マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

ひといちばい敏感なギフテッドの手記、「私が人生に望むこと」

2016年05月31日 | ギフテッド

プリンストン大学からハーバード大学法学科へ進学し、ウォールストリートで弁護士やネゴシエイターとして活躍していたスーザン・ケイン氏は、その「輝かしい」キャリアを離れ、読み・書き・考えることに7年間没頭し、『Quiet』(2012年出版)を書いたといいます。「内向型」についてまとめられたこの『Quiet』は米国でベストセラーとなり、ケイン氏のテッドトークは最も視聴された記録的なスピーチのひとつとなっています。

そのスーザン・ケイン氏が主宰するブログ「静かな革命(Quiet Revolution)」に掲載された記事’On what to be' by Kelly Quirinoを紹介します。

(ちなみに、エレイン・アーロン氏の「HSP」と、ケイン氏のいう「内向型」とは、重なる部分が多く、著者自身も互いに言及しています。こうした「感受性が強く敏感な子」関連の情報を、様々な側面から発信していきたいと思っています。)

 

 

4歳の時にごみ収集車の運転手さんに憧れ、

5歳の時に将来は郵便配達人になりたいと憧れていたケリーさん。

 

5歳の時に、審査の結果「ギフテット」とされ、

1年生から「ギフテッドプログラム」に通うことになりました。

「賢い子」に囲まれ、「普通クラス」よりも倍の勉強量、

「こなせないタスク」がたまっていきます。

 

そうして通い始めた何週間後から、毎朝吐くようになります。

不安感も高まり、誘拐される、恐竜が生き返る、

空から大きな手がつかみかかってくるといった恐怖感におびえるようになり、

部屋の窓をより頑丈なブラインドで覆ったり、

夜中もすぐに逃げられるよう靴を履いて寝ることもあったといいます。

 

結局三年生の時にプログラムを抜け、

「賢い子」というレッテルがはがれ、ストレスからも解放され、

とても楽になったというケリーさん。

 

その後も、静かで、シャイで、不安感が強いまま、

あらゆる授業で落第点を取り、

17歳で高校をやめ、本屋につとめたのち、病院スタッフとして働き始め、

二人の母親となった今も、同じ職場につとめているとのこと。

 

「私は外科医でも、科学者でも、CEOでも、ノーベル受賞者でもありません。私が人生に望むのは、シンプルに、正直に、謙虚に生きることなんです。私が望むのは、私の子供たちに、あなたたちは愛されていると示すこと、そして、私の周りの世界を少しよく、少し美しく、少し平和にしていくことです。こうしたことが、この世で私の時間を過ごすために、価値あることなのだと、私の心は感じるのです。それでも、いつも、小さな私の一片が、私が野心を嫌悪することは、間違っていると見出します。小さな声が、私は私が与えられたものを無駄にしていて、私が私であっては、十分でないと告げるんです。

もし、プロフェッショナルな仕事を選ぶとするならば、私は今でも、大学教授より、ごみ収集車の運転手さんを選ぶでしょう。28年たった今でも、私はまだ、そのことについて、私自身を許そうとしています」

 

 

「ギフテッド」とされる子供たちを何人も見てきましたが、「『世間的に認められるもの』へなろう、そのために頑張ろう」ということに興味がない、または「きつい」と感じるケリーさんのような、感受性強く敏感な子に、しばしば出会ってきました。

周りは「もったいない」と思い、そうして本人も、いつかケリーさんのように、「ギフトを無駄にしている」というような気持ちを抱くことになるのかもしれません。

それでも、きっとどうしても、強烈に感じている心に、嘘がつけないんですよね。

 

 

この記事のコメント欄には、親や世間に望まれるようなキャリアを駆け抜けてきて、それでも心の底で、自然に囲まれた山の中で静かに人の目に触れず暮らすことを望んでいる、または途中で燃えつきドロップアウトし、自分が本当に望む道を歩み始めているなど、ケリーさんの手記に共感する人々の声が寄せられています。

 


我が家の子供たちの中にも、「大好きな人たちと暮らし、シンプルに幸せな人生を送るの」と言う子がいます。「子育てが一段落しても戻ることができる専門を若いうちに身に着けて」とは言うものの、自分の興味を掘り下げ広げたいなあということが「もっぱらの未来」だった私自身の子供・青年時代を思い出し、力が抜け、「もっと夢とか抱かないわけ?」と、ちょっとじれったく感じることもあります。

それでも本当、ケリーさんのように、自分の特性や心に正直に生きていくこと、それが、本人にとって、最も幸せなこと。私自身、年を重ね、様々な人々の人生に触れてきて、しみじみそう思います。

自分が幸せな気持ちを持ち、身近な周りの世界を「少しよく、少し美しく、少し平和にしていく」。

そう「少し」に見える、その世界の深さ豊かさに、はっとさせられつつ。

 

その子が幸せになる道を、サポートしていきたいですね。

 

 

引越し先物件の決定や手続きの期限が迫り、走り回っています。

こつこつと発信、続けていきますね!

それではみなさん、喜び見出す日をお送りください!


ハイリーセンシティブなティーンが訴える「HSCがあなたから最も必要とする6つのこと」

2016年05月30日 | ハイリーセンシティブチャイルド

 「しぐさや、表情、誰かの声のトーンが少し下向きに変わるだけで、私はやけどして麻痺したようになりました(seared)。考えることができず、落ち着きがなく、どうしてわたしはあらゆることに関してこんなヘビーに反応をしてしまうのか全くわけがわかりませんでした。まるで、多くの人にとっては何の意味のないかけらに見えるものから、私はいつもばかげた結論を導き出しているように見えたんです。」(‘Meet Daisy Gumin’By Daisy Guminより)

 17歳の時に、『Quietby Susan Cane と『The Highly Sensitive Person by Elaine N. Aronの二冊の本を読み、ようやく自分というものを理解できたと感じ、人生が変わったというDaisy Guminさんの言葉です。

 

今18歳のGuminさんは、2012年出版され、米国内外で大きな反響を呼んだ『Quiet』の著者Susan Cane 氏のブログをはじめ、様々なメディアに自らの思いを記しています。Guminさんは、自らを、こんなように紹介します。

 「私はライターであり、読者であり、ディスレクシアであり、ダンサーであり、一輪車乗りであり、真実を告げる人であり、嘘つきであり、聞く人であり、話す人であり、いじめの被害者であり加害者であり、友人であり、感情の友人であり、問題であり、奇妙で排除されるものであり、バックパッかーであり、リーダーであり、追従するものであり、アーティストであり、愛する人であり、カソリックであり、ユダヤ人であり、無神論者であり、ヨガを教える人であり、探求者であり、グルテンぬきのクレージーで腕のよいベーカーであり、そして、今日、自分が『ハイリーセンシティブな内向者』だと言えることに本当に感謝しています。」(‘Meet Daisy Gumin’By Daisy Guminより)

 

そのGuminさんが、HSCに関わる大人に向け書いた記事、「ハイリーセンシティブチャイルドが最も必要とする6つのこと「ハイリーセンシティブチャイルドが最も必要とする6つのこと(The 6 Things A Highly Sensitive Child Needs Most)を紹介します!

「子供は、どんなに心がこもっていたとしても、私達の意図を体験しません。子供は、トーンや行動の中に私たちが表すものを体験するんです。」という発達心理学者Gordon Neufeld氏の言葉を引用して始まるこの記事、Guminさんは、「あなたの子供は何にもおかしくないんです。あなたも、あなたの子供も、本当にそのことを知る必要があるんです」と訴えます。


「ハイリーセンシティブチャイルドがあなたから最も必要とする6つのこと」

(一つ一つの言葉がとても力強いので、なるべくそのまま訳します)

訳始まりーーーー


1.私たちが私であることを愛してください

私たちは、深く感じます。それは生まれつきのもので、選択しているわけじゃないんです。あなたと全く同じと思わないでください。あなたにうまくいくことが私たちにもうまくいくとは思わないでください。私たちは深く感じることを、コントロールすることができません。いつ感じるのをやめ、どの感情をもつべきでないかと、決めることはできません。それは、私たちが、感情をうまくコントロールできているように見えるときにもです。

私たちが、私たちとならしめるものを抑えようとするとき、私たちは私達の気質と共に与えられたギフトを、失うリスクを犯します。

ハイリーセンシティブさは、センシティブ過ぎるということではありません。だいたい、「普通」とは何ですか? あなたは、私たちにハッピーであって欲しいと思っている。でも、私たちが悪く感じるのを、止めようとするのは、一時的な解決でしかないんです。それらの抑えられた全ての感情は、どこへいってしまうのでしょう?

より易しい道があるとか、よりよい道があるとか、そういったメッセージを与えられるなら、私たちはあなたを信じ、何かが修正されるべきだと感じるでしょう。どうか、私達の「薄い皮」を包み込んでください。そして、それを持つことがなんらおかしなことではないのだと、わかって下さい。

 


2.「専門家」ではなく、あなたの直感に耳を澄ませてください

専門家は、あなたに、私たちがセラピーや精神科が必要だというかもしれません。私たちは双極性障害だとか、ADDだとか、薬が必要だとか、もっと薬が必要だとか言うかもしれません。私たちは、しばしば誤診されます。

専門家も、間違っているかもしれない、そして何も治すべきことなどないのかもしれないと、考えてみてください。専門家は精神病理学的にトレーニングを受けた人々です。彼らはラベルを貼ることが仕事なんです。

私達の表すものを解読するために頼る専門家は、1時間の診察で私たちを理解することなどできないでしょう。「思いやり(コンパッション)」をもって私たちを見てください。そして私たちに、あなたが何をみているかを分かるよう助けてください。

 


3.境界を教えてください

私たちは、生まれつき「大切に養う人(nuturers)」なんです。

私たちは、他者のフィーリングのために自身のフィーリングを無視してしまいがちです。

私たちは、私たちを他者より先にしてもいいのだと、そして境界を設けることは、私たちを自分勝手にするわけではないのだと、聞く必要があるんです。

 


4.学校や集団行動について

学校へ行きたくないとか集団行動に参加したくないとか、私たちがあなたに言うときには、なぜか?を分かろうとしてください。私たちが話す以上に、何かあるのかもしれないと思ってください。

学校は騒がしいんです。子供というのは意地悪になり得ます。彼らは裏切り、ゴシップし、排除することだってあります。学校は、極度に過度な刺激に溢れています。私たちは、深く周りの環境から影響を受けます。そして、容赦なく攻撃的になりうる文化に暮らしています。

ハイリーセンシティブチャイルドは、周りの公平さや残酷さを感じ取ります。私たちが「家にいたい」とあなたに頼むとき、私たちは十分な痛みを体験しているのだと信じてください。

私たちは、「鉱山のカナリヤ」かもしれないと考えてみてください。

 


5.ただ聞いてください

私たちは、アドバイスを必要としない時もあります。どうして私たちが私たちが感じるように感じるべきでないかを、聞く必要がないときもあるのです。ただ、あなたに聞いて欲しいときもあるんです。

 


6.そばにいて下さい

あなたは、私たちを導く北極星です。

 

訳おわりーーーーーー

 

ハイリーセンシティブチャイルドの心の声、関わる大人として、心に留めておきたいですね。

こうしたハイリーセンシティブな感性が、たくましく育っていきますように!

 

みなさん、今日もよい日をお送りください!


ハイリーセンシティブな子を育てる喜び、「大変さ」と隣り合わせにある「喜び」を見出す大切さ

2016年05月29日 | ハイリーセンシティブチャイルド

「喜び」は、たとえば、サッカーボールのようなもの。

 

だだっ広い競技場を、もしボールなしで、ただ往復するとなると、

しんどくて、きつくて、退屈で、そうは長続きしません。

それでも、ゲームの中でサッカーボールを追い掛け回すとなれば、

何度だって夢中で行き来できるもの。

 

ハイリーセンシティブチャイルドを育てる「喜び」について、

エレイン・アーロン氏がまとめたものを記します。

 

日々押し寄せる「大変さ」に、時に埋もれてしまうことのある「喜び」。

それでも、コインの表と裏のように、

大変さの隣に、常にある「喜び」を見出す姿勢を覚えておきたいですね。

 

(以下、『The Highly Sensitive Child』 by Elaine N. Aron  P.66より)

 

1.「問題」を通し絆が深まる

「難しい問題を解決するのをサポートする中で、HSCはあなたに対し、深い感謝の気持ちをいだくでしょう。不安感へどう向き合うか、周りからのいじめや偏見に満ちた扱いなどのタフな状況ひとつひとつに、共に向き合い越えていく体験を通し、あなたは同志のような繋がりをえるでしょう。」

ポジティブ面にも深く感じ入るHSCですから、困難を乗り越えるそのひとつひとつ体験に、絆の深まり度もはんぱじゃないかもしれません。

 


2.あなたに全ての物事により気づかせてくれます

「美しさ、ニュアンス、社会的な微妙さ、そして、もし問いかけられないならば、考えることをやめてしまっていたことへ再び目を向けさせてくれたり。あなたがHSPだとしても、HSCは世界についてフレッシュで高感度な見方を差し出してくれます。あなたは、あらゆる質問に答えを見つけようとします。そしてそれらの答えとは、時に、内側にだけあるものかもしれません」

これはもう、日々実感しますね。子供たちが、世界をより広く深く突きつけてくれます。

 


3.意識的にも無意識的にもあなたに気づいています。そのため、あなた自身があなた自身により気づくようになります。

「ママ、どうしてあの人に『あなたのこと好きよ』って言ったの?私の前では、そうじゃないって言ってたのに」「パパ、倒れそうなくらい疲れてるって言ってたのに、どうして床を掃いてるの?」などなど、不思議そうに問いかける姿。

HSCと過ごすときとは、はっと自分を省みる瞬間に溢れています。「無意識的」というのもよくわかります。こちらの気持ちや心の状態が、如実に子供たちに表れますから。

 


4.健やかに育ったHSCの驚くべき感情の深さを目の当たりにするでしょう

「外的内的世界で出合った広い範囲での美から得る喜びの深さ。こうした深みからもたらされる宝は、何らかのかたちで人目につくようになるかもしれません。」

わかり易く人目につくものであっても、そうでなくても、その宝を大切に育んでいきたいですね。

 


5.健やかに育ったHSCが世界へとてつもない貢献をするのを目の当たりにするでしょう

「それは、ステージの中心であろうと、人目につかない裏方であろうと。敏感な人というのは、鋭い観察者であり、思考者であるため、伝統的に、発明者であり、法を作る人であり、癒す人であり、歴史家であり、科学者であり、芸術家であり、教師であり、カウンセラーであり、スピリット面のリーダーであったわけです。そして統治者や軍人のアドバイザーであり、ビジョンを見る人であり、預言者でした。コミュニティー内では、他者が、誰に投票し、どう家族の問題を解決したらいいかと尋ねてくるオピニオンリーダーでもありました。彼らは、とてつもない親やパートナーになるでしょう。彼らは社会の公平さや環境に対し、深い『思いやり(コンパッション)』やケアの気持ちを持つでしょう。」

大変さやネガティブ面に翻弄され、将来こんなことでは・・・、と心配し危惧することもあるもの。それでも、その子の持つ「可能性」を、見つめていきたいですね。「敏感な子供」たちが、自らの「強み」をこつこつと育み、この世に、発揮していけますように。周りにいる大人として、できることをしていきましょう。

 

 

 

こちら三連休。気温も30度まであがり、すっかり夏の日々です。

今日は、家族でそろぞろ、内陸の田舎町へ出かけてきます!

みなさん、新しい週、喜びを見出し喜びに包まれる日々をお送りください!


子供時代から「認知のゆがみ」ユガミンに気づく習慣を育む、同時に覚えておきたいこと

2016年05月29日 | 子育て全般

昨日の記事(「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介

にある「認知のゆがみ」について。'

 

大人になってから、

長い年月をかけ深く刻まれた考え方の癖や習慣を治すよりも(もちろん可能ですが)、

子供の頃から、自分で調整する習慣を身につけられたら、

将来、その子のためになるだろうなあと思っています。

 

昨日紹介した、

「認知のゆがみ」をわかり易くシンプルに表す「ユガミン」キャラクター。

自らの考え方や感情に向き合う中で、

「あ、ユガミンだ」と気づけるようにしておくといいですね。

 

「悩みは、がまんするしかないのかな?」こころの健康副読本編集委員会 3ページ目より

 

ジーブン: よくないことが起こると、全て自分のせいだと思う。

シロクロン: 白か黒かのどちらかだけと考える。現実はその「間」のグレー状態がほとんどにも関わらず。

ベッキー:「べき/べきでない」と「律」に縛って物事を眺める。

ラベラー: こうだ!こういう人だ!と物事や人にラベルをはり、はがさない。

ジャンパー: 根拠が不確かでも、ネガティブな展開や思い付きを信じる。

フィルタン: ポジティブ面をざーと流し落とし、ネガティブ面だけ残るフィルターで物事を眺める。 

パンカー: 物事を一面だけをみて、一般化する。 

マグミニ: ネガティブ面を極大化、ポジティブ面を極小化。

 

 

とはいえ、

ユガミンを忌み嫌い見下し、

「こういう風に考えちゃダメ!」と反応するのではなく、

「ああ、ユガミンが出てきたねー」、くらいがいいのだと思います。

 

嫌悪感が強い間は、ユガミンたちも、より力を持つもの。

それには、嫌悪感のわかないような、

これぐらい「可愛いキャラ」でイメージするのもいい方法ですね。

 

ユガミンに気づく習慣とは

「思考や感情は、天気のように、移り変わっていくもの」、

そう眺められる姿勢とセットで身に着けていきたいです。

 

大人が頭で「思考や感情と自分を同一化しない」などと考えるよりも、

子供は、こうした「お天気」などのメタファーで、

案外すっと、「がんじがらめにならない姿勢」を身に着けやすい、

そう感じています。

 

ヘルシーな「考え方のくせ」を育むサポートを、

していきたいですね。


「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介

2016年05月28日 | 子育て全般

昨日の記事「ひとつひとつの「爆発」が、思うようにならない物事に向き合う力&スキルを育むで、

「認知のゆがみ」について少し触れたのですが、

もう少し分かり易く説明します。

 

「認知のゆがみ(cognitive distortion)」とは、

誇大であったり論理的でなかったりといった「思考パターン」です。

そしてこれらの思考パターンとは、

うつや不安感などといった精神病理学的な状態を永びかせるとされています。

 

「認知行動療法」などでも、

この「認知のゆがみ」に自ら気づくことが、

セラピーのコアとされているようです。

 

「認知のゆがみ」について草分け的な研究をしたとされる

精神科医 Aaron T. Beck氏とDavid D. Burns氏によると、

主に以下のような「認知のゆがみ」があるといいます。

 

・フィルタリング

物事について、細かいネガティブさを拡大視し、ポジティブな面を全てそぎ落としてしまう。フィルターを通し、ポジティブ面は全てザーと流し落とされ、残るのは、ネガティブ面のみ、といったイメージですね。

 

・黒か白かといった極端思考

黒と白の「間」が抜け落ちた思考。物事や人々を、「グレーゾーン」などの現実にある「複雑さ」を考慮せず、黒か白かのどちらかに振り分ける思考。完璧でなかったら、自分は完全な失敗者だと思うなど。


・過度の一般化、レッテル貼り

ひとつの出来事や一片の証拠に基づいて、全体的な結論を決め付ける思考。一度だけ起こった思わしくないことが、これからも何度も起こってしまうだろうと思うなど、ひとつの物事を、何の打つ手もない終わりなきパターンに組み込まれたものとしてとらえる。

 

・結論に飛びつく

少しの証拠から結論を決め付ける。相手がこういう態度を取るのは、自分をこう思っているからだと「心を読んだり」(実際はそう思ってないかもしれないのに)、今こういうことが起こったから、未来もこうなるに違いないなど「未来を読む」(そんなこと分からないはず)ような思考パターン。

 

大惨劇化する

 「もし~したら・・・」などと、「惨事」の可能性を広げていく。

 

・個人的にとる

 他者が言ったりしたりすること全ては、自分に対しての直接的な個人的な反応だととらえる。誰がより賢くよい見かけかなどを決めるため、すぐに他者と比較するなども。

 

・周りが全ての手綱を握っている

自らの喜びも痛みも全て周りによるという考え方。自分は何もできない被害者という思考。

 

・「~すべき」

すべて「すべき」「すべきでない」と考え、そうしないと何らかの形で罰せられるかのようにとらえる。

 

・感情的に論理づける

こう感じるから、こうに違いないと考える。私って馬鹿だなあ→私は馬鹿。「感情は行き来するもの」にも関わらず。

 

・他者を自分の思うように変えられるという期待

圧力を与えたり甘い言葉でつり、他者を自分に合わせるために変えられると思う。他者が変われば全てうまくなると考える。結局、他者が手綱を握っているんですね。

 

・極小化、極大化

いいことは極小化、よくないことは極大化する思考。

 

・常に正しくある

「正しくあること」が、他者のフィーリングより重要だとする。どんな状況でも、正論を振りかざす。どんなに相手を傷つけようとも、私はこの議論に勝つだろう、なぜなら私は「正しい」のだからと、「個の興味」を、他者のフィーリングに優先させる。

 

・「天国」が報酬を与えてくれる

まるで誰かが常に記録していてくれるかのように、自己犠牲や自己否定の見返りがいつか与えられると期待する。何の見返りもないと、苦しくなる。

 

 

こうした思考に陥っていく自分に、

あ、そうそう、と気づいていくこと、

それだけでも、随分と変わってきます。

 

 

 

 

こちら米国では、子供向けに、

それぞれの「認知のゆがみ」を動物にたとえたものなどがあるんですが、

日本でも、こんな「キャラクター」になってたりするんですね!

 

「自分の『気分』や『考え方のクセ』に気づくことで、

もやもやした気持ちや、よくわからない感情がすっきりして、

気持ちが軽くなることにつながります。」

とのこと。

(「悩みは、がまんするしかないのかな?」こころの健康副読本編集委員会 3ページ目より)

 


「自分を苦しくする考え方のパターンに気づいていこうね」

そんな話を子供たちとすることが助けになっている、

そう実感しています。

 

年齢に合わせ、こうした言葉や図を大いに活用し、

その子の心に届く話し合いをしていきたいですね。

 

みなさん、楽しい週末をお過ごしください!

 


参考資料:

 ‘Cognitive Distortion’Wikipedia

‘15 Common Cognitive Distortions’ By John M. Grohol, Psy.D.

 


親や介護人など「ケアを差し出す人」ほど、「自分への思いやり(セルフコンパッション)」が必要

2016年05月27日 | 自分への思いやり(セルフコンパッション)

「子育てする親、高齢者の介護人、看護師、保育士、セラピスト、先生など、

他者のケアをする『ケアギバー』こそ、

「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」を必要としています」

と心理学者のクリスティン・ネフ氏は言います。

 

本当に、そう思います。

 

差し出して差し出してケアし続けて、

それでも周りからは、ただ「当たり前」と扱われ、

相手のことを思えば思うほど、どこまでも終わりのない仕事量。

しかも人間相手のこと、こちらが思い描くどおりに物事が進まないことも多く、

「まだまだ自分は全然十分じゃない」という気持ちが迫り続けます。

 

かさかさ、かさかさ、

差し出し続けた心が、

乾いた音を立て、「燃え尽き」ていきます。

そして、枯れた心は、

最も大切にしたいはずの、目の前の人や子やへと向かい始めます。

 

自らを満たす大切さ。

 

満ちていないものを、差し出すことはできません。

「ケアギバー」こそ、自らをケアし、自ら受け取る必要があるんです。

 

目の前のケアから離れ、

趣味、運動、創作、友人とわいわい過ごすなど、

リフレッシュするひと時の大切さ。

 

それでも、そうした時間が十分取れない場合でも、

目の前のケアに取り組みつつ、気持ちを満たすことができるのが、

「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」だと、

ネフ氏はいいます。

 

例えば、ネフ氏の息子さんが、自閉症の感覚過敏から、

公共の場で暴力的な癇癪を起こすたびに、

周りからは決して向けられることのない「思いやり(コンパッション)」を、

自らに向けることで、乗り越えてきたと。

 

こういった状況で、

周りから向けられるきつい視線に加勢し、

自らも自らに冷たく当たっていては、

自分も、目の前のケアを必要とする子供も、

追い詰められていくだけです。

 

 

 

自らに思いやりのこもったケアを向けるひとつの方法 

胸、お腹、肩、頬、どこでもいいので、

そっと触れるなり、抱きしめるなり、

とにかく身体に触れてみます。

(人の体温に触れることで、

温かい気持ちになる「オキシトシン」などのホルモンを、

上昇させることが分かっています)

そして、自らに「思いやり(コンパッション)」をこめて、

話しかけてやります。

 

「ホント、きついよね。こんなことになっちゃってね。

でも大丈夫、ずっとここに、一緒にいるから」

 

大切に思う人に向き合い、

心の底から、声をかける気持ちで。

 

 

どうぞ、試してみてください。

日常の何気ないひとときにも、

そして、ああもうだめだと感じる時こそ。

 

じわじわと心が温まり、再び、目の前の相手を、

心こめてケアすることが可能になります。

 

満たされた気持ちで、目の前の大切な人に、そして子供に、

向き合っていきたいですね。

 

 

 

さて、こちら金曜日朝、子供たちを送り出し、

往復三時間かけての引っ越し先物件探しです。

みなさん、喜び溢れる週末をお送りください!

 

 

参考資料:

‘Why Caregivers Need Self-Compassion’ by Kristin Neff

http://www.huffingtonpost.com/kristin-neff/caregivers_b_1503545.html


ひとつひとつの「爆発」が、思うようにならない物事に向き合う力&スキルを育む

2016年05月27日 | 完璧主義

昨日の午後、学校から戻った娘の機嫌がよくありません。

 

数週間前に、所属していたサッカーチームが組織内のごたごたで解散し、

今日は、待ちに待った新しいチームの「トライアウト(レベル審査)」。

 

ところが、この同じ日に、

他のチームのトライアウトもあると、お友達から聞いてきたようです。

そして、そのお友達のチームの方が、知っているメンバーも多く、

より充実してみえ、ああ、こちらのチームにしておけばよかったー、

と後悔しているとのこと。

 

トライアウトですから、

まだどのチームに所属するといった手続きは何もしていないものの、

トライアウトに参加するには事前に申し込む必要があり、

あと2時間ほどすれば始まるそのお友達のチームのトライアウトに、

突然現れるというわけには、普通はいきません。

 

一足遅かった!、何でもっときちんと調べなかったんだろう・・・、

ぽろぽろと泣く娘。

次第に、ぽろぽろが、うわーんになり、うぎゃーになり。

 

 

いつも最悪なことが起こるんだから!

何もかもむちゃくちゃ!

全然いいことなんてない!

 

「これまでうまくいかなかったこと」が、津波のように押し寄せ、

一点のしみのせいで、全てが台無しになったかのような、

「極端な思考」に転げ落ちていきます。

 

普段、こうした一点のしみからネガティブ一色になる「極端な見方」が、

(「いつも」「何もかも」「全然~ない」という言葉を用いる)

どれほど自分を苦しめてしまうか、といったことを話し合っているので、

「ほら、極端パターン」とだけいうと、

少しはっとした表情をして、ベッドに突っ伏して泣く娘。

 


「そのチームに入りたいなら、

どうしたらできるか考え、動いていこう。

泣いててもね、何も変わらない」

と私。

 

「もう遅すぎる!できることなんてない!もうだめに決まってる!」

泣きじゃくる娘。

 

「そうかもしれないよ。

でもさ、できることをやりつくしてどうにもならかったら、

また好きなだけ泣けばいいじゃない。

ほら、あと2時間あるんだから、できることをしていこう」

 

涙をぬぐいしゃくりあげながら、

スマートフォンを取り出し、お友達にテキストを送り、

主催者側の連絡先を聞き始めます。

 

次にコンピュータのスクリーンに向かい、

お友達のいうチームのウェブサイトを探し当てると、

お友達から聞いたメールアドレスのみが「連絡先」として載せられているものの、

ウェブサイトのスケジュールなどを見ると、

トライアウトについてはどこにも書かれておらず、

どうもあまり活発に更新されていない様子。

 

「ウェブサイト、少し前のことしか載ってないし、

きっと、メール送ったって、いつ見てくれるか分かんないよ」

そうブツブツいいながら、

「トライアウトに参加したいです。よろしくお願いします」といった

内容のメールを娘が書き、送ります。

 

引き続き、何とか主催者側にコンタクトがとれないかと模索していると、

なんと、3分もしないうちに、返信が!

「トライアウトは今日の6時からですよ。

ペーパーワークはひとまずいいですから、

集合地に来てください」

とコーチ直々!

 

記された電話番号に、すぐに私が電話をかけ、

お礼をいいます。

 

あまりにもとんとん、

と話がすすんだことに、

涙で濡れた目で、ちょっときょとんとした様子の娘。

 

「ベッドで泣いてただけだったら、

こうはいかなかったね」

と肩をなでてやります。

 

 

以前に比べ、本当に、立ち直りや切り替えが

よりスムーズにできるようになったなあと思います。

 

2点、その効果を実感していること:

 

1.自らの「認知のゆがみ」に気づく

「全てだめ」ではなく、物事をよりフェアに眺めてみる姿勢。

「極端な思考」に落ちていく自分に気づいていきます。

 

普段「いいとき」に、極端に考えてしまうことが、

以下に自分自身を苦しくするかといった話し合いをしておくと、

最中にも、一言かけるだけで、はっと気づくことができます。

 

 

2.「今何ができる?」と自らに問う姿勢

思い通りにいかないことに、絶望してしゃがみこむ前に、

「じゃあ今どうしたらいいかな?」と問い、できることをしていく姿勢。

 

ただしゃがみこんでいるよりも、こうして「動く」ことで、

物事が好転していったという体験を積み重ねることで、

「あ、あのときもそうだった」と、より動きやすくなっていきます。

 

そう考えると、本当に、ひとつひとつの「爆発」が、

その後によりよくなっていくための、

チャンスなんですよね、

しみじみ思います。

 

子供の爆発のひとつひとつに、

よし、また「成長する機会」がやってきた、

ぐらいの気持ちで、向き合っていきましょう!


ハイリーセンシティブチャイルドについての整理&カエルのその後

2016年05月27日 | ハイリーセンシティブチャイルド

『ユア子育てスタジオ』の方へ、

 

ハイリーセンシティブチャイルドについて、こちらに書いてきた記事を、整理しました。

「ハイリーセンシティブチャイルド(ひといちばい敏感な子)とは?その特徴と対応法」

特性を理解し、対応の仕方を少し工夫することで、我が家のように、

少しでも楽になる親子が増えることを願っています。

 

もうひとつ、

「カエルのビリー、一次体験を堪能しておくと好奇心の勢いや理解の深さが違う」

未来奈緒美さんが、『虹色教室通信』にて、記事にしてくださったものも、引用してあります。

カエルの「その後」も記しました。ナントあの日以来、昨日までの10日間、

はりついていたんです!

「ビリー」と名づけられ、すっかり家族の一員になっていたので、

別れに、ちょっと切ない気持ちをかみしめている子供たちです。

興味のある方、是非どうぞ!

 

 

 


 


「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」を成す3つの要素、日本の心にストンとなじむはず?

2016年05月25日 | 自分への思いやり(セルフコンパッション)

元々は仏教思想を基にする 「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」について、

初めて「アカデミックな研究」として取り組んだテキサス大学教授の心理学者クリスティン・ネフ氏は、

「自分への思いやり(セルフ・コンパッション)」とは、

主に以下の3つの要素からなると定義しています。

 


1.自分への親切さ(self-kindness)

苦しみ、失敗、自分は十分じゃないといった気持ちを、

無視したり、非難で鞭打つのではなく、

温もりと理解を持って自分に向き合う姿勢。

 


2.人類共通(common humanity)といった見方

失敗したり、困難に出合っても、

「なぜ私だけ」「何で自分ばっかりこうなんだ」

と孤立して苦しむのではなく、

人は不完全なものなのだから、失敗や困難は、

人類に共通して起こるものなのだと眺めてみます。

 

例えば、息子さんが自閉症と診断されたとき、

公園で遊ぶ親子連れを見て

しばしば、「なぜうちの子だけ」という思いが浮かんできたというネフ氏。

それでも、きつい思いをして子育てをしている人は、

他にもたくさんいる、

たとえ自閉症と診断されていないとしても、

大変な子育てをしている人は私だけじゃない。

そんなように眺めてみることで、「孤立感」ではなく、

周りとの「繋がり」を感じるようになったと言います。

 

個人的な考え方、感情、行動は、

成育歴、文化、遺伝、環境条件などの「外的な要素」に影響を受けるもの、

人は全て、そうした複雑に絡んだ「原因と結果の網の目」の中に埋め込まれている、

そう考えてみることで、個人的な困難を、ジャッジすることもより少なくなります。

 


3.自らの思考・感情・感覚に気づいていること(mindfulness)

自分が何を思い感じているのかに気づかないことには、

自分が自分にどう向き合っているかをとらえることもできません。

 

ネガティブな思考や感情にも、

オープンさと明確さをもって開いていること。

そしてそれらひとつひとつをジャッジすることなく、

同一化し過ぎてがんじがらめになることもなく

気づいていく姿勢。

 

 

 

他者に対しては、

1.親切さ、2.人類共通という見方、3.他者が苦しんでいる様子に気づくこと、

というのは、より自然にできるかもしれません。

自分に対しても、

これら3つのことを思い出していきたいですね。

 

 

 

元々は、アジアの文化に根ざす「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」。

マインドフルネスもそうですが、

科学的に再構築され、日本へ逆輸入されていくのかもしれませんね。

 

私たちは、原因と結果の「因果応報」の連なりに埋め込まれ、

自分も含め森羅万象どんな小さな虫にだって平等に尊い命がある、

そうした仏教思想を土台とする「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」とは、

日本に暮らす人々にとって、

ある意味とても自然で、すとんと心に届くメッセージなのではないでしょうか。

 

日々の子育てに、生かしていきたいですね。

 

 

みなさん、今日もよい日をお送りください!

 

 

参考資料:

'Elements of Self-Compassion' bu Kristin Neff

 


「自己肯定感」と「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」との比較研究紹介

2016年05月25日 | 自分への思いやり(セルフコンパッション)

「自己肯定感」と「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」との比較研究です.

 

カリフォルニア大学バークレイ校の心理学者Juliana Breines氏と Serena Chen氏は、

まずは被験者をふたつのグループに分けたといいます。

 

そして、それぞれのグループに、

失敗や弱みに対し異なる姿勢で向き合うよう伝えます。

グループ1:「自己肯定感」を高める姿勢

グループ2:「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」を込めた姿勢

 

1のグループは、失敗や弱み

を前に、

自らのポジティブ面を盛り上げ、

「自分はいい!自分にならできる!」といった気持ちを高めていく、

2のグループは、失敗や弱みを前に、

思いやりを込めた言葉や態度を向けるようにする、

というわけですね。

 

すると、

2の「思いやりを向けたグループ」の方が、

1の「自己肯定感を高めようとしたグループ」よりも、

失敗や弱みを「改善できる」ととらえ、

同じ過ちを繰り返さないぞ!といった「やる気」に溢れていたとのこと。

 

 

またこうした「やる気」は、パフォーマンス自体を高めるとも報告されています。

ある研究では、

一度目のテストに失敗した被験者を、二度目のテストに取り組む前に、

自らの失敗に対し、

1.「自己肯定感を高めるよう働きかけたグループ」と、

2.「自己への思いやりを向けるよう働きかけたグループ」

に分けて調べたところ、

1の「自己への思いやり」を向けるよう伝えたグループの方が、

2のグループよりも、25パーセント長く勉強し、テスト結果もより高かったとのこと。

 

 

 

なぜ「自己への思いやり」はこれほどパワフルなのでしょう?

ハーバード・ビジネス・レビューのこの記事によると、

それは、「『評価』とは関係がないから」とのこと。

 

自己肯定感を高めるためには、

「自分はいい!自分はできる!」といった「評価」を必要とするけれど、

「自己への思いやり」には、その必要がないというんですね。

 

そこで、

「自分!自分!といった『エゴ』が効率的に視界の外に出ることにより

欠陥や弱点に向き合うことを可能にするんです。

そうして、現実的な自分の能力や行動をとらえることができ、

次回どう違ったようにすればいいかと認識することが可能になります」

とのこと。

 

肯定感を高めるために、

「自分はいい!できる!」といった「評価」を常に求めてしまうことが、

目の前の問題にフェアに向き合うことを妨げ、

改善へと繋がらないということですね。

 

確かに、目先の「評価」に頓着する必要もなく、

失敗しても困難にぶつかっても、温かいサポート(コンパッション)があるとするなら、

自らの好奇心や興味をこつこつと存分に深めていけるのかもしれません。 

そしてそれが、パフォーマンスの高さにも繋がるんでしょうね。

 

「自己肯定感」と「自己への思いやり」については、

後ほど、今月初めに『The Atlantic』に掲載された最新の情報も、

まとめていきたいと思います!