マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

誠実さ

2015年09月29日 | イメージ

どこまで表すのか、

昔からよく迷ってきたように思う。

 

内には、あらゆる感情思い言葉もやもやが行き交っていて、

それらのいくつかは、常識や、世間やといったものからは程遠く、

また、それらのいくつかは、周りの人々を、瞬時に傷つけたり、踏みにじることができてしまうものでもある。

 

誠実に、嘘をつかない、本当のことをいいましょう、そんな言葉を虚しく思ったものだった。

 

言葉を発しては、それらの言葉では掬い取れない部分に溢れ、言葉の力を信じていない自分に呆れていた。

 

だからこそ、言葉を紡ぎ続けてもいる。

カオスの中に、少しでも、道筋を築くために。

こちらへ進むのだと、道しるべを立てるために。

 

ポイントは、

行き交う全てを背負い込まないことなのだろう。

自分はこんなことを思い、考え、感じている。

確かに自分なのだけれど、それらは、行き交うもの。

自分という枠に堰き止める必要もない。

 

弱く小さく汚れ卑しい自分に慈しみを向け、

カオスの中から言葉を選び、積み重ねていく。

 

誠実さとは、カオスの中に選んでいるという自覚。

 

 

 


長く続ける姿勢

2015年09月29日 | 雑感

アラスカから東海岸へ16日間毎日運転して思ったことはたくさんあるのだけれど、

その中のひとつに、姿勢の大切さがある。

 

数時間ならまだしも、

毎日繰り返しの長時間運転。

20代やら30代ならなんてことはないのだろうけれど、

色々な意味で「のってきた」40代、

当初腰や首やら痛み出し困った。

 

腰を伸ばし、肩の力を抜き、顎を引き過ぎず出し過ぎず。

頭ばかりに意識を上らせず、

丹田に下ろすイメージで。

こうした姿勢が最も無理なくさらさらと長時間運転を可能にしてくれた。

 

どうも意識しないデフォルト状態では、

腰が曲がり、肩に力が入り、顎が出過ぎる、頭ばかりパンパンにのぼせている、

になっているのだと気づく。

 

長くコンスタントに続けるには、

不自然に偏っていたり力が入っていたら難しいのだなあとしみじみ。

今この瞬間の姿勢を調整していく、

デフォルト状態に気づいていきたい。

 

 

 

 

 


次男と学校

2015年09月29日 | 小学校

最近の次男と学校:

 

週末明けの朝、寝起きにまだ目がしっかり開かない状態で、

「行きたくなーい、行きたくなーい」と泣く。

それでも着替え、食べて、目が覚めてくると、

行く気持ちになってくるようで、

バックパック(こちらでは「ブックパック」と言うそう)を背負って張り切って家を出る。

それ以外は、「行きたくない」とも「ホームスクールしたい」とも言わなくなり、

学校での出来事を楽しそうに話している。

 

担任の先生のこと、家では「グランマ」と呼んでいる。

ご本人は「自分は15歳」だとおっしゃっているのだけれど。

昔ながらの言語道断的な厳しさのある方。

ユーモアある温もりに安心するよう。

 

ひとまずほっとしつつ、

様子を見守っていきたい。

 

 

 

 

 

 


チェスマスター&ライフマスター

2015年09月23日 | チェス

今朝は、今日から1月終わりまで続く週1度のチェスクラブ。

三女と次男、授業開始1時間前に小学校へ。

 

DCや近辺の小中学校を行き来して教えるチェスマスターA氏、

ビギナーズグループに基礎をレクチャー。

チェスクラブ常連組は、隣で早速チェス試合中。

 

とりあえず3日前に夫や姉から基本を習った三女と次男。

まずはポーンとビショップだけで練習。

 

マスターに「全く知らなかったんですけどよく分かりました、ありがとうございます」とレッスンの終わりに伝えると、

「毎回来たらできるようになるよ!」というお言葉。

すっかりその気になって、雑用など手伝いがてら、毎週2人と参加することに。

 

このAさん、「ライフマスター」という肩書もあるよう。

 

ゲームは確かにライフの縮小版でもあるなあと。

今手元にあるものをどう生かすかにフォーカスする。

一手一手が絡み合い、形勢は変わり続けている。

ああすればよかったこうすればよかったという思いは、次の一手に生かして。

あれがあったらこれがあったらと想う間に、目の前の駒をどう動かすかを見る。

思い出していきたい。

 

普段使わない頭の箇所が刺激され、すがすがしい一日の始まり。


残された時間にできること

2015年09月22日 | 雑感

あと3、4年もすれば、

上の子達は高校を卒業し、

それぞれの進路に向かって歩いていく。

 

残された時間、何をしてやれるだろう、と思う。

 

ひとまず、

 

集中できる環境づくり

安心できる場づくり

リラックス法を身に着けさせる

興味に火がつく&興味が深まる情報提供

リフトアップ

できる範囲でのリソース提供

 

などだろう。

 

 

 

 

長男は最近長距離走にはまっていて、

学校の選抜チームに入り、

毎日練習、毎週競技会。

いかに速く走ることができるかと考え試し工夫する毎日。

しばらく困っていた走行中感じることのあった「横腹の痛み」も、

コーチの指導で呼吸法により和らげられるようになったよう。

週末にも15キロほど近所を走る。

冬に始まるレスリング部に向け体重調整しつつ。

つくづく、体を様々試し限界に挑戦するのが好きなんだなと思う。

 

長女はバレーボールチームに入り、

やはり毎日練習、毎週競技会。

 

こちらの大学は高校四年間の成績、課外活動、統一テストスコア全てが考慮され、

進学を希望する長男長女、

日々溢れる宿題課題、テストクイズ続きの学業面の成績を保つ必要もある。

 

多くの親御さんが「大学受験までの高校四年間は過酷」と言い、

ティーンの睡眠不足が問題になっているアメリカ社会だけれど、

授業や部活以外にもしたいことのある子供達、

確かに、毎日まとまった睡眠時間をとるのは難しい。

宿題が少なめの日や週末にため寝状態。

 

  

そんな中、最近は特に「リラックス法を身に着けさせる」大切さを感じている。

マッサージなどし合うのもいいけれど、

「あれしなきゃこれしなきゃ」と力の入った心身を緩める時を、

自ら日常生活に取り入れることを学んでくれたら。

そのためには、周りにいる私自身、

「あれをしなきゃこれをしなきゃ」とがちがちに入った力を緩めていけたらと思う。

力を抜いて、たんたんと山積みのやるべきことに向かっていく。


表面的な言葉や態度

2015年09月22日 | メモ

こちらに暮して一か月の気づきメモ:

 

学校スタッフ、先生、大工、車の修理工、不動産業者、各種店員、

どんな職業であっても、

その道のプロとしての話し方や態度が行き渡っている。

 

表面的な話し方や態度の奥を見るのなら、

それは米国だろうと世界中どこに行こうが多様で色んな人がいるのだけれど、

少なくともその場で互いが気持ちよくスムーズに動くことのできる表面的な言葉遣いや態度というのが、

徹底している。

 


家から少し遠いバス停と近いバス停と

2015年09月15日 | 中学・高校

子供達とアラスカとこちらの違いを話すことがよくあるのだけれど、

昨日長男が私と2人になった時に、ぽつり。

「こちらの子供達はかなりレイシストだね」と。

 

近所の子供達が週に何度か、

フットボールをしよう、サイクリングしようと誘ってくれる。

週末は、近くの池へサイクリングした後、

「週末恒例」という暗闇の森でのかくれんぼへ上の子達3人が参加。

小学高学年から高校3年生まで十数人、

赤ちゃん時代から知り合いという子も多いようで、

皆家族や親戚同士のように仲がいい。

 

その夜長男帰宅すると、

「来週からこれまでとは違うもっと家に近いバス停でバスを待つことにするよ、

朝遠くまで歩く時間もセーブできるしね」と。

 

家の近くのバス停には、アフリカンアメリカンの子供達が集っている。

そして少し遠くのバス停には、いつも誘ってくれる子供達。

その場は「ふーんそう」と答えたのだけれど、

その翌日の冒頭の長男のコメントに、あ、そういうことかと。

ふたつのバス停に集まる両者が、混ざることはない。

 

そして長男らしいなあと思う。

「僕自身が何かされたということではないんだけどね」とのことで、

確かに親しみのこもった誘いは、今のところ変わらず続いている。

娘達は毎朝「少し遠くのバス停」で、そこに集う子供達と楽しそうに過ごしている。

 

こちらにきて、

確かによりくっきりとした溝のようなものを感じている。

学校や家を探す時も、ネットに「この学校はレイシストが多い」というような書き込みがあり、

アラスカでは見たことがないとぎょっとしたり。

 

ここらあたりは、白人の方が圧倒的、そして黒人の方が少し。

東アジア系の方にはこれまで出会ったことがない。

都市に近くなるほど、より多様ではあるけれど、

少し離れると地域によって学校や街の雰囲気も随分と違う。

 

多感な思春期。

色々なことを感じ思いながら、自分なりの道を築いていこうね。


学校側との話し合い、スタッフの方々に感謝

2015年09月15日 | 日常

昨夜はこの学校区の数学&ギフテッドプログラムエキスパートの方とミーティング。

友人宅のディナーに誘われていてその道中だからと、

勤務時間外に家の近所の小学校に来てくださる。

 

開口一番。

「5人子供さんがいますからね、

一つ一つの学校に問い合わせていたら大変でしょう。

だからこういう場があると助けになると思うんですよ、

さあ、何でも聞いてください!

私はより大きな全体像を話すことができると思います。」

 

ハイテンションでやる気に溢れた方で、

次から次への質問の一つ一つに、

熱意のこもった姿勢で答えてくださる。

 

一時間ほども!

小学校から高校、そして大学進学までについて溢れる情報。

「すぐには消化できないほどの情報量に満たされるのはいいことですよね」

とにっこり。

 

これほどやる気に溢れた方が上司にいたら、

周りも士気が上がるだろうなあ。

話内容とは関係ないのだけれど、

その熱意熱情の源に思いを馳せた夜だった。

 

 

先週末には、

小学校のリーディングのエキスパートの方が、

今週から始まるという「リーディングプログラム」について詳しく教えてくださった。

 

この区域は様々な所得者層が混ざっていて、

この小学校も低所得者層のいる学校という指定がされている。

その中でも過去数年で最もアカデミックが改善したと表彰を受けたのよ、と嬉しそうに。

学年にとらわれずその子自身のレベルに合わせたグループ分けがされ、

8週間ごとにテストやスタッフによる審査があり、

その子の進行度によってグループ間を動くことができるという流動性の高いシステム。

「子供によってレベルも進行スピードも違いますからね」と。

 

それで次男の方は、

毎朝半分眠い状態では「行きたくなーい」と泣くものの、

着替え始めご飯を食べとしっかり目が覚めるにつれ、

行く気も高まるよう。

自ら弁当箱を詰め、プリントを整理し、あ、時間だよーと玄関を飛び出していく。

帰宅後はかなり調子よく、

昨日は「新しいリーディングのクラスたのしー」と。

 

担任の先生も、

話し合いの後、少し気をかけてくださっているようで、

先生の話をすると次男の表情がほころぶ。

 

スタッフに恵まれありがたい。

 

 

一日一度ほど、

「ホームスクールの話し合いはどんな様子?」と聞きにはくるのだけれど、

様子を見守りつつ、できることをしていきたい。

明日は小学校でのボランティア・トレーニング。

この学校では親がボランティアに入るにもトレーニングが必要とのこと。

確かに学校で出会う方々、言葉の使い方や子供に向き合う姿勢など、少し統一感があるという印象。

どんな内容なのか、楽しみ。

 


こう育てたらこう育つ?

2015年09月11日 | イメージ

5人育てるとは、

こう育てたらこう育つ、

そんな「思い込み」を、

一つ一つ壊す過程でもあったのかもしれないなと思う。

 

同じ家庭に育っても、

全く違う特徴を持っている。

 

だからもし、

私がこう育ててしまったから、この子はこうなってしまったと悩む人がいるのなら、

こんな言葉をかけたい。

 

その子の持って生まれた性質もあるし、

それはもう何ともそう一筋縄では言えないもの。

それよりも、これからどうやってこの子がこの世に羽ばたいていけるかと考え動いていきましょうよ。

 

周りより、時間も手もかかるかもしれない。

それでも必ず、道はある。

 

その子だけでなく、

自分自身の心と体も慈しみつつ。

目の前の「小さな」喜びを大切に。

一歩一歩。


時間とエネルギーの使い方

2015年09月11日 | イメージ

進む道の「正当性」を、

周りの人々に説得することに費やす時間とエネルギーを、

目の前に道を切り開き、築いていくことに注ぐ。

 

ホームスクールをする方から聞くことのある言葉。

様々な物事に当てはまるなあと思う。

 

様々な要素の絡み合った事情により、

そういった道を歩むことになっていて。

それは、誰にでも分かりやすく説明するのが、

時にとても難しいことだったりする。

 

黙し、着実に進み続ける人々の群れ。

見上げ、励みにしていきたい。