マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

子供の進路として軍に入るという選択が身近にある米国

2015年11月28日 | 中学・高校

知り合いの息子さんが通う海兵隊士官学校(United States Naval Academy を訪ねた。

階級構造のはっきりした軍組織の中で、リーダーとなる士官を育てる大学。

エンジニア分野では米国でトップの大学のひとつとされ、

卒業生の平均給料はハーバード大学と並んでトップ3位に入るともされる。

ttp://www.payscale.com/college-salary-report/bachelors

過去、大統領を含む政治家、宇宙飛行士、学者、発明家などを多く輩出している。

 

 

アカデミックだけでなく、スポーツ面、リーダシップに秀でた文武両道が求められ、

入学許可率7パーセント近くという難関大学。

また一人あたり800万円近い学費は、

卒業後5年間兵役につくという条件と共に免除され、

在学中月々の給料さえもらえるという。

 

4年間寮制で、

2-3人のルームメートとこんな部屋に暮らす。

週末には敷地外へと外出できるものの制服着用が義務付けられている。

大学4年間を通し、

アカデミックだけでなく、スポーツや身体の鍛錬がカリキュラムの多くを占めている。

 

いわゆる「一般的な大学生活」とはかけ離れた、異世界。

 

知り合いが、

「『国民が一生懸命働き支払う税金によって、

こうした恵まれた施設やプログラムが成り立っている』、

そう普段から言われるのよ。

『この機会を無駄にするなってね』」と。

 

敷地内をガイドしてくださった方が何度もおっしゃっていたのは、

「この大学で学びたくてしょうがない」という意志や熱意を持った学生でないと

この厳しい環境でやっていくのは無理とのこと。

 

知り合いの息子さんの入学手続きでは、

「全て書類を失ったので、もう一度一から送りなさい」という通知がきたと。

「入学の意志の固さを試すためなのじゃないか」と、

軍についてよく知るその知り合いが言っていた。

特殊な環境のため、難関突破して入学しても、退学していく学生もいる。

 

 

 

 

 

アメリカに暮らし、

これまで軍に入る若者に会う機会が何度かあった。

こうした「エリート」士官校(陸軍や空軍にもそれぞれ士官学校がある)の大学生から、

問題を起こし更正のために入隊する高校生まで、

入隊する若者の背景は様々。

周りもほとほと手を焼いていた子がしばらく軍隊に入り、

背筋の伸びた好青年になっているのに驚いたこともある。

 

 

 

戦後何十年もたった日本に生まれ育った私にとっては、

軍隊というのはあまりにも日常とかけ離れた存在で、

徴兵制があるわけでもないのになぜわざわざ軍に入る人々がいるのか、

理解できなかった。

 

アメリカに暮らし、

アラスカに基地があったこともあり、

軍人の家族を持つ人々とも親しくなった。

こちら東海岸では上のような士官学校が近くにあり、

また首都近郊ということもあり、

「復員軍人の日」には小学校あげてのセレモニーがあったりと、

軍に対し「国のために奉仕する集団」と敬う姿勢が徹底している。

 

今では、軍に入るのには様々な理由があるのだなと思う:

・大学の費用を払ってもらえる。

大学卒業後膨大な借金を抱える学生が社会問題にもなっている中、4年間の授業料を払ってもらえるのは大きい。ほとんどの大学には、在学中定期的な軍の訓練を受け卒業後何年か軍に入るという条件で学費が免除される制度がある。

・様々な福利厚生ベネフィット。車や住宅ローンを組むのにも有利。

上の階級に行くほど、民間の組織へ移っても待遇がいい。

 政府の機関でも軍から入ってきた人々が高いポジションについていたりする。

・家系的に代々軍人という場合も、子供が軍へ入ることが多い。

・銃などの武器や戦闘機や迷彩服などへの憧れ。

これから軍へ入るという高校生などが嬉しそうに話してくれることがある。ずらりと並ぶ戦闘服を着たフィギュアや戦闘機のブラモデルのコレクションを見せてもらったこともある。

階級がはっきりしており、成果がとらえやすい。

基地内では住宅の表札にさえ、階級が刻まれている。成果をあげれば、表彰され目に見えて階級が上がっていく。

・初めは本当に意外だったのだけれど、公立学校とは距離を持つホームスクールから軍に入る若者も多くいる。ホームスクールをする家庭も色々だけれど、「今どき」の価値観から距離を置こうとするような家庭が、昔ながらの確固とした秩序や奉仕の精神を重んじる軍的構造に惹かれるということなのだろうかと、身近に知る家族から思う。

 

こちらでは、子供の進路を考える上でも、軍という選択が身近にある。

 

そうして何人かの軍人さんと話すうちに、

平和を最も望んでいるのは、

戦場を体験した軍人の方々なのかもしれないとも思うようになった。

 

息子さんが高校卒業後入隊し、

ご自身も退役軍人である知り合いは、

「戦争を始める」と声高々に演説する政治家を横目に、

「はは、じゃあ、あなたが前線で先頭に立ってみなさいよ」、

そう笑っていた。

 

ゆがんだ構造の中で、

現時点で誰かがしなければならない役割を担う人々。

特に前線で最も危険な役割を担う階級が下の軍人ほど、

その背景には根深い貧困問題もある。

 

陳腐な愛国心や画餅に帰す理想主義を突き抜けた「奉仕の精神」のようなものの大きさ。

いつか軍などというものが必要なくなる世界がくることを最も望んでいるのは、

生死の境を駆け抜け続けた彼ら自身。

 

あと○ヶ月でこの子が出征すると話すお母さんの気持ちを想いつつ、

アメリカ軍の爆撃により犠牲になった多くの人々を想いつつ。

平和を願いつつ。

 

 

敷地内には、壮大なカソリック教会や、

ユダヤ寺院もある。

第二次世界大戦中日本軍によって用いられた魚雷。


「ママは分かるのよ」と微笑む友人との夜

2015年11月28日 | 中学・高校

感謝祭ウィークに親戚一同集まるためこちらに来ているアラスカの友人家族が、

我が家にも立ち寄ってくださった。

ここからすぐ近くの大学に息子さんの一人も通っている。

 

十年近く公立のキンダガーデン(年長)で教えてきた友人。

アラスカに暮らしていても、普段なかなか家族ぐるみで会う機会もなく、

今は高校卒業間近&成人した息子君娘ちゃんに会うのは久しぶりだった。

それぞれの道へと羽ばたく三人。

 

大学に入ってから途中進路をがらりと変え、

しばらく働いてからまた大学に戻ったという長女ちゃん。

 

「初めこの子が○○の道に進みたいって言ったときには、

ぎょっとしたのよ。

違う、それはこの子じゃない・・・と思ってね。

それで今度は○○に進むと言うから、やっぱりって。

ママは分かるのよ」

 

娘ちゃんの方を向いて微笑みながら。

肩をすくめて笑う娘ちゃん。

 

この子の人生だからと、

思うように歩かせてやる。

 

「回り道」したように見える体験が、

これから進む道に、

必ずその子ならではのユニークさを与えくれるのだろうな、

そう思う。

 

娘ちゃんを見守る友人の眼差しに、

元気をもらった。

 

友人は三人の幼い子を、私はまだ赤ちゃんだった長男を抱えていたあの頃、

まさかこうして東海岸で、

自分達の背より大きくなった子供たちと皆で食事することになるなんて、

想像もしなかったね。

そう笑い合って。

 

いずれこちらに引っ越すつもりという友人家族、

待ってますからね。


エネルギッシュで太陽のような知り合いが毎朝すること

2015年11月28日 | 覚えておきたい言葉

感謝祭ウィークに会った知り合いが、

アインシュタインがこんなことを言っていたのよと:

 

「全てを奇跡と思うか、奇跡なんて全くないと思うか、どちらかだ」

 

初めは全然ピンとこなかったんだけど、

少しずつこう思うようになったのよ。

 

今この瞬間にも、

何兆もの細胞が働き、心臓が鼓動し、呼吸をしていて、

引力により地に足がつき、

生きるために適した温度や酸素量が保たれていて。

 

何一つ私がしているわけじゃない。

それらひとつひとつを奇跡ととるか、奇跡なんて全くないと思うか。

 

毎朝そんなことをかみ締めて、

今日も目が開いた奇跡に感謝して一日を始めるようにしてるのよ、

 

と。

 

60代間近で、

いつもエネルギッシュで太陽のような笑顔で場を照らしてくれる存在。

彼女の基には、そんな毎朝の習慣があったんだなと、とても納得した。


6歳児の心の声、没頭できる時&僕が創ったという達成感

2015年11月24日 | 小学校

昨夜は、車の座席をはずし、日中の買い物中には乗り切らなかった長男の机を取りに。

6歳次男と1時間以上のドライブ。

行きはクリスマスキャロルを大声で歌い合って。

無事机を乗せ、帰途。

 

真っ暗な窓の外を見ながら、ぽつり。

僕はね、もっとレゴで色々なものを作りたいんだよ。

でもね、ご飯食べなきゃいけないし、

そしたらシャワー浴びて、もう寝る時間になっちゃう。

 

今から帰ってさっとご飯食べて取り掛かったら、

ほら、2時間はあるよ!

ダッシュボードの時計を見ながらそう声をかけてみる。

 

僕はさっとご飯食べられないし、

デザートも食べなきゃいけないし(これは省いても全然構わないんだけどね)、

そしたらパパが早くシャワーを浴びてきなさいって言うだろうし、

そうしてるうちに、自分が何を創っていたかも忘れちゃって、

また明日になって一日が始まるんだよ。

僕はね、ママにも手伝ってもらって、もっと作りたいの。

 

しくしく泣き始める。

次から次へと溢れる涙を、

腕で拭いながら。

 

夜も遅くなり、一日あちらこちら走り回っていたから、

お疲れモードでもあるのだろうけれど、

何だか次男の心の奥にある声を聞いたような気がした。

 

夢中で没頭できるまとまった時間。

僕これを創ったんだ!という達成感。

そういったことが、日頃の生活では、

随分と細切れであやふやなものになっているんだろうなあと。

 

今週は一週間学校も休み。

私自身スケジュールが詰まり、

なかなか「手伝う」ということはできないのだけれど、

まとまって没頭できる時を整えていけたらと思う。

 

 

夢中で没頭できるまとまった時間。

僕これを創ったんだ!という達成感。

ふと、「虹色教室」の子供たちの姿を思い浮かべて。

子供が集うことのできるこうした場の貴さを思いつつ。


子供にとって最もパワフルな「報酬」?

2015年11月24日 | イメージ

ヒトは「報酬と罰」によって、

集団生活をよりスムーズにするための「行為」を身につけていく。

社会学的にはそうとも言える。

 

昨今の教育面では、

子供の行為を導くためには、

間違いを犯すのを待って罰するより、

こまめに「報酬」を与える機会を見出していった方が効果的ともされている。

 

では、子供にとって最もパワフルな「報酬」とは?

玩具やお菓子といった「物質的な報酬」は、

即効性はあっても長くは続かないと分かっている。

「くれないの? じゃ、しない」となってしまうと。

 

子供にとって最もパワフルな「報酬」とは、

大好きなママやパパが喜ぶ姿。

 

結果や成果のみに喜ぶのか?

一生懸命取り組む姿に喜ぶのか?

共に過ごすことに喜ぶのか?

子供自身が自らを見出す瞬間に喜ぶのか?

 

何に喜んでいるのか、

何に喜ぶ姿勢を示すのか、

周りの大人が見つめていくことの大切さを思う。


一対一で過ごす時、より根本的な調整

2015年11月22日 | 中学・高校

昨日は午後長女14歳と二人で買い物へ。

しっかり買い物となると、往復1時間以上運転することになるのだけれど、

長女と久しぶりの二人きりを楽しんだ。

 

今週は感謝祭ウィークで、ゲストがきたり、お誘いいただいたりとしている。

七面鳥を選び、料理のレシピに必要なものを揃え、

最近では他の子たちが周りにわらわらいると気が進まないらしいランジェリー店などものぞき。

 

一対一で過ごすことの大切さを改めて思う。

少しきしむことのあった歯車が、

潤滑油を足されたように、

するすると回りだす。

 

普段お互い忙しく、

兄弟姉妹も多くなかなかまとまって「一人だけ」と向き合う時も持てず。

また限られた向き合う時間といえば、

ついつい、そうじゃないでしょ、それは違うでしょといった

咎めるような「対処的対応」のみになってしまいがち。

 

こうして二人だけの時を楽しみ、普段なかなか出来ない話をする時というのは、

より「根本を調整」してくれる。

 

そしてこうした一対一の時とは、幼い子でも、ティーンであっても、

パワフルに有効なのだなと、しみじみ感じている。

 

今週はこちらの小中学校は一週間の休み。

感謝祭ウィーク、ひとつひとつの恵みに気づき祝う週にしていきたい。


「私は私だから」、いいところを大切にしていきたいね

2015年11月22日 | 中学・高校

「ということは、君は、

半分日本人であって、

半分ヨーロッパから移住して現地の人々と入り混ざったラテンアメリカンで、

クリスマスも祝うけれど、ユダヤの行事も祝うことがあって、

しかもアラスカで生まれ育った、っていうこと・・・?」

 

昨日クラスメートの○○君がね、

何だか困った顔をしてそんなことを言うのよ。

 

クスクスと可笑しそうに長女。

「私は私だから」

そう言ったのと。

 

一昔前だったら、

自らのアイデンティティー(帰属意識)にもっと悩むこともあったのかもしれない。

「だから何? 私は私よ」

そうさらりと言えてしまう時代&場に生まれたのだなあと思う。

 

それぞれのいいところを大切に受け継いでいきたいね、

そんなことを話して。


最近の次男の成長をかみしめつつ

2015年11月19日 | 小学校

最近の次男、

毎朝飛び起きて、学校に通っている。

週末前になると、「やったー!」と喜ぶものの、

週初めも別段嫌という様子もなく、元気に登校。

 

年齢的な成長もあるだろうけれど、

学校の雰囲気、

スタッフの方々、

そして担任の先生によるところが大きいと感じている。

 

ルールや、「するべき」とされていることに、

一生懸命取り組み「過ぎる」ところのある次男。

今月も、「常に正しい選択をする模範生徒賞」に選ばれ・・・。

 

それでも担任の先生の柔軟な大らかさのおかげか、

以前より随分とのびのび学校生活を楽しんでいるよう。

 

昨夜も先生の様子を嬉しそうに話していた。

仲良しD君が授業中隣でスヤスヤと眠ってしまったそう。

先生気づきながら怒るでもなく、

しばらくして、「お昼寝時間おしまいよー」と起こしたんだよと。

 

授業中寝るなんて許されない!ことではあるけれど、

6歳児に寝るな!と言ったところで、

意識もうろうとして授業どころじゃない。

 

しばらくしっかり寝かせてやり、

その後、

「お母さんお父さんも忙しいのね、

でも自分でも一時間でも早く寝るように頑張って」

と声をかけられていたと。

 

先生にお会いしていつも思うのは、

普段ルールというものがいかに大切かを説きつつも、

その子その子によってその時その場に何が必要かと、

柔軟に対応されているなあということ。

 

次男のような子には、失敗してもいいのよ、

完璧な人なんていないんだから、

自分のベストを尽くすということが一番大切なこと。

そう常に声をかけ緩めてくださる。

 

学校環境に恵まれたことに感謝。

 

 

 

・家庭で引き続き気をつけたいこととしては、

「文脈」を見ていくというのがある。

家の外で張り詰め頑張り「過ぎて」もいるため、

家に帰ったとたん緩み、

わがまま、ぐずぐず、かんしゃく炸裂!となることもある。

 

その場だけ切り取って向き合うならば、

こんなわがまま許せません!と叱り付けるともなるのだけれど、

一日の「文脈」を見るのなら、

そっか、今日も一日必死で頑張ってたんだねえ、

そんな気持ちで、

抱っこしたり、背中トントンしたりと緩めてやるのが一番適した対応に思えてくる。

 

実際、そんなスキンシップの時を持つ内に、

ゆったりとリラックスして、ご機嫌で遊び始めたり。

 

そうこうしているうちに、学校生活にも少しずつ慣れ緩みつつあるためか、

家での炸裂も、緩やかになっていった。

 

家庭での癇癪などに「とほほ」となっているときは、

家庭の外でもそうか?と見てみるのも手。

ぎりぎりに張り詰めた状態に、

それ以上張り詰める力を加えてしまわないように。

 

上の子にもひとり同じように、

家では少しでも何かが思い通りにいかないとのたうちまわったり、

癇癪もすごい子がいるのだけれど、

幼児の時分から、家の外では一切、そういう姿を見せることがなかった。

 

チック体質は、

男の子にはチック症という形で出易いけれど、

女の子には完ぺき主義という形で出易い、

というようなことを聞いたことがあるのだけれど、

医学的な根拠はおいておいて、

我が家に照らし合わせ、とても納得したのを覚えている。

 

気持ちを受け止めてやり、スキンシップなどをたっぷり取りつつ、

繰り返し繰り返し、

結果より、あなたなりのベストを尽くすことが大切、

そう伝え続けること。

 

勉強面でも、少しでも間違えるのがたまらない次男、

今は簡単に100点が取れても高学年になるにつれそうはいかない。

失敗から立ち上がる力、

難しいことに挑戦するからこそ脳も成長してますます色々なことができるようになっていく、

そんなマインドセットや、

チャレンジする喜びを大切にしていきたい、

そう思っている。

 

この完璧を志向する強烈なドライブを、

良い方向へと生かしてやれるように。

 

 

 

 

以前はママの横に来て寝ることも多かった次男、

最近は、お休み!とハグすると、

自分の部屋の二段ベッドでグーグー眠るようにもなった。

 

末っ子の成長をかみ締めつつ。


教師と家庭が一丸となって子供の課題を克服しようという試み

2015年11月19日 | 小学校

昨日三女が、

「学校からの電話番号が表示されて、出てみたら私でも、びっくりしないでね。

この学校ではね、悪いことじゃなくて、いいことすると親に電話することになってるんだよ」

と。

 

例えばこの日は、クラスメートのAちゃんが、

「ママ、私ね、今日算数の問題するとき、

あきらめなかったんだよ!」

そう電話していたと。

 

ちょっと難しいと、すぐに投げ出したり、泣き出したりしてしまうAちゃん。

先生と親御さんが一丸となって何とかしようと取り組んでらっしゃった。

 

「学校から本人が家に電話」は、

子供が抱える問題を、

教師と家庭とで話し合い、

克服していくために用いられている。

 

できないときに、それじゃだめ!とがみがみ言われるよりも、

できたときに祝い、

こちらに向かうのよと励ましていく。

 

算数のプリントを前に泣きじゃくっていたAちゃん、

電話口の笑顔を想い、

嬉しくなった夜。