マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

『It Mama』寄稿:「言うこと聞かないとおやつあげない!」はNG!? 罰以外にしたい3つのコト&次世代に伝えたい「しつけの方法」とは?

2018年01月30日 | 思慮あるしつけ(discipline)

罰というと、

「おやつあげないよ!」という軽めのものから、

身体を痛めつける体罰まで、「重さの範囲」があります。

 

研究として分かっているのは、

体罰は、長い目で見たら、

子どもの行為を改善する効果が全くないということ。

そればかりか、

親子関係を損なったり、

子どもの攻撃性を促進してしまったりと、

一生にわたって子どもにネガティブな影響を与えてしまうということです。(*)

 

そして、「体罰」は、その子が親になったとき、

子どもへ同じことを繰り返してしまうと、受け継がれる場合が多いといいます。

「子どもに言うことを聞かせるための他の方法」を身に着けてませんから。

 

 

では、「軽めの罰」ってどうなんでしょう。

 

例えば、

「静かにしないなら、帰るよ!」

「仲良くできないなら、もうお友達の家に来ないよ!」

「言うこと聞かないならおやつナシ!」

などなど。

 

私も、子育て初めのころ、

よく使ってました。

 

子どもが楽しみにしていたお出かけ前に、

「そうやって喧嘩するなら、

もう今日は出かけないよ!」と叫んだり。

 

こうした「罰」をついつい用いてしまうのも、

それ以外の方法が身についていないから、ですよね。

 

なぜなら、

私たちの親世代も、その前の世代から代々と、

「しつけの方法」といえば、

「罰・脅し・怒り・恥・報酬」がメインでしたから。

 

ですから、「言うことを聞かせなければ!」と思うなら、

こうした「罰」や、

「お化けがくるよ~」といった「脅し」や、

「恥ずかしいわね!」といった「恥ずかしめ」や

「キャンディーあげるから」といった「報酬」

を反射的にしてしまうわけです。

 

 

 

でも、しつけには、他の方法があるんですよね。

 

そして、それらの「他の方法」の方が、

親子関係も、家庭の雰囲気も、子どもの心面も、

断然、健やかになる、そう実感しています。

 

そして、

「敏感系の子」や「難しい性質の子」に必要な「思慮あるしつけ」とは、

まさに、これら「他の方法」を用いていくということ

そう思います。

 (「ひといちばい敏感な子」についての研究者エレイン・アーロン氏も、

「ひといちばい敏感な子」が幸せな人生を歩むには、

「思慮あるしつけ」が必要と唱えています。『The Highly Sensitive Child』より)

 

それら「他の方法」を、

繰り返し試すことで、

身体になじませ、身に着けていくこと。

 

是非、次世代には、

「罰・脅し・怒り・恥・報酬」以外の方法を、

受け渡していきたい、そう思いませんか?

 

そうして、

1人でも、「敏感系の子」や「難しい性質を持った子」が、

持てる力を発揮できるようになってくれたら、

そう願っています。

 

 

記事には、

「軽めの罰」が体罰の入口になり得ること。

そして、「罰・脅し・怒り・恥・報酬」以外の「しつけの方法」も3つ紹介してあります。

興味ある方、是非どうぞ!

・「言うこと聞かないとおやつあげない!」はNG!? 罰以外にしたい3つのコト

 

 

 

それで、

こうした「他の方法」を知ったとして、

でも、長年「罰・脅し・怒り・恥・報酬」といった方法がしみこんでますし、

忙しかったり、イライラしていたら、

そちらの方が、するすると出てくるものです。

 

でも、

「理想の方法」といった「理想」を持つことって、

その存在があるだけでも意味がある、

そう思いませんか?

 

 

「理想の方法」はストッパーになります

もし、

「罰は必要ないですよ。他に方法がありますよ」という

「理想の方法」を全く知らないとしたらどうでしょう?

 

昨日も私、

「しまった」な対応をして、

「理想は、こうじゃないよな」と思った出来事がありました。

 

――――――――

娘の1人が、

私の傍にきて、「は~」とため息。

 

「ああ、なんでこんなことしちゃったんだろう。あ~あ」と

わざと、私に聞こえるように言います。

 

私:なに?

娘:ああ、言ったらママ怒るだろうなあ。私もしまったと思ったもの。

私:なんなの?いいから言いなさいよ。

娘:ああ、でもなあ、ああ。

私:いいからさ、言って。じれったい。

娘:カレーを器に入れすぎちゃったから、鍋の中に戻したら、

ご飯まで鍋にボトボトボトって入っちゃったんだよね・・・。

 

そこで私、

「えーーー!ちょっとー!」と叫びながらキッチンへ行き、

「もおー、何なのよー!何時間もかけて出来上がったばかりなのにー!」と

鍋の中にばらばらになったお米をすくいながら、ぷりぷり怒ります。

 

ここで、「ストッパー」が効き始めました。

 

「あのさ、これから気をつけてね。

ご飯がついであるときは、戻さなくていいから。

他の子にあげるとかできるからさ」

と、少し落ち着いた声で。

 

しょんぼりして下を向き、

自分の部屋に向かう娘。

 

はにかみながら話してくれた娘の表情を思い出しながら、

うなだれ去る娘の背中をながめ、

「ジョージワシントンの桜の木」の話が浮かびましたよ。

 

「そうだよね。

しちゃったことを正直に告白した時は、

まず、よくぞ告白してくれたねと、

認めてあげるのがいいんだよね。

あと、一緒に鍋からお米をすくいながら、

今度どうしたらいいかを話し合ってみてもよかったよね」

などなど思います。

 

結局、しばらくして皆集まり、

他の子にカレーをつぎながら、

「〇〇(娘)が、ご飯、鍋の中に落としちゃったっていってくれたから、よかったわ。

じゃないと、この白いの何だろって思うよね」と私。

 

娘も、その頃には、

「ママ、もうやめて~」と笑いながら返してました。

 

 ーーーーーーーーーーーーーー

 

もし、

・子どもが何かしでかしたことを正直に告白したら、まずは告白した正直さを認める。

・失敗したら、一緒に解決策を考え行動する。

 

といった、「理想の方法」を知らなかったら、

私の場合、

「やることが山積みの合間に、

何時間もかけてコトコト作ったカレーを、よくも!」と。

怒りが、もっとエスカレートしていたでしょうね。

 

「理想の方法」とは、

たとえ完璧にできることはないとしても、

悪循環へと落ちていくのを止めるストッパーになってくれる、

子どもに向き合う毎日に、そう実感しています。

 

 

 

「理想の方法」は灯台のようなもの

例えば、

心身共にへっとへとの中、

理不尽な要求をつきつける子供に「しまった」と思う反応を連発してしまい、

疲労と自己嫌悪の真っ暗闇にしゃがみこんだとします。

←ありますよね、こんな日。

 

そこで、

「理想の方法」をもう一度、

思い出してみます。

 

「教えないと・分からせないと・納得させないと」といった「ないと」を少し横に置き、

ただただ、子どもと楽しむ時間を10分でも持ってみる。

 

そう思い出し、寝る前の10分、実行してみます。

 

真っ暗闇に、

この10分があるのとないのとでは、

随分と違ってくるのではないでしょうか。

 

「理想の方法」とは、

こうして、真っ暗闇にも、

「こちらだよ」と照らしてくれる灯台のようなもの、

そう自らの体験を振り返っても思います。

 

 

 

「理想の方法」が自らの首を絞めるときの処方箋

確かに、「理想の方法」が、

自らを苦しめる場合もあります。

 

「理想のようにできない」という罪悪感で自らを責め、

イライラして、余計にできなくなり、

ますますイライラする、という悪循環になってしまう場合です。

 

その処方箋は、

「少しでもできた」ことを認めていくこと、

これに尽きるのではないでしょうか。

 

「一気に完璧な理想へたどり着く!」なんてことを期待せず、

例えば、

「今日は、2回怒鳴ったけど、そこから持ち直して、子どもと楽しむ時間を持てた」

「怒りをぶつけたあげく、手を上げそうになったけど、他の方法を試そうと切り替えることができた」

「今日は子どもの『できている時』を3回認めてあげることができた」など、

少しでも自ら「できたこと」を認め、労うこと。

 

普段の子どもの関わりに、

「罰・脅し・怒り・恥・報酬」以外の「理想の方法」も試してみよう、

それぐらいの姿勢で進めるのがいい、そう思います。

 

 

 

 

「罰・脅し・怒り・恥・報酬」以外の「しつけの方法」を、

具体的に、様々な形で発信できたらなと思っています。

少しでも、生きやすくなる子が増えていくことを願いつつ。

 

 

 

 

また「カレー話」ですが、

ロボティックスに集まるティーン男子に、

「カレー食べる?」と聞いたところ、

インド系の男の子が、

「もちろんです。僕は、文字通りカレーでできてますから」と答えてくれましたよ。

確かに、インド系の方の多くは、毎日、カレーなんですよね。

 

ロボティックスなティーンたち。

 

さて、

これから次女と三女のランニング練習、

そして、長女がチアリーディングで痛めた膝のフィジカルセラピーです。

←次女の膝が回復と思ったら、長女ですよ。

セラピストの方に特定の筋力トレーニングを教えていただき、おかげさまで回復中。

必要な個所に筋肉をつけるって大切ですね。

 

みなさん、今週も喜び溢れる日々を!

 

 

(*)参考資料

Physical punishment of children: lessons from 20 years of research

Joan Durrant, PhD and Ron Ensom, MSW RSW


「難しい性質の子」ほど「思慮ある対応」が必要、私自身の「子育ち研究」の原点をつづらせてください

2018年01月26日 | 思慮あるしつけ(discipline)

これまで体験・リサーチ・発信を続け、

そして今も続ける中で、

「これだ!」と思う子どもの関わり方のポイントを、

より役に立てていただける形へとまとめています。

 

今日は、その原点をつづらせてください。

日々、この原点に立ち返り、

前への一歩一歩を踏み出していきます。

 

 

私の夫は、

南米の極貧家庭で生まれ育ち(毎日豆と米と、時に卵を食べて生きる)、

小学校低学年時に重度の学習障害と診断され、

何度も落第寸前のところ(小学校高学年で文章を、高校生で初めて本を読めるようになる)、

シングルファーザーだった父親が学校に頼み込み、

何とか高校まで卒業しました。

 

その後、18歳で米国へ移住し、

肉体労働や皿洗いをしながら、

誰でも入ることのできるコミュニティーカレッジで8年間学び、

周りの何倍もの時間をかけいくつか資格を取り、

自ら夢にみた専門職につきます。

←出合った当時も、

森で野宿しながら、山火事を消すクルーに呼ばれると加わるという、

ホームレスな生活をしていました。

 

一方、私は、

裕福ではないものの日本の中流家庭に育ち、

学業成績に優れていたわけではないものの大学院まで出してもらい、

運よく雇っていただいたアラスカの大学で講師をしながら、

メンタルを壊します。

 

 

少しずつ、自ら思い描いた夢を実現していく夫(今も驀進中)。

その隣で、少しずつ、日常生活さえ、ままならなくなっていく私。

 

 

夫にくらべるなら、何倍も恵まれていたはずなのに、

なぜだろう?

夫が持っていて、私にはないものとは、何なのだろう?

底を這うような日々に、そう問い続けました。

 

 

 

そんな2人の間に生まれた5人の子どもには、

様々な面で、凸凹がありました。

 

学習障害のディスレクアは、

一説には60%の確率で遺伝すると言いますし、

「不安感の強さ」や「感情の強烈さ」や「敏感さ」についても、

そういう親に育てられるとそうなりやすいということもあるでしょうが、

性質的にも、受け継ぐ部分があるのでしょう。

 

火がついたように泣いては止まらない͡赤ちゃん

こだわりの強い子

感覚過敏

癇癪持ち

ひといちばい敏感な子

完璧主義

学習面での凸凹…。

 

 

この子たちを、

何とか、この社会を生き抜ける子に育てたい。

 

私たち2人がそうであったように、

自らの凹面に打ちひしがれ、倒れる時もくるでしょう。

それでも、再び立ち上がり、進み続ける子に育ってほしい。

 

私たち2人がそうであったように、

至らなさから、周りに迷惑をかけるでしょう。

それでも、持てる力を発揮し、

少しでもその力を還元できる子に育ってほしい。

 

 

そこで、子育ての合間に手に入る細切れ時間に、

文献を読み漁り、片っ端からまとめ始めました。

そして、文字で理解したことを、

実際に試し、考え、また試しと繰り返してきました。

 

これが、私自身の、子育ち研究の原点です。

 

 

 

そうして見えてきたのは、

「難しい性質」の子には、

ポジティブなこともネガティブなことも、

まるで、虫眼鏡を通すかのように、

拡大して伝わりやすいということ。

 

つまり、

「難しい子」ほど、

より「思慮のある関わり方」が必要なんです。

 

 

そして、こうした関わり方とは、

結局、どんな子にとっても、役に立つのでしょうね。

虫眼鏡を通して細密に作られたものが、

虫眼鏡をはずして見ても、

より完成されたものと映るように。

 

 

 

 

こうした子育ち研究で得た知恵によって、

子どもたちがひとつひとつ課題をこえていく体験とは、

同時に、私自身が長い間引きづってきた課題を

ひとつひとつこえていく体験でもありました。

 

子どもが、

自らの凸凹面への向き合い方を、

少しずつ身に着けていくにつれ、

私自身、それらへの向き合い方を培ってきたのです。

今では、子供たちと共に、随分と楽になった自分がいます。

そしてそれは、今も続いています。

 

 

 

親は、

子どもの抱える問題に共に向かうことで、

共に成長していくのですね。 

 

子育ては、

親自身が抱えてきた問題を解決する機会を与えられている

そういうことでもあるのかもしれません。

 

その中には、

代々受け継がれてきたものもあります。

 

それでも、

今この目の前にある、

親子で抱える問題へどう向き合うか、

私たち一人一人は、選択する力を持っている、

そう思い出していきたいです。

 

 

 

 

これからも、

こつこつと、子育ち研究を続けていきます。

 

そして、私自身、

これまでの研究や周りの方々から多大なる知恵を受け取ることで、

少しずつ以前より改善できたように、

そんな「知恵の循環」に、少しでも還元することができたら、

そう願っています。

 

これからも、精進を続けますので、

みなさん、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

さて、今夜は高校生10名近くが

階下に泊まり込みでロボティックスです。

か、階下が、すごいことに・・・。

ティーン男子の10人分のお腹を満たすには、何がいいんでしょうかね。

明日は、勤務先の学校で習字ですよ。楽しみです。

 

みなさん、温もり溢れる週末を!


『It Mama』寄稿:ママの「~しなさい!」はNG?子が自ら考え行動できるようになる方法&子どもが欲するのは「自分は大切な一員」と感じられること?

2018年01月24日 | 思慮あるしつけ(discipline)

大晦日に最終の課題を提出した、

アドラー心理学を基にする「ポジティブなしつけ講座」を修了し、

認定講師となりました。

「子どもと親は対等」というアドラー心理学の言説について&「しつけの原点」とは?

 

米国でロングセラーとなっている『ポジティブなしつけ』の著者で

7人の子どもさんを持つ教育心理学博士ジェーン・ネルセン氏が主宰するこの講座、

こちらのブログでも何度もとりあげている

小児精神科医ダニエル・シーゲル氏のアイデアも多く取りあげられていて、

とても共感し、その効果を納得するものでした。

 

学んだことを今後も深め続け、

より日常に落とし込み、

これまでのリサーチや体験と合わせ、

活動していきますね。

 

 

子どもに接する毎日が、

育んできた知識や知恵を

試行し、分析し、改善する機会ですね。

 

そうした日々には、

「取り返しのつかない失敗」はなく、

ただ、「親子で成長する過程」があるだけ

そう思い出していきたいです。

 

 

 

この『It Mama』さんの記事へは、

子どもの主体性を培う言葉がけについて、

具体的な一例をまとめました。

 

子どもは、

「自分はこの場で必要とされる大切な一員」と感じられる時、

主体的、意欲的に、

協力するようになります。

 

そしてアドラー心理学では、

この「自分は大切な一員(belonging and significance)」と感じられることこそ、

子どもが根源的に求めていること、

そうとらえるんですね。

 

みなさんも、 

子どもたちを見ていて、

確かに、そうだなあと思いませんか?

 

自分はこの家で、大切な一員と思われている、

自分はこの教室の中で、大切な一員としてみなされている、

そう子供たちが感じられる時、

子どもは自らすすんで協力的となり、

「困った行動」も減っていきます。

 

 

記事では、

言葉を発する前にちょっと気を配ることで、

確かに変化が生まれると私自身も実感している

「主体性」「考える力」「問題解決力」を育む言葉がけを紹介しています。

興味ある方、是非どうぞ!

ママの「~しなさい!」はNG?子が自ら考え行動できるようになる方法

 

 

記事で紹介した、

「指図から質問へ」といった言葉がけですが、

家庭はもちろん、

教室でも、確かに効果があります。

 

例えば、

現在勤務先の学校にて、

ベテラン先生の教室を手伝っていたときのことです。

 

席を立って、後ろのクッションに寝そべる生徒に

ベテラン先生がいいました。

「〇〇君、今何したらいい?あなたは、自分でよく分かってるのよね」

それだけ言って、授業を続けます。

 

すると、〇〇君、

しばらく寝そべってましたが、

いそいそと席に戻ります。

 

「席に座りなさい!」といった「指図」ではなく、

こうした「質問」を用いる時、

子どもが受け取るメッセージとは、

「あなたならできる」といった信頼なんですよね。

 

 

 

また、

先週のみたらし団子づくりでは、

こんなことがありました。

 

白玉粉に水を混ぜて、コネコネと丸め始める生徒達。

ボールにこびりついた白玉粉を取りやすいようにと、

スパチュラではがして差し出す私。

 

一段落して、ベテラン先生の傍へいったところ、一言。

「私はね、大まかにどう作るかを説明した後は、一切手を出さないのよ。

中学生なんだから、もう何でも自分たちでできるじゃない?」

 

がつんと、きましたよ。

 

思わず、「まさしくです!」と叫んでました。

 

「本当に、そのとおりです・・・。

生徒たち自身で試行錯誤した方が、

より思い出になるでしょうし、

料理のスキルも身につますよね」と私。

 

頷きながら微笑むベテラン先生。

 

「大人が手を出し過ぎる」といった態度から子どもが受け取るメッセージとは、

「あなたならできる」の逆で、

「あなたにはできない」なんですよね。

 

 

 

「言葉がけ(指図→質問)」や「態度(手伝い過ぎない)」を通し、

「あなたならできる」というメッセージ伝えていくこと。

それは、

子どもたちが根っこのところで欲っしている、

「自分はこの場で必要とされる大切な一員」という気持ちを満たすことになる。

すると、子どもは、より主体的に協力するようになり、

その場での「困った言動」も減っていく。

 

この流れを覚えておきたいです。

 

また違った側面からも、

このテーマを表現し続けていきたい、

そう思っています。

 

 

メモ:

「自分はこの場で必要とされる大切な一員じゃない」

子どもがそう感じるとき、その子は、様々異なる方法で、

この欲求を満たそうとします。

 

好ましくない行為をわざとして注意を引く、

パワーゲームに勝つ

他者や自分を傷つける

そして、欲求を満たすこと自体を諦めてしまう場合もあります。 

 

上の反抗期君のような場合は、

「席につきなさい!」「ちゃんと座りなさい!」と「指図」され続けることで、

「先生に従わずきーきーと特別なアテンションを向けられるクールな自分」

といった「間違った方法」で、

「自分は重要な一員」という欲求を満たそうとしてしまう場合もありますね。

← これは私自身、クラスに入り始めた当初、はまってしまったサイクルです。

気づくことで、生徒君たちの雰囲気も、がらりとかわりました。

 

反抗期の中学生君たちを相手に、

その対応加減を学んでいますよ。

 

 

 

飼い犬リオの足跡。

次女撮影

こちら雪も落ち着き、今日は日中15度近くまで気温があがりましたよ。

 

みなさん、温もり溢れる日を!

 

 


『It Mama』寄稿:勉強ができる天才児だけじゃない!「ギフテッド」のタイプ6つ&渋谷区の試みは世界的にみてもかなり画期的ですよね

2018年01月19日 | ギフテッド

編集者さんから提案していただき、

「ギフテッドという言葉を最近初めて聞いた」

といった読者を対象に記事を書きました。

 

11月に全国上映された映画「ギフテッド」でも、

小学校時代から、大学数学に取り組む天才児ちゃんが、

主人公になってましたね。

 

こうした「飛びぬけた才能を持つ子こそがギフテッドなんだ」

というイメージが行き渡る中

「勉強のできる天才児だけがギフテッドではないですよ」、

そんなメッセージをこめました。

 

記事では、ギフテッドの専門家が示す、

「ギフテッドの6タイプ」

それはそれはシンプルに紹介してあります。

興味ある方、是非どうぞ!

勉強ができる天才児だけじゃない!「ギフテッド」のタイプ6つ

 

6つのタイプについて、

より知りたい方は、こちらが参考資料の原文です

英語ですが、それぞれのタイプへの対応ヒントも載っています。

 

 

 

 

 

私自身、たびたび、

メール等でギフテッドについての相談を受けます。

そのたびに、日本の学校でも、

個々の子どもたちのレベルやペースがもう少し考慮されるならば、

随分と楽になる子たちがいるのだろうなと思っています。

 

日本では、小学校、中学校、高校受験を通して、

自分の学習レベルに合った学校へ進むのも方法ですが、

そのために受験勉強に入れ込むというのは、

記事でとりあげた「タイプ1」のような

「学校システム内での成功タイプ」でないと、

難しい面がありますね。

 

といって、米国でなら、

「理想のギフテッド教育を受けられる!」かというと、

地域によって「ギフテッドプログラム」も様々です。

 

 

米国の「ギフテッドプログラム」の大半が「学校内で成功するタイプ」向け?

例えば、記事であげた参考文献にも、

「米国の学校で認められるギフテッドの90%が、

学校システム内で成功するタイプ」とあります。

 

確かに、

現在の米国の「ギフテッドプログラム」というのは、

結局、学校の成績や学力テストの点数によって振り分けられることがほとんどです。

 

年齢が下になるほど、

IQテストや心理学者による観察が重視される場合もありますが、

年齢が上になるほど、

学力がより重視されるようになります。

 

また、特に都市部では、キンダーや小学校から、

「ギフテッドプログラム」に入るためのトレーニングをする家庭もあります。

学力の先取りやIQをあげるトレーニングをするんです。

 

こうした場合も、「ギフテッドプログラム」の子たちというのは、

日本でいう、

「受験を勝ち抜き、偏差値の高い学校へ入る学力の高い生徒たち」

に似ていますよね。

 

また、今我が家が暮らす学区の隣の学区では、

学区の各地に小学校から「ギフテッドプログラム」がありますが、

入学には、先生の推薦状が必要で、

「教室での素行」や「周りとコラボレーションできるか」なども重視されます。

そうして、「学校にフィットできないタイプの子」は、どうしても、もれていきます。

「学校というシステムの中で成功していく子」のみが、

「ギフテッド」として認められていくんですね。

 

また、求められる「学力のレベル」というのも、

プログラムによって変わってきます

 

例えば、他の隣の学区では、

「大学を目指す生徒向けのクラス」の全てが、

「ギフテッドクラス」と呼ばれています。

こうなると、学校によっては、生徒の過半数が「ギフテッド」です。

←ちなみに、我が家の学区では「オナーズクラス」という名前。

 

こうして、こちら米国でも、

「ギフテッド」と認められていくのは、

多くの場合、「学校システムの中で成功していくタイプ」なんですね。

 

 

ちなみに、アラスカでは、

学力、認知テスト、心理学者によるIQテスト&観察で

一定のパーセンタイルをこえた子が入学してましたが、

キンダーや低学年時に入る子も多かったですし、

入学の際も「教室での素行」については問題とならず、

一旦入ってしまえば学力がどんなになろうが追い出されることもなかったですから、

かなりユニークでやんちゃな子達もいました。

 

それで、他の学校の先生からも、いろいろな意味で、

「あそこは、普通の学級ではやっていけない子たちが入るところ」

というような見方をされていた面もありました。

 

中に入ってみれば、実際は、本当にいろんな子がいて、

大人しめの子も多かったですけど、

全体的に「勉強ができる子」というより、

より多様性があったなあと感じてます。

 

(こちら東海岸にこしてきてから今暮らす学区では、

「ギフテッドプログラム」と名付けられたものはなく、

小学校では、通常の学級で英語と算数がレベル別にグループ分けされ、

中学校では、「高度な学習者プログラム(Highly Able Learner's program)」と、

その上に数学は「促進プログラム(accelerated program)」があり、

高校では、アドバンスクラス(AP)、国際バカロレアプログラム(IB)、

そして、コミュニティーカレッジの授業や、オンラインコースもとることできるようになっています。

いずれも、学力、成績、統一テストの点数などで、プログラムに入ることができるかが決まります)

 

 

 

 昨年始まった渋谷区の「ギフテッドプログラム」は世界的にみても画期的?

「ギフテッド教育が盛ん」とされる米国でも、

結局は、「学校システム内で成功するタイプが大半」となると、

昨年9月に渋谷区で始まった日本初の「ギフテッドプログラム」というのは、

世界的にも、かなり画期的な試みじゃないでしょうか?

 

こちらの記事にある渋谷区のギフテッドプログラムへの「入学基準」には、

こうあります:

”プログラムは、小学3年生から中学3年生までの

(1)特別支援教室拠点校の巡回指導教員による指導を受ける児童
(2)情緒障害等通級指導学級に在籍する生徒
(3)長期欠席児童・生徒

が対象となっていて、本人と保護者が希望すれば参加することができる。”

 

 ということは、

『It Mama』さんの記事にあげたタイプによると、

「2の創造的で挑戦タイプ」、

「4の学校を中退するタイプ(不登校)」

「5の発達障害を併せ持ったタイプ(2E)」

「6の学校をこえて活躍するタイプ」

なども含まれるんですよね。

 

ということは、

米国ではもれがちな「1の学校システム内で成功タイプ以外」の生徒達にも、

日本では、「ギフテッドプログラム」として

受け皿が用意されていくわけです。

 

こうした試みが渋谷区のみといわず増えるならば、

日本では、「1の学校システム内で成功するタイプ」は、

受験をして自分に合った学校へとすすみ、

残りのタイプは、こうした「ギフテッドプログラム」で学ぶ、

ということも可能になりますね。

 

ちなみに、米国では、

「ギフテッドプログラム」という名前でなくとも、

ホームスクールや、オンラインスクールや、チャータースクールなどの通常の学級以外の選択肢が、

「もれていく子」の受け皿となっています。

 

日本でも、「ギフテッドプログラム」が広がるとともに、

フリースクールなどが認可され、

ホームスクールの支援も整いと、

受け皿もますます多様になっていくといいですね。

 

渋谷区のギフテッドプログラムのカリキュラム、

試行錯誤を繰り返しながら磨かれ

充実していきますように。

 

 

「誰がギフテッドか」より「目の前の子のギフテッドネスをどう伸ばすか」

「本人と親が希望するなら入学可能」とし、

通常の学校にはフィットすることが難しい子の「ギフテッドネス」を伸ばしていこうという渋谷区のあり方に、

私自身、とても共感します。

 

ギフテッドには世界的には明確な定義があるわけではないですし、

「どんな力や、どれほどの力があればギフテッドなのか」ということは、

映画の主人公ちゃんみたいな分かりやすい例でないならば、

明確な答えなどでないでしょう。

また、そんな分かりやすい数値ではかれるような

「ギフト」ばかりじゃないでしょうし。

 

ですから、「本人と親が希望するなら」とは、

まさしく的を得てますよね。

 

そして、もちろん、

学校にフィットしない子の凹面ばかりに注目するより、

凸面を励まし、伸ばしていこうという姿勢は、

その子にとって、大きな支えになります。

そしてまた、凹面へ向き合う意欲も、

高まることでしょう。

 

「誰がギフテッドか」より、

今目の前にいる子の「ギフテッドネス」をどう伸ばせるか。

子どもに向き合う大人として、

思い出していきたいですね。

(・消費するだけでなく創造できる「ギフテッドネス」をどう開発する?教育学者レンズーリ氏の研究紹介

 

そのためには、とにかく、

より1人1人に合った学びや探索のできる教育環境の実現、

そう思います。

それは、ギフテッドの線引きがどこにあろうとなかろうと、

どんな子にとっても、メリットのあることですから。

 

そしてそれには教員の人数がとてもたりませんから、

ITの大活用が必須、じゃないでしょうか。

【どんな教育環境が子供にとってよりよい?】ITの活用と先生の役割

 

できることを、できる範囲で

こつこつとしていきます。

 

さて、明日の勤務先の学校では、

団子づくりですよ。楽しみです!

 

我が家ではピザづくり。

 

残りものたっぷりのせピザ。

ブロッコリーにケールに。

 

みなさん、温もり溢れる週末を!


今年の夏から東京で1年間暮らすことになりました

2018年01月17日 | お知らせ

「今年は、引っ越しがある」と

こちらのブログでも少し書いてきたんですが、

なんと、夏から日本で1年間暮らすことに決まりました。

 

長男は、今年の初夏には高校を卒業し米国へ残りますから、

夫と子供4人連れての滞在です。

 

 

 

ということで、

長男の米国の大学進学の願書提出は終わったものの、

引き続き、奨学金の申請や結果の出ている大学の情報集めをしつつ、

同時に、東京の路線地図とにらめっこしながら、

東京の小中高や住居について情報を集め、問い合わせ、やり取りしと、

繰り返しています。

 

また今のこちらの住居を貸し出す手続きをすすめ、

そのためにあちらこちら修理したり、

倉庫をかり、家財道具一式を詰め込むため、

寄付するもの、キープするものを整理し、

箱詰めを始めたりとしてます。

 

 

振り返れば、ここ4年の間に、3度引っ越してます。

 

アラスカから米大陸を横切り東海岸へ、

東海岸の州内での引っ越し。

そして、米国東海岸から太平洋をこえて日本へ。

 

でも、これだけ動いていても、

いらないものがどんどんたまるんですよね。

驚きます。

 

変化は、

余分なものを

そぎ落としてくれますね。

全部は、持っていけませんから。

 

 

 

まずは、東京での子どもたちの学校が決まれば

(ホームスクールという選択も含めて)、

賃貸住宅も本決まりとなりますから、

そちらをすすめているのですが、

学校とのやりとりには、

こちらの学校スタッフからの様々な書類等、

お忙しい多くの方々の助けが必要になりますから、

ちょっと時間がかかりそうです。

 

 

 

 

しかし、

まさか、こんな形で日本に戻ることがあろうとは、

予想もしてませんでしたよ。

(←今回、まさかの夫の仕事が理由です)

 

私自身は、名古屋生まれ育ちですから、

東京について、本当に、何にも知らないんですよね・・・。

これまで訪ねたことが数度あったなあというほど。

 

しかも16年間、

アラスカでクマやヘラジカに囲まれて暮らしていましたからね。

 

カラフルな東京の路線地図をながめるだけで、

ちょっとめまいがしている状態です。

 

住居についても、地図を見ながら、

公園の傍に傍にと目が行きます。

←家族にとっては、「自然」が心身の調整場。

 

 

 

 

ブログを読んで下さるみなさんとも、

会える機会があるといいなあと願っています。

 

「『我が家の子育て』を築くための知恵を育む場」といったものや、

「子供も親も遊ぶ場」などといったことも、

できるといいですよね。

 

そのためにも、まずは、東京の街に、

4人ぞろぞろ連れての6人家族の生活の土台を、

築いていきますね。

 

日本在住の方々に、

少しでも近くなれることを嬉しく思いつつ。

 

 

 

 

最後に、

入学申請している東京の高校で必要とされる「英語のエッセイ」に、

長女がこんなことを書いていました。

紹介させてください。

 

“私は、フラナリー・オコナーの短編小説『ゼラニウム』を読んだとき、とても感じ入りました。

この小説では、娘さんに連れられ、長年暮らした地から、ニューヨークに引っ越すことになった老人が描かれています。このおじいさんは、たくさんの葛藤を抱えることになります。

なぜなら、長年培った物事の見方や考え方に頑なに固執したからです。

著者は象徴と設定を用いて、読者に明快なテーマを突き付けます。それは、「世界を完全にコントロールなどできない」ということです。

ストーリーの最後で、老人に残ったのは、「滅びるか、変わるか」の選択でした。

引っ越しには、「柔軟さ」と「楽観性」が必要です。そして、引っ越しに限らず、社会は変わり続けていますから、社会を生き抜くにも、「柔軟さ」が必要なんです。

私は、度重なる「引っ越し」を通して、より高度な柔軟さを、獲得しようとしているのかもしれません“

 

今暮らす地に引っ越してきてからしばらく、

長女は、辛い時期を送りました。

なかなか思うように友人もできず、

毎日、図書館で1人ランチを食べ、

周りの嫌なところばかりが目につき。

心理カウンセラーにも何度かお世話になり、

泣きじゃくりながら話しをしていました。


そうして徐々に、

少数ながら心を分かち合うことのできる友人を選ぶようになり、

嫌なことを流し、楽しみを見出す姿勢を身に着けていきました。

今では、より生き生きと高校生活を楽しむようになっています。

 

 

今回の日本での暮らしを終えたら、長女は高校を卒業します。

 

子どもは、いずれ親がいなくても、

歩いていくための力を身に着けるために、

今こうして一緒にいるのだなあ、そうしみじみ思います。


目の前の涙も、必ず、その後の力になります。


この限られた一日一日を、

悲しみ、喜び、泣き、笑いと、

共に、謳歌したいですね。

 

 

 

 

最近は毎週末、高校生たちが階下に泊まり込みでロボティックス。

差し入れも、

アッというまに腹の中ですよ。

 

給仕係の次男と三女。

 

こちら早朝、うっすらと雪に囲まれ、小中高と2時間遅れてスタートです。

みなさん、温もり溢れる日を!


最近の他媒体への寄稿:内で「いい子」外で「いい子」、コリック、子どもからのSOS & 子育ての問題解決に向け作戦会議する場

2018年01月09日 | 子育て全般

「いい子」について、『It Mama』さんへまとめました。

 

これまで、外では「いい子」、内では「いい子」の両方の子に接してきた中で、

我が家で試しみたり、

アドバイスをさせていただき効果的だった「気をつけたいこと」を、

さらっとコンパクトにまとめました。

興味のある方是非どうぞ。

他人の前で「いい子」、ママの前で「いい子」どう違う?

 

目の前の子どもの様子だけをみて、

「甘やかしてはいけない」「こんな我がままを許してはいけない」と向き合うより、

その子が一日を過ごしている様々な場での様子をながめ、

接してあげたいですね。

 

 

そして、そうしたグズグズしてしまう自分、

爆発してしまう自分を表せる場のある子は幸せですよね。

 

内でも外でも空気を読み自らを抑え、

「いい子」でいようとする子が、

少しでも「より自分であれる場」に出合えることを願っています。

 

 

 

アドバイスをさせていただきながら学んできたことですが、

私自身も含め、多くのお母さんが最も必要とするのは

「どんな具体的ステップを、前に築くことができる?」という、

「未来に向けての希望や励まし」なのだなあということ。

 

例えば、「内ではいい子、外で悪さばかりする子」の場合でも、

まずは、

・いくらだって取り返しはつくこと、

そして、

・「その子がどれほどお母さんが大好きで大切に思っているか」

という事実を確認していくこと。

 

その上で、自らの期待や思いを少し横に置き、

子どもの気持ちや思いに耳を傾ける時間をとる、

といった具体的ステップを、一緒に考えていきます。

 

すると、親子でいい方向に向かっていける、そう実感しています。

 

 

 

子育てに関わる皆が目指したいのは、

「よりよい方向へ向かうこと」

限界すれすれで育児に向き合っている中、

「自己嫌悪や自己非難の迷路」にはまり、

余計にイライラとして子供に向き合うことではないです。

 

問題を前に、「解決」に向け、

今、何ができるかを見つめ、

できる範囲で行動を起こしていきたいですね。

 

 

 

こうした子育てで出合う問題や課題について、

豊富な資料やツールを基に、

皆でアイデアや知恵を出し合い工夫する作戦会議のような場があるといいなあ、

そう思います。

 

「専門家」や「先生」からの一方通行の「講義」ではなく、

豊富な資料やツールを学びながら、

アクティブに考えていける場。

 

子育ての「答え」は、どっちみち、

「1つのみ」なんてことはないですから。

 

そうした場で、

親も頭と心を働かせ学ぶのならば、

「専門家」や「先生」からの一方通行の知識を子育ての現場にそのまま当てはめ、

なんだかちぐはぐとしてしまうこともなく、

その場のその子にあった、より柔軟で適切な対応ができるようになるのではないでしょうか。

 

1人1人の親が、

「自らより良い方向へと舵を取ることができると自信を持てること」

そのための知識や知恵やツールが提供され、

それらを自分なりに試し工夫しながら、自分なりの子育てを築いていける場、

そんな場の構想を、煮詰めていきますね。

 

 

 

 

最近の他媒体への記事の紹介です:

以前、『It Mama』さんに書いたこちらの記事が多くの方に読まれているということで、

・わがままっ子に効果的!? 「しつけより優先すべき」たった1つのコトって?

『It Mama』の編集部さんが、こちらの記事をまとめてくださいました。

ワガママに悩むママ必見!「子どもを落ち着かせるコツ」とは

 

 

 

また、こちら『ハピママ』というサイトでは、「コリック(黄昏泣き)」についてのインタビューを受け、まとめていただきました。

「黄昏泣き」って何!? 夕方になると赤ちゃんが大泣きする理由と対策

 

 

 

 

数日前には、『NTTドコモiコンシェル』の方へ、

「子どもからのSOSサインに気づく」をテーマにまとめさせていただいています。

見られる方で、興味のある方は是非!

 

 

『マイコー雑記』への書きかけの記事もたまっていますので、

こつこつとあげていきますね。

 

 

 

年末年始と、1日おきぐらいに餅をついてますよ。

家族皆、餅大好きなんです。

餅つきリズムに見とれる子たち。

毎回11合用意するので、

これまで77合ほど家族のお腹におさまってるんですね・・・。

 

さて、今日は雪のため3時間早く子供達が帰ってきました。

雪というより「ひょう」が降ってますよ。

みなさん、温もり溢れる日を!


「怒りをぶちまける」という「負の連鎖」を断ち切る、夫の「怒りの歴史」への幕引き

2018年01月08日 | 子育て全般

先日夫と

「最近ティーンの1人がかっとしやすいよね」、

と話すことがありました。

 

そこで、

親の対応を見直しました。

 

元々、夫は、怒りをコントロールするのに難しさを抱えていて、

20年近く前に出会った当時も、天井や手に、

「赤い×」のマークを貼り、

「怒りが爆発しそうになったら思い出す」というようなことをしていたんです。

←怒りをぶちまけられ、叩かれ蹴られと育つなら、

そうした「怒りの爆発」を引き継ぐのだなあと

夫を観ていてつくづく思います。

 

それでも年と共に、随分と改善してきたのですが、

ここ最近、「短期間でするべきこと盛りだくさん状態」が続き、

どうしても、怒りやすくなっていたんですね。

 

それで、そのティーンの子に向き合うときも、

声の荒げ合戦になり、怒りをぶちまけ合い、

最後は話し合いどころではなくなる、

ということが何度かありました。

 

 

そこで、子どもに対し、

思うようにいかないからと怒りをぶちまけるたび、

思うようにいかないなら怒りをぶちまければいい

と教えていることになる。

 

そう夫と原点に戻り、

何度か話し合いました。

 

 

頭ではわかっていることです。

 

でも実際、怒りのボタンを押されまくると、

「この子には、これだけ自分を怒らせる理由がある」と

怒りがどんどん正当化されていくんですよね。

 

 

 

そうして、とにかく、

「どんなに怒りのボタンを押されても、

穏やかに伝え続ける」と、意識的に続けたんです。

すると、その子がみるみると落ち着いていきました。

 

まるで澄んだ鏡のように、

自らの怒りの表れが子供に映し出されていく様を前に、

夫と2人で、息を呑みました。

 

それが今回、

あまりにも劇的に分かりやすかったものですから、

夫にとって、怒りと向き合う長い歴史にひとまず幕を下ろす

「最後の一押し」となったように感じてます。

 

自分が苦しんできたものを、

子どもに受け渡してしまうということを、

あまりにも如実に視覚化されたような体験だったんですね。

 

仕事などでは、プロフェッショナルに徹し、

「怒る」ことで解決しないわけですが、

その態度を、家でも意識していこうと、

心の底から納得したようです。

 

 

私自身も、

夫に比べるならば「プチな怒りの爆発」をこれまで何度も経験してきましたが、

怒りが沸き上がるような「好ましくない行為」であればあるほど、

改善していくために、「その子に伝わるよう」接する必要があるんですよね。

 

怒りをぶちまけ、子どもに起こることは、

「思考停止で固まる、反抗、防御、逃げる」のどれか。

何かを学ぶとしたら、

「あ、思い通りいかなかったら怒りをぶちまければいいんだ」ということだけ、

体験から、本当にそう思います。

 

 

 

 

私にも、夫の怒りの矛先が向かうことが、

これまで何度もありました。

夫も改善しようと若い時分から取り組んできましたから、

私も子どもも、殴る蹴るなどはされたことがありませんが、

ものすごい剣幕で怒りをぶちまけられると、

私自身、この「思考停止で固まる、反抗、防御、逃げるのどれかになる」、

ということが、よーく分かります。

 

私自身も怒りを爆発させ、相手がひるむ。

または全く無視など、

夫の爆発に対し、私自身も様々な反応をしてきましたが、

今では、お互いに、まずは頭を冷やし、

落ち着いてから話し合うようにしています。

 

そうして子供や夫と向き合いながら、

しみじみ実感してきたことは、

伝えたいことというのは、

怒らない方が、必ず相手により伝わるということ。

 

怒るにしても、落ち着いてから、

「あなたのしたことに怒りを感じる」と言葉で伝えた方が伝わります。

 

「怒りのぶちまけ」が間にはさまるなら、

恐れや怒りが増幅して、

伝えたいことも歪んでしまいます。

 

 

 

元々、我が家も皆、感情が激しいですから、

これからも、「怒り」がおさまることなどないでしょう。

 

でも、怒りを感じることと、

それを行動するのとでは全くちがいます。

 

かーと湧き上がる怒り、

その熱さ激しさに気づき、

行動に移す前にワンクッション置くこと。

 

夫の、

「怒りをぶちまける歴史へのひとまずの幕引き」を祝いつつ、

皆で、実践していきたいなと思っています。

 

 

 

 

みなさん、

子どもは、親が言うことではなく、することから学びます。

「落ち着きなさい!」といったって、

こちらが怒りをぶちまけているのならば、

子どもは怒りをぶちまけることを身に着けます。

 

でも、いつだって、改善していけるんです。

そして「あー、やっちゃった」と思うならば、

あとで謝ることで、子どもも、反省し謝る姿勢を学びます。

 

親として何を体現しているのか、

気づいていきたいですね。

 

 

 

余談:

ティーンにもなると、

親の命令口調はわずらわしいだけですから、

統計や事実を示し、

その子自身の判断を引き出すのがやはり最もいいですね。

その際、怒りは全く必要なく、

「一緒に作戦会議」といった雰囲気で。

 

 

 

と、

さらっと次の記事の前置きに記すつもりが長くなったので、

一記事にしますね。

 

さて、ひとつの歴史に幕が引かれ、また新しい出発です!

 

みなさん、温もりに包まれる日々を!


「子どもと親は対等」というアドラー心理学の言説について&「しつけの原点」とは?

2018年01月02日 | 子育て全般

大晦日に、アドラー心理学を基にした、

心理学者ジェーン・ネルセン氏主宰の

「ポジティブなしつけ」講座の最後の課題を提出しました。

 

荒波にもまれ、

「予定通り今年中に終えるのは無理…」と

何度も思ったんですが、

最後の最後に、少し時間を手に入れることができ、

ありがたかったです。

 

子育てしながら何かに向き合う時、

なかなか思うようなペースや計画通りには進まないものですよね。

 

仕事ならば、

何としてでもスペースを確保するわけですが、

特に、こうした「基本の生活」の上に築く、

「学び」なり「資格」なりといったものへ注ぐ時間やエネルギーというのは、

どうしても、「必要不可欠」な物事の、

あとへあとへと押しやられていきます。

 

そして、

まとまった時間に満足いく形へと達成できない「やるせなさ」を抱えながら、

「オール・オア・ナッシング」と諦めることなく、

細切れに手に入る時間に課題を分散し、

こつこつ続ける「忍耐」を学ぶ必要があります。

 

また、私自身、何度か身体を壊し学んできたことですが、

睡眠、食、運動という土台を削るのならば、

より早く進むこともできるもの。

 

でも、短い期間での目先の結果と、

長い目で見た全体的な前進のどちらを目指すのかといえば、

やはり、土台を極端に削ることは、

全く、理にかなってないのですよね。

 

ですから、もう本当に、

周りが1時間でできるところ、

1週間、いや、1か月かかってもしょうがないと腹を据え、

とにかく、こつこつと続けていくこと。

これしかないなあ、そう思います。

 

みなさん、

長い目で見たゴールを日々思い出し、

自分にできるペースで、できることを

続けていきたいですね。

 

 

 

さて、

ここ数か月、講座を通し、

様々思うことがありました。

 

今日は、

・「親と子であっても対等」という心理学者アドラー氏の考え

・「しつけの原点」

について、まとめさせてください。

 

 

親と子であっても対等?

日本でも『嫌われる勇気』などでブームとなった

アルフレッド・アドラー氏の研究に影響を受けた

この「ポジティブなしつけ」講座でも、

何度か、「親と子でも対等」というアドラー氏の言葉に出合いました。

 

こちらの記事でも私自身、

『It Mama』寄稿:親バカもほどほどに!褒めすぎると「失敗を恐れる子」になる!?&褒める代わりに何ができる?

「褒める」についてとりあげ、

「褒めるのは結局、

関係として対等ではないから

子育てにそれほど必要じゃないですよね」と書いてます。

 

 

でも、大人と子供って、

「対等」なわけないですよね。

 

子どもは、この世に暮らす年数も親に比べて少ないですし、

知識量も、体験も、スキルも圧倒的に少なく、

親は教え、子は学ぶというのが、

「しつけの原点」でもあるわけです。

子育て生活で感情マックスになったときほど「しつけ(discipline)」の原点「教える・学ぶ」に立ち返る

 

 そこで、

このアドラー氏の言葉を理解するには、

そうした年数や、知識や、体験やといったものの先にある視点が

必要なのですね。

 

それが、

アドラー氏の言葉にもあるように、

「人の尊厳」です。

 

つまり、

「尊厳や尊敬に値するか」ということに関しては、

「親も子も、全く対等」というわけです。

 

以前書いたこちらの記事も、

このコンセプトを理解するのに役に立つと思います。

米国士官学校教育長によるパワフルなスピーチに思う。私達は子供の「尊厳」を忘れてやしないか?

 

「親と子は対等」という言葉は、

こうした「子どもの尊厳」という視点を大切に、

子どもに向き合っていくことを、

思い出させてくれます。

 

 

 

「しつけの原点」とは?

以前、しつけについて米国でのベストセラー本の著者で小児精神科医ダニエル・シーゲル氏は、

ラテン語の語源に戻り、「しつけ」を

「教え・学ぶ」と定義していると紹介しました。

子育て生活で感情マックスになったときほど「しつけ(discipline)」の原点「教える・学ぶ」に立ち返る

 

 

ジェーン・ネルセン氏の、

しつけについてのラテン語の解釈は、

「真理(truth)を求めるものとして教え・学ぶ」というものです。

 

つまり、教える側も、学ぶ側も、

「真理」が中心にあり、

「真理」を前に、対等というのですね。

 

図で表すと、

こんな感じになるのではないでしょうか。

 

    しつけの原点は「教え・学ぶ」こと。

 

しつけの原点は「真理(truth)を求めるものとして教え・学ぶ」こと。

 

真理を目指すものとして、

大人も子供も、対等。

親に従う子を育てるのではなく、

真理に従う子を育てるわけです。

 

私自身、なるほどなあと、

とてもしっくりした解釈でした。 

 

 

 

また、知識や体験量やといった面では、

「親は教え子は学ぶ」という立場ですが、

でも、確かに、知恵や真理と言う面では、

親が子どもから学ぶことって多くあると思いませんか?

 

例えば私自身、

子供から教えられ続けているなあと思うことに、

・今この瞬間を楽しむこと

・無条件の愛情

があります。

 

子どもは、今この瞬間を楽しむ天才ですよね。

それが、年を重ねるにつれ、

過去をひきずり、未来を悩みと、

重たくなっていきます。

 

そして、親がどんなに失敗しても、

どんなに後から「ごめんね」と思うような反応をしてしまっても、

子どもから親に向けての愛情ほど、

「無条件な愛情」ってないと思いませんか?

 

なんでこんなにも、こんなことをしてしまっても、愛してくれるの、

私自身、何度そう驚き、泣けてきたか分かりません。

 

「無条件の愛情」を体現するロールモデルとは、

子どもに他ならない、

私は、そう思っています。

もし、親にそのロールモデルを求められないのならば、

目の前の子どもに、学ぶといいのですよね。

 

 

 

・親も子も、尊厳に値し、そして、真理を前に、対等である。

・しつけとは、その場その時点での真実を求め、教え学び合うこと。

 

みなさん、

子どもに向き合う日々に、

思い出していきたいですね。

 

 

講座では、こうしたコンセプトを基に、

様々な具体的事例や方法やツールを学んできました。

伝わる形へと、こつこつまとめていきますね。

 

 

 

 

さて、元旦。

次女と三女の回復と共に、

大晦日は大はしゃぎしていた次男が、

熱と嘔吐ですよ。

 

こちらは2日から学校なのですが、

我が家は体調が戻るまで、

少し遅れてのスタートとなりそうです。

 

私自身、子ども時代、

しょっちゅう熱を出し、病気になっていたんですが、

ありがたいことに、今は、風邪菌が荒れ狂う中でも、

それほど影響を受けなくなっています。

 

免疫力を養い、

強くなる過程なのだと見守りつつ、

子どもたちがたっぷり休息し、

体調回復するのをサポートしていきます。

寄り添えることに感謝しつつ。

 

年末の散歩。

氷点下ですよ。

次女撮影。

 

みなさん、温かい年始を!


2018年、明けましておめでとうございます! 荒波にも力強く踏み出す力を与えてくれるもの

2018年01月01日 | お知らせ

14時間遅れて、米国東海岸でも年が明けました。

みなさん、明けましておめでとうございます!

 

年末から、強烈な風邪菌が我が家を席巻し、

三女と次女が39度近くの熱で年越しでした。

 

残りのメンバーは、すっかり回復、もしくは、

風邪菌の影響を受けていないので、

「ぐったり」と「大はしゃぎ」が入り交ざった年越となりました。

 

夜中0時のカウントダウンには、

どうしても参加したいと、

我が家恒例の風船の下に集まる、

「ぐったりさん」2人と「大はしゃぎさん」2人。(長男は友人宅)

 

ハッピーニューイヤー!

 こんな年明けもあり。

 

 

年末も、日々、

嬉しいニュースや風邪を含め、

強烈なアップダウンが続きました。

 

今年も、台風の中心の目のように、

荒波の中心にある「澄み渡った温もり」を、

全身に行き渡らせていきたいですね。

 

そして、

荒波を前に、

小さく震える弱々な自分、

完璧にはできないと膝を抱えてしゃがみこむ自分を、

抱きしめてやること。

 

中心の温もりに包まれ、

湧き上がる躍動と共に立ち上がるには、

やはりそうすることが、

とてもパワフルだなあと感じています。

 

小さく弱く未熟で醜くも見える自分を認め、

駄々をこねる幼子をひょいともちあげるように、

温もりで包んでやること。

 

すると、前へと進む歩みが、

何倍も力強くなります。

 

 

本当に、

子どもへの向き合い方を通し、

自分への向き合い方を学びますね。

 

 

2018年、引き続き、

できることを、できる範囲で、

こつこつと続けていきたいですね。

 

読んで下さりありがとうございます。

みなさんにとって、2018年が、

温もり溢れる年となりますように。

 

本年も、どうぞよろしくお願いします!