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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

ネガティブ体験も今では「人生の支柱」&ティーンになっても揺るがない親子間の絆を築くものとは?

2017年08月07日 | 子育て全般

昨夜、キャンプから戻りました!

 

長女と次女は他州、

他国から戻ったばかりの長男はロボティックス等の活動続きで、

三女10歳と次男8歳と夫の4人のみのキャンプ。

ああ、子供が2人ってこういう感じなのだなあと新鮮でした。

やっぱり、1人1人と向き合う時間が格段に増えますね。

 

 

あの「もうだめだ」と思った夜があったからこそ 

長年お世話になった大きなテントが壊れてしまい、

今回、「4人だから大丈夫だろう」と小さなテントを持っていったんですが、

夜になって横になってみたならば、ぎゅーぎゅー。

自ずとテントの半分近くの場所をとる夫と、

小さいながらも動き回る子供に挟まれ、

私なんて、胸の上で腕をクロスしたまま、身動きひとつ取れない状態。

 

それでも何とか眠ろうと、身体の力を抜いたりして、

頑張ってみたんですが、

日が沈み少しは涼しくなったとはいえ、

ぎっしり詰めのテント内はまるでサウナのようです。

←ちなみに、日中35度過ぎ。

 

そこへ、隣のキャンプサイトの大家族が、

夜更けにも関わらず旅立つことに決めたようで、

テントやらの撤去作業を始め、それは賑やかになります。

その上、隣で夫のいびき&次男の寝息も始まります。

 

結局、「もうだめだ・・・」と真夜中に車へ移動。

ああ、足も腕も「それなりに」伸ばせる!なんて快適!なんて静か!

 

まさか40過ぎて、車の後部座席で寝ることに、

これほどの喜びを感じることになるとは、

想像もしなかったですよ。

 

 

朝よくよくテントを見てみましたが、

ち、小さい!

ああ、「4人いける」と思った親の大雑把さ・・・。

 

 

翌日、

「どっちみち、これから家族でキャンプするにしても必要になるからね」と、

大型テントを購入しました。

その夜以来の快適さといったらありません。

 

子供たちも私も、

これまで当たり前のように用いてきた大型テントを

これほど有難く感じたことはないです。

「私達のお城」とまで呼ぶ子供達。

 

もし、「壊れたから」とさっと買い直していたら、

親子共々、これほど有難くは感じなかったでしょうね。

あの「もうだめだ」と思った夜があったからこそです

ネガティブに見える体験が、糧になったなあ、

そんなことを、しみじみと思っていました。

 

 

そして、ここからちょっと飛躍にみえるかもしれないアナロジーですが、

「夜の苦しみ」つながりで、

13年前にメンタルヘルスを壊し(パニック・アタックらしきもの)、

夜な夜な発作に襲われ、パジャマのまま庭を歩き回り、

日常生活がままならなくなった体験を思い出してました。

慣れない場での真っ暗闇に、せまい、息苦しい、身動き取れない、虫や人の声が迫るという状況は、

パニックアタックのひきがねになりやすいんですよね。

私自身は、今ではどうしたらいいか分かるので、落ち着くことができます。

 

そして、あの苦しみもだえた夜があったからこそ、

「当たり前の日常」を送れることをどれほど有難く感じるか、

また、苦しみの中にも自らの手綱を取り戻せるという自信がどれほど培われたかを思っていました。

 

あの体験があったからこそ、

今、子ども達の様子や状況に一喜一憂しながらも、

心の底のところで、「この子達はいずれは大丈夫」と落ち着いた自分がいる、

そう思います。

 

子どもたちに同じような苦しみを通って欲しくない、そう切実に願いつつも、

同時に、それでも、もし通ることになろうとも、

それらの体験は、必ず、その子のその後の人生を支える柱となる、

そう信じる自分もいるのです。

 

 

ネガティブに見える体験は、

後の人生の「糧」となり得ます。


私の13年前の「ネガティブ体験」は、

今では、「人生の中心的な支柱」

 

 

子供達が、

ネガティブに見える体験から一回りも二回りも大きくなっていく姿を、

信じてあげたいですね。

 

 

幸い雨が降らず、テントの外のカバーを取り、星を見ながら眠りましたよ。

目を覚まし、陽光にみとれて。

 

 


家族の比重がまだまだ大きい子供時代こそ一緒に多様な体験を

上の3人がティーンとなり、

子ども時代から成長するほど、彼ら彼女達の中で、

「家族の比重」がどんどん小さくなっていくのを実感しています。

 

子どもは、小さければ小さいほど、

それこそ、次の図のように、「家族が全て」です。

それが、年齢を重ねるにつれ、

友人や周りのコミュニティーの比重が、

どんどん増していきます。

 

 

 

キャンプ中も、三女と次男がきゃーきゃーと遊ぶ様子を眺めながら、

「あと○年したら、ティーンだね」

夫と、そんな言葉を交わしていました。

 

そして、「じゃあ、この家族がまだまだ全ての子ども時代に、

これだけはしておきたい、

そう、上の子達の成長をみるなかで感じることって何だろう?」

改めて、そんな話をしていました。

 

そこで同意したのが、

とにかく、

一緒になって喜んだり悲しんだり笑ったりしながら、

 5感を通したいろんな体験をすることだね、ということ。

砂山を一瞬にして呑みこむ満ち潮に呆然としたり。

水着のまま自転車で森を行ったり。

泡に埋もれたり。

猛スピードで滑ったり。

(この滑り台かなりのスピードなんですが、呆れるほど何度も何度も繰り返してました。←1時間以上

「初め恐かった」そうですが、克服できた自分たちが嬉しくてしょうがないようでした。

こうした「小さくみえる体験」から、実は「とても大きな感覚」をつかんでいることってあるなあと思います。

特に、本人が、極端に吸いつけられるときほど)

 

焚き火をみつめたり。

 

「お城」をしまったり。

 

 

子供時代に、

体験を通した様々な感情を共有することが、

後の「親子間の絆のコア」となるのじゃないかな、

そう思います。

 

いつか子供は青年となり、

家族以外のつながりの中で、様々な体験を通し、

自らの人生を模索するようになります。

それでも、そうした「絆」こそが、

親子でぶつかったり同意しなかったりする場面でも、

話し合ったり、耳を貸してみたり、労わったり、愛したりとすることを可能にするのかもしれないな、

そう感じています。

 

「教える」よりも、

「体験に寄り添って」いきたいですね。

 

 

 

さて、明日には長女と次女も戻り、

5人との夏休みが始まります。

夏休みは9月最初の週まで、まだまだ続きますよ。

みなさん、よい夏休みを!

 

 

 

 


親子間のいざこざが確かに減る「子育ちアイデア&工夫」4つ、親は子供をハッピーにするためにいるわけじゃない

2017年08月03日 | 子育て全般

心理学者ジェーン・ネルソン氏の

「ポジティブなしつけ」について学び中なのですが、

いくつか「これ、確かにいいね」というアイデアがあるので、

ぽんぽんと紹介しますね。

 

 

1. 親は子供をハッピーにするためにいるのじゃない

https://www.youtube.com/watch?v=jGAuHGQKz4M

子供がハッピーであってほしいと、

多くの親が思うわけですが、それは親の役目である必要はないんですよね。

 

誰の言葉だったか覚えてないのですが、

「親はディズニーランドじゃなくて、空気清浄機のようなもの」

という言葉に、以前、とても納得したのを思い出します。

 

親の役割とは、

華やかなファンタジーや刺激を与え、

手取り足取り夢見心地のハッピーにさせることではなく、

健やかに過ごせる空気を整えてやること、

それぐらいにとらえておくのが、確かに、「調度よい加減」なのではないでしょうか。

 

 

子供の「退屈~」という言葉にも、

何とか楽しませてやろうとあれやこれやしてやる必要もないわけです。

 

私自身も、「え、何とか楽しませてあげないと!」と、

「罪悪感」のようなものさえ抱きながら、

あたふたと動くといった時期もありました。

 

それでもしだいに、

「まあ、自分を楽しませるのは自分だからねえ。何をしたいか書き出してみたら?」

と言ってみたり、

もしくは、一昔前の親のように、

「え、じゃあさ、茶碗洗って、洗濯たたんで、掃除機かけて!」

どさりと家事を並べたりするようになりました。

←私の場合、「手がとても足りません」が大きな理由なんですけどね。

 

「あ、実はやることあるから」と、そそくさ何かを始めます、

というか、「退屈」とは、もうめったに言いません。

 

常にハッピーであらせようと、親が動いてく必要はないんですよね。

 

その場その時に、「笑顔でハッピー」とは見えなくても、

健やかな空気が整っているのならば、

たとえ、悲しみや涙にくれることがあっても、

いずれそれらも糧となり、

その子なりに、ハッピーになっていくのかもしれません。

 

大切なのは、

ハッピーにさせてやることではなく、

ハッピーでない状況をも、

自らこえていく力を培うサポートをしていくことなんですね。

 

 

 


2.家庭・家族についての話し合いを週に30分でも設ける

https://www.youtube.com/watch?v=YNCuMSHeyLQ

・楽しい旅にするにはどうしたらいいか

・夏休みのスケジュール

・夏休みに取り組みたいこと

・週末レストランに出かけるけどどうしたら楽しい食事になるか。

・家事分担のアイデア

・日常生活をより快適にするための工夫

などなど、話し合います。

 

身の回りのことを、自分たちも意見を出し、話し合って決めることのメリットは、

何といっても、「当事者意識」が育まれるということですよね。

自ら「こうしたらいいんじゃない?」と考えたことは、

確かに、より遂行するものです。

 

自ら考え、話し合うことで、

「親から言われたからこなす」でなく、

「自分も家庭を担う一員」という自覚が持てるのですね。

 

家庭の営みに「当事者意識」を育むこと、意識していきたいです。

すると、親子間のいざこざもかなり減ります。 

また、こうした姿勢は、社会に出てからも、

大切になりますよね。

 

ちなみに、ジェーン・ネルソン氏は、

「家族での話し合いは、4歳以上からの参加がいい」としています。

 

 

 

3.日課チャートを貼る

https://www.youtube.com/watch?v=ws58trETcZU

朝起きて、着替えて、朝ごはんを食べて、歯を磨いて、登下校。

帰宅したら宿題して、遊んで、夕ご飯。

風呂に入って、歯を磨いて、就寝。

 

こうした流れを、

年齢が低い子ほど、実際にその子がしている姿を写真にとるなどして繋げ、

順番に番号をつけ、壁に貼っておきます。

 

すると、「風呂入りなさい!」「歯磨いたの!」「寝る時間でしょ!」

などいちいち急き立てる必要もなく、

「次は何するんだっけ?」「そろそろ7番?」などと、

思い出させるだけですむ、というわけです。

 

親が指示するのではなく、「壁のチャート」が示すようにするんですね。

 

これは、我が家もしていたことがありますが、

繰り返す内に、しだいに、「生活リズム」になっていきます。

「週一の家族の話し合いの場」などで、確認したり、アップデートするのもいいですね。

 

 



4.兄弟姉妹間での親の愛情の取り合いへのメッセージ

https://www.youtube.com/watch?v=q9bUZcTZTkI

家族の人数分のキャンドルを用意します。

 (上記アドレスの「ユーチューブ」に映像があります)

 

例えば、父母姉弟の場合は、

大きなキャンドル2つと、

中くらい、そして小さなキャンドル。

 

「ママがパパと出会って、愛が生まれます」

と言いながら、大きなキャンドルのひとつに火をつけます。

 

「そして愛が溢れます」

と言いながら、火のついたキャンドルを持ち、

もうひとつの大きなキャンドルに火をつけます。

 

「そしてお姉ちゃんが生まれ、愛が溢れます」

と言いながら、ママのキャンドルで中くらいのキャンドルに火をつけます。

「でも、愛の炎は全く減りません。」

と3つの炎を示します。

 

「そして弟の○○が生まれ、また愛が溢れます」

と言いながら、ママのキャンドルで小さなキャンドルに火をつけます。

「でも、愛の炎は全く減ってません」

と4つの炎を示します。


誰かに渡したからといって、

愛情は減ったり欠けたりするものじゃないんですよね。

それどころか、愛の炎は増えていく。

 

子供にも「愛を視覚化」できて、いいですよね!

 

 

 

「確かにいいね!」と感じるこうした子育てアイデアや工夫。

ちょこちょこと出合ったり、思い出したりするのですが、

また紹介させてください!

 

 

 

さて、『虹色教室』の奈緒美さんの、

「ネガティブに見えることを糧にする姿勢」についての記事が始まっています。

昨日のチャットでも話題になり、改めて子供に接する大人が、

こうした姿勢を持つことの大切さを思います。

私も、記事を楽しみに読ませていただきます!

 

それではみなさん、よい夏の週末を!


『オールアバウト』寄稿「賢いのに学業が苦手なアンダーアチーバーな子供とは?」&「邪魔するもの」の力

2017年08月02日 | 子育て全般

この子が力を発揮することを「邪魔しているもの」って何だろう?

そう観察することで、見えてくるものがあります。

 

それは、記事にあるように、

1.学校環境

2.家庭環境

3.その子の特性

が絡み合い、「今の状況」が生まれているということ。

 

「邪魔するもの」が、

変えられるものならば、

何とか取り除けないかと動いていくわけですが、

 

それでも、「邪魔するもの」には、

どうしようもないことや、

本人や身近な人々の「特性」など、

長く付き合う必要があるものもあります。


「邪魔するもの」にどう向き合っていくのか、

子どもと共に悲しみ喜びとしながら、

現実的な術や力をつけることをサポートし、

進み続けることを、励ましていきたいです。

 

 

そして、そうしたどうしようもない「邪魔するもの」とは、

向き合い方によって、

その子ならではのユニークさや、

かけがえのない力を与えてくれることがある、

そう思います。

 

例えば、我が家では、

・最近では、2年続けて転校し、学習環境が大きく変化。

・異なる文化背景を持つ親に育てられ、

文化的アイデンティティを確立することが難しい家庭環境。

・夫の重度ディスレクシア

・グレーゾーンにある子供たちの凸凹、

・「敏感さ」による生き辛さ。

などなど。

 

これらは、力を発揮することを「邪魔するもの」にも見えます。

実際、我が家も、

学業に打ち込めなくなったり、成績が落ちたり、不安感が増したり、

友達ができなくて落ち込んだり、引きこもりがちになったり、

自分の「できなさ」が迫り全てほおり出したくなったり、

「どうせだめだ」とやる気も底をついたりということがありましたし、

これからも、あるでしょう。

 

それでも、その一つ一つの体験が、長い目で見るならば、

その子ならではのユニークな力を与えてくれ、

その子が、一回りも二回りも大きくなる機会だった、

そうしみじみ実感しています。

 

・引越しで学校が連続して変わったことで、

大変化にもリラックスして自分らしくある姿勢を学びました。

・確固とした文化的なアイデンティティが得られないことで、

多様な文化への理解が促されています。

・夫は学習障害により、独特な視点や、

精神的強靭さや人並み以上努力する姿勢が培われ、子ども達にも勇気を与え続けています。

・子ども達の凸凹は、ポジティブ面を見る大切さや、

完璧主義を手放す姿勢を学ばせてくれます。

・「敏感さ」は、周りへの共感力や想像&創造力を養ってくれます。

 

 

「邪魔するもの」を変えることができないのなら、

「邪魔するもの」への向き合い方を培うことで、

少しずつ道が開けていきます。

そして振り返るならば、一回りも二回りも大きくなった姿があります。

 

 

記事には、

アンダーアチーバーを前に、まず整理したいことをまとめました。

その上に、個々の子供が伸びるサポートを、

できる範囲でしていきたいですね。

興味ある方是非どうぞ!

賢いのに学業が苦手なアンダーアチーバーな子供とは?

 

 

「学校環境」については、こちらに嬉しいニュースを紹介しましたが、

日本で「ギフテッド教育」が始まるんですね!こうしたプログラム内容で伸びる子ってきっとたくさんいますよね

以前も書いたように、

「多様な学びの場」のあるシステムでは、

学習環境が合わなかったり、不登校にしても、

「できない」「行けない」と悩む時間やエネルギーを、

自ら持てる力を伸ばすことに使っていけます。

 

「こっちの学校が合わないなら、あちらの場を試してみるか」

という「選択の問題」があるのみなのです。

 

少子化に関わらず不登校が高止まり状態という今の日本の学校システムは、

このままでは「子供たちの多様なニーズに対応するのが無理」ということの表れ、

そう思います。

 

この「渋谷区のプログラム」のように、

少しずつでも、多様な場が築かれていくことを願っています。

 

もうひとつ、

より自主的で個々の資質や創造性を伸ばせるような

この渋谷区の「プログラム内容」のような学習場こそ、

AIと共存することになるこれからの社会が必要とする人材を生み出せるんじゃないか、

そうも思いませんか?

(創造者の育成を目指すレンズーリ氏の拡充学習とも重なりますよね。

消費するだけでなく創造できる「ギフテッドネス」をどう開発する?教育学者レンズーリ氏の研究紹介

 

これからの展開を観ていきたいですね!

 

 

今日は雷がなり、プール行きを中止。

先ほどラーメンを皆ですすり終え、

これから小学生組みと自転車の修理屋や図書館を回ります。

みなさん、今日も良い日を!


子どもに接する日々に覚えておきたい「基本中の基本」、こつこつ実践することで確実に変化が生まれますよ

2017年07月28日 | 子育て全般

子どもに日々接しながら、

「この情報に出会っておいてホンとよかった」

そうしみじみ思うことに、

「いい時をこまめに認める」

というのがあります。

 

これって、子育てでも、

クラスをまとめていくなかでも

「基本中の基本」に据えるといいことだと思います。

 

スムーズにみえるときは、忘れがちになるからこそ、

問題が溢れてみえるときは、

「そんなことできっこない、だっていい時なんてないし」と感じるからこそ、

常に思い出していきたい「基本」です。

 

周りの親御さんや先生方をみていても、

どんな状況であっても、

こつこつと実践することで、

確実に変化が生まれますよ。

 

 

それにはまず、

いい時やできてる時を当たり前と通り過ぎ、

よくない時やできていない時に過剰反応する、

そうした自らのパターンに気づくことです。

 

「この子はこうだ、この子は“いつも“こうする」と、

「今の状況」を決め付けてしまっている自らの見方をほぐしていくこと。

 

時には

まるで初めて出会ったかのようにその子に向き合うと、

普段の「凝り固まった頭」では目に入ることのなかった、

「いい時やできている時」により気づけるようになります。

 

 

 

ここで少し心を配りたいのが、

「認める」というのは、

「褒める」というのともちょっと違うということ。

 

そっと肩に手をおくだけだったり、

「○○(弟)を手伝ってくれて助かっちゃった」

「空っぽのカップを流し台においてくれてありがとうね」

そんな言葉をかけながら、

その状況を一緒に喜んだり、感謝を示すことで十分。

 

 

弟にきつくあたる、

空っぽのカップがテーブルにおきっぱなし、

そんな行動が大きくなるほど、

「できている瞬間をこまめに認めて」いきます。

 

それでも私も含めて、往々にして、

弟にきつく当たる姿や、テーブルの空っぽのカップばかりが目に付いて、

「また!」「なんでいつもできないわけ!」と、

「できていない時に過剰反応」しがち、そう思いませんか?

 

 

子どもは、

「こうしちゃだめ!」「こんなんじゃだめ!」よりも、

「こっちだよ」

そうさらりと示すほうが、

足を踏み出していけます。

 

 

 

子供と過ごす時間が多くなる夏休みな日々、

覚えておきたいですね!

確実に、変わってきますよ。

 

 

またこの「基本」を、

家族間の関係

←互いについてどんな情報を行き来させるのかに気づく

(後ほど、もう少し詳しく書きます)など、

人との関係や、

日々の生活全体にも広めていくと、

←いい時を認め感謝する

人生自体が確実に変わっていく、そうも実感しています。

 

自分がどのように物事に反応しているのか、

気づいていきたいですね。

 

 

もっと書きたいことが溢れておぼれそうになりますが、

少しずつ続けていきます!

昨夜、他州での一泊から戻りました。

これから、ぞろぞろと、来年度の身体検査&食料買出しです。

みなさん、よい夏の週末を!


『It Mama』寄稿"スマホ依存解消も!? 大人も子どももハマる話題の玩具「ハンドスピナー」って?" &多様な特性への理解が広がるなら嬉しいですよね

2017年07月25日 | 子育て全般

日本への旅の前にもこちらの記事、

子育ての道程に喜びを見出すということ、お知らせ3つ、我が家の旅に不可欠なもの

で少し紹介した「ハンドスピナー(米国ではフィジットスピナー)」。

 

米国では、今年春頃より、

大人から子どもまで広い世代の間で、

爆発的な大流行となりました。

 

『It Mama』の記事でも紹介しましたが、

5月の時点で、

アマゾンの人気玩具ランキングの上位10の全てを占めていたほどです。

 

我が家の子ども達が通う小学校でも、

「持っていない子がいない」というほどのブーム。

三女の4年生クラスでは、皆が皆授業中クルクルクルクルするので、

「発達障害の診断がない場合は、教室での使用禁止」となったほどです。

 

また、

長男長女が通う高校の卒業式(5月)に記念として、

生徒1人1人に「ハンドスピナー」が配られたり、

先月長男が参加したロボティックス競技会の参加者へのお土産も、

「ハンドスピナー」だったりしました。

中心にスポンサー会社の名前入り。

 

 

これだけ広い年齢層に受け入れられる玩具も、

そうはないですよね。

 

我が家でも、

中学生の娘が学校の授業で出された

「3D プリントで何かを作ろう!」の課題の際、

自ら作ってみたり、

次男や三女も、レゴで作ったりしてました。

 

 

日本でも広まりつつある?

今回日本を旅し、

様々な地で売られているのを見かけましたよ。

原宿、

名古屋のショッピングモール

人気ナンバー1玩具!

京都の観光地。

また、長野の日本一長いとされる伝統的な宿場町「奈良井」の

店先でさえ!

 

 

実家の文化教室での英語レッスンの子達との交流会でも、

文字でも映像でもなく直に触れ合う草の根交流の力、英語教室の生徒さんたちと盛り上がった「遊び」

我が家の子供達が持っていたスピナーを試しはまった子達が、

日本を発つ前日に再び遊んだ際、

「あの後、買ったんだよ!」と見せてくれました。

 

 


「ハンドスピナー」の効用やいかに?

「ハンドスピナー」には、

「ストレス発散」や「落ち着く」や「集中力が高まる」

などの振れこみもあります。

 

こちらの説明によると「Fidget toys aren’t just hype」:

 

1. 雑念から離れる?

クルクルするスピナーを見つめ、

回る音や手の感触にフォーカスすることで、

雑念を忘れる。

 

2. 儀礼的効果で落ち着く?

同じ行為を繰り返すことに、

「リチュアル(儀礼的)」効果があり、

精神的に落ち着く。

 

などの説明と共に、

以前こちらの記事

ごそごそ動いた方が学習効果アップ!ADHD・ギフテッド・舞踏家タイプの子 

で紹介したように、

3.「ごそごそ動く」方が、脳が活性化した状態に合致しているため、

より集中力が高まる、こともあげられています。

 

例えば、この『ユア子育てスタジオ』の記事でも紹介した学校では、

全校の3分の1の生徒がADHDと診断を受け、

他にも様々な発達障害の子をうけいれているのですが、

「ごそごそもぞもぞできる道具」が教室に常備されており、

多くの生徒の助けになっているとのこと。

 

「ごそごそ動いた方が学習効果アップ」

といった研究がいくつか発表されるなか、

「ハンドスピナー」も、

「ADHDの子が落ち着く効果あり」ともうたわれています。

 

それでも、

「ハンドスピナー」のこうした「振れこみ」については、

スピナーが大ブームとなり、授業の妨げとなるケースも出る中で、

昨今、「科学的根拠なし」という意見もいくつか出ています。

 

確かに、

「ハンドスピナー」自体を用いた科学的な実験が

報告されているわけじゃないですからね。

 

ひとつには、指摘されることのあるように、

ハンドスピナーは、

子供が片手で回すには大き過ぎ両手が必要になることや、

目線も回る様子に釘付けになってしまったりと、

授業中に用いるには妨げになり過ぎる

というのがあるでしょうね。

 

目線も片手もより課題に集中できる、

ぐにゅぐにゅと握るだけのものや、

足をごそごそするものなどが、

教室には適しているのでしょう。

 

 

 

「ハンドスピナー」の大流行のおかげで発達障害への偏見が緩和?

こうした状況の中、

ADHDの子を持つママさんの1人が言っていましたが、

「ハンドスピナーの大流行のおかげで、

ADHDであることも、何だか『クール』であるような位置づけになって、

これまで自分の特性について自信を失いがちだった子どもが、

とても嬉しそうに生き生きしている」とのこと。

 

またこちらの記事でも、自閉症の子が、

「自分がほっとできる玩具で、

一緒に夢中になって遊んでくれる子が増えてとても喜んでいる」

と紹介されています。

 

「ハンドスピナー」の大ブームによって、

発達障害など多様な特性に対して、

少しでも偏見が緩和されるということなら、

これほど嬉しいことはないですよね。

 

と同時に、

大流行によって授業がままならなくなった多くの小中学校が

「診断が降りていないなら学校での使用禁止」を打ち出しており、

様々な特性を持つ子が、一層孤立感を感じたり、

こうした子にとっての必需品であり、用いることで助けられる行為が、

あたかも「遊んでいるだけ」としてとらえられてしまうことを懸念する声もあります。

心に留めておきたいですね。 

 

 

 

「ごそごそもぞもぞ系玩具」はこれからも出てきますよね

これからも「ごそごそもぞもぞ欲求」を満たすヒット商品が

出てくるのじゃないかなあと思います。

 

「フィジット(ごそごそもぞもぞ系)玩具」って、

上の1と2の説明にあるように、

頭の中のおしゃべりから身体感覚へとフォーカスを逸らし、

身体感覚を通して落ち着く、

そんな効果もあると思うんです。

 

米国でこれほど大ヒットしたのも、

電子機器に囲まれ、

常に、頭のおしゃべりに忙しい現代の大人子供が

手軽に「フォーカスを移せる」ものを欲しているからともいえるのではないでしょうか。

 

 

といえば、

手を動かして感触を楽しむ玩具としては、

昨今「スクイーズ」も人気です。

お菓子や食べ物や動物などの形をしていて、

手の中でクニュクニュフワフワと何ともいえない触り心地。

 

今回の日本訪問でも、そこら中で見かけました。

元々は日本からアメリカへ輸入され、

米国でもヒットとなっているようです。

 

娘の1人もお友達への日本からのお土産にと買ってました。

「元祖日本の商品だからね!」と。

ギュッとした後の膨らみ具合が様々異なるらしく、

日本の店先で呆れるほどの時間をかけて選んでましたよ。

 

我が家も「ごそごそもぞもぞ系」が多いですから、

クルクル「ハンドスピナー」、

クニョクニョ「スクイーズ」

見事にはまっています。

 

娘の1人は「スライム」もしょっちゅう作ってます。

彼女の机、

ここにも(器別に感触や匂いや色も様々)、

こちらにも。

 

 

子どもたちと、

「次は何がヒットするんだろうね?」と話し合ってみるのも、

楽しいですね。

 

 

「ハンドスピナー」の魅力と米国のママさん達の反応、

また遊び方や注意点なども分かりやすくコンパクトにまとめました!

興味ある方是非どうぞ!

スマホ依存解消も!? 大人も子どももハマる話題の玩具「ハンドスピナー」って?

 

さて、夏休みな日々は続きます。

みなさん、楽しい週末を!

 

 

 

余談:

1.「ハンドスピナー」を選ぶ際は、

いくつか回り具合を比べてみるといいですよ。

それぞれ重さも回り具合も違います。

 

 

2.元々1993 年にCatherine Hettingerという女性が、

7歳の娘さんと遊ぶために発明したといいます。

ところが、特許権を更新する費用に困り、2005年に約4万円で権利を譲り渡したといいます。

そして今年に入り、空前の大ヒット。

「怒ってる?と聞かれることがあります。

でも、私にとっては、人々が理解し、人々のためになるものをデザインできたということが嬉しいのです」

とHettingerさん。

The Gurdian記事より)

 

 

3.「回すことで五感を通しフォーカスをそらさないことを助ける」

といえば、

「マニ車」を思い出しますよ。←人類学的思考

チベットなどで用いられる、お祈りしながら回す仏具です。

写真 by Wikimedia Commons


 宇治市の放生院のマニ車 

写真 by Wikimedia Commons

 

現地でも、

一日中回している人々もいるんですよね。

写真 by Wikimedia Commons

こうやって手に持つタイプ、

 「手に持ち『他ごと(マニ車の場合は祈り)』に取り組みながら回す」という形式が、

「ハンドスピナー」と重なります。


夢や希望を与える「物語」が子供の内に培うもの、「スーパーヒーロー」だって子供が夢中になる時を大切に

2017年07月24日 | 子育て全般

先週のファミリーディナーでは、

『スーパーヒーローが体現しているもの』について話し合いました。

 

とはいえ長男は中米、次女は友人家族と旅ですから、

主に、15歳長女と夫とです。

周りで10歳次女と8歳次男(日本を発つ前に8歳になりました!)が

ほわーんと聞いているか聞いていないのかといった様子でしたよ。

 

内容は、こちらの本より:

『The Seven Spiritual Laws of Superheroes』by Deepak Chopra with Gotham Chopra

私自身は夫の示す「要約」に目を通したのみでこの本読んでませんが、

「なるほどなー」と思ったので紹介させください!

 

 

「スーパーヒーロー」が体現する5つのこと

 1. ピンチの時こそ力を発揮する

「わるもん」が「わるさ」を始め、

周りの人々がキャーキャーと逃げ惑いパニックする中、

キッと姿勢を正し、変身などしたり装備を整え、

「ここぞ」とばかりに立ち向かう。

逆境や困難に「いざゆかん!」とマックスパワーを発揮するんですね。

 

2. 理想を生きている

スーパーヒーローは、「理想を説く」こともなく、

人知れずとも、ひたすら、「理想を生きて」いますね。


3. 尻すぼみしない

初めはインスピレーションに溢れ「やる気満々」、

それでも次第に萎えていくなんてことないです。

スーパーヒーローは、物語の最後までヒーローなんですよね。


4. ビジョンを持っている

「世界平和」なり、

「虐げられる人を助ける」なり、

常にビジョンに向かって歩き続けています。


5. 愛に溢れ、「いかに奉仕(serve)できるか?」と自問し続けている

どこまでも「正義の味方」ですからね。

 

 

 

「スーパーヒーローもの」とは、

子供に受ける分かりやすい物語ですから、

「現実離れ」しているものです。

 

でも、今振り返り、

子供達が目を輝かせながら、

一時、こうした物語にはまる体験の大きさを、

しみじみと思うのです。

 

 

「スーパーヒーロー」にはまった長男

長男も、かなりはまっていたことがあります。

といっても、幼児期には、

これまでも何度か書いたことあるのですが、

泣き虫で恐がりで敏感だった男の子の成長事例、「憧れ」と「慣れ」と「ユーモア」

それはそれは恐がりで泣き虫で、

「戦闘レンジャー」ものなどは、「恐くて」観られなかったんです。

 

友人宅で他の子達と観た際、

堪え切れずテレビのスイッチを切ってしまい、

周りの子が、ブーブー文句いう中、

毛布をかぶり泣いていたこともありました。

←帰り道、泣きべそな長男の手を握りながら、

「こんな線が細くて、これからやっていけるのかな・・・」

そう夕焼けを見上げていたあの日々。

 

 

長男は、小学生から中学生にかけて、

とにかく本好きで、様々な物語を読んでいたんですが、

「スーパーヒーロー」ものの漫画にもはまっていました。

『スパイダーマン』やら『アイアンマン』やら、

『Marvel Comic』系のものですね。

 

あの何というか、アメリカ特有の「ごつごつした感じの漫画」。

『ゴルゴ13』的な画風というか。

←すみません、それほど知らないのに書いてますよ。

 

中学生の時も、

友人君と『キャプテンアメリカ』の映画を観にいき、

感動していました。

 

 

そして、こちらに書いた長男との会話を思い出します。

『It Mama』寄稿:「敏感っ子」へのNG対応&恐がりで泣き虫だった長男17歳が自らを振り返り思うこと

 

スーパーヒーローって、

泣き虫で恐がりだった長男が見上げ、立ち上がる力を得ることのできた、

「ロールモデル」のひとつでもあったんだなあと。

 

 


子供が「物語」から得る力の大きさを、

思い出していきたいですね。

 

私自身も当時、

「え、勧善懲悪ヒーローもの漫画?」と、

正直、ちょっと「見下す」気持ちさえありました。

ついつい、大人目線ビームで(←スーパーヒーロー・モード)、

「『そんなもの』よりさあ、

こっちの方が『ためになる』わよ~」と言いたくなったり。

 

でも、その子が「吸い付くもの」の価値や意味が、

その時点では分からなくとも、

あとになって、

こうして「なるほどなあ」と思うことってあるんですよね。

 

 

ヒーローになり切って遊ぶ、

一昔前は、そんな時間も、

もっとたっぷりあったのでしょうね。

 

子供達が物語に浸る時を、

邪魔しないであげたいですね。

 

「スーパーヒーローが現実離れしている」なんてことは、

年を重ね、人とのつながりの中で様々体験する中で、

子供本人も心底味わっていくものです。

 

でも、

ヒーローに憧れたり浸ったりとした時とは、

心のコアに、

希望や夢を持たせてくれるというか、

「引き上げる力」を培ってくれるのじゃないかな、

そんなように感じています。

 

 

 

物語と子供についてあれこれ 

長女も、

小中学校校と様々な物語をよく読んでいたんですが、

子ども時代「はまった物語」についてあれこれ話しましたよ。

物語は、

物事をとらえる、より多様な視点や幅を与えてくれるんだあなあ、

そうしみじみ思います。

 

それにしても、

女の子が「スーパーヒーローもの」にあまりはまらないのも、

面白いですよね。

まあ「男性」が主人公な場合がほとんどですからね。

「女の子が悪と闘ったり、悪をなだめる」ような物語がもっとあってもいいですよね。

 

 

 

最後に、物語というと、

大学時代、一般教養の生物学の先生が、

「文系の人々の使命とは、

『物語』を創っていくことなんですよ」と言っていたのを思い出します。

 

「理系・文系」という分類は、

日本独特なものだと思うのですが、

子供に関わる大人が、

どんな物語を紡いでいるのか、

気づいていきたいですね。

 

 

 

さて、今日は、歯医者に部活に習い事にと続きます。

最近はそうした合間に、周辺の「アニマルシェルター」に、

「犬」に出会いにぞろぞろ寄っています。

家に犬のいない夏は、13年ぶりです。

ティクバ(飼い犬)、今までありがとうね

子供達の願いに、「縁があればね」と。

ワシントンDCのシェルター。

こうした「小型犬(11キロ以下)」は、

「子供のいる家庭はお断り」の場合が多いんですよね。

子犬時代から子供に慣れていないと、子供の賑やかな振る舞いは刺激が強すぎるのだとか。

犬巡りをしながらも、子育てにからめて様々思いますよ。

またまとめさせてください!

みなさん、新しい週、よい夏の日々を!


燃える高3息子君を持つ友人に聞いた「子育て」ヒントに納得、子供の「やる気」に火をつける親の姿勢とは

2017年07月21日 | 子育て全般

こちらの記事で、

京都での「ギフテッド応援隊」の集まりに思う「通常の学校にフィットしない子」が伸びる場とは?

「空をみていて、パイロットになりたいと思ったんだ」

とアメリカの大学への進学を決めた

友人の高校3年生の息子君の話を書きました。

 

この友人の息子君は、

米国進学を手伝うエージェントなども全て自分で調べ、

「行かせて欲しい!」と親に頼んだんですよね。

英語の勉強も、自ら教材を調べ親に頼み、購入したといいます。

甲子園を目指す野球少年な息子君。

 

この話を、日本滞在中にママさんとの集まりで話した時、

「今の日本、高校3年の時点で、

そこまで『自分はこれをしたい!』

というものがある子って珍しいのじゃないかな。

この大学に入りたい!というのはあるかもしれないけれど」

という意見がありました。

 

そこで、その後、

友人にもう少し詳しい話を聞いてみたんです。

「どんな子育てをしたんだろうなあ」と。

 

すると、少し、「ヒント」がみえた気がしましたよ。

 

もちろん、「こういう育て方をしたからこうなる」というような

「方程式」があるわけじゃないです。

その子の性質や個性や親との相性もありますし、

おかれた環境も様々です。

 

あくまでも、

「ひとつの事例」として、紹介しますね。

私自身、「なるほどなあ」と感じることがいくつかありました。

 

 

 

「これをしたい!」と燃える高3息子君を持つ友人に子育てについて聞いてみた

1. 小さな頃から習い事など親の側から「やってみなさい」とすすめたことがない

「子供が自分からしたいということをできる範囲でするようにしてきた」とのこと。

ただ、一旦始めてからは、続けるようサポートしたといいます。

バイオリンもスイミングも、10年近く続け、

本人からの「もういいんじゃないかなと思う」という言葉を受け入れたといいます。

 


2.「勉強しなさい」といったことがない

とはいえ、息子君は県でトップの高校に合格。

 

傍からみていると、

「~しなさい」よりも、

勉強をしたいと思う「やる気」や環境を整えることに力を注いだ、

ママ自ら興味をもつことを探究する姿を示していた、

ということだろうなと思いますね。

 

妹ちゃんは、こうした環境の中、

学校の勉強面ではそれほど要求されない高校に通っているわけですが、

友人をみていると、

そうした「偏差値的」なことで物事をとらえないんだなとひしひし伝わってきます。

妹ちゃんは、絵を描くのが大好きで、

将来、美術の道にすすみたいようです。

兄弟姉妹だろうと、性質や個性も様々ですから、

進む道が異なるのは、しごく自然ですよね。

 

 

3.「周りの子や親がしているからあなたもしなさい」という発想がない

「ママの集まりではいつも異端だったわあ」と笑ってました。

私自身、15年前に帰国した時も、

子ども達皆で一緒に遊んだりと何度かしたのですが、

確かに、と思いますね。

とはいえ、いつもニコニコと周りへの思いやりに溢れています。

 


4.「あなたはあなた、周りと違ってもいい」と子供に伝え続けてきた

普段、様々な場面でママの姿を見つつ、

言葉でもこうして伝え続けられたら、

確かに、その子が何かを選択するときの指標となるでしょうね。

 


5.しょっちゅう空を見上げママ自身が感動している 

友人のスマフォには空の写真がいっぱい。

周りの物事に感動する心もひといちばいなんです。

 



6. 夏休みは公園で子供と一緒に虫取りに没頭していた

周りの子が家の中で遊んだり塾へ行ったりしている間、

近所の公園で毎日のように一緒に虫取りをしていた思い出を嬉しそうに話してくれました。

 

 

 

 

友人をみていると、

自らの「こうあって欲しい」よりも、

子どもの思いや子供の目線を中心に据え、

子育てをしているんだなあと、しみじみ感じます。

同時に、

ママ自身の気持ちも素直に表し、時にぶつかりながらも、

互いの着地点を丁寧に誠実に模索しようとする姿があります。

そして、たとえきつい状況であっても、

周りの物事に心が動く感覚を忘れていない。

何よりも、本人が、日々を楽しんでいるのが分かります。

 

 

友人は、子供たちが中学時代はPTA会長をしていて、

今は民生委員として、

私の実家の文化教室や元カフェギャラリーーなどで、

月2回行われている「高齢者サロン」なども手伝っています。

 

そして今月から、同じく私の実家で

民生委員の活動の一環として、

「子育てサロン」を始めることになっています。

コミュニティーのプレママや幼児を持つママが

気軽に集まれる場を築こうとしているようです。

ギター演奏やクラフトなどがあるようです。

 

 

 

友人は、

こうして今では私の実家の母ともちょこちょこ会うわけですが、

実母が言っていました。

「いつも『どこで買ったの?』と聞きたくなるような

ユニークなデザインの素敵な服を着ていてね。

そしたら、『買ったものに、自分であちらこちらアレンジしている』というのよ」

 

既成のモノに頼り切らず、自らも創る友人。

既成のマニュアルや外から与えられたものをそのまま当てはめるよりも、

常に自らの感性を大切にするこうした姿勢が、

友人の子育てにも表れているなあ、

そんなことを感じていました。       

 

 

これから息子君もいることだし、

アメリカに遊びにおいでよ、

第二の人生を楽しもうよね。

最後はそんな話で盛り上がり別れた夜。

 

娘達と「はいチーズ!」な友人。

 

私自身、

友人の子育てから学ぶことがたくさんあるなあと思ってます。

みなさん、肩の力をぬいて、

自分なりの子育てを、築いていきたいですね。

 

 

さて、これからボルチモアの移民局です。

←謝ってゴミ箱行きとなった「グリーンカード」の更新に1年以上かかってますよ・・・。

帰りにぞろぞろと科学館へ寄ってきます。

日本も夏休み始まりましたね!

夏休み最初の週末、お楽しみください!


京都での「ギフテッド応援隊」の集まりに思う「通常の学校にフィットしない子」が伸びる場とは?

2017年07月16日 | 子育て全般

先週末の京都では、

「ギフテッド応援隊」の集まりに参加しました。

(ブログにまとめていただき、ありがとうございます!

温かく迎えていただき、皆さんのフットワーク素晴らしく、親子共々思い出に残る時となりました。

夜の親睦会場へ向かう途中、映画村のロッカーにスーツケースを入れていたことを思い出し、

4人の子をみなさんに託し! 1人映画村へ戻り、タクシーでかけつけようとしたところ、

応援隊のMさん一家に偶然拾っていただき親睦会場へ送っていただいたという「相変わらずの抜け具合」でした。

皆さんの気持ちのよい人柄に、話も尽きず、名残惜しかったです。またお会いできる日を楽しみにしています!)

参加した子ども達、忍者に変身!

 

 

 

みなさんと話し合う中で、様々思ったことをまとめてみました。

 

今の日本の学校システムにフィットし、

勉強に励み、受験をクリアし、知的欲求を満たされ、

同じような深さや熱意を対象に向ける子達と交われる環境にある子は、

ギフテットの定義も定まらず、「ギフテッド・プログラム」もない日本で、

「ギフテッド」という概念を、それほど必要とはしないのかもしれません。

 

それでも、色々な子がいます。

・今の学校のあり方や、周りの大人や子どもの「理不尽さ」をやり過ごせない。

・先生のやり方が納得できず意見したことで、先生に目の敵にされ人間不信になった。

・競走が大嫌い。

・「敏感さ」があり、周りと同じ環境やペースで物事に取り組むのが難しい。

・「敏感さ」がありつつ、凸凹や学習障害もあるため、

自分の「できなさ」を強烈に感じてしまい、集団生活が難しい。

 

そうして、「不登校」になる子もいるのですね。

 

その中には、

「発達障害」として療育を受けてみたものの、

相手の気持ちが分かり過ぎるゆえに、うまく人間関係が築けないところに、

少しでも他者と交流するなら、

「共感力が芽生えてきたわね!」などと褒められるなど、

その子のニーズと合致していない対応ケースもあるようです。

 

 

今の日本の教育システムにフィットしない、

かといって、「発達障害」への支援が何らかの助けになるわけでもない。

学校や療育といった確固としたサポートのない中で、

何とか「その子の持てる力(ギフト)」を伸ばしてやりたい、

そう試行錯誤される親御さんたちの切実な思いを、ひしひしと感じました。

 

「ギフテッド応援隊」といった場が、

そうした家庭にとってどれほどの癒しや励ましを与えているか、

子供さんにとって、お友達と交わることをどれほど楽しみにできる場となっているか、

改めて、場を作られている親御さんたちの尽力を見上げています。

 

学校にフィットしない子にとって、

「発達障害」への支援だけでなく、

学校へ行けないことに罪悪感を持ったり悩んだりする時間や力を、

「興味関心」や「得意」を伸ばすことへと注ぐことのできる場を充実させていくことが必要ですね。

 

 

 

今年初めに「不登校」を以前よりは認める法律が施行されています

こちらの記事、

「教育機会確保法 不登校対策は」『くらし☆解説』によると、

今年2月に施行された「教育機会確保法」では、

学校を「休んでもよい」と「学校以外の場の重要性」が認められたといいます。

 

とはいえ、当初法案には、

「フリースクールや自宅での学習といった学校以外の学習も義務教育として認めることが盛り込まれて」いたそうです。

それでも、

『「学校に行かないことを安易に認めるべきではない」とか「学校に行かないことを助長する」という根強い意見』があるため、

削られたといいます。

 

こうして完璧からは程遠いとはいえ、

「学校に行くのが100%正解ではない」、

そして「学びの場は、なにも学校に限ったわけではない」と法律として認められたことは、

「前進」ですよね。

 

また、

「昨年度、病気と経済的な理由を除いて30日以上学校を欠席した不登校の小中学生は、12万6000人を超えています。小中学校とも子どもの数は減っているのに、3年連続で増加していて、中学生はクラスに1人は不登校の生徒がいる状態で、高止まりが続いています。」

とのこと。

 

こうした現状に、政府だってもう、

「通常の学校のみでは、多様な個性へ対応していくのは無理」

そう認めざるをえませんよね。

 そして、今の学校のあり方が続くのならば、

今後ますます、そうした「無理さ」は高まっていくのではないでしょうか。

 

 

大阪での『虹色教室通信』の奈緒美さん『遊びのアトリエ』のレオさん、ワーキングママさん、

Tamakiさん、Tomoeさん、ぽんみかんさんたちとの集まりでも、

また、みなさんとの週に一度のチャットでも、

「学校以外で様々な特性を持つ子が伸びることのできる場」

の必要性についての話し合いになります。

今スグ皆で何かを始めるとはいきませんが、

それぞれの活動の場で、話し合いを生かしつつ、

煮詰めていきたい、そう思っています。

 

 

以下は、こうした「学校以外で様々な特性を持つ子が伸びることのできる場」

について話し合う中で、ヒントにしていきたいと思う試みです。

 「通常の日本の学校にフィットしない子」が伸びる場とは?

・「困り感」への具体的取り組みと「得意」や「好き」を伸ばすサポート

アメリカの大学へ行き、今は日本で英語教室をしていて、

子供を小学生時代インターナショナルスクールに入れていた

従姉妹と話していたときのことです。

 

インターナショナルスクールには

日本の学校へフィットしないと感じる家庭の子も多く、

従姉妹自身、英語教室をしていても感じるのは、

今の学校にフィットしない子が集い成長できる場へのニーズは、

ますます高まっているとのこと。

 

そうした中、インターナショナルスクールの親御さんの1人が、

発達障害と診断された子もそうでない子も含め、

「学校にフィットしない子の支援の場」を創り始めているそうです。

 

「そうした場は、増えてきているけれど、

まだまだ、現実的に子ども一人一人の助けになれる場は少ない」とのこと。

 

今、創られつつあるその場では、

学習障害を持つ子が、

現実的に能力を伸ばすことができるサポート体制が整い、

不安感の強い子が、

科学的に効果が認められている「認知行動療法」や「マインドフルネス」などを用いて、

子ども時代から、自らの性質とうまくつきあっていく術を身につけられるなど、

子どもの多様なニーズに添ったサービスの提供を目指しているといいいます。

 

「得意」や「好き」を伸ばすと共に、

個々の子供の「困り感」に、

現実的に対応できる体制が整っているといいですよね。

 

「不安感の強さ」などには、

私自身、心理士によるカウンセリングを受け、

早いうちから自らの性質とうまく付き合う術を身につけていくことって、

とても有効だと思っています。

 

私自身は、心理士にお世話にはならなかったものの、

自ら様々なメソッドを試し、合うものを選びとする中で

(私の場合は「認知行動療法」と「マインドフルネス」)、

別人のように楽になりました。

そうして、不安感の強さのある我が子へも、

具体的なアドバイスをすることが可能となっています。

 

学習障害改善と不安感の強さへの具体的な取り組みをしつつ、

「得意」や「好き」へと突き進むサポートをしていく、

できる範囲で、動いていきたいですね。

 

 

 

・アラスカで長男がお世話になったチャータースクールのあり方

「子供を服に合わせるのではなく服を子どもに合わせる」

とするアラスカのチャータースクールに、

長男が高校1年生の時(日本の中学3年生)お世話になりました。

 

京都で出会った方々とも話していて、

様々なニーズにフィットできて、

最適なあり方だなあと思っていました。

 

年長から高校3年生まで、

学期ごとに、担任の先生と話し合いながら

その子に合ったカリキュラムを作り上げていきます。

 

オンライン、大学の授業、独学、家庭教師、

通常の公立学校の授業、チャータースクール内の少人数クラス、

何でも好きなように組み合わせられます。

 

例えば長男は、

オンライン、大学の授業、スポーツレッスン、私との日本語学習、

NPO活動を組み合わせ、高校1年のカリキュラムを作り上げました。

 

しかもアラスカ州の場合、

通常の公立校に通わない場合、

補助金も支給され、それぞれの授業料に当てることができます。

 

凸凹があったり、得意や好きに専念したかったり、

敏感さや様々な理由から学校にフィットしない場合など、

こうしたフレキシブルなシステムは最適ですよね。

 

そんな話をしていたら、

まさしくN高みたいね」と、

実際に息子さんを通わせていらっしゃる方がおっしゃってました。

 

日本でも新しい試みが始まってますね。

ますます現実的な試みがなされていくことを期待しています。

 

 

 

・日本の受験勉強はせず、アメリカの大学進学を決めた友人の息子君の例

日本の大学受験にやる気がもてない場合、

今回の日本帰国で再会した友人の息子君の例も、参考になるかもしれません。

 

「空を見ていたら、パイロットになりたくなった」

という夢を実現するため、

高校3年生の今の時点で、アメリカの大学進学が決まったそうです。

 

日本からアメリカの大学への進学を助けるエージェントは色々あるそうですが、

友人の家庭では、息子君本人が調べてその中のひとつに決めたといいます。

高校の成績と、英語のテストを受けて合格通知を受け取り、

今後TOEFLで500点以上取るなら、

来年高校卒業後から夏の米国新学年開始の9月まで

現地の「語学研修学校」へ通う必要もないそうです。

 

甲子園を目指し野球部に励み毎晩8時帰宅。

イヤフォンで英語のリスニングに取り組む毎日だそうです。

英語で話しかける娘達に英語で答える息子君(手前)。

 

大空に羽ばたいていく姿が浮かびますよ。

 

 

日本の大学だけがオプションじゃないですよね。

こちらにも、以前あげたように、

 ・日本政府も企業も切望する「グローバル人材」?国境をこえて活躍できる力がますます鍵になってきそうですね

今後、少子化で日本の市場が縮小する中、

海外市場進出のため、国をこえて架け橋になれる人材を、

多くの企業が切望しているといわれます。

外へと飛び出す子にとっては、「就職難」などどこ吹く風となるのかもしれませんね。

 

 

 

子ども達は未来そのもの。

可能性は果てしなく広がっています。

未来の担い手を、サポートしていきたいですね。

みなさん、新しい週もよい日々を!


高齢者と子どもの接点を増やす!「効率性」追求から子どもを守る「砦(とりで)」として

2017年07月11日 | 子育て全般

一昨日昨日と東京で過ごし、

 

(六本木ヒルズ52階より東京の夜景に見入る次女)

昨夜、名古屋に戻りました。

週末の京都での集まりの様子も、またおいおいまとめたいです。

示唆に富む話し合いがありました。

スケジュールの詰まった日本滞在も、ああ、あと数日です!

 

 

では、今日の本題です。

日本に一時帰国して以来、

両親以外にも、

70代、80代の方と過ごす機会が多くあります。

 

70代80代とはいえ、

驚くほどパワフルで、

「老い」を全く感じさせない方もたくさんいます。

 

それでも、

身体の動きはよりゆっくりとなり、

耳が聞こえにくかったり、

早口で話すなら話が通じなかったり、

普段存在することさえ気づかなかったような段差や坂が、

何倍もの存在感をもって迫ってくる場合もあります。

 

アメリカでは、夫も私も親族と離れて暮らし、

普段、70代以上の方と行動を共にする機会はありません。

今回の日本滞在で、高齢者の方々と過ごすことで、

子ども達も、多くのことを学びました。

 

ばたばたと落ち着きなく飛び回りがちな子も、

高齢者の傍では、自らの動きにより意識を向け、

ゆったりと動くよう心がけます。

せっかちで、相手に話す内容がすぐに伝わらないとイライラしがちな子も、

通じるまで分かりやすく話を繰り返すようにしています。

自分の興味関心のみに突き進みがちな子も、

ふと、「あ、おばあちゃん大丈夫かな?」と振り返るようになりました。

 

それは、

すぐにできない、すぐには分からない、すぐには手に入れられないというものへも、

じっくりと取り組む姿勢、

一見「非効率」や「理不尽」に見えることにも、

丁寧に向き合っていく態度といえるかもしれません。

 

高齢者の方々と身近に過ごすことで、

「一見効率的に見えないこと」が与えてくれるものの貴さを、

再確認しています。

 

 

 

「特別養護老人ホーム」と、親族の経営する「保育園」で、

ボランティアをした長女は、

「ヒトは、年をとることで、また幼児に戻っていく場合があるんだね・・・」

と言っていました。

 

「高齢者」や「手のかかる幼い子」の視点に頓着しない生活では、

物事は「効率的」にスイスイと進み、

自分のみが描くペースやスピードで、

自分のみが期待する通りに突っ走ることも可能かもしれません。

 

核家族化が進み高齢者と触れ合う機会も減り、

また子供の数も減る中で、

「効率性」や「便利さ」ばかりを追求する生活に慣れてしまうならば、

「効率的でないもの」とは、

ただただ、「わずらわしいもの」にしか見えないでしょう。

 

そうした「わずらわしい気持ち」が、

現代の子供の生活から「遊び」や「自主的な姿勢」を、

奪うことへとも繋がっているのかもしれないな、

そんなことを感じていました。

 

またより手のかかる難しい性質を持った子達とも、

個々に丁寧に向き合うよりは、十把ひとからげにレッテルをはっておしまい、

そんな姿勢とも繋がっているのかもしれません。

 

 

 

日本は、今後、ますます高齢化社会へ突入していきます。

2030年には、3人に1人が高齢者ともいわれます。

 

子供と高齢者が接する機会を増やしていくこと。

それは、孤立感を持つ多くの高齢者にとっても、

社会を直接的に動かしていく忙しい世代にとっても、

そして子どもたちにとっても、

つまり社会全体にとって、現実的でメリット盛りだくさんの方法ではなからろうか、

そんなことを思っていました。

 

高齢者の方々は、人生経験も豊富ですし、

ちょっとやそっとのことでは、動じやしません。

ゆったりとした時間軸の中で、寄り添ってくれるでしょう。

 

 

 

 


以下は、今回の日本滞在で、高齢者の方と過ごした様子です。 

・実家の敷地内の文化教室に通われる講師や生徒さん

「老い」を感じさせない、元気溢れる高齢者の方々です。

太極拳、ハーモニカ、タップダンス、英語など、

講師から生徒さんまで、高齢者も多いです。

 

陶芸は、

子ども時代、母が担当していた学童保育の子達と共に、

芸大の学生さんグループにアートを教えてもらっていたことがあるんですが、

その時の学生さんの1人が今も講師として教えられていて再会!今60代です。

子供達、カップ作りを教えてもらいました。

 

タップダンスも、

子ども時代からバレーを教えていた先生が今も現役!70代!

 


・長女がボランティアをした特別養護老人ホームの入居者

痴呆の方向けのデイサービスを手伝わせていただいた長女、

娘や孫のようにとても可愛がってくださったお婆さん方もいたようで、

手作り髪飾りやブレスレットで飾ってくださいました。

 

 

・長女と次女が通うジムで出会う方々

「老い」を感じさせないパワフルな高齢者の方々です。

実家から歩ける距離にジムがあり、

日本滞在中、長女は高校生プログラム、次女は中学生プログラムに入りました。

ヨガ各種、ダンス各種などのクラスもとり放題、

プールやお風呂も利用してよく、毎晩のように通っています。

中学生月3千円、高校生月5千円で、

親の付き添いもいらないというアメリカではちょっと考えられない待遇です。

 

とはいえ、日本の中高生は部活や塾などで忙しく、

毎晩、圧倒的におばさまたちの天下。

若い子が珍しいようで、話しかけてくださったり、お菓子を下さったり、

先日も、「『ズンバ』のクラスに行くわよ~!」と引っ張られ、

激しいリズムしどろもどろの娘達の横で、

常連のおばさまたち、それは見事にビシッと決められていたそうです。

 

高齢者に関わる皆さんがおっしゃるのが、

文化教室やこうしたジムなど

「外に出てくる方は元気なのよ。

でも、身体が思うように動かなかったり、

気持ち的にとても外に出る気になれず引きこもってしまう高齢者もいるのよ」とのこと。

 

「高齢者の二極化」といった状況を、

思い出していきたいです。

 

 

・親族や親の友人

子ども時代、お世話になった親族や親の友人さんたちも、

今では高齢者です。

 

長野への旅も、

私が子供時代本当に可愛がってもらった80代の2人の親族が広島から出てきてくれました。

道中、妻籠や

日本一長い宿場といわれる奈良井へ。

200年近く前の宿場!

おじいちゃんと手を繋ぐ次女。

 宿についたら浴衣を着せていただき、

木曽川を眺めながら温泉に一緒に入り、

暗くなったら

花火。

 

懐かしい母の友人さんたちも、

集まってくださいました。

高齢者の親族や友人さんたちは、

お別れする時に、

「次に会うときは、この世にいるかしらねえ」と言いながら、

涙をぬぐったり、微笑まれたりします。

 

人との関わりの原点、

「一期一会」に立ち返る大切さを、

教えられています。

 

 

さて、今朝はコインランドリーで始まり、

(実家の「洗濯機&外に干す」ではとても間に合わないことが分かりましたよ)

その後は懐かしい子供・大学・大学院時代の友人達に会う予定です。

みなさん、残りの週もよい日々を!


大阪での集まりに改めて大切に思うこと、「恥ずかしい」よりも「その子の成長」へフォーカス

2017年07月04日 | 子育て全般

週末は、大阪での集まりに参加しました。

 

話し合いでは、

今の日本の学校教育、中学受験が子供に及ぼす影響、

政府の打ち出すセンター試験廃止などの教育改革、

日米の教育の違い、などがトピックとなりました。

 

子供に関わる大人が自らの「恥ずかしい」という気持ちに向き合う大切さ

話し合いの中で、

「子供に関わる大人が、

自らの『恥ずかしい』という気持ちに向き合うことの大切さ」

についても言及されました。

 

親や先生の「恥ずかしい」という気持ちが、

いかに日本の教育に影響を与えているか。

 

子供が問題行動を起こしたら恥ずかしい

この子はこんなこともできないと思われたら恥ずかしい

子供が周りにフィットしなかったら恥ずかしい

育て方が悪いと思われたら恥ずかしい

教師としてこのクラスをうまくまとめられなかったら恥ずかしい

生徒になめられたら恥ずかしい。

 

こうした大人側の、周りの目に映した「恥ずかしい」という気持ちが、

いかに大人がその子自身に向き合うことを妨げ、

個々の子どもが、その子らしい「道筋」と「ペース」で伸びていくのを、

邪魔してしまうか。

 

 

20世紀半ば、日本を「恥の文化」とし、

「日本人の思考や行動規範の中枢にあるのが、

他者に照らし合わせた『恥ずかしい』という気持ち」

としたのは、ルース・ベネディクトという米国の人類学者です。

ハイリーセンシティブチャイルドに対して避けたい「~したら恥ずかしいでしょ!」

 

私自身、より個々の「内面的な律」を重視する「罪の文化」

とされる欧米に長らく暮しながら、

日本に帰り、この「恥の文化」を、ひしひしと感じています。

 

実母と過ごしていても、ここ2週間ほどで、

何度言われたでしょう。

「そんな振る舞いを子どもがしたら恥ずかしいでしょう。

ちゃんとしつけができてないと思われたら親として恥ずかしいでしょう」

 

そして、しみじみ思います。

私は、こうした雰囲気の中で育ったのだなあと。

そして、日本から出ることで、

どれほど自由を感じられるようになったかを。

 

そして、

子どもに接する大人が、

自らの「恥ずかしい」という気持ちに向き合うことがいかに大切かを思います。

 

 

私なりに「恥ずかしい」という気持ちに向き合う中で思うこと

今回の集まりに参加する前にも、

私なりに、自らの「恥ずかしい」という気持ちに

向き合うようにしていました。

 

私は、これまで様々な立場で教育に携わり、

子育てについて発信する身でもあります。

そうした人物の子ども達が、

周りの親御さんや先生方から見て「好ましくない行為」をしてしまい、

「普段、子育てについてあれやこれや言っているけど、

その人の子がこういう子?」

そんなように思われたら、「恥ずかしいよなあ」という私自身の気持ちに

気づいているようにしました。

 

そして、改めて覚悟を決めておいたんです。

 

たとえ、子ども達が、

「好ましくない行為」をしてしまったとしても、

周りへの印象を優先し、

表面だけとりつくろったり、

その場しのぎにおさめようと躍起になることはしないでおこう。

「周りから気に入られるいい子にさせる」のではなく、

その子自身の主体に基づく、「その子自身の体験」をさせてやりたい。

 

これまで様々な子ども達に関わる中で、私自身確信しているのは、

「好ましくない行為」や「問題行動」というのは、

その後の改善や成長へのチャンスでしかないということです。

 

ですから、

もし周りに迷惑をかけてしまったのならば共に謝りつつ、

それでも周りからどう思われても、

とにかく「その子の成長のために何ができるか?」にフォーカスし、

動き続けていこう、そう私なりに腹を据えるようにしました。

 

 

周りの大人が、我が子だけでなく他の子もひっくるめ、

子どもが起こす様々な「好ましくない行為」を、

「成長の過程」と長い目でとらえ、

「よりよくなるために何ができるだろう?」と、

現実的に動いていくのを励まし合うのならば、

確かに、子育ても随分と楽になり、

それぞれ異なる子供の個性も、よりのびのびと伸びていくのかもしれません。

 

それを可能とするためにも、

まずは自らの内に根づく「恥ずかしい」という気持ちに気づき、向き合い、

その都度、この子の成長にとって、

「今、何が大切なのか?」と動いていくこと必要なんですね。

 

 

米国で長年幼稚園の先生をしている方と

口を揃えて言っていたのが、

日本の細やかさ、勤勉さ、こつこつと改良を重ねる姿勢という土台の上に、

創造性や革新力が加わるならば、どんな文化だってかなわないだろう。

日本には、ものすごく「潜在的な力」がある、ということ。 

15年ぶりに日本で過ごし、改めて、強く感じていることです。

 

「恥ずかしい」から、その子自身へと目を向けていくこと。

それは、個性の突き出しを許容し、

子ども達の創造性や革新力を培う方法のひとつでもあるのでしょうね。 

 

以上、

今回の集まりで得た多くのインスピレーションの中のひとつです。

 

さて、

昨夜長野から戻り、今日から上2人は、親族の経営する保育園でボランティアです。

日々めまぐるしく貴い体験をさせていただいています。

みなさん、今日もよい日を!