マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

身近に起こったドラッグ事件、米国の現状&高校生と話し合える関係を築いておくということ

2016年02月29日 | 中学・高校

身近に「ドラッグ」に関する出来事が起こったので、

ちょっと調べてみたんですが、

こちらの高校生の間での現状は、想像した以上のものでした。

 

高校生の間で最も使われているのが「マリファナ」なんですが、

米国でも州によって「マリファナ」は合法。

アラスカでも21歳以上ならば、一オンス(約28g)まで、

売っても買っても吸ってもいいんですね。

家族ぐるみのホームパーティーで、大人は別室でという場もありました。

 

他に合法な州は、ワシントン州、オレゴン州、コロラド州、そして「州」ではないですか、

首都DC(the District of Columbia)もです。

米国州別マリファナに関する法マップ次に合法になる11の州

 

ということで、DC周辺のここら辺りも、2年ほど前までは、

「マリファナ」を持っているだけでもその場で逮捕されたのですが、

今では、量によっては(10g以下)民事扱い(初めての場合は「マイナーな交通違反」と同等扱い)。

かなり法律も緩められています。



こうした風潮もあってか、全国的な調査では、60パーセントの高校生が、

「高校の敷地内でドラッグが手に入るのを知っている」

という報告もあるようです(私立でも54%)。

子供達の通う公立高校の校舎内でも、しょっちゅうドラッグをかぎ分ける犬をつれた警官が、

生徒のロッカールームなどを探索しているとのこと。

 

 

とはいえ、学校の敷地内、学校に関わるアクティビティー、通学中などに、

「ドラッグ」や「ドラッグを吸う器具(paraphernalia)」が見つかれば、

生徒は停学処分になるわけですが、学校に関わらない場や時間については、

学校側が何かをできるということでもないようです。


ここ東海岸のある地区の12年生を対象とした調査では、

38パーセントの生徒が、「マリファナを試したことがある」と。

3人集まれば、ひとりくらいはしたことがあるといった現状なんですね。


2年ほど前には、すぐ隣の高校で、

何人かの生徒が集まり「マリファナ入りのブラウニー」を食べていたところ、

先生が「あら美味しそうね、ひとつちょうだい」と口に入れ、

ふらふらになってしまい看護室で寝込むことになり、

「マリファナ入り」だったことが判明、

作った生徒が逮捕される、なんていう事件も起こっています。

 

 

 


まだまだ日本はこれほどまでの状況ではないでしょうが、

こちらの公立高校に通う子供達を抱えつつ、大切だと痛感するのは、

「話し合える関係」を築いておくこと。

「まずい」と思ったことでも、打ち明けられる関係を築いておくこと。


子供によって、「まず心配ない」という子ももちろんいます。

それでも、我が家のように、何というか、

友人関係に幅があり、ふざけるのが好きで、

時に「好奇心」や「チャレンジ心」が「ルール」を上まってしまうこともあるような子の場合、

よーく話をして、早いうちに少しずつ実際に痛い目に合っておいた方がいいんだろうなと思っています。


長男の場合、「こちらの学校って、学校の勉強がとてもできる子と、

全然もう頓着してない子の差が極端だよね」と言っているんですが、

私から見ていると、「あなたの友達が両極端なんじゃない」と言いたくなります。

ということで、今回、「身近に」出来事を聞くことにもなったわけですが。

 

ここ数日、長男とも随分と話をしました。

この身近な出来事を通し、長男自身かなりショックを受け、様々考え、

何だか少し別人になったというか、一回り大きくなったようにさえ見えます。


私自身、これまで出会った息子君のドラッグの問題に悩む友人や知り合いを思い出し

(息子君たち、本当に聡明でエネルギーに溢れた魅力的な子たち)、

当時全く遠くに思えた世界を、今では、ああ、こういうことだったのか、

とすぐそこにあるものとして、とらえるようになっています。

 

長男に物理的には影響を与えることのない今回の出来事。

それでも、今回のことから、彼がどれほど学び、どれほど今後に生かしていけるか、

それを全力でサポートしていけたら、そう思っています。

 

 


ちなみに、「話し合える関係」というのは、振り返り、

子供の機嫌を損ねないとか、嫌な思いをさせないとかそういうことの積み重ねではないと思っています。

むしろ、異なる意見が衝突し腹を立て合い、それでもそこからお互い様々思い、

徐々にまたぽつぽつと話し始め、ふざけ合ったり楽しんだりして、

それでまた意見がぶつかり、互いに「うっとうしい!」「何なのよー」と腹を立て、

それでも一緒に美味しいもの食べたり、たわいのない時を共有しつつ、また互いに話してみようと思い・・・、

そんな繰り返し繰り返しを経て、少しずつ築かれていくものなんだなあと。

ひとつひとつの衝突によって、関係や絆がより深まっていった、しみじみそう思います。

 

 

 

今回の出来事を起こしてしまった子も含め、

子供達が、一つ一つの失敗から最大限を学び、

将来よりよくなるために生かしていけるよう、

周りの大人がサポートしていくことの大切さを思いつつ。


ごそごそ動くことで学習効果アップの子もいればダウンの子もいる、脳の多様さ

2016年02月28日 | 子育て全般

ADHDの子は、「動く方が認知的なタスクでよりよい成果をおさめる」、

という去年発表された研究を紹介しましたが

動くことがプラスになる子供達、異なる特性にフレキシブルな環境作り)、

もう少し詳しく書いておきます。

http://www.wsj.com/articles/the-benefits-of-fidgeting-for-students-with-adhd-1434994365より)

 

研究に携わったカリフォルニア大学教授Julie Schweitzer氏によると、

「ごそごそと動く(Fidgeting)」ことを教室に取り入れることで、

ADHDの投薬量を下げられるか、

または軽いADHDの子が薬を飲まないですむかについては、

引き続き研究が必要。

それでも、もし投薬を避けたいと思っているのならば、

他の行動療法などと共に、取り入れてみるのがいいでしょう」とのこと。

 

サウスキャロライナ医科大学精神科医のRussell A. Barkley氏は、

「ごそごそ動くことを投薬と置き換えることは不可能」としつつも、

「それでも、多くの研究が一貫してADHDの子が、

身体的に動くことのベネフィットを示している。

教室などで補足的な手段として用いるのは有効でしょう」と。

 

ミシシッピ医科大学小児精神科医Dustin Sarver氏によると、

「ADHDの子の、通常の脳に比べ弱い箇所が、

動くことによって活性化され学習能力が上がる」

のだそうです。

 

 

ちょこちょこ立ったり座ったり歩いたり、

握りながら手をごそごそできるグッズや(このウォールストリートジャーナルの記事に写真あり)、

ガムを噛むことでも効果ありとも。

アラスカ時代、テストの前にクラス全員にガムを配る先生がいたなあと思い出します。

ボールで小刻みに揺れながらガムをくちゃくちゃ・・・、

一昔前の教室からは考えられない光景ですね。

 

 

 

ただ、ひとつ覚えておきたいのは、

これらの研究によると、

ADHD傾向のない子は、逆に学習効率が下がることもある、

ということ。

 

皆が皆この方法を用いれば学習効果が上がる!

というわけではないんですね。

本当に、「脳の特性は多様」。

 

 

 

以前のアラスカの学校では、

椅子かごそごそ動けるボールかを生徒自身が選べるようになっていたのですが、

クラスの大多数が毎日ボールを選んで座ってました。


小学生ぐらいの子だと、皆「何だか楽しそー」とボールを選びそうですが、

実際どちらのほうが集中して学習効果を挙げられるのか、

ひとりひとり見ていく必要もあるのかもしれませんね。

 

「ボールに座る教室」を体験した我が家の子供たちに聞いてみると、

皆、「少し動きながらのほうが、集中できる」と言ってました。

 

 

 

「学習は姿勢を正し、じっとしてするもの」

が過去も今も主流の学校生活。

 

多様な脳のあり方に合った、

多様な学習方法がこうしてどんどん明らかにされ、

より学ぶことが楽しくなっていく子供たちが増えていくことを願っています。

 

 

 

 

今日は、また「異なる脳の特性」(小学生時代にディスクレシアと診断)を持った夫の誕生日。

昨夜から、子供たちが隠れてこそこそとサプライズのお祝いを準備しているようです。

 

みなさん、新しい週、よい日々を!


普段から思い出したい「多くの親が犯す3つの間違い」

2016年02月27日 | ファミリーディナー

昨夜はファミリーディナー。

週に一度ちょっとゆったりと夕食をとりながら、

哲学や科学やバリューや宗教心などについて話す時。

 

「結婚」や「家族」について話をすることもあるのだけれど、

昨日は、9人の子供の父親で世界的に活躍した経営コンサルタント故スティーブン・コビー氏が提唱した

「原理(principle)を中心にすえた家族のリーダーシップ」について

(”The Seven Habits of Highly Effective Family”より)。

 

こちらでは、特に高校生にもなると、

様々な面で「リーダーシップ」が重視され、学ぶ機会が出てきます。

長男も、NPO活動で随分と学んできているよう。

 

「リーダーシップ」というのは、

「誰かの示す方向についていくだけ」か、

「自らも周りに方向性を示しサポートしていく」のか、

という立場の違い。

 

このコビー氏の掲げる「原理」、

親として、

「自らも子供や家族に方向性を示しサポートしていく」上で、

覚えておきたいことだと思っています。

 

 

コビー氏は、親の「リーダシップの原理」として「4つの役割」を示しています:

1.体現(Modeling) 自らモデルとなり示す。

2.支える(Mentor) 愛情を注ぐ。感情面を支える。

3.整える (Organizing) 構造を整える。スケケージュールを立てそれらを遂行できるようにするなど。

4.教える (Teaching) 言葉で説明して伝える。

 

 

そして、「多くの親が犯す間違い」として3つあげています。

この3っつ、普段私自身、「あ、そうだったそうだった」と思い出し、

まさしく!と実感してます。

 

 

間違い1:ひとつの役割だけで十分だと思う

「体現」すればよし。

「愛情かけれ」ばよし。

「きちんと整理整頓し生活を整えれ」ばよし。

「言葉で説明して伝えれ」ばよし。

 

そう落ち着いてしまいがち。 

でも本当に、どれかひとつだけじゃ、回っていかないんですよね。

 


間違い2:順番を間違える

「体現」することなく「言葉だけで示し」ても、

「愛情をかける」ことなく「きちんと生活が整理整頓されて」いても、

なかなかサポートしていくことはできない。

 

1.体現

2.愛情

3.整理整頓

4.言葉で教える

 

樹木の根っこから幹、枝、葉が生い茂る、というような順番を思い出す。

根っこの「体現」がなかったら、幹である「愛情」がなかったら、樹木は倒れます。

 


間違い3:一度で十分と思う

この前、「体現」しといたから。

昨日、「愛情」たっぷりかけといたからね。

一週間前に、「スケジュールきちんと組んどいた」から。

さっき、「言っておいた」から大丈夫。

 
ついつい、そう思うものなのだけれど、

一度「体現」したからって、さっき「言った」からって、

すっと身につきなんてしないんですよね。

子育てって、もうホント、終わりなき繰り返し。

 

 

 

この原理、「家族」だけでなく、

様々な「リーダーシップ」の根幹として、

覚えておきたいね。

 

そんな話し合いをした夜でした!

 

 

 

さて、週末初めの早朝、

これから少し原稿に向かい、

その後は長女と次女とヨガ、

そして食材買出し(食べ盛り含めた7人分、かなりのエキソサイズ)です!

 

みなさん、楽しい週末をー!


「学習障害」とされた子にダンスの能力を見出した医師、「ものさし」を多様化するということ

2016年02月26日 | 子育て全般

以前少し紹介したんですが、

「最も聞かれたTedスピーチ」とされる、

 教育学者ケン・ロビンソン氏の「Do schools  kill creativity? (学校教育は創造性を殺してしまう?)」

(日本語版のスピーチスクリプト)。


このスピーチが「もっとも聞かれた」とされるのは、

全世界で多くの人々が、

同じように思い、同じように感じているということの表れなんでしょうね。


私自身、このスピーチの中の言葉を、時々思い出します。

 

その中で、

2014年に、それまでのダンス界での功績が認められ、

87歳にして「大英帝国勲章」を受章し、

「キャッツ」や「オペラ座の怪人」の振付師や、

ダンサーとして活躍されたジリアン・リン氏の話が出てきます。

 

 

1930年の英国。小学生だったリン氏は「学習障害」だとして、

病院の診断を受けるよう学校から通知を受けたそうです。

 

とにかくじっとしていられない。

 

医師は、しばらくリン氏を診察したあと、

「お母さんと話してくるからね」とリン氏に告げ、

ラジオをつけ、診察室から出て行ったそうです。

 

そして窓からリン氏の様子を見る母親に、

こう言いました。

 

「見てください。この子は、ダンサーなんですよ」

 

ラジオのリズムに合わせ、踊るリン氏。

 

「どうぞダンススタジオに、連れて行ってあげてください」と。

 

1930年代の英国に、こんな医師がいたんですね。

今なら、「投薬」の相談になるのでしょうか。

 

 

リン氏はロビンソン氏にこう話しています。

「ダンススクールには私みたいな子ばかりいたのよ。

みんなじっとしてられないの。

考えるのにまず体を使わなくちゃいけないのよ」

 

それ以来、ロイヤルバレー団に受かり、ソリストをつとめ、

ダンス界を駆け昇っていったリン氏。

 

 

 

ロビンソン氏はスピーチの最後にこう言っています。

「これまでの教育は、

地表を削いで石炭を直接取り出すように、

 私たちから特定の物だけを発掘してきました。

でも将来それはもう役立ちません。

私たちは次世代の人間を教育するための 、

根本的な理念を再考しなければならない」

 

 

私自身、それには、

この医師のように、子供に接するひとりひとりが、

「ものさし」を多様化していくことが、

ひとつだと思っています。

 

その子を見る「ものさし」の種類を広げること。

今は、学校の成績や偏差値やIQなどで、

「地表を削いで石炭を直接取り出すように、

 私たちから特定の物だけを発掘」している状態といえないでしょうか。

 

でも、「石炭の周りの土壌」だって、様々生かしていくことができるはずです。

その生かし方を、見出し工夫していくこと。

 

 

同じように感じている人々が力を合わせ、

少しずつ少しずつ、変わっていけるといいですね。

 

ロビンソン氏の言うように、

「私たちは未来を見ることはないかもしれないですが、

子供たちは未来を生きていく」

のですから!


チェスとの出合いを通して思う「子供のやる気を萎えさせないためには?」

2016年02月25日 | 小学校

去年9月に始まった週に一度のチェスクラブ。

小学校の授業開始一時間前に校内の図書室に集まっています。

 

三女8歳と次男6歳も、今では大のチェス好きで、

毎日のようにチェスについてのビデオ(chesskids.com)を見たり、

チェス盤に向かっています。

 

今のところ、自ら「やりたいやりたーい!」と向かい、

日々「へー、ほー、うわあ!」といった学びに溢れているんですが、

こうした子供の「ふつふつと湧き上がるやる気」を萎えさせることって、

それほど難しくないんだよなあと、これまでの自らを振り返っても思います。

 

それで、「子供の自発的なやる気を萎えさせないためには?」について、

ざっと整理してみます:

 

・ゆるーい「習慣」にする

さらりとできるぐらいの毎日無理なく続けられる量や時間をこつこつと日常にはさむ。「やる気」が溢れているときは、どっぷり没頭するのもいいけれど、「もっとしたいなあ」くらいでやめておくのも手。

「ゆるーい習慣」になっていると、やる気がそれほど高まっていないときでも、何となく向かう → スキルや知識が身につく → ますます好きになりやる気が増す、という構図ができあがります。

 

・日々、まあ何かひとつでも発見してくれたらいい、ぐらいの気持ちでいる

簡単なミス連発や何だか身が入ってないようでも、「まあチェス盤に触って何かひとつでも発見すればいい」ぐらいの気持ちで見守る。いちいち「もう何やってるのー、そこ違うじゃなーい!」と口出していると、やる気も底を這い始めます。

 

・結果で頭をいっぱいにしない

コンテストで勝つ!やクラブの全員を倒す!といった「結果」にとらわれない。それよりも、ひとつひとつのゲームから何を学んだかを確認し合う。負けても「ああそっかあ、ここはこういうことだったんだねえ」と「学ぶ楽しさ」を体験させる。

 

・成長は一直線状でなく、曲がったり落ち込んだり横ばいだったりしながら進むと思い出す

なかなか伸びず、ちんたらちんたら小康状態が続いても、再び少しずつ伸びていく時期もくるのだと思い出す。特にチェスなどの場合、一生ものですから。

 

・うまくいかない続きのときはハードルを下げる

負けたりうまくできないことが続き「私はだめね」とやる気が萎えている場合は、ちょっとハードル(チェスでは対戦相手)を下げ、「できる」感を思い出させていく。

 

・期待を持ちすぎない

我が家でも、高学年の子に勝ったりしていると、親として「ひょっとしてこの子は・・・」などと妄想も膨らむわけですが、まあ妄想を楽しむのはいいとしても、子供にそれを押し付けない。重過ぎてやる気が萎えます。とにかく目の前の学びを大切にして、こつこつと積み重ね楽しむことにフォーカスしていくこと。

 

・親も楽しむ。

隣で親がはまっていると、子供も嬉しくなりますね。我が家のチェスの場合は、意図せず自然にそうなっていったのですが、私自身も9月に子供たちと初めて習い、はまってます。コンピューター相手のチェスゲームに勝手に指が向かってしまうのを自ら諭しなだめる日々。将来的にも「ぼけ防止」などにいいなあと、チェスとの出合いを本当に嬉しく思っています。チェスからいろいろなことを学んでいるのですが、そのことについても、また改めてまとめたいです!

 

 

自発的に取り組むことから、最も多くを学ぶ、

これまで出会った子供たちを通しても、そう実感しています。

 

チェスとの出合いに感謝!


「オールアバウト」に「完璧主義」についてまとめました!

2016年02月25日 | 完璧主義

「オールアバウト」の方へ、「完璧主義」についてまとめました!

子供の成長に悪影響!行き過ぎ「完璧主義」への対処法


「ユア子育てスタジオ」の方へ、この記事について紹介してあります。

 http://kosodatekyua.com/2016/02/allaboutperfectionist/

「虹色教室」の未来奈緒美さん

(「先生」ではなく「さん」でいきましょうねと話し合いの末、こう呼ばせていただきます)が、

この「マイコー雑記」に寄せてくださった、心に響くコメントも紹介させていただきました。


興味のある方、是非読んでみてください!



引き続き、完璧主義についても、取り組んでいきますね。

完璧主義のよい面である「よりよくなりたい!」という子供たちの強い気持ちを、大切に伸ばしてやりたいですね! 


一筋縄ではくくれない「賢さ」を持つ子供達、凸凹と共に生きていくということ

2016年02月24日 | ギフテッド

 先日小学校3年生の三女が、学校からこんな通知をもらってきました。

「○○小学校として嬉しいお知らせです!娘さんは、エンリッチメントプログラムに入ることができます!」

以前、この学区の小学校には「ギフテッドプログラム」がないと書いたのですが、この「エンリッチメントプログラム」が「ギフテッドプログラム」とのこと。週に12回、30分ほど通常のクラスを抜け、「問題解決能力」を培うための様々なアクティビティーをするのだそうです。

この学区では、小学校3年生と5年生に、教室で一斉に「認知テスト(CogAt: 論理展開能力を測るテスト。IQテストの一部分のようなもの。米国ではこうして「ギフテッドプログラム」の審査に用いられることも多いようです)」が施されます。その結果によって、プログラム入学資格が決まるのだそうです(全国で96パーセンタイル以上)。そしてこの小学生時点でのプログラムへの入学が、その後中学の「ギフテッドプログラム(毎日一時間、次女も羊の脳みそを解剖したりと楽しそうです)」への入学にも繋がるようです。プログラムは3月から始まるとのこと。

 

 

今日は、ちょっと特徴のある三女の発達について、シェアさせていただきたいです! 彼女はこれまで、勉強などがすいすいとできてきたタイプでは、決してないんです。

 

・以前のIQテスト(5歳時)でも今回の認知テストでも、「スピード面」や「言語面」に凹が出ているんですが、情報を処理したり答えをはじき出すのもゆっくりめ。「言語面」では、幼少期から、あれ?と思うことがたびたびありました。

例えば、「バナナ」を「バンダンダン」と言ってました、周りの子が皆さらっと言える年齢になっても。つい最近でも、「アイブラウ(まゆげ)」を「アイブラウン」、「マルティプリケーション(掛け算)」を「マリプリケーション」と言っていたり。細かく聞いているといまだに「微妙に違う」発音がちょこちょこあるんですよね。アラスカ時代も時々お友達に「○○(三女)はちいちゃな子みたいにうまく話せないことがあるのよね」と言われていたようです。

耳が悪いのかなとも思ったのですが、聴覚の検査に引っかかることもなく、端々にあれ?と思うことはあるものの、通常の生活や学習には特に支障がなかったため、ここまできています。我が家は第二外国語として「日本語」を学ぶという立場なのですが、普段あまり使い慣れない他言語の発音の習得も、周りの子に比べ難しそうです。

1221がこんがらがったり、スペルも母音や子音が順番逆ということも2年生ぐらいまで頻繁にありました。夫のディスレクシアの影響が出ているのかなと様子を見ています。

計算もあまりにものろいので、「早く計算できるパターン」など2年生に上がる頃教えたことがあるのですが、さっぱり呑み込めませんでした。「よく理解できないこと」を暗記するのが苦手のようです。

読書も、これは今でもなんですが、絵がついているものを好みます。

上の娘達も、三女ほどではないのですが、「言語面」に凹が見られ、審査された方々には、両親共に母国語が英語ではないことの影響があるのだろうと分析されたのを思い出します。そして上の娘たちの場合、年を経るにつれ、凹度が減っていきました。

ディスレクシアの遺伝、両親の母国語が英語でない、三女の特徴、が絡み合うなかで、発達を見守っていきたいです

 

 

個性として気が付くのは、想像遊びが大好きで、石や人形でも何かを手にすると、えんえんと一人でぶつぶつ話していること。手にしたものが物語のキャラクターに変身するようです。車の中でも、家の中でも、こうして一人で話してることが多いです。

 

 

・去年ぐらいから、少しずつ、勉強面が伸び始めたようです。こちらでは、リーディングはレベルに合わせ上の学年の内容を受けられるのですが、クラスで一人だけ一学年上のトップレベルに。算数やスペルも、クラスの子達から「分からなかったら○○(三女)に聞け」という扱いを受けているようです。

とはいえ、ぱっぱとできる子という様子ではないようです。去年の担任の先生との懇談会では、「娘さんが答えるのに詰まっている場合は、考え過ぎていることが多いんです。そこまで考えなくていいのよ、と背中を押してやるとすっと答えを書きます」と言われました。

 

 

・情緒面では、我が家の子の中では一番穏やか。周りの子や大人の気持ち的なことにも敏感ですが、今のところ毎日ニコニコと楽しそうです。ただ、何かうまくできないと、「ああ私はだめなのよね。うまくないのよね」とすぐに思い込むようなところがあります。

今回のこのプログラム入学への通知も、「クラスで私だけこの手紙をもらったのだけれど、私にはチューターが必要なのね(勉強に遅れている子は通常のクラスから抜けチューターの時間がある)」と残念そうな表情で言っていました(そうではないと説明し納得。今はプログラム開始を楽しみにしています)。今の学校では、周りから「できる」という扱いを受けているんですが、それでも自己評価はすぐに沈んでしまえるようです。

情緒面マインド面を鍛える働きかけの大切さを思います。

 

・今回の認知テストでは、「非言語での論理展開力」が全体を引き上げていました。視覚的なパズルや図形などの空間認識力などですね。

「スコアの偏り」についての分析では、「非言語的な能力に偏っている場合、学校の成績などとは結びつきにくい場合もある」ともあり、今後勉強面もますます複雑になっていく中で、サポートしていきたいと思っています。

 

 

 

こうして我が家の子供達をみても、これまで出会ってきた「ギフテッドプログラム」の子から放課後スクールのチャレンジングな子をみても、「賢さ」のようなものって、一筋縄ではなかなかくくれないものなんですよね。

全体的によくできる子というのも確かにいます。それでも、我が家のように凸凹のある場合は、凸を見れば「賢い!」ともなり、凹を見るなら「この子ちょっと大丈夫かな」ともなる。本人も、「私は果たしてできるのかできないのか」と、「間」を揺れているようなところがあります。その上、「心理的敏感さ」も手伝い、「ああ、やっぱり私はだめだめなんだ」としゃがみこんでしまったり。

 

凸を励まし強め、凹を具体的に補足できるスキルを身に着け、マインド面を鍛えていくこと。

それが、我が家の課題であり、同時に、多くの子にも当てはまるのだと思っています。

皆さんの関わる「賢い」子供たちが、伸びていくのを応援しています!


動くことがプラスになる子供達、異なる特性にフレキシブルな環境作り

2016年02月23日 | 子育て全般

クラスに、

とにかく動きたくてしょうがない子達が一定の割合いるんですよね。

椅子に座りながらもごそごそ落ち着きがないんですが、

ちょっと目を離すと、踊り始めます。リズムが身体中を駆け巡っている。

男の子に多いです。

 

そういう子達には、

「この絵の具皆に配って」

「筆を洗ってきてくれるかな」

「この包み紙ゴミ箱に捨ててきて」

とちょこちょこと身体を動かす機会を与えるようにしてます。

すると「ダンス」の回数も少なくなっていきます。

 


以前、紹介したことがあるんですが、

アラスカの子供達が通っていたプログラムには、

こんな小さな半球状のトランポリンが教室の後ろにあって、

こうした「じっとしてない子達」を、

「飛んできなさい」と定期的に先生が送っていたんですよね。

 

あと、「ボール」か「椅子」かを選ぶこともできました。

「少し動き続けていた方が集中できる子もいるんですよ。

脳が活発に動き続けているので、

身体も少し動すぐらいが自然な場合もあるんです」

と先生方。他州の教育会議で学ばれたそうです。

 

また去年6月に発表されたこんな研究もあります:

「ADHDの子は、動いた方が認知力が高まる。

教師は動くことを罰するのではなく、

他の子の迷惑にならない程度に動く機会を与えるべき。

動くことで彼らの思考力が向上する」。

http://www.sciencedaily.com/releases/2015/06/150611082116.htm

 

 

 

 

 

ピョンピョンとトランポリンで飛び跳ねる子や、

ユラユラとボールの上で揺れてる子に溢れていると、

教室の雰囲気や規律が乱れる、

といったいわゆる「伝統的教室」的な感覚も、

クラスをまとめる側としては、分からないでもないです。

こちら東海岸の子供達が通う学校もそれがマジョリティーの感覚。

 

確かに、「程度」を示していかないと、

溢れる「動き」に呑み込まれ、教室全体がカオスにということもあるでしょう。

だからこそ、「定期的に教室の後ろのトランポリンで跳ねる」であり、

アラスカの教室でも「ボールに座る際のルール」があって、

「どれほど揺れどれほどジャンプしていいか」が決められていたんですね。

 

 


実は、高校生の我が家の長男もこうした子の一人だなあと思うのですが、

前のセメスターで、先生のおひとりに、

「息子君、テスト中何だか動きたくてしょうがないようだったので、

前の席から後ろの教室の隅っこに移動させ、

立ち上がったり外を見たり壁に持たれたりとできるようにしてあげたんですよ。

より集中できたようでした」

と報告していただいたことがあります。

ああ、何て子供の性質を見抜いたフレキシブルな先生なのだろうと感動しました。

 

本人としては、じっとしてなきゃいけないときは全然できるから、

と「自信」があるようで、まあもう高校生ですし、

見ていてもそうなのかなとは思うのですが、

寝不足だったり、運動をしばらくしてないと、

「ごそごそ度」が増すとも感じてますね。

 

 

実はアラスカ時代のこの「教室の後ろの小さなトランポリン」、

元々、ADHDと診断された子を持つお母さんと担任の先生が相談され、

始められた試みなんですよね。

システム的に変えるのに時間がかかるようならば、

親と個々の先生とで、できる範囲で工夫していけるといいですよね。

 

異なる特性を持つ子が学びやすい環境が、

よりフレキシブルに整えられていくこと、願っています!


「コラボレーションアート」に思うこと、自分が全体像に影響を与えられる!という実感

2016年02月23日 | 放課後スクール

今週は、星座について学びつつ、

「コラボレーションアート」に取り組んでます。

 

他クラスの作品と合わせ、

一辺1.5メートルほどの正方形のパネルが出来上がる予定!

小熊座と大熊座が描かれています。

 

個々は、それ自体では意味をなさないパーツを仕上げていきます。

アクリルペイントとボンドと塩を用いて。


皆、出来上がる予定の全体作品を思い浮かべ、うきうきと取り組んでます。

 



それで思うんですが、

日々、もし、こうした全体から切り離され「意味のわからないもの」に

意味も分からず向かい続けていたら、

そりゃ「やる気」も萎えるだろうなあと。

 

目の前の青色がきれいとか、上手に枠からはみ出ず塗れたとか、

そうした目の前の喜びはもちろんあるでしょうが、

「全体像に今の自分がどう影響を与えているのか」

そう把握できるなら、「やる気」も高まりますね。

 

「やる気」を支えるもののひとつに、

「自分が全体に与える影響の実感」があるというのを再確認しています。

 

 


例えば、クラスでの行為を「咎める」のでも、

「静かにしなさい!」より、

「(クラスの皆が学べるように)ヘルプしてね」と言う方が、

すっと行為に移してくれたりします。

 


あと高校生ぐらいにもなると、

一週間、一か月、一年、高校、その後の予定やビジョンを共に眺め、

今の自分がそれらにどう影響を与えているのか、

そうした「意味を取り戻す時」を定期的に持つことの大きさを実感してます。


小中学生でも、今日一日や一週間の全体像を話すのは大好きですね。

 


「コラボレーションアート」、インスパイヤリングです!


「能力は鍛えることで発達していくのよ」を子供に伝えるためのストーリー

2016年02月22日 | 成長型マインドセット

能力は、生まれ持ったまま変わらない「髪や目の色」とは違い、

鍛えることでどんどん発達していく「筋力」のようなもの。

 

ダンベルも、初めは重かったものが、筋力トレーニングする内に、

より重いものでもより簡単に持てるようになっていく。

能力もね、ちょっときついよーと思いながらも、こつこつとトレーニングを積むことで、

より難しいこともできるようになっていくんだね。

脳もね、ちょっときついよーって思うときに、

よしよしもっと成長できる!って喜んでるんだよ。

 

子供達が、めげたりあきらめたりしそうなとき、こんな話をすることがある。

 

 

そこで、ああ、こんな話し方も伝わりやすい!というバージョンの紹介:

 

小さい男の子が、マユから出よう出ようともがいている蝶を見ている。

蝶は明らかに難しい状況にあって、必死でマユから出ようとしている。

そこで男の子は、助けようと決心し、蝶のためにマユを引き裂いてやる。

驚いたことに、蝶は喜び勇んで自由に飛び立つ代わりに、そのままの状態で動かない。

男の子は知らなかったのだけれど、

蝶は、飛び立つために必要な筋力とコーディネーションを発達させるために、

マユと共にもがく必要があったんだね。

" The Self Motivated Kid" by Shimi Kangより)

 

サナギから蝶になる力、身に着けてやりたいですね!