マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

『It Mama』寄稿:「バ~カ!」と言われたわが子へ、小学校教師から学んだ神対応2つ&大切なことへ取り組むためにも

2017年08月31日 | 子育て全般

このタイトルにある「小学校教師」とは、

上の子たち4人が、

小学校1年生の時にお世話になったH先生のことです。

 

当時、

「そ、そんな教え方があったかー!」と衝撃を受けたのを覚えています。

日本で育った私にとって、とても新鮮でした。

 

多様な価値観や考え方の渦巻く米国では、

周りの意見を逐一気にしていたら、

一歩も踏み出せないところがあります。

 

異なる意見、抑えつけようとする力に囲まれながらも、

「あっそ、でも私はそうは思わないから」とやり過ごし、

進み続ける力が必要なんです。

 

ですからこうしてH先生のように、

時に「攻撃的な意見」に囲まれながらも、

自らの心を守り、

「自分軸」を築いていく姿勢を、

子ども時代から伝えていくことって、

本当に大切だなと実感しています。

 

 

『It Mama』さんの記事にも書きましたが、

日本もインターネットが行き渡り、

異なる文化背景を持つ観光客や居住者もますます増え、

今後も、ネットでもフィジカルにも、

より多様な価値観に囲まれることになるでしょう。

 

「同じような考え方や価値観に囲まれた島国で、

周りの意見をサラサラと受け入れ続けていてもOK」

そんな時代ではもうないのではないでしょうか。

 

こうした状況の中、

日本でも周りの意見を自ら選択し、自分の心を守る姿勢を、

子ども時代から身につけていくことって

大いに役立つのではないか、そう思います。

 

 

特に、敏感さを持つ子や人は、

とにかく逐一感じ取り、受け入れ、苦しむ、としがちですよね。

そうして心が傷ついて、痛くてしょうがなくて、

人の間に出れば、疲弊感もひといちばいです。

私自身も、そういった面がありました。

 

でも、

自らにとって本当に大切なことに取り組む力さえ、

そうして消耗してしまったら、

一人の人として存在するという、

「多様性の一粒」を差し出すことさえ

不可能になってしまいます。

 

一人一人が、自らの選択を通し、

存在を立たせていくこと。

私自身、多様な道筋を築くためにも、

受け入れるか、受け入れないかは、私自身が選択できる、

そう思い出していくことが大切、そんなように思っています。

 

完璧な人などおらず、

「それぞれに与えられた課題があって、

それぞれ、その課題に向き合う過程にある」

そんな心持ちで、

「これは私の問題ではなく、相手の問題」

そうやり過ごしていくこと。

 

 

そしてこれって、

子育て中の親が「その親から受け継ぐもの」についても同じではないでしょうか。

受け入れるか、受け入れないかは、私自身が選択できる、

そう自覚し、実践していくこと。

それは、自らの心を守るだけでなく、

子供の心を守ることにもなるのではないでしょうか。

 

「自分の思いを言葉にして伝えること」

そして、「周りの意見を選択できると自覚すること」の大切さをまとめました。

結構反響があるようで、子どもだけでなく、大人が人と関わる中でも悩まれている方が多いんだろうなあと感じています。

興味ある方是非どうぞ!

・「バ~カ!」と言われたわが子へ…小学校教師から学んだ神対応2つ

 

 

「人は、事実に悩まされるのではなく、事実への解釈に悩まされる」んですよね。

 

自らにとっての「真」を見つめ、

大切に思うことへと突き進んでいきたいですね。

 

 

東京湾の夜景(7月に次女撮影)

この手の形、ティーンなんかがよくしているんですけど、

「YOLO:you only live once(人生は一度きり)」という意味だそうです。

 

ホンと一度きりの人生ですし、

消耗を減らし、自らの課題に取り組んでいきましょう。

 

さて、夏休み最後の一週間、

今日も走り回りますよ。

皆さん、よい日を!

 

 

 

 

 

 


「子供の成長に欠かせないよね」と多くの教育者が確信してきた「非認知能力」って具体的に何なの?

2017年08月29日 | 非認知能力

一昔前は、「子供の教育」というと、

読み書きや算数の能力やIQ値などの「認知能力」を上げることが、

最重要な目標とされてきていました。

早期教育なども、

もっぱら、これら「認知能力」を伸ばすことに焦点があてられてきましたよね。

 

それでも昨今、

「子供の健やかな成長にとって、

『認知能力』を伸ばそうとするだけじゃ、

実はかなり欠けているんじゃない」

という考えが、世界中でますます注目されています。

 

「じゃあ、他にどんな力が必要なの?」ということで、

それら数々の「認知能力以外の力」を総称して用いられている言葉が、

みなさんも、聞かれたことがあると思いますが「非認知能力」です。

 

他にも、

「性格スキル(character skills’)」「適格性(competencies)」

「パーソナリティー特徴(personality traits)」「ソフトスキル(soft skills)」

「ライフスキル(life skills)」

などとも呼ばれています。

 

 

「読み書きや算数の能力やIQ値などの『認知能力』以外にも

その子の成長に欠かせない力ってあるよね」と、

多くの教育者がこれまで確信してきたことに、

こうして「具体的な名前」がつき、

じゃあどうやって伸ばすのかといったことが、

経済界、政治界、教育界をひっくるめ議論され、

現実的に教育現場などでも目指され始めているというのは

ホンと頼もしい流れですよね。

 

特に幼児期に「非認知能力」を伸ばすことが、

結局は「認知能力」を伸ばすことにもなり

長い目でみた子どもの「成功」にとって大切という研究結果もありますから、

ノーベル賞を受賞した経済学者ジェームス・ヘックマン氏による、

ミシガン州のペリー幼稚園での研究

早期教育の焦点も、今後がらりと変わっていくのかもしれません。

 

 

ではこれまで議論されている「非認知能力」とは具体的に何なのでしょう?

こちらの「Econmic Research Institute(ERI)」によるリサーチペーパーによると、

「人生を通して発達する個々の思考と感情と行動のパターン」とのこと。

 

より具体的には、これまた様々な考え方があるようですが、

こちらの「Education Endowment Foundation (EEF) 」のリサーチペーパーによると:

 

1.自己認識( Self-Perceptions)

 自分がどれほどできるかの認識(Self-Concept of ability)

 自己効力感(Self-Efficacy )

 

 2.モーティベーション(やる気)

ゴール達成動機論(Motivation Achievement Goal Theory)

内的動機(Medium Intrinsic Motivation)

期待・価値論(Expectancy-Value Theory)

 

3.やり抜く力(Perseverance)

エンゲージメント(Engagement)

グリット(grit)

 

4.自制心(Self-Control)

 

5.メタ認知力(Meta-Cognition)

 

6.社会適格性(Social Competencies)

リーダーシップスキル(Leadership Skils)

ソーシャルスキル(Social Skills)

 

7.レジリエンスと対処能力(Resilience and Coping)

 

8.創造力(Creativity)

 

 

「社会に出て活躍できる力」ということですから、

「21世紀型能力」とも随分重なりますね。

「21世紀型子育て」について:http://blog.goo.ne.jp/managaoka/c/7d2921eac03ee163afb3f470a0baa4ce

 

確かに、いくら学力テストの点数やIQが高くても、

「やる気」や「やり抜く力」や「レジリエンス」などが底を這っていたら、

何も成し遂げられませんよね。

 

「非認知能力」について、まとめ中ですので、また記事ができしだい紹介させてください!

 

 

こちらにも、

教育経済学者の中室牧子氏により分かりやすくまとめられています:

・「人生の成功を左右する「非認知能力」とは」

 

 

また後ほど、

『It Mama』さんへの新しい記事についても、こちらに更新しますね。

 

さて、「レゴリーグ」を自宅で始めることになり、

今日はこれkら、子供たちのお友達も来て、

皆で作ったり、図書館へリサーチ資料を探しに出かけます。

子犬も子供も入り交ざり、何とも賑やか(むちゃくちゃ)な日々です。

いよいよ新学年開始まで1週間を切りました! 正直、1年ぐらい夏休みしている気持ちですよ。

私自身の新しい仕事も正式に始まり(日本語&文化伝承サポート)、

新しい生徒さんたちとの出会いも楽しみです。

 

ぬいぐるみを抱いて(抱かされて)寝る子犬。

眠り始めると何されようが眠ってるですよね。

トイレットペーパーの芯はかじるための玩具。

ますます腕白な子犬に育ってます。

 

みなさん、よい晩夏を!


『It Mama』寄稿「バナナが折れた…!」で泣きわめく子に試したい対応&完璧主義な子の癇癪

2017年08月23日 | 完璧主義

みなさんのお子さんは、

「バナナが折れた~~~!」と泣き喚くタイプでしたか?

 

我が家にも、

この世の終わりのように泣き叫んでいた子と、

それほど気にしなかった子がいます。

 

他にも、

袋から取り出したせんべいが割れていたり、

「パンに穴が開いてる(気泡)~」と、

泣き喚いていたこともあります。

 

そしてこれまで「バナナが折れて泣き喚く」

について話したことのある親御さんの中にも、

「ああ~、分かる!分かる!」と身を乗り出す方と、

「???」という方に分かれていました。

 

親にしてみると、

バナナぐらいで…と呆れるやら

余裕がないときは、もう勘弁してよとイライラしたり、カッとなったり。

私自身も、幼児を何人もかかえヘットヘトの毎日に、

そうした体験を何度か通りました。

 

「バナナは/ せんべいは/ パンはこうあるべき」

と頭に描いた「完璧な姿」と、

現実とのギャップが強烈に迫り、

爆発してしまう子。

 

こうした「完璧主義傾向を持つ子」は

記事にもあるように、

常に「よりよきもの」を目指して突き進むところがあります。

 

泣き喚く子を前に、

まずは、

・「よしよし、この子は頼もしい面をもっている」ぐらいに思ってみること。

そして、

・こうしたひとつひとつの「癇癪」が、

「完璧でない物事」にどう向き合うかを学ぶ「チャンス」ととらえること。

 

すると、親も少し気持ちが緩まり、

よりリラックスした対応ができます。

そうして、スキンシップなどで、

子供の気持ちを落ち着けたり、

その場のその子にあった、対応のアイデアも浮かんできます。

 

年齢が小さかったり、余裕がないときは、

他ごとへ好奇心がわくように働きかけたり、新しいバナナに変えてもいいですし、

年齢が上になるにつれ、完璧じゃないバナナでも、

色んな工夫ができるよ、

工夫して、より美味しくだってできちゃうよ、

そんな体験をする機会になり得ます。

 

私自身も、

食べ物を粗末にしてはいけない、

ごまかしてはいけない、

「こんな反応をするべきではない」と今教えないといけない、

そう肩をいからせ、泣き喚く幼児に向き合っていた時期もありました。

 

それでも、親自身が、少し緩くなり、

「そっかあ、悔しいねえ」と気持ちを受け止め、

遊び心や、クリエイティブさをもって向き合う方が、

結局は、子供も落ち着いていきますし、

長い目で見ても、「過度の完璧主義」を助長することもないのですよね。

 

「過度の完璧主義」については、

こちらにまとめてあります。

『オールアバウト』・子供の成長に悪影響!行き過ぎ「完璧主義」への対処法

『ユア子育てスタジオ』・完璧主義な子のサポート、完璧でない世界を駆け抜けるために

『マイコー雑記』への6つの記事

 

この『It Mama』さんの記事では、

・完璧主義傾向の性質を持つ子の「よい面」をみていくこと

・親もなるべく子どもの過度の完璧主義を和らげる姿勢で接すること

その上で、

・その場での具体的対応オプションを紹介してあります。

 

興味ある方是非どうぞ!

「バナナが折れた…!」で泣きわめく子、親が試したい4つの対処法

 

 

また、以上のような対応以前のことですが、

疲れていたり、お腹がすいていたり、環境などに大きな変化があったりと、

「普通の体調やメンタル状態でない」ときも、

爆発が起こりやすいですね。

 

そちらを整えることで解決する場合もありますし、

大きくなるにつれ、自らの状態に気づき、どうしたら落ち着くかと、

自分で対処できるよう伝えていくのも方法です。

 

 

例えば、今日のことです。

次男が、姉の1人の言った言葉をひきずって、

じくじくじくじく泣いていました。

 

なだめたり、諭したりとしてもいつまでも続きます。

そこで、膝にのせしっかり抱きしめてみたところ、

落ち着き始め、

「僕、ちょっと食べた方がいいよね」といそいそ台所へ。

 

次男は、小さな頃から、お腹がすいているところに、

何か思い通りにいかないと、爆発しやすいんです。

それは派手に泣いて、周りが呆れるほど、いつまでも引きずっていました。

←HSPの診断にも、

「空腹や睡眠不足の状態に影響を受けやすい」というような項目がありましたね。

 

そうした爆発を何度か経ることで、

周りも、そして本人も、

「爆発をする時は、お腹がすいているときが多い」

とよく分かるようになりました。

今回も、久しぶりだったので、

私自身ちょっとうっかりしてましたが、

確かに、お腹がすいた時間だったんですよね。

本人の対応に、あ、そうだったと気づかされました。

 

ひとつひとつの「爆発」がその子を知り、

対応策を築くチャンス。

本人とも、落ち着いたときなどに話し合ってみるのもいいです。

「どんなときに、

自分でも分からなくなっちゃうくらい、

泣きたくなるんだろう?

さっき、すごくお腹がすいてなかったかな」などなど。

 

そうして繰り返すうちに、大きくなるにつれ、

自分で、何とかこの「強烈な感情」が迫りくる状態に、

うまく向き合っていこうと動くようにもなります。

姉達も、音楽を聴いたり、部屋を閉め切って思いっきり泣いてみたり、

犬を抱きしめたり、深呼吸してみたりと、自分達なりの工夫をしているようです。

 

最後に、

周りの空気を読み「過ぎ」、

「外」では爆発を起こすことがないという「敏感さ」を抱える子は、

「バナナ」は単なるきっかけであって、

それまでたまったものが、噴出しているという場合もありますね。

 

そういう意味でも、

感情の爆発は、「調整の機会」でもあります。

できる範囲で寄り添い、

「強烈な感情」と共存しつつ、健やかに生きていく姿勢を身につけられるよう

サポートしてあげたいですね。

 

 

ちなみに、

この『It Mama』さんの記事の下にある「合わせて読みたい」には、

「発達障害グレーゾーン」関係の記事が紹介されているんですよね。

確かに、発達障害の子の中にも、こだわりの強さのあらわれとして、

「バナナが折れて泣き喚く」などがあげられるでしょうね。

「特性」や「個性」のポジティブ面を見つつ、

その子にとって適切な対応を見出していきたいです。

 

 

 

さて、次男のサッカー練習を、

長女と次女と三女と子犬と待ちながら公園で書いています。

これから、家に帰って晩御飯です。

新学年開始まで、あと2週間を切りました。

みなさん、今日もよい日を!


近況整理:日食とハイリーセンシティブな犬と「アーミッシュ」に学ぶ子供自らが選択する生き方

2017年08月22日 | 雑感

ブログの更新がないと心配して連絡を下さった方々、

ありがとうございます。

おかげさまで、皆元気に暮しています。

 

・5人との夏休み終盤に「事情ありの子犬」が加わり

・そこへ、私が普段使っているラップトップが壊れ

・「ポジティブなしつけ」についての受講も進行中で日々課題に向かう

と重なり、ブログへの更新をお休みしていました。

 

ようやくコンピュータの修理が終わり、

スクリーンへ向かっています!

近況をまとめさせてください!

 


米国全土で100年近くぶりにみられた日食!

昨日は、米国西海岸から東海岸にかけて日食がみられました。

米国を横断して日食がみえるのは、100年近くぶりとのこと。

 

子ども達の高校でも、

「日食網膜症(太陽を凝視することで網膜を傷めてしまうこと)」を防ぐため、

屋外での部活練習が休みになりました。

 

我が家もお隣さんが誘ってくださり、

「手作り機」で観測。

箱に穴を開けて、アルミフォイルをはり、小さな穴を開けたもの。

月が太陽を「蝕み」、差し込む陽光が三日月型!

そして、

あたり一面、

三日月形の光!

何とも幻想的でした。

 

近所の図書館では、「日蝕を観よう!」という集まりがあり、

手作り観測機や日蝕サングラスを持った親子連れで賑わってました。

この日のために、仕事を休んでいる親御さんも多かったです。

日食を見る準備をして、いまかいまかとドキドキして待った体験は、

映像や文字の説明とは違った迫力を持って、その子の内にありつづけるでしょうね。

 

今回の日食、北米全土が盛り上がり、

歴史上、最も多くの人々に観られた日食だったそうです。

 

次回米国では、

2024年に米国南部から東海岸にかけて、

観られるそうです。

 

 

「疾患もち?」で「ハイリーセンシティブ」な子犬が家族に加わる

・疾患と共に生きる?

子犬が家族に加わり、トイレットトレーニングに1時間ごとに外に連れ出し、歯がかゆくて何でも噛むので小さなものを口に入れないよう気をつけ、夜も何度か起こされ、検診にも出かけたりと、新生児並みのお世話ですが、その愛くるしさに子ども達も溺愛状態で面倒をみています。


そこへ、「鼠径ヘルニア(脱腸)」の手術が必要と診断され、その上、ひょっとしたらアトピー?もしくは「難病(脊髄空洞症&キアリ奇形)」?にかかっている疑いがあると分かり、対応の過程にあります。


とにかく、身体中をよくかき、自らあちこちかむんですね。犬にはよくある行為で、どこからが「過度」かの境界が難しいのですが。ちなみに、ノミはいないとのこと。また、「アレルギーを持つ犬」という現象も増加の一途らしく、原因として、ドッグフードや過剰な予防接種などがあげられることもあります。

可愛くてしょうがない分、子ども達も心配でしょうがないようですが、「できることをしていくしかないね」と皆で腹を据えつつあります。

 

・ハイリーセンシティブな犬?!
子犬の性質的には、心理学者エレイン・アーロン氏がその著書で、犬にも「ハイリーセンシティブ」があるというようなことを言っていたのを思い出してます。確か、「ボーダーコリー」はハイリーセンシティブとか?

我が家にやってきた子犬は、「キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル」と「シーズー」の混合種なんですが、これまで私が飼った4匹(捨て犬だった雑種、ダックスフントやビーグルなどの猟犬)、夫の数匹(狼と混ざったハスキー等)とは、まったく違い、夫と驚いてます。

音や動きにそれは敏感で、周りの人々の一挙一動に反応し、「NO」と言うとすぐに自分を引っ込めます。テレビをつければ音や画面の動きに驚き部屋の隅っこに隠れ、知らない場では座り込んで動かなくなり、家に着いて2日程は大変化に圧倒されてか、ほとんど何も食べませんでした。とはいえ、基本、とてもフレンドリーでハッピー、会う人(犬)会う人(犬)に尻尾を振って近寄っていきます。聞き分けがよく「いい子」でトイレの失敗も子犬にしてほとんどなく。獣医での予防接種では、この世の終わりのようにきゅ~んきゅ~んと悲嘆にくれ、それでもこれまで1週間以上たちましたが吼え声や、そもそも声自体を聞いたのは数回ほど。


ブリーダーさんや獣医から、「慣れるのに時間がかかる繊細タイプ」と言われてます。「ちょっと時間がかかるけれど、少しずつ慣らしてやってね」と。少しずつ新しい環境に慣れつつあり、家族の間では活発な面も見せるようになってきました。

子犬特有、新聞紙びりびり遊び…。

ということで、「敏感さ」を持つ我が家族に「ハイリーセンシティブな犬」が加わりました!


子ども達も気持ち近く感じるようで、日に日に絆が深まってます。

初めはできないことでも、「この子には無理、どうせできない」ではなく、「慣れる過程」ととらえ忍耐を持って対応するという「HSCにとっての大切な姿勢」が、まさか犬に役立つ日がくるとは思いませんでしたよ! 日に日に、より伸び伸びと子犬らしくなってきてます。

 

・「犬のしつけ」も進化

それにしても、「犬の扱いやしつけ」も、今では、「罰を与えたり怒ったりする必要なし」「たくさん褒めて育てる」というのが主流なんですね。檻も「タイムアウト」や「罰」のために用いるのではなく、「静かに落ち着きを取り戻す場所」として用いましょうと教えられてます。

「動物なんだから、叩いて痛い目にあわせて分からせる」というのは遠い昔なんですね。

とはいえ、甘やかすならば我がままな「お犬様」になってしまうので、「だめなものはだめ」ときちんと境界をひきつつ、「できたときにたくさん褒めていきましょう」とのこと。

ヒトも2歳頃までは、言葉のニュアンスや背景の気持ちなどが理解できませんから、「とにかく褒めて伸ばす」でいいわけですが、それでもヒトは、幼児にもなれば、より複雑な感情を持ち微妙なニュアンスなども理解できるようにもなりますから、「褒める」については、少し気を配る必要がありますね。

「子どもが伸びる褒め方&伸びるのを邪魔する褒め方」をざっと整理、敏感な子にこそ少し気を配りたいですね

などなど、ついつい犬と子供の育ちサポートを比べている今日この頃です。



・「豊かな国」の贅沢

子犬を検診に連れて行った獣医は「犬の豪華リゾート施設」の隣りにありました。「犬スパ」や「他の犬と遊ぶタイム」などがあるようです。飼い主が、次から次へと様々な種類の犬を連れてきては、預けていきます。

病院から帰宅した際、ちょうど二件隣のベトナム出身のママと出会い話していた時のこと。

 

ご近所ママ:この国は、犬にも保険をかけて、家族の一員として扱うのよね。

私:そうそう、犬の豪華リゾートには驚いたよー。

ご近所ママ:私もベトナムにいた時ね、シェパードを飼っていたんだけど、ある日、戻ってこなくなってね。

私:迷子になったのかな?

ご近所ママ:どうもね、食べられちゃったの。

私:えっ!?

ご近所ママ:ベトナムではね、夜、道に出ている動物は何でも捕まえられて食べられちゃうから。

私:ど、どうやって料理するんだろ、お、美味しいのかな・・・(動揺して咄嗟の言葉がコレ)。

ご近所ママ:市場にいくと、色んな大きさの動物がローストになってぶら下がってるのよ。

私:特定の犬種だけ食べるとかじゃなくて?ほら、韓国だとアカ犬を食べるとかあるじゃない?

ご近所ママ:ううん、もうね、猫でも犬でもねずみだって何でも食べちゃうのよ。何だってよ。

私:食べ物がない人々が安く手に入れられるからかな?

ご近所ママ:貧しいというより、お酒ばかり飲んでる人たちが食べるのよ。酒のつまみとしてね。普通の人は食べないのよ、私もビーフとチキンとポークとラム以外食べたことないもの。

私:そっか、シェパード君も酒のつまみに・・・。←すごい文章。

ご近所ママ:そうなのよねえ。

 

みなさん、世界は広いですね。

世界スタンダードで、本当に「必要なもの」をみていきたいな、改めてそう思います。

 

 

全く異なる価値観と共存する「アーミッシュ」の人々

・子犬を受け取りにアーミッシュの暮す地域へ

ここ1ヶ月強、子ども達に連れられ20件近く回ったアニマルシェルターでは、希望していた「小型・中型犬」はそもそも捕獲される率も低く、その上、受け入れ申請も殺到し、飼い犬として迎えるのはとても無理と分かりました。

どこのシェルターも「大型犬」、特に「ピットブル」が大半。それでもこの家は庭が小さいので、大型犬は可愛そうなんですよね。小型・中型犬には嬉しい状況ですが、大型犬たちの家が見つかりますように。

ということで、ネットで知ったブリーダーさんとコンタクトを取り、ペンシルベニアの山奥へ車を往復5時間ほど走らせ、子犬を迎えに行ってきました。夕方5時過ぎに出発して、夜中近くに戻ったという強行軍。途中、アラスカを思い出すような山に囲まれた大自然の風景を通り、たどりついたのは、「アーミッシュ」の人々も住むコミュニティー。

「アーミッシュ」とは、移民当時の生活を維持するドイツ系の人々です。電子機器を用いず、今も馬車に乗り、「主に」自給自足の暮しをしています。

運転しながら馬車とすれ違い、日の傾く野原に「大草原の小さな家」のような服装の少年少女が遊んでいて、タイムトリップしたような気持ちでした。

 

・「させられる」から「自ら選ぶ」への通過儀礼

コンピュータもインターネットも電化製品もほとんどなく、日の出と共に起き、野良仕事や家事にひとつひとつ丁寧に取り組み一日が終わっていく生活。

興味深いのは、車道に馬車が走り、スーパーの列に昔ながらの服装で並ぶ姿が見えるなど、現代の生活を送る人々と混ざり合いながらも、全く異なる生活様式や価値観を大切にしながら暮しているということ。そうしたことが可能になるのも、「アーミッシュ」のRumspringaという通過儀礼としてある、「青年になったら一度外に出て、その後、自らアーミッシュになるかを選択する」という過程を経ることが大きいのでしょうね。

「させられる」ではなく、「自らが選ぶ」という過程を通るわけです。

親は環境を整え伝えたい価値観の中で子育てし、青年期になれば、後は本人の選択にまかせる。

その子によって、枠から飛び出し「育ち」を新しい場に生かしていく子もいれば、枠を守り枠の価値観を充実させていく子もいます。

それでも、「アーミッシュ」は信仰上の理由で子沢山なこともあり、また多くの青年が「留まる」ことを選ぶため(一説には85パーセント?)、人口は増加の一途だそうです。そして留まることを選ぶ青年も一昔前より、増えているといいます。

電子機器が行き渡り、価値観も多様化する中で、「外」の世界との違いが大きくなるほど、「留まる」ことを選ぶ青年も多くなっているというのは、感慨深いです。

私自身も、彼ら彼女の暮らしに少し触れ、余分な物事をそぎ落とし、生きることに必要な目の前の物事に丁寧に向き合う日々というのに、少し「いいな」という気持ちが湧いてくるのを感じていました。「外」を体験した若者達が、アーミッシュの暮らしに戻っていくという気持ちが、私なりに少し分かる気がします。

などと思っていたら、まさかのコンピュータの故障。すぐさま、「コンピューターのない暮らしなんて考えられない!」とひーひー言いながら修復を待っていたわけですが。 

 

どんな文化にだって「プロとコン」がありますから、「プロ」の部分にならい、目の前に生かしていきたいですね。

「自らどんな生き方を選んでいる」のか、気づいていきたいです。

 

 

さて、今から下二人と歯医者です。

今夜から次女と三女の長距離走の練習も始まります。 

 

昨夜の次男のサッカー練習を待ち。

 

後ほど、『It Mama』さんへの新しい記事について更新しますね。

それではみなさん、よい夏の日を!


『It Mama』寄稿:スポーツや芸術に影響!? 赤ちゃんから始められる「空間認識力」を伸ばす6つの方法、創造と革新の鍵?

2017年08月13日 | 空間認識力

空間認識力については、

こちらの記事

「天才児」研究でも言及「空間認識力とは学校では見過ごされるけれど実は人が持つ最大の未開拓な潜在力」?

でも紹介しましたが、

昨年発表された「学業が飛びぬけてできる子」を45年間追跡調査した研究でも、

「創造性と技術的革新力の鍵ではないか」と分かってきている「力」です。

「学業が飛びぬけてできる子」の中でも、空間認識力に秀でた子たちが、

実際の社会に出てから、優れた成果をあげたというのですね。

 

研究を率いたルビンスキー氏によると、空間認識力とは、

「最も大きく知られている未開発の人間の可能性なのじゃないかと思います」

「それでも、大学入学審査員の誰も、この『力』には着目していません。

そして、学校のテストなどでは一般的に見過ごされています」とのこと。

科学雑誌『Nature』の記事「How to raise a genius: lessons from a 45-year study of super-smart children(天才をどう育てるか:45年間の超賢い子どもの研究からのレッスン)より」

 

 

 

 

 

空間認識力とは、一昔前は、

野山を駆け回ったりと身体を思う存分のびのびと動かすことで、

自然と培われていた力ですね。

現代は、テレビゲームなどでも培えると示す研究もあるようです。

奥行きのある映像に見入り画面の中で動き回りますからね。

 

実際に身体を動かす体験と、

バーチャル体験で培われた力とでは、

同じなんでしょうか?

 

見ているモノを、

あらゆる角度から頭の中で回転させることができるといった

「空間認識力」のみについて言うのならば、

同じなのかもしれませんね。

 

ただ、

付随する体験の多さや豊かさという面では、

大きく違ってくるのではないでしょうか?

 

 

『It Mama』記事のタイトルに「赤ちゃんが空間認識力を伸ばす」とありますが、

とにかく、5感をフルに用いて「いじくりまわす」体験が違いを生むと、

記事に紹介した研究からも分かっています。

 

はいはい、よちよちと身の回りを探索し、

「おっ、こ、これはなんだ!」と目に留め、

触って、匂いをかぎ、舐め、振って叩いて音を聞く。

生活の中で、そうした体験がたくさんあるといいのですね。

 

以前書いたこちらの記事には、

家の中で赤ちゃんが探索できる工夫を少し紹介してあります。

赤ちゃんの発達を促す「身の回りのモノ活用術」、ママもほっとひといき

短い間であっても、

赤ちゃんが好奇心全開で1人もくもくと夢中になってくれたら、

なんといっても親こそ助かりますよね。

 

赤ちゃんって、好奇心の塊です。

 

きらりと光りカサカサと音を立てるお菓子の包み紙や、

床のカボチャの存在感やごつごつした表面にぎょっとして、

「こ、これは、いったいなんなのだー!」と

すいつけられるあの赤ちゃんの姿!

 

記事には、赤ちゃんから幼児、

そしてより大きな子どもでも用いることのできる工夫が簡潔にまとめてあります。

興味のある方是非どうぞ!

スポーツや芸術に影響!? 赤ちゃんが「空間認識力」を伸ばす6つの方法

 

「21世紀型スキル」や「21世紀型能力」の中核でもあり、

これからの時代にますます必要とされる力、

「創造性と技術的革新力」。

その鍵ともされる「空間認識力」び育ちをサポートしていきたいですね。

 

とはいえ、「に、21世紀型能力!」と肩に力を入れることもないんですよね。

思う存分身体を動かす時間をできる範囲で取り入れ、

時にスクリーンのゲームを楽しんだりもしながら、

日常生活のリズムの中で、記事にあげたような工夫など、

無理しすぎることなく心がけていく

それだけでも、違ってくるのではないでしょうか。

 

こちらにも空間認識力について書いてきた記事です:

http://blog.goo.ne.jp/managaoka/c/8210455885e4d4817e5b72fbd2ea8e41

 

さて、これからアニマルシェルターですよ。

スケジュールの合間に訪ねることが我が家のルーティンになってます。

日本はお盆ですね!

みなさん、よい夏の日を!

 

 

 

*記事には全く関係ないですが、

昨日、我が家からもそれほど遠くないバージニア州で起こった出来事。

心が痛むと同時に、どれほど、ネオナチやKKK勢力などに「否」を突きつけ、

今、彼らがこうして表立った活動をすることに、

より全体的視野から改善していかなくてはと考え動く人々がいるかも実感しました。

 

「ひとつの人種が最も優れている」という主張は、

あらゆる人種に囲まれ、どんな人種にだって

様々な能力を発揮する人がいるということを身近に日々体験する中で、

あまりにも現実からかけ離れた「作り事」であるかを実感しています。

 

そうした「作り事」を信じ、頼ってしまう人々の

経済的・教育的背景に取り組まずして、問題の解決はないですよね。

自分にできることを、できる範囲で、こつこつと。


思春期の娘が「ネガティブクイーン」を卒業した「きっかけ」、解釈の自由が常に与えられているという自覚

2017年08月12日 | 中学・高校

我が家には、今、3人ティーンがいます。

13歳次女、16歳長女、17歳長男。

 

その子その子によって、

思春期の表れ方は様々だと思いますが、

長女の場合は、もっぱら「ネガティブクイーン」でした。

14歳から15歳中ごろまでがピークでしたね。

 

例えば、

「このレストランの料理美味しいね~」といえば、

「でもさ、掃除が行き届いてないよね。あのテーブルとか食べかす残ってるし」

 

「あの映画どうだった?」など何かの感想を聞くなら、

足りないもの、欠けているもの、嫌な部分のオンパレードだったり。

 

 

「ネガティブクイーン」と夫と私とコミュニティー

夫は「直球」で受け取るところがありますから、

いちいち、カチンときているようでした。

また下の子達への影響も、

「ネガティブクイーン」が伝染しやしないかと心配してましたね。

 

私も気になりながらも、

「発達段階的な部分が大きいと思うよ」と構えるようにしていたんですが、

(←「否」ということで、自我を確立するイヤイヤ期と同じ原理でしょうね)

「こんな調子だと、この子の人生はろくなことにならない」と

ため息をつく夫の気持ちもよく分かりました。

←家族皆、「小さく見えること」でも強烈に迫るといった「敏感な面」があります。

 

 

その都度、

「じゃあよいところもあげてみてよ」と言ってみたり、

時には夫も

「そんな見方ばかりして、感謝の気持ちというものがないのか!

じゃあ、もう二度と映画なんて見なくていい!」

と言い放ったり。

 

確かに一度、食べるものもない貧困地でしばらく暮してみるなら、

自分がどれだけ恵まれているかを心底実感して、

ネガティブ面ばかりをあげることもなくなるのかもしれないな、

そんなことも思いましたね。

 

 

「またそんな見方ばっかりして・・・」ととがめる親に、

ますます気持ちをこじらせていく長女。

 

長女と話し合ってみると、

「私はネガティブなことばかり言っているわけじゃないのに、

ネガティブなときだけをつかまえて、

まるで私の全てがネガティブかのようにみる」、

という気持ちだったようです。

 

確かに、一旦気になると、

「またしてる!」と、

そのことばかりに反応していた面もあったでしょうね。

 

そこで、長女が中立だったり、ポジティブな姿勢のときには、

「あ、そう考えられたら何だか気分が軽くなるね」

「ありがと、何だか元気が出るわ」

そう認めたり喜んだりとするよう心がけるようにしました。

(・子どもに接する日々に覚えておきたい「基本中の基本」、こつこつ実践することで確実に変化が生まれますよ

 

そんな親子のやり取りが続く中、

本人も、ボランティアやアルバイトなど、

家族以外の人々と過ごす機会も増えていき、

自分の言葉や姿勢が周りに与える影響や、

周りのネガティブなコメントに触れ、ぎょっとして自分を省みたりと、

人とつながりの中で、少しずつ学んでいったようです

 

 


「ネガティブクイーン」を手放したきっかけ

そして、「きっかけ」となったことがありました。

 

ある午後、長女と二人で、クッキーを食べようとしていた時のこと。

小さな箱に、結構なお値段。

開けてみたらば、ほんの少しの量です。

そこで、同時に叫んだんです。

 

私:うわっ、rip-off(ぼったくり)!

長女:きっと、とっても美味しいんだね!

 

顔を見合わせて、お互い吹き出しました。

 

「ママ、むちゃくちゃネガティブ~」と嬉しそうな長女。

「すっごい対照的だよね」と私。

 

それ以来、この出来事が、長女と私の間で、

「自らが物事をどうとらえているか」と、

自分達を客観的に眺めるための「メタファー」となったんです。

 

ネガティブや意地悪な見方ばかりになると、

「あ、クッキー箱開けたときのママ」と

口もとがちょっと緩み、肩の力が抜けるようです。

 

実はママが誰よりもネガティブで意地悪だったといった構図が

ツボなんでしょうね。

 

 

 

常に自分には解釈を選択する自由と力を与えられている

昨夜のファミリーディナーでは、

「出来事→反応 から、

出来事→自分の選択→対応 へ」

について、話し合っていました。

 

例えば、交通渋滞にあった場合。

 

家族と話せる時間ができたとか、

今の内に、集中して考えをまとめておこうとか、

呼吸法の練習ができるぞ

などと考えることもできる。

 

一方、

イライラして怒りまくり、

ストレス増大!となることもできる。

 

「出来事」と「反応」の間には、

いつだって解釈やどう行動するかについての「選択の余地」がある、

「自分には選択する力」があると思い出していきたいね。

 

こうしたひとつひとつの「反応の積み重ね」が、

その人の生活や人生を築いていくと想像してみてると、

やっぱり、全く違う生活や人生になるよね。

 

 

そんな話しでした。

 

すると長女が、

上の「クッキー箱のメタファー」について

皆に、改めて話していました。

 

「うわあ、ママ、超ネガティブ~」と、

ケタケタ笑う子ども達。

 

「選択できるのよね、ママ」

いたずらっ子のような表情で

私をみる長女。

 

 

 

教訓:

「こうした方がいいと思うよ」と伝え、

あとは、子ども本人の選択を見守る。

 

その過程で、今回のように「クッキー箱の出来事」に出合ったりと

理解の深まるチャンスも訪れます。

親は、そうした機会をできる範囲で生かしていく、

ということなのでしょうね。

 

ネガティブじゃいけない、ポジティブでなければいけないなど、

「~しないといけない」「~させられる」

という気持ちは、子どもにとって、反発心をふつふつと湧き上がらせるもの。

特にティーンなんて、反対方向にまっしぐらともなるでしょう。

 

そしてたとえ従ったとしても、反発したとしても、

それは、「自らの選択」ではないですよね。

つまり、その人なりとして身についたわけではない。

 

人とのつながりの中で、

失敗を繰り返しながら、本人自ら選択し、体験を重ねるのを

見守っていきたいですね。

我が家も、「あ、しまった」を繰り返しながら、精進していきます! 

 

 

さて、週末です。

今日の運転スケジュールは、書き出さないとどう全てをこなせるのか、

理解できないほど時間も場所も散らばってましたよ。

運転時間を、子ども達と話す時間、呼吸を整える時間に用いていきます。

みなさん、楽しい夏の週末を!


「敏感さを持つ」高校生が、目先の成果をこえて「幸せな人生」を選ぶということ

2017年08月11日 | ハイリーセンシティブチャイルド

長女は、長男とはまったく違ったタイプです。

 

見ているこちらが目が回るほど様々なことに同時進行で取り組む長男に対し、

(・子供達が「自分にも変化を起こせる」と信じることが未来を変える?中米プロジェクト&長男の築くNPO

HSPの特徴としてあげられる、

「たくさんのことが同時進行で起こると、混乱する。

たっぷりとダウンタイムが必要」なところがあります。

(・ハイリーセンシティブパーソンの自己診断リストを試した長女14歳、その子が羽ばたいていくサポートを

 

課外活動も、

図書館や老人ホームや子供向けワークショップ(チアリーディング)のスタッフ

などのボランティアの他、

もっぱら「チアリーディング」のみ。

昨秋からこつこつとジムへ通い練習を重ね、

今週の審査で、念願の「選抜チーム」へ入ることができました。

 

長男が、「当たればラッキー」といった具合で、

あれもこれもと手を出し、時に「あ、当たった」と「成果」をあげていくそばで、

長女の歩みはとても対照的です。

 

親として、

「もう少しあれこれチャレンジして可能性を試してみたら」

とじれったくなることもあります。

 

それでも兄弟姉妹というのは、お互いをかなり意識しているもの。

「~(兄弟姉妹)に比べて自分には~ができない」と突きつけられ、

「他の子になれ」というプレッシャーを感じるほど、

その子の歩みを妨げるものはないんですよね。

これまでの「しまった」という体験を通して、痛感していますよ。

 

 

長女は、数日前に16歳になり、

「将来こういうことをしたいなあ」と

より具体的な職業を含めた進路を考えているようです。

 

こちらでは、その道に進むための訓練を受けられる大学のレベルも幅広く、

難易度的には、今の彼女にとっては、それほど「無理」することなく、

必ずなることができるだろう職業です。

 

とはいえ、日々無限に改良の可能性があり、展開拡大していける道。

どんな大学を出ていようが、

その後の姿勢の方が大切になってきます。

 

 

ひとつのことにじっくりと向き合うことを好み、

ゆったりとした「ダウンタイム」をたっぷり必要とする

「敏感さ」を持つ高校生にとって、

大学入学審査にそれほどとらわれることなく、

自分なりにこつこつと取り組んでいれば、

「必ず道が開ける」という展望をもてることが、

どれほど「希望」や「やる気」に繋がるかを思います。

 

よりゆったりとした時間枠の中で、

「人生で取り組みたい」ことへと、

眼差しが向かいますね。

 

 

長女はきっと、

植物やダンスやアートやといった趣味や、

愛する人々と過ごす時をたっぷり楽しみながら、

マイペースにこつこつと本業に向き合い積み重ね、広げていくのだろうな、

そんな気持ちでいます。

 

刺激に溢れめまぐるしく変化する忙しいこの社会での

「敏感な子」の「幸せな生き方」について、

考えさせられます。

 

「敏感な子」は、

慣れるのにも時間がかかり、ゆったりとしたダウンタイムもたっぷり必要ですし、取り組むことも限られますから、

18歳といった枠組みをこえ、

より長い時間枠で本人がやりがいを持ってこつこつと取り組めることに目を向け、

それを軸に、目の前の物事をシンプルに整理する。

それがひとつの鍵ですね。

 

子ども達の歩みに、

人それぞれの「幸せな生き方」というものを

教えられています。

 

 

さて、今日はこれで時間切れです。

5人との夏休み、スクリーンに向かう時間が限られてしまい、

昨夜は徹夜で原稿を仕上げてましたよ。

なかなかブログに向かう時間が持てず、

言葉にしたいことがたまりにたまってしまいますが、

マイペースに、こつこつと続けていきますね。

 

みなさん、喜び溢れる夏の週末を!


「原爆を落とした乗組員はどんな気持ちだったのかな?」と子供達。72年前を、今、そして未来へ生かすということ

2017年08月08日 | 子供言葉

今年も、子供達と話し合い、黙祷しました。

 

72年前、広島で胎内被爆した実母と、

被爆三世の私と四世の子ども達。

広島、そして3日後に長崎へと、原爆が投下されたこの時期、

少しでも、過去を思い出し、今、そして未来へと生かす時を持ちたいなと思っています。

 

今日は、ユーチューブでBBCのクリップをみたり、

一昨年、広島に原子爆弾を落とした「エノラ・ゲイ」を間近でみたときのこと、

70年前のあの日と今と、機長の母親の名前がつけられた飛行機

また、原爆投下当時、米国はドイツやロシアと核兵器開発を競っていた状況、

そして「マンハッタン計画(原子爆弾の開発)」に関わった科学者達が、

いかに投下に反対したかなどについて、話し合いました。

 

他の子がそれぞれ、日常へと戻っていく中、

三女と次男が私の隣に残ります。

 

三女10歳:原子爆弾を落とした後、

「エノラ・ゲイ」の乗組員達は、どんな気持ちだったのかな・・・。


 

次男8歳:「やった!成功したぞ!」とか、嬉しくなって、

お祝いしたりしたのかな・・・。

 

 

私:乗組員は、当時の軍人として、

上の命令に従っただけだからねえ。

まあ、落とした後、「よくやった!」と褒章を与えられたり、

昇進したりということもあったのだろうね。

 

あと、多くのアメリカ国民が今も信じているように、

「原子爆弾を落とすことで、日本の本土決戦を免れ、

より多くの人々を救うことができた」と信じていたのじゃないかな。

 

 

三女:でも、今、落とす爆弾が、

普通に生活をしているたくさんの人を

一気に殺してしまうと分かっても、

ボタンを押せるものなのかな。

 

この乗組員たちにも、家族がいたりして、

大好きとか、可愛いとか、愛してるとか、感じたりするんだよね。

それでも、押せるものなのかな・・・。

 

 

 

 

そこで、三女と次男と、こちらの記事にある、

http://mentalfloss.com/article/12360/6-memorable-letters-neil-armstrong

「エノラ・ゲイ」の12人の乗組員が、

投下後何年かして、話した言葉などを読んでみました。

 

みなさん、口を揃えて「後悔はない」と言います。

「一瞬にしてあれだけ多くの人々が亡くなってしまったのは、

とても残念で痛ましいことだけれど、

より多くの人々の命を救うためだった」と信じ、

ほとんどの方が長生きをされ、充実した人生を送られたようです。

 

「日本本土決戦となったら、

原爆の被害者の20万人以上なんて死者ではすまない。

日米両国に、何百万と犠牲者が出ただろう。

また、核兵器の恐ろしさを示すことで、

以降、安易に用いられることも避けられる。

原子爆弾を投下することがどうしても必要だった。」

そう揺ぎなく、信じていたんですね。

 

「誰かがしなければならないのなら、

私がかってでもしよう」、

そんな、利他的な心意気もあったのかもしれません。

 

 

三女と次男の頭の中には、

「?」がたくさん浮かんだようでした。

 

 

「正義」 のために、

「信じるもの」のために、

人が、できてしまうこと。

自分が何を信じているのか、気づいていきたいですね。

 

そんな話とともに、

以前こちらの記事にまとめた

日本への原爆投下について、子供に伝えたいこと

「子供達に伝えたいこと」を、改めて話しました:

 

“1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところはどうなんだろう」というスペースを残しておくこと。
 
2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらがより良くなるために自分に何ができるかと動いていくことこそが、その人その国を愛しているということ。
 
3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらは何万人の被害で、あちらは何十万人死傷者が出たと話すわけだけれど、その一人一人の流す血の赤さや痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、あなたたちのように、愛する人々と共に、全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。"

 

 

こちらの記事には、

日本への原爆投下について、子供に伝えたいこと

他にも、

私自身が今のところ理解している日本への原子爆弾投下について、

まとめてあります。

 

また、こちらは、去年のこの時期の記事です。

71年前の8月6日を想いつつ、多様性の排除された「偏った空間」がもたらしたもの&体験の大きさ

ハーバード大学で行われている日本への原爆投下への

「より踏み込んだ議論」が少し紹介してあります。

 

 

メモ:

「10万人の被爆者と、7万7千人のその子ども、

そして20万人の被爆していない人々についての調査を総合した結果、

広島と長崎の原爆による後遺症は、一般に言われているよりも小さい」

という研究が去年2016年の8月に発表されています。

https://www.sciencedaily.com/releases/2016/08/160811120353.htm

この研究によると、被爆者の寿命は、1.3年短くなるだけであり、

子孫の健康への影響は、今のところ見出せない、もしくは、

あったとしても、とても小さなものだろう」とのこと。

被爆による実際の影響は、未知なんですよね。

本当に、「壮大な人体実験」ですね。

 

 

 

今すぐ答えが見つからなくても、

情報を集め、異なる意見に耳を傾け、

子供達との話し合いを続けていきたいな、そう思います。

年齢ごとに、興味深い視点をぽろりとシェアしてくれますね。

 

未来の塊の子供たちに囲まれ、72年前、亡くなられた方々の冥福を祈りつつ。

 

 

読んでくださり、ありがとうございます。

みなさん、心穏やかな夏の日を!


ネガティブ体験も今では「人生の支柱」&ティーンになっても揺るがない親子間の絆を築くものとは?

2017年08月07日 | 子育て全般

昨夜、キャンプから戻りました!

 

長女と次女は他州、

他国から戻ったばかりの長男はロボティックス等の活動続きで、

三女10歳と次男8歳と夫の4人のみのキャンプ。

ああ、子供が2人ってこういう感じなのだなあと新鮮でした。

やっぱり、1人1人と向き合う時間が格段に増えますね。

 

 

あの「もうだめだ」と思った夜があったからこそ 

長年お世話になった大きなテントが壊れてしまい、

今回、「4人だから大丈夫だろう」と小さなテントを持っていったんですが、

夜になって横になってみたならば、ぎゅーぎゅー。

自ずとテントの半分近くの場所をとる夫と、

小さいながらも動き回る子供に挟まれ、

私なんて、胸の上で腕をクロスしたまま、身動きひとつ取れない状態。

 

それでも何とか眠ろうと、身体の力を抜いたりして、

頑張ってみたんですが、

日が沈み少しは涼しくなったとはいえ、

ぎっしり詰めのテント内はまるでサウナのようです。

←ちなみに、日中35度過ぎ。

 

そこへ、隣のキャンプサイトの大家族が、

夜更けにも関わらず旅立つことに決めたようで、

テントやらの撤去作業を始め、それは賑やかになります。

その上、隣で夫のいびき&次男の寝息も始まります。

 

結局、「もうだめだ・・・」と真夜中に車へ移動。

ああ、足も腕も「それなりに」伸ばせる!なんて快適!なんて静か!

 

まさか40過ぎて、車の後部座席で寝ることに、

これほどの喜びを感じることになるとは、

想像もしなかったですよ。

 

 

朝よくよくテントを見てみましたが、

ち、小さい!

ああ、「4人いける」と思った親の大雑把さ・・・。

 

 

翌日、

「どっちみち、これから家族でキャンプするにしても必要になるからね」と、

大型テントを購入しました。

その夜以来の快適さといったらありません。

 

子供たちも私も、

これまで当たり前のように用いてきた大型テントを

これほど有難く感じたことはないです。

「私達のお城」とまで呼ぶ子供達。

 

もし、「壊れたから」とさっと買い直していたら、

親子共々、これほど有難くは感じなかったでしょうね。

あの「もうだめだ」と思った夜があったからこそです

ネガティブに見える体験が、糧になったなあ、

そんなことを、しみじみと思っていました。

 

 

そして、ここからちょっと飛躍にみえるかもしれないアナロジーですが、

「夜の苦しみ」つながりで、

13年前にメンタルヘルスを壊し(パニック・アタックらしきもの)、

夜な夜な発作に襲われ、パジャマのまま庭を歩き回り、

日常生活がままならなくなった体験を思い出してました。

慣れない場での真っ暗闇に、せまい、息苦しい、身動き取れない、虫や人の声が迫るという状況は、

パニックアタックのひきがねになりやすいんですよね。

私自身は、今ではどうしたらいいか分かるので、落ち着くことができます。

 

そして、あの苦しみもだえた夜があったからこそ、

「当たり前の日常」を送れることをどれほど有難く感じるか、

また、苦しみの中にも自らの手綱を取り戻せるという自信がどれほど培われたかを思っていました。

 

あの体験があったからこそ、

今、子ども達の様子や状況に一喜一憂しながらも、

心の底のところで、「この子達はいずれは大丈夫」と落ち着いた自分がいる、

そう思います。

 

子どもたちに同じような苦しみを通って欲しくない、そう切実に願いつつも、

同時に、それでも、もし通ることになろうとも、

それらの体験は、必ず、その子のその後の人生を支える柱となる、

そう信じる自分もいるのです。

 

 

ネガティブに見える体験は、

後の人生の「糧」となり得ます。


私の13年前の「ネガティブ体験」は、

今では、「人生の中心的な支柱」

 

 

子供達が、

ネガティブに見える体験から一回りも二回りも大きくなっていく姿を、

信じてあげたいですね。

 

 

幸い雨が降らず、テントの外のカバーを取り、星を見ながら眠りましたよ。

目を覚まし、陽光にみとれて。

 

 


家族の比重がまだまだ大きい子供時代こそ一緒に多様な体験を

上の3人がティーンとなり、

子ども時代から成長するほど、彼ら彼女達の中で、

「家族の比重」がどんどん小さくなっていくのを実感しています。

 

子どもは、小さければ小さいほど、

それこそ、次の図のように、「家族が全て」です。

それが、年齢を重ねるにつれ、

友人や周りのコミュニティーの比重が、

どんどん増していきます。

 

 

 

キャンプ中も、三女と次男がきゃーきゃーと遊ぶ様子を眺めながら、

「あと○年したら、ティーンだね」

夫と、そんな言葉を交わしていました。

 

そして、「じゃあ、この家族がまだまだ全ての子ども時代に、

これだけはしておきたい、

そう、上の子達の成長をみるなかで感じることって何だろう?」

改めて、そんな話をしていました。

 

そこで同意したのが、

とにかく、

一緒になって喜んだり悲しんだり笑ったりしながら、

 5感を通したいろんな体験をすることだね、ということ。

砂山を一瞬にして呑みこむ満ち潮に呆然としたり。

水着のまま自転車で森を行ったり。

泡に埋もれたり。

猛スピードで滑ったり。

(この滑り台かなりのスピードなんですが、呆れるほど何度も何度も繰り返してました。←1時間以上

「初め恐かった」そうですが、克服できた自分たちが嬉しくてしょうがないようでした。

こうした「小さくみえる体験」から、実は「とても大きな感覚」をつかんでいることってあるなあと思います。

特に、本人が、極端に吸いつけられるときほど)

 

焚き火をみつめたり。

 

「お城」をしまったり。

 

 

子供時代に、

体験を通した様々な感情を共有することが、

後の「親子間の絆のコア」となるのじゃないかな、

そう思います。

 

いつか子供は青年となり、

家族以外のつながりの中で、様々な体験を通し、

自らの人生を模索するようになります。

それでも、そうした「絆」こそが、

親子でぶつかったり同意しなかったりする場面でも、

話し合ったり、耳を貸してみたり、労わったり、愛したりとすることを可能にするのかもしれないな、

そう感じています。

 

「教える」よりも、

「体験に寄り添って」いきたいですね。

 

 

 

さて、明日には長女と次女も戻り、

5人との夏休みが始まります。

夏休みは9月最初の週まで、まだまだ続きますよ。

みなさん、よい夏休みを!

 

 

 

 


親子間のいざこざが確かに減る「子育ちアイデア&工夫」4つ、親は子供をハッピーにするためにいるわけじゃない

2017年08月03日 | 子育て全般

心理学者ジェーン・ネルソン氏の

「ポジティブなしつけ」について学び中なのですが、

いくつか「これ、確かにいいね」というアイデアがあるので、

ぽんぽんと紹介しますね。

 

 

1. 親は子供をハッピーにするためにいるのじゃない

https://www.youtube.com/watch?v=jGAuHGQKz4M

子供がハッピーであってほしいと、

多くの親が思うわけですが、それは親の役目である必要はないんですよね。

 

誰の言葉だったか覚えてないのですが、

「親はディズニーランドじゃなくて、空気清浄機のようなもの」

という言葉に、以前、とても納得したのを思い出します。

 

親の役割とは、

華やかなファンタジーや刺激を与え、

手取り足取り夢見心地のハッピーにさせることではなく、

健やかに過ごせる空気を整えてやること、

それぐらいにとらえておくのが、確かに、「調度よい加減」なのではないでしょうか。

 

 

子供の「退屈~」という言葉にも、

何とか楽しませてやろうとあれやこれやしてやる必要もないわけです。

 

私自身も、「え、何とか楽しませてあげないと!」と、

「罪悪感」のようなものさえ抱きながら、

あたふたと動くといった時期もありました。

 

それでもしだいに、

「まあ、自分を楽しませるのは自分だからねえ。何をしたいか書き出してみたら?」

と言ってみたり、

もしくは、一昔前の親のように、

「え、じゃあさ、茶碗洗って、洗濯たたんで、掃除機かけて!」

どさりと家事を並べたりするようになりました。

←私の場合、「手がとても足りません」が大きな理由なんですけどね。

 

「あ、実はやることあるから」と、そそくさ何かを始めます、

というか、「退屈」とは、もうめったに言いません。

 

常にハッピーであらせようと、親が動いてく必要はないんですよね。

 

その場その時に、「笑顔でハッピー」とは見えなくても、

健やかな空気が整っているのならば、

たとえ、悲しみや涙にくれることがあっても、

いずれそれらも糧となり、

その子なりに、ハッピーになっていくのかもしれません。

 

大切なのは、

ハッピーにさせてやることではなく、

ハッピーでない状況をも、

自らこえていく力を培うサポートをしていくことなんですね。

 

 

 


2.家庭・家族についての話し合いを週に30分でも設ける

https://www.youtube.com/watch?v=YNCuMSHeyLQ

・楽しい旅にするにはどうしたらいいか

・夏休みのスケジュール

・夏休みに取り組みたいこと

・週末レストランに出かけるけどどうしたら楽しい食事になるか。

・家事分担のアイデア

・日常生活をより快適にするための工夫

などなど、話し合います。

 

身の回りのことを、自分たちも意見を出し、話し合って決めることのメリットは、

何といっても、「当事者意識」が育まれるということですよね。

自ら「こうしたらいいんじゃない?」と考えたことは、

確かに、より遂行するものです。

 

自ら考え、話し合うことで、

「親から言われたからこなす」でなく、

「自分も家庭を担う一員」という自覚が持てるのですね。

 

家庭の営みに「当事者意識」を育むこと、意識していきたいです。

すると、親子間のいざこざもかなり減ります。 

また、こうした姿勢は、社会に出てからも、

大切になりますよね。

 

ちなみに、ジェーン・ネルソン氏は、

「家族での話し合いは、4歳以上からの参加がいい」としています。

 

 

 

3.日課チャートを貼る

https://www.youtube.com/watch?v=ws58trETcZU

朝起きて、着替えて、朝ごはんを食べて、歯を磨いて、登下校。

帰宅したら宿題して、遊んで、夕ご飯。

風呂に入って、歯を磨いて、就寝。

 

こうした流れを、

年齢が低い子ほど、実際にその子がしている姿を写真にとるなどして繋げ、

順番に番号をつけ、壁に貼っておきます。

 

すると、「風呂入りなさい!」「歯磨いたの!」「寝る時間でしょ!」

などいちいち急き立てる必要もなく、

「次は何するんだっけ?」「そろそろ7番?」などと、

思い出させるだけですむ、というわけです。

 

親が指示するのではなく、「壁のチャート」が示すようにするんですね。

 

これは、我が家もしていたことがありますが、

繰り返す内に、しだいに、「生活リズム」になっていきます。

「週一の家族の話し合いの場」などで、確認したり、アップデートするのもいいですね。

 

 



4.兄弟姉妹間での親の愛情の取り合いへのメッセージ

https://www.youtube.com/watch?v=q9bUZcTZTkI

家族の人数分のキャンドルを用意します。

 (上記アドレスの「ユーチューブ」に映像があります)

 

例えば、父母姉弟の場合は、

大きなキャンドル2つと、

中くらい、そして小さなキャンドル。

 

「ママがパパと出会って、愛が生まれます」

と言いながら、大きなキャンドルのひとつに火をつけます。

 

「そして愛が溢れます」

と言いながら、火のついたキャンドルを持ち、

もうひとつの大きなキャンドルに火をつけます。

 

「そしてお姉ちゃんが生まれ、愛が溢れます」

と言いながら、ママのキャンドルで中くらいのキャンドルに火をつけます。

「でも、愛の炎は全く減りません。」

と3つの炎を示します。

 

「そして弟の○○が生まれ、また愛が溢れます」

と言いながら、ママのキャンドルで小さなキャンドルに火をつけます。

「でも、愛の炎は全く減ってません」

と4つの炎を示します。


誰かに渡したからといって、

愛情は減ったり欠けたりするものじゃないんですよね。

それどころか、愛の炎は増えていく。

 

子供にも「愛を視覚化」できて、いいですよね!

 

 

 

「確かにいいね!」と感じるこうした子育てアイデアや工夫。

ちょこちょこと出合ったり、思い出したりするのですが、

また紹介させてください!

 

 

 

さて、『虹色教室』の奈緒美さんの、

「ネガティブに見えることを糧にする姿勢」についての記事が始まっています。

昨日のチャットでも話題になり、改めて子供に接する大人が、

こうした姿勢を持つことの大切さを思います。

私も、記事を楽しみに読ませていただきます!

 

それではみなさん、よい夏の週末を!