼は「カシュブ的、すなわちポーランド的」と語り、カシュブ地方が文化的にドイツ化することに抵抗し、親ポーランド的立場に立ちながら、カシュブ語での執筆活動に取り組んだ。そうした姿勢がポーランド人からも受け入れられたのだろう。彼の代表作「レムスの生涯と冒険」はカシュブ地方ではもちろんのこと、ポーランド国内においても翻訳され広く国民の支持を得て、今やポーランドにおいて古典の地位を得ているそうだ。

 一方、チェコの東部モラビア地方はポーランドと国境を接する地域にあり、やはりスラブ系の民族が住んでいる地域だそうだ。この地域の住民は「ラフ方言」を話していたというが「ラフ方言」の位置づけは①チェコ語である。②ポーランド語である。③チェコ語でもポーランド語でもない。④チェコ語でもポーランド語でもある。というように非常にあいまいな位置づけにある(あった)ようだ。

               

               ※ オンドラ・ウィソホルスキ

 「ラフ方言」における重要人物は、この地域に生まれた詩人オンドラ・ウィソホルスキ(1905-1989)である。彼の生涯は波乱に富んでいる。詳しくは記すことができないが、1905-1939は生まれ故郷のシレジア(モラビア地方)やチェコの首都プラハ、あるいはフランス、イタリアなどに留学しながらラフ後での執筆活動も開始する。ところがナチスとの関係を嫌いイギリスに亡命を企てるが失敗してソ連に連行され、1939-1946までソ連で生活している。このソ連時代がウィソホルスキにとっては重要である。彼はソ連滞在時に精力的に詩集を刊行している。ということは彼の詩がソ連で受け入れられたことの何よりの証である。その理由は文学的に優れていたことはもちろんだが、彼が社会主義、労働者階級を礼賛し、民族自決、民族言語の創造を唱えたことがその理由とされている。彼はソ連においてラフ語の確立、ラフ民族独立を夢見たようである。しかし、その主張が危険視もされ、1946年にはソ連を追放されチェコ(当時のチェコスロバキア)に帰国することにもなった。彼は帰国後「独自のラフ語・ラフ民族」を放棄することになったという。彼にとっては夢破れたという言うべきか?ただし、文通や執筆は最後までラフ語で行われたという。

 

 この二つの事例を通して、野町教授は次のようにまとめられた。

 ①「方言」のレッテルを張られた二つのスラブ系マイノリティ文学の優れた作品を世に出す過程は容易ではなかった。

 ②しかし、結果的には双方とも、いわゆる「言語」による文学と遜色ない作品を生み出している。

 ③どちらの事例も「○○語・○○文学」という、ややもすれば「自明」にも思われる分類は、実際には恣意的かつ流動的な要素も含んでおり、規定しがたい場合があることを示している。

 

 全7回の講座を通して、スラブ・ユーラシア地域における文学とは、その時々の権力と向き合うことを余儀なくされる中で、苦悩し葛藤を繰り返しながら、自らの思いを発信していくという困難さと対峙していたことを私なりに少しは理解できたかな?と振り返っている。

 このシリーズの第1回目の時にも記したが、「文学」+「古典」となると私の最も関心外のことであり、その理解力にはまったく自信が持てなかったが、その稚拙さも顧みず、こうして7回の講座のレポを一応にも書き続けられたことをヨシとしたい。