goo blog サービス終了のお知らせ 

田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「札幌誕生」 著者:門井慶喜×秋元札幌市長 特別対談

2025-04-22 19:29:55 | 講演・講義・フォーラム等
 著者の門井慶喜氏は「一から街ができる姿を描きたかった」と語った。一方、秋元札幌市長は「第二の開拓時代を率先したい」と述べた。お二人の「札幌誕生」にまつわるあれこれを興味深く聴くことができた対談だった。

    

 本日午後、札幌コンベンションセンターにおいて「『札幌誕生』刊行記念 札幌市長・秋元克広さん×門井慶喜さん 特別対談」が行われたので参加し、お二人のお話に耳を傾けました。司会は元HBCアナウンサーの鎌田強さんが務めました。
  
    
    ※ 対談前のフォトセッションでのお二人です。

 お二人の話を一生懸命にメモしながら聴いたのですが、その中から印象的な言葉を掘り起こしてみたいと思います。

 まず、門井慶喜さんの言葉です。
 門井さんの著書に「家康、江戸を建てる」があるが、家康が江戸を創ったときは、江戸はすでに住んでいた人たちがいる中で、江戸の街を創っていったが、札幌は一部アイヌの方々がコタンをつくってはいたものの、ほぼ何もない状態から街づくりが始まった。門井氏はそうした何もない原野を「一から街ができる姿を描きたかった」と語りました。

    
    ※ 著書について、札幌について語る門井慶喜氏です。

 著書に出てくる具体的な場面に関して門井氏は…、
 ◇札幌農学校は、単なる農学を教えるだけではなく、宗教も含めて総合的な教育が展開されたことで多分野のリーダーを育成した。
 ◇島義勇が構想し、実現した碁盤の目状の札幌の街は、自分たちより他所から来た人たちを優遇する街に映る。
 ◇創成川(当時の大友堀)は、内陸都市である札幌にとって、水運を担い、札幌が発展するうえで大きな精神的位置づけがされる存在である。
 ◇札幌はいまだに発展中であるが、人口減少時代を迎えようとしている今日、二宮尊徳(その弟子である大友亀太郎)の取り組んだことは、それを克服するモデルとなり得る。
 ◇島義勇が短期間ではあったけれど、多くの仕事をし札幌人に讃えられたのは、明治政府から遠い蝦夷に派遣されたことによる「後がない」という思いと、島義勇の人間的魅力が部下に大きな影響を与えたことよる。
 などなど、作品の興味深い背景についてお話されました。

 一方、秋元札幌市長は…、
 ◇ご自身の出身校である北海道大学の前身の札幌農学校の先輩たちについて、「日本を支えるような人材を輩出した学校であり、先輩というよりは偉人たちを多く輩出した学校」だったと述べられた。
 ◇碁盤の目状の札幌の街については、昔も現代もイメージの違いはなく、伸びていく素地があるイメージである。
 ◇創成川(大友堀)は、住民の生活、産業などに大きく関わり、水路として石狩川と繋がり水運の通路として大きな役割を果たした。
 ◇これからの札幌、北海道は、国防、エネルギー、食糧といった面で日本の中でも重要な位置を占めている。そういう意味で「第二の開拓時代」を迎えているとも云える。
 ◇また、人口減少時代を迎え、人手不足などが懸念されるが、DX技術などを駆使して解決してゆきたい。
 ◇「札幌誕生」は一気読みするほど楽しく、また参考になった。世界のユートピアを目ざして都市づくりに邁進したい、と語りました。

    
    ※ サイン会の様子です。

 1時間という対談時間はとても短く感じられるほど、お二人のお話には魅せられました。
 対談後には、予想されていたとおり門井慶喜氏のサイン会が催され、私も持参した「札幌誕生」の中表紙に、門井氏自慢(?)の万年筆で達筆のサインを頂いてきました。

       
  ※ いただいた門井氏のサインです。(白丸の部分は私の名前を記していただきました)
     

北海道開発を主導した薩摩閥  

2025-04-18 11:20:51 | 講演・講義・フォーラム等
 黒田清隆、永山武四郎、村橋久成…、いずれも北海道開拓において指導的役割を果たした人物たちであるが、彼らは全て薩摩出身者である。前記3人の他にも薩摩出身の役人は多い。なぜ薩摩出身者が多いのか?そして彼らは薩摩でどのように評価されているのか?興味深いお話を伺った。

 4月16日(水)午後、札幌市社会福祉総合センターにおいて、「高齢者市民講座」が開講され受講しました。
 講座は、札幌観光ボランティアの会の武石詔吾氏「北海道開拓に尽力した人物の生誕地を訪ねて(その1)と題して、2年前に鹿児島県鹿児島市を訪れた際のことを中心としてお話されました。

    
    ※ 講師を務められた武石詔吾氏です。

 お話はまず、薩摩人がどれだけ北海道開拓に指導的役割を果たしたかについて振り返りました。
 北海道開拓における行政府の変遷は次のとおりです。
 ◆開拓使時代  (明治2~15年)  ※ 14年間
 ◆三県時代   (明治15~19年)  ※ 4年間
 ◆北海道庁時代(明治19~昭和22年) ※32年間
 ◆北海道     (昭和22年~現在)     ※78年間
 そのうち、これら行政府のトップを薩摩人が務めたのは次のとおりです。
 ◇開拓長官 黒田清隆、西郷従道(開拓長官4名の内2名が薩摩人)
 ◇三県県令 調所広丈(札幌)、時任為基(函館)、湯地定基(根室) ※三人とも薩摩人
 ◇北海道長官 第2代 永山武四郎、第8代 園田安賢、第9第 河島醇、第11代 山之内一次、第22代 池田清(北海道長官32名のうち5名が薩摩人)
 
 なぜ北海道開拓に関わって指導的役割を果たした薩摩人が多かったか?ということについては、諸兄賢察のとおり薩摩藩、長州藩を中心とした討幕運動によって明治政府が誕生したことで当然のように薩摩、長州(加えて土佐、肥前)出身者が要職を独占したことから、北海道の開拓に関わっても当然これらの藩の出身者が多くなったのは、容易に推察できることです。当時の北海道はロシアの侵略を防ぐための重要な拠点とされていたからです。
 なお、その割には長州出身者の顔が見えないことについての説明は特にありませんでした。

        
        ※ 大通公園10丁目に建つ黒田清隆像です。

 さて、 こうした中でリード文で名前を挙げた黒田清隆、永山武四郎、村橋久成の三名については、黒田清隆が大通公園10丁目に、永山武四郎が旭川市常磐公園に、村橋久成は知事公館前庭にそれぞれ銅像が建てられ(村橋は胸像)その業績が讃えられています。その彼らが、彼らの故郷・鹿児島ではどう扱われているか?武石氏は2年前に鹿児島地方を旅行して確かめたそうです。
 ところが!黒田清隆、永山武四郎はその生誕地や住居跡にパネルで表示されたものが一枚あるのみということでした。唯一村橋久成は若き日に藩の命令で欧州の進んだ技術を導入するために渡欧した19人の一人だったことから、鹿児島中央駅前に「若き薩摩の群像」という立像に19人の一人として立像が建てられています。
        
       ※ 鹿児島中央駅前に建つ「若き薩摩の群像」です。

 鹿児島では、ともかく西郷隆盛なのです。つまり薩摩人(鹿児島県人)にとっては、いかに近代日本の建設に寄与したかどうかではなく、故郷薩摩のことを思い、薩摩のためにどれだけ貢献したかが評価の対象となっているようです。

 私も過去に2度ほど鹿児島市内を巡ったことがありますが、史跡のほとんどは西郷隆盛に関連したものが占めている感じでした。そのことをタクシーに乗った際に運転手さんにお話すると、それは当然といったような反応だったことを思い出しています。

 武石氏の今回のお話は(その1)でした。ということはその2、その3とあるようですので、そちらもぜひ伺いたいと思っています。


ミスマッチ? 高齢者とアメリカンフットボール

2025-04-10 16:47:20 | 講演・講義・フォーラム等
  えっ?? 高齢者にアメフトのことをどう語るの? あの激しく、危険いっぱいのスポーツが「高齢者市民講座」の話題として相応しいのか? むしろそのことに興味を抱き、講座を受講した。

     

 昨日午後、社会福祉総合センターにおいて札幌市社会教育協会が主催する「高齢者市民講座」を受講しました。社会教育協会とは高齢者を中心に構成された任意団体のようです。
 私はこの協会が主催する講座にテーマに興味を抱いたときには受講するようにしていました。
 昨日のテーマが「アメリカンフットボール(アメフト)とはどんなスポーツか?」だったことから前述のような興味を抱き受講してみました。
 講師は協会所属の方で、学生時代にプレー経験のある三上明徳さんという方でした。

 スポーツ好きの私ですが、アメフトはテレビ放映も少ないことからあまり観戦の機会がないのですが、それでも甲子園ボウルやライスボウル(日本選手権)はできるだけ観るようにしています。実は一度だけ1991年の正月3日(ずいぶん昔だなぁ~)に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたライスボウルを生で観戦した経験もあるのです。( 日本大学フェニックス vs 松下電工インパルス戦)
 ですからおおよそのルールも分かっていますから、三上氏のお話は私にとっては退屈なものとなりました。一方多くの高齢者の方々にとっては、アメフトに関心のある方がそう多いとは思われませんでした。ましてや女性の受講者などは退屈そうな表情でした。

 お話は、試合形式、競技場、チーム編成、選手の防具・装備、試合の進め方、攻撃・守備のポジション名と役割、等々、基本的なことが話されましたが、アメフトに興味のない人にはどう映ったのでしょうか?

      
※ 講師の三上氏はアメフトのボールを持参し、攻撃陣センター役としてクォーターバックにスナップバックするところを実演してくれました。

 私が今回のお話から唯一仕入れることができたのは、北海道内にも学生リーグが存在しているということでした。「北海道アメリカンフットボール連盟」に加盟している大学が9大学あるそうです。
 その9大学ののうち6大学が1部、3大学が2部としてリーグ戦を展開しているそうです。
 具体的な大学名は、
〈1部〉
  ◇北海道大学 ◇北海学園大学 ◇帯広畜産大学 ◇釧路公立大学 
       ◇室蘭工業大学 ◇東京農業大学(網走キャンパス)の6大学
〈2部〉
  ◇北星学園大学◇札幌学院大学◇北海道科学大学の3大学
ということです。
 円山陸上競技場なども会場になっているそうなので、機会があれば観戦してもいいかな?などと考えています。

 ということで、はたして、「高齢者市民講座」のテーマとして相応しかったかどうか、と問われると「う~~ん」と答えに窮してしまいますが、主催者としては時にはまったく趣きの変わったテーマも高齢者には良い刺激になると考えたのでしょうか??

認知症について改めて学ぶ ~認知症と難聴~

2025-04-07 20:36:24 | 講演・講義・フォーラム等
 認知症の最大のリスク因子は難聴であるという。聴力にはやや不安のある自分には聞き捨てならない言葉である。認知症全般と、認知症と難聴の関係について専門家からお話を聴いた。

     

 このところ、医療に関する講演などをお聴きする機会が増えてきました。やはり意識下の中で自らの老いを感じている証拠なのかもしれません。
 昨日(6日)午前、札幌医大記念ホールにおいて「~認知症を知る 治療と予防について~」と題する市民公開講座が開催され参加しました。

 講座は二つの先生からのお話で構成されていました。その二つとは…、
 ◆「認知症治療の最前線~最新の予防・早期診断/治療」 
              札幌禎心会病院理事長 徳田 禎久先生 
 ◆「耳から始める認知症予防~聴こえと脳の健康を考える」
              札幌医大耳鼻咽喉科教授 高野 賢一先生

のお二方からお話を伺いました。

 徳田先生からは、いわば認知症に関する総論的なお話を伺いましたが、一口に認知症と云ってもその病態によってさまざまな病気があることは諸兄もご存じのとおりです。
 徳田先生はその認知症の中でも代表的な「アルツハイマー病」を中心にお話されました。徳田先生が強調されたことは、「認知症とは支援を必要とする状態」を指すが、その兆候が見えた時にはいち早く専門医の診断を受けることだと話されました。
 記憶障害があり、本人が家族に物忘れを訴えるような状況となったとき、専門医の診断を受け、適切な対応を行うことで、病状の進行を予防できることがあるそうです。また、予防に効果のある新薬も開発され、回復の見込みもあるとお話されました。
 いわゆるこの状態はMCI(軽度認知障害)と称して、認知症の前段階にあたる状態だそうです。現代の医学では、認知症と診断されると快癒は難しく、病状の進行を遅らせることが精一杯だということのようです。
 「おかしいな」と思ったら専門医へ、ということを心に命じたいと思います。

 続いて、高野先生のお話でした。
 難聴(加齢性難聴)は、その名のとおり老化に伴って難聴が増加するやっかいな病気で、回復は難しい病気だということです。70歳代の半分、80歳代の75%が加齢性難聴者だと高野先生は言います。
 さて、具体的にはどのように状態だと難聴ということになるのでしょうか?高野先生は「小さな声や騒音下での会話が聞きづらい」状態だと「軽度難聴」の疑いがあると言います。このような状態と感じたら耳鼻咽喉科を受診することを高野先生は勧めます。
 高野先生は例え「軽度難聴」でも補聴器の装用を勧めます。それはやはり私たちの生活は、周りと豊かなコミュニケーションを図ることによって成り立っているからだと言います。
 難聴になると、会話が消極的になり、社会活動への参加が縮小し、コミュニケーションの機会が減少することで「認知症」のリスクが高まると高野先生は強調されます。そのリスクは、軽度難聴で2倍、中度難聴で3倍、高度・重度難聴でおおよそ5倍とも言われているそうです。
 
 私の場合、「小さな声や騒音下での会話が聞きづらい」状態のようにも思えます。できるだけ早く、一度耳鼻咽喉科を伺ってみようと思っています。

北海道民はがん罹患率・死亡率ともに高い?

2025-04-06 19:32:54 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道民はがんの罹患率、死亡率とも高いというショッキングな統計結果だという。その理由は何故なのか?そしてその予防方法は?専門の先生方からお話を聴いた。
  
   

 昨日午後、北海道医師会館において、(公財) 札幌がんセミナーが主催する「市民がつくる春のがんセミナー2025」が開催され参加しました。
  高齢社会が進展し、がんで死亡する人の割合が増えてきたと聞いていましたが、その実状を詳しく知りたいと思い参加することにしました。
 セミナーでは、二つのお話を先生方からお話を聴きました。その二つとは…、
 ◇「がん情報の活用~累積リスクと生涯リスク~」
             札幌医科大学 加茂憲一助教授
 ◇「がん登録からみる北海道の現状と課題」  
             北海道がんセンター 丸山 覚統括部長

 実は加茂先生は医師ではなく、専門は数学(数理統計学、データ解析)でした。したがって、お話はがん罹患率、そしてがんによる死亡率を数理的に処理した結果についての考察されたことについてのお話でしたが、お話のほとんどが私にはチンプンカンプんでした。
 その中で、北海道人のがん罹患率、死亡率ともに確かに全国平均より高いが、パーセンテージでいうと、全国平均とは2%程度の違いだということだけは理解することが出来ました。

 一方、丸山先生の方は、実際にがん患者に向き合い、かつがんセンターの統括部長という立場からもう少し具体的に北海道のがんの罹患率や死亡率についてお話されました。
 まずお話は、医学の進歩によって近年は結核や肺炎、脳血管疾患などによって亡くなる人が減少したことにより、がんが死因の第1位となったということで、総死亡の約3割を占めるようになったそうです。最近の統計では、がんの罹患率が男性で1.5人に1人、女性で2人に1人、がんでの死亡が男性で4人に1人、女性で5.5人に1人というのが全国の実態だそうです。

 そうした中、北海道の実態はどうかというと、北海道の罹患率は全国5番目に高いという結果が出ています。女性に限ると北海道は3年連続全国一位という結果だそうです。
 死亡率となるとさらに順位は上がり、青森県に続き北海道は全国第二位という有り難くない実態だということです。
 こうした全国的な比較ができるようになったのも、2016年に施行された「がん登録推進法」により正確ながんの実態が把握できるようになったからだそうです。
 
 さて私たち一般人にとっての関心事は「がんを防ぐ」方法です。がん研究振興財団では「がんを防ぐための新12カ条」を公表しています。それによると、
 1.たばこを吸わない
 2.他人のたばこの煙を避ける
 3.お酒はほどほどに
 4.バランスのとれた食生活を
 5.塩辛い食品は控えめに
 6.野菜や果物は不足にならないように
 7.適度な運動
 8.適切な体重維持
 9.ウイルスや細菌の感染予防と治療
10.定期的ながん検診を
11.身体の異常に気がついたら、すぐに受診を
12.正しいがん情報でがんを知ることから

 今回の丸山先生のお話で特に印象的だった言葉は「ステージⅠ、Ⅱ期ならがんを治すことができる」という頼もしい言葉でした。それだけがん治療は進歩しているということなのだと思います。そのためには、「がんを防ぐための新12カ条」の10、11を常に意識していきたいと思いました。

 ※ タイトル名と内容に若干の齟齬がありますが、北海道民の罹患率、死亡率の高さについてその原因に両先生とも言及されましたが、確かなエビデンスに基づいたものではなく先生方の肌感覚に基づいたものだったこともあり、割愛させていただきました。

「コミュニティ・シェッド」って何?

2025-04-05 20:17:00 | 講演・講義・フォーラム等
 「コミュニティ・シェッド(community shed)」…、初めて聞いた言葉である。直訳すれば「人が集まる小屋」とでも訳される。札幌市西区でコミュニティ・シェッドの実践を試みている方のお話を聞いた。

 本日午前、北海道新聞社が主催する「シニア向け住宅入居相談会 & 暮らしのセミナー」DO-BOX EASTであり参加しました。私は入居相談会の方は今のところ関心がなかったので、暮らしのセミナーの部分だけ参加しました。

  

 セミナーは「つながりが生む健康と生きがい ~豊かなシニアライフのために~」と題して、北大大学院保健科学研究院の高島理沙博士が講演しました。
 高島氏は札幌市西区で「ポッケコタン」という名称の「コミュニティ・シェッド」を創立し、運営に携わっているそうです。

 高島氏は看護学で博士号を取得したそうですが、本来は「作業療法士」として研究・実践されている方だと自己紹介されました。
 高島氏は作業療法士として、特に高齢者の社会的孤立・孤独を防ぐことに注力しているといいます。というのも、人は退職後に、社会的集団へ参加することで健康リスクが軽減されるという研究結果が報告されていることに注目しているといいます。
 説明の中で、「孤独は ‟喫煙” や ‟運動不足“ 以上に健康リスクが高い」とも話されました。

 孤独対策に国ぐるみでいち早く取り組んだのがイギリスだそうです。2018年には世界に先駆けて「孤独担当大臣」を任命し、孤独対策に乗り出したそうです。イギリスでは、孤独に陥りノイローゼとなり病院を訪れた人に対して、医師は薬ならぬ「地域との繋がりを処方する」そうです。
 我が国でも、イギリスに倣い2021年、世界で2番目に「孤独担当大臣」を任命したそうです。(知らなかったぁ…)そして2023年には「孤独・孤立対策推進法(通称:孤独対策法)」が成立しているとのことでした。

 この「孤独対策法」との関連は不明ですが、孤独対策としてオーストラリアが最も早く取り組んだ「メンズ・シェッド」に倣い、我が国においても「日本コミュニティ・シェッド協会」を設立したそうですが、その先駆けとして熊本県水上町と札幌市西区の2ヵ所で実践を始めたということです。

 その札幌市西区のコミュニティ・シェッド「ポッケコタン」は、高島さんを中心に次のような理念を制定し、活動を開始したそうです。
 理念1 気楽に力を抜いて集まり、楽しい仲間をつくる居場所
 理念2 誰もが歓迎され、互いを尊重し、発想の違いを受け入れ、平等で助け合う居場所
 理念3 「レットトライ」の精神で、ささやかでも新しいものを作り、新しいことに挑戦する居場所
 ちなみに「ポッケコタン」とは、アイヌ語で「温かい村」という意味だそうです。

 そして昨年4月40名弱(現在は50名を超えたとお話がありました)のシニア男性が集い「ポッケコタン」が発足したそうです。
 具体的な活動としては、興味・関心のある活動ごとにグループが編成され、楽しく活動しているとのことでした。そのグループとは、実に多彩です。
 「音楽」、「菜園」、「DIY・基地づくり」、「メンズシェフ」、「頭の体操」、「登山・ウォーキング」、「つり」、「ゴルフ」とあり、それぞれが楽しんでいるそうです。最近さらに「日本酒研究会」、「そば打ち愛好会」が誕生したそうです。

 ここまで聴いていて、「これは私が名前だけ所属しているNPO法人シーズネットの活動と似ているな」と思いました。
 コミュニティ・シェッドやシーズネットばかりでなく、札幌市内にはシニアを対象としたさまざまなグループや団体が活動しているようです。
 高島氏が強調したように、シニア年代の人たちは孤独や孤立に陥らないように積極的に社会参加をしていきましょう!ということを言われたと理解しました。

※ 「ポッケコタン」の活動の様子をHPから転写しようとしましたがガードされているようです。興味のある方は「ポッケコタン」でHPに到達できますので、トライしてみてください。

前札幌市長・上田文雄氏のヒューマニズム

2025-03-27 16:54:28 | 講演・講義・フォーラム等
 上田氏は前札幌市長として、政治姿勢を明確に打ち出していただけに、そのことに対する賛否は当然あるだろうと思います。しかし、今回お聴きした上田氏のお話からは、上田氏の依って立つ基盤がヒューマニズムに基づいたものであることを知り、共鳴できる部分が多いお話でした。

 一昨日(3月25日・火)、NPO法人シーズネットが主催する市民公開講座が開催されたので参加しました。
 公開講座は基調講演として「これからの市民活動に期待したいこと」と題して上田文雄氏が講演されました。
 上田氏は冒頭、自分はもともと市民の方々と一緒にNPO活動に取り組んでいたことを話されました。その中で、仲間から市長に担ぎ出されたものだと…。つまり氏はNPOの理念に深く共鳴され実践してきたことを、市政においても反映するよう努めてきたと強調されました。
 そして、上田氏が今考えていること、これからの願いなどについて話されましたが、私には共鳴できる部分が多いお話でした。
 そこで本日は、上田氏は項目別にまとめたものを提示されたので、それをそのまま転写することで本日のレポとしたいと思います。

      

◆僕が大切に思っていること
 ◇自由、人権、民主主義、平和
 ◇情けは人(他人)のためならず
 ◇豊かさを求めて 感謝から感謝への連鎖 NPO法人への誘い
 ◇高齢社会の指針と「健康寿命」から「生きがい寿命」延伸へ
 ◇ 「生きがい」の正体は「社会的存在として」心地良く、楽しく、元気
 ◇人は一人では生きていけない。生きるために不都合を乗り越えるために他
  の人の知恵や助力を得なければ…
 ◇ The Personal is Political 個人的な問題は政治的課題だ。
 ◇政治を、社会を変えるためには、社会的課題解決のための実践と政治家を
  育てるためのプログラムをNPOが提示し、政策提言をする。 

◆僕らが語り続けなければならないこと
 ◇人間が殺し合いをすることをやめさせること。
 ◇ロシア vs ウクライナ
 ◇イスラエル vs パレスチナ
 ◇日本国憲法9条を武器に、世界をリードする日本になるために平和な社会
  に生を受け、これまで兵隊にならずに生きられた世代の責任として、自ら
  の子どもに、孫に、その友だちに絶対に戦争をしてはならない心を育てる
  努力しょう。 

※ ここで上田氏は、MLBドジャース所属の大谷翔平選手が高校一年生の時に作成したという「曼荼羅チャート」を提示し、「世界平和を実現する」ための曼荼羅チャートを氏の大学時代の友人である弁護士の方と構想中であると語りました。
   

 そして講演の最後に、次のような言葉を提示して講演を終えました。

◆高齢者社会で市民は何をなすべきか
 ◇健康寿命から生き甲斐寿命へ ~ 社会的存在であり続ける
 ◇市民とは何か 社会に関心を持ち参加し続ける人々
 ◇主観的にはメディアリテラシーを磨き続ける努力
 ◇具体的行動…戦争に行かなくてよい時代に生きられた事の素晴らしさを子
  どもたちや孫たち、周りの若者に伝えること。 
 ◇多文化・多元的価値・多様性を承認する人格を育てる。
 ◇学校教育で平和のために何をなすべきかの思考能力の獲得を目標とする。
 ◇紛争解決の知恵を身に付ける 暴力 武力 不使用への努力の歴史を学ぶ 
  憲法9条の精神的価値 国際協調主義  
 ◇平和的思考回路を持つ政治家を育てる…NPO活動への参加   

 講演の最後に上田氏は、前記した「世界平和を実現する」を目標とする曼荼羅チャートを試作してものを提示し、さらに友人たちと精査し完成した暁には教科書に採用してもらえるように要請していきたいと話されました。それを参考にして子どもたち一人ひとりが「世界平和を実現する」曼荼羅チャートを作成してくれることを願ってのことでしょう。

   

 上田氏の話されたことに対していろいろとご意見もあろうかと思います。敢えて私はここで、上田氏が唱えたこと一つ一つについてコメントは避けたいと思いますが、「世界平和を実現する」という上田氏の思いはどなたからも賛同いただけると思います。問題はそこへ向かってどのようにアプローチするかについてはいろいろとご意見があろうとは思いますが…。                     


広大な野幌森林公園が今に残ったわけは…

2025-03-21 16:32:59 | 講演・講義・フォーラム等
 札幌市、江別市、北広島市にまたがる野幌森林公園…。住宅地や農地に挟まれながら広大な公園は多用な動植物が生息し、市民の癒し、研究者の研究の場として貴重な自然です。そうした広大な自然が残ったわけは??

 一昨日(3月19日)夜、札幌市豊平館の「歴史連続講座」の第4回講座(最終回)が開講されたので受講しました。
 今回のテーマは「野幌森林公園と北越殖民社」と題して北海道開拓の村の扇谷真知子学芸員が務めました。

 野幌森林公園の面積は2,053haで、札幌ドーム372個分に相当するそうですが、これほどの面積を持ち、かつ標高が30~90mの中に収まる山がない自然公園は国内には他に例を見ない貴重な公園だそうです。
 「野幌森林公園」のことを「野幌原生林」と称する方がいるそうですが、実際には明治の初期から利用・管理されてきて、林相も時代と共に変化してきたことから、原生林と呼ぶのは相応しくないとのことです。

   
 ※ 周りを宅地や農地に囲まれながら、広大な森を今に残してくれた野幌森林公園です。

 講座はまず扇谷さんが野幌森林公園の動植物に詳しいことから野幌森林公園内に生息するさまざまな動植物を紹介することから始まりました。
 私も野幌森林公園には度々訪れたり、公園で開催される観察講習会にかなり参加させていただいた経験があり、そこで生育する生物の多様性を肌で感じておりました。扇谷さんのお話から、改めて多様な生物があの森で生息していることを再確認することが出来ました。

 さて、本題ですが 明治年間に入り北海道開拓は「北海道開拓使」の発案により「屯田兵制度」を整備し、北海道開発が急ピッチで進められました。
 一方で、国は行政の整備も進め、1886(明治19)年に北海道庁を整備し、初代長官には岩村利通が就任しました。そして北海道庁はさらに北海道開発を進めるために「北海道土地払下規則」を制定し、未開地の大面積払下げが進み、団体を組織しての移住が増加しました。
 
 そうした動きの中で、新潟県の貧窮農民の救済のために「北越殖民社」が設立され、新潟から幌向原野(現在の江別太)に17戸が入植したのが始まりだそうです。その後も新潟からの入植は続き、リーダーたちの努力によって野幌原野(現在の野幌森林公園の近縁)に1889(明治22)年には最終的には320戸もの入植者があったそうです。当初は畑作中心だったものが、1891(明治24)年には米の試作が始まり、5年後には米も主要作物として収穫するまでになったといいます。

   
   ※ 野幌森林公園の遊歩道の一部です。

 さて問題の「野幌森林公園が今に残ったわけ」についてですが、北海道は1890(明治23)年に、野幌の森を地方自治体の基本財産として分割することを内定したそうです。このことは北越殖民社にとっては一大問題でした。
 というのも、当時の野幌の森は用水溜池として森の中に25以上の溜池を作り周辺の水田に水を供していました。しかし、野幌の森が農用地として払い下げられれば水源は枯渇し、水田が荒廃してしまう恐れが出てきたのです。
 北越殖民社のリーダーたち(関谷孫左衛門を中心とした人たち)は北海道庁に払い下げの中止を申し出るも受け入れられませんでした。諦めきれない関谷たちは当時の北海道長官の岡田安賢に直訴を試み、苦難の末に払い下げを撤回させることに成功したそうです。

 もし関谷たちの必死の訴えがなかったなら……。あるいは現在の野幌森林公園は農地や宅地となっていたのかもしれません。
 そういう意味では、大都会札幌の近隣に広大な森林公園を今に残してくれた関谷孫左衛門さんを始めとした北越殖民社の方々に感謝しなくてはならないかもしれません。

        
        ※ 野幌森林公園内を縦横に走る遊歩道の図です。

 講師の扇谷さんが野幌森林公園の遊歩道マップを提示してくれました。公園内には10数コースの遊歩道が巡らされているそうです。私は札幌へ来てから足繁く野幌森林公園に通ったこともあり、そのほとんどのコースを体験したことが分かりました。
 現在は車生活におさらばしたこともあり、野幌森林公園は遠い存在になってしまいましたが、公共交通を利用してこれからも四季折々に訪ねてみたいと思っています。



春よ来い♪早く来い♪ 花の種蒔き講習会

2025-03-20 10:40:54 | 講演・講義・フォーラム等
 マリーゴール、インパチェンス、ペチュニアとけっして珍しい花種ではありませんでしたが、初めてお会いする参加者たちと楽しく交流しながら種蒔きを行い、それを我が家に持ち帰りました。

     

 昨日午前、「さっぽろ花と緑のネットワーク」が主催する「花の種まき講習会」カナモトホールで開催され参加しました。
 参加者は50名限定で募集されたのですが、会場へ行ってみると意外に男性の姿が多かったのが意外でした。もちろん全体の参加者は女性の方が多かったと思いますが、私が指定されたグループは、5名の内4名が男性の方でした。
 私を含め4名の男性は全て現役をリタイアされた方々で、それぞれが仕事を離れたことにより、花に癒しを求められる方が増えているのかもしれません。

    
    ※ 種まき講習会の会場の様子です。まだ講習の始まる前でした。

 種蒔きの要領は別に難しくありません。
 セルトレイを用いて、その中に用土を入れて、まずマリーゴールドとインパチェンスの小さな種を注意深く均等に撒いていきました。その後、薄く覆土し霧吹きで用土を湿らせました。
 一方、ペチュニアの方は、主催者の方で予め育てておいて苗をポット上げして、同じくセルトレイに移植する体験をしました。

 講習会は和気藹々、花への関心が深い人、浅い人、それぞれでその体験談などを交流しながら進められました。グループには、「さっぽろタウンガーデナー」といわれる方が、講習会のために予め事前講習を受けていて、その方が親切丁寧にアドバイスしてくれながら種蒔きを進めてくれたので、とてもスムーズに進行することが出来ました。

    
    ※ 種蒔きを終えた私のセルトレイです。左からインパチェンス、マリーゴールド、ペチュニアを2列ずつ種(苗)を植えました。


 実は私は昨年度まで14年間も「さっぽろタウンガーデナー」に名前だけ登録させていただいていましたが、昨年度かぎりで近代美術館前の花壇整備の活動を止めたことで、タウンガーデナーの方も辞退させていただきました。その関係もあり、主催者の方が私のことをご存じだったことから、会場内で「長い間ご苦労さまでした!」と労いの言葉をいただきました。
 
 今後は、今回の「種まき講習会」でいただいた花などをベランダで楽しみたいと思っているところです。春の到来が待ち遠しいですね~。

迷宮のごとし、短歌の世界

2025-03-19 15:43:20 | 講演・講義・フォーラム等
 私にとって、短歌の世界などは遠い世界の話に聞こえてしまう。そんな短歌のお話を聞いた昨夜は迷宮を彷徨ったかのような90分間だった…。

 昨夜(3月18日)、北海道自治労会館において、連続受講している「労文協リレー講座」の第6回目(最終講座)がありました。
 今回のテーマは「斎藤茂吉歌集『つゆもみじ』短歌写生の説について、現代の写実とは」と、テーマ自体が私にとっては???のテーマでした。
 講師は北海道歌人会の会長の任にある内田弘さんという方でした。

    
    ※ 講演をする北海道歌人会々長の内田弘さんです。

 もの知らずの私でも、「斎藤茂吉」の名は近代短歌の第一人者であることは知ってはいましたが、斎藤がどのような歌を詠っていたかについては全く知らないというレベルです。

 講座はまず現代短歌の旗手(?)「俵万智」さんを取り上げました。俵さんのデビュー作(?)の
  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日  
は、もの知らずの私でもさすがにこの歌は知っていましたが、内田氏は俵さんのことを「短歌を革新した歌人」と評しました。彼女の短歌はこれまで文語調だった短歌の言葉遣いを、口語調に変えたことで世の多くの関心を呼び、短歌の世界ではそれまで考えられもしなかった230万部もの歌集の売り上げを誇ったそうです。
 講座で内田さん作の短歌は紹介されませんでしたが、おそらく当年80歳の内田さん自身は文語調の短歌を作歌されているものと思われますが、短歌を世に広く知らしめたということで俵さんを高く評価されていました。

 講座はここからガラっと変わり、近代短歌の変遷に移っていきました。
 つまり近代短歌が誕生したのは明治年間に入ってからで、それまで短歌は古今和歌集に代表されるように雅の世界の歌として長らく受け継がれてきたものが、正岡子規によって
これまでの形式を打ち破り「写実歌風」を主張し始めたということです。つまり「見たまま、感じたまま」を歌にし始めたのが近代短歌の始まりであると話されました。そしてその系譜は正岡子規⇒伊藤佐千夫⇒斎藤茂吉へと受け継がれていったということです。

   
   ※ この日の講演で紹介していただいた歌人の一覧です。(紹介順)

 ここで内田氏は、茂吉が主張した「写生の説」について説明しました。内田氏はプリントで次のように紹介してくれました。
 写生とは実相観入に縁って生を写す。「生を写す」の義で「生命直写」の義である。「生」とは「いのち」の義である。「写」とは「表現」の義。実相に編入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌の写生である。として「写生は生を写す」として現実的な生命主義を目指したのです。
と。(※ 縁って=よって  義=意味)

 そして歌集「つゆじも」の中で詠われた短歌が数首紹介されました。その中で、私がかろうじてその様子を理解できる3首を挙げてみます。
  「わが家の石垣に生ふる虎耳草(ゆきのした)その葉かげより蚊は出でにけり」
  「対岸の造船所より聞こえくる鉄の響きは遠あらしのごとし」
  「わが病やうやく癒えて心に染む朝の経よむ穉(おさな)等のこゑ」

 内田氏のお話はここで終わらず、俵万智さんに続く現代歌人の短歌を紹介してくれました。現代の歌人会の代表者としては、現代の若者たちが創る短歌にも目を配らねばならないということでしょうか?
 紹介された現代歌人は「穂村弘」、「斉藤斎藤」(誤字ではありません)、「萩原慎一郎」といった方々の短歌を紹介してくれました。

 前述したように私にとっては、迷宮に迷い込んだような90分間でしたが、たまあにはこうした迷宮に迷い込むこともいいかな?と思いながら帰路に就いた私だった…。