過コントロール過プッシュな「タイガー親」を否定し、
プレイフルで自主性に基づいた子育てを目指す「イルカ親」を掲げた精神科医Shimi Kangの
著者"The Self-Motivated Kids"(以前の記事「21世紀に求められる子育てスタイル?タイガー親、クラゲ親、イルカ親のバランス」で紹介)
にこんな話が紹介されている。
1920年代、
文化人類学者のGregory Baeton 氏が、
パプアニューギニアのバイニン人と14か月間暮らしたときのこと。
神話、ストーリー、祭り、宗教的伝統、儀礼もほとんどなく、
例えば、ダンスも厳格に決められたルールに従うなど高度に構造化され、
「なんて凡庸で退屈な文化」であろうかと、フラストレーション溢れて英国に戻ったと。
またその後、文化人類学専攻の大学院生Gail Pool 氏が、
バイニン人の間で暮らした際、
その退屈さに文化人類学自体嫌になって、
コンピューターサイエンスに専門を変えたと。
後にバイニン人と共に暮らしたもう一人の文化人類学者Jane Fajans氏は、
こう結論付けている。
バイニン人は、「遊び」を動物じみた子供っぽい行為と捉え、
人間は遊びのような行為をとるべきではないとし、
子供や大人の遊び的な行為を、できる限り止めさせようとする。
こうしたことが、「単調で色彩を欠いたとても凡庸な文化」を生み出しているのだろう、と。
「遊びこそが、その文化に色彩を与え、豊かにする!」ということですね。
メッセージとしては全く同意、確かに!なるほど!と受け取りつつ、
同時に、文化人類学を専攻した身としては、
こうして「遊びを欠いたために凡庸でつまらない文化」になってしまったとされる
バイニン文化の扱いについてちょっと待ったー、
とも言いたくなり、少しだけ書いてみます。
まず76歳で亡くなるまで、文化人類学や社会学者として活躍されたBaeton 氏にとって、
このフィールドワークは全くの初めての体験だったということ。
当時彼は、自分が何をしているのか目的が定かでなかった。バイニン人は、排他的で彼を一員として受け入れなかった。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Gregory_Bateson)とWikiにもあります。
また自らも、
「バイニン人は怪獣並みにフィールドワークの対象として難しく、ひどくシャイで、恐れている」
(https://books.google.com/books?id=16NvCQAAQBAJ&pg=PA11&lpg=PA11&dq=gregory+bateson+lost+in+baining+shy&source=bl&ots=bXGnwlr_SQ&sig=Q8tuR8jGcmvnMzk2Tv05LXyGB5M&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjF7v3WsffKAhWLbj4KHRqbA9MQ6AEILDAC#v=onepage&q=gregory%20bateson%20lost%20in%20baining%20shy&f=false)
と記している。
つまり、とてもその文化のコアまで踏み込んで何かをつかむなんてことは、
不可能な状況だったといえるのでしょう。
次にPool 氏。
元々、文化人類学が合ってなかったのかもしれませんね。
大学院時代の最初のフィールドワークの後、
コンピューターサイエンスに転向したわけですし。
最後のFajans氏は、その後も
バイニン人の間での、「文化的社会的な過程での食物の役割に、強く惹きつけられ」
宗教的儀礼や社会性と共に、
パプアニューギニアの研究を今も続けられているよう。
(http://anthropology.cornell.edu/people/detail.cfm?netid=jf20)
退屈で凡庸で、何も掘り下げるものなし、というわけじゃないんですね。
ということで、
「遊びが、文化を豊かにする!」という考え方には、大いに同意しつつも、
バイニン人の文化が必ずしも、
「遊びを欠いた凡庸な文化の一例」というわけじゃないのかもしれない、
ということも覚えておきたいなと思います!
バイニン人が儀礼に用いる仮面!
(by Taro Taylor from Sydney, Australia)
ああ、とてつもない「遊び」に溢れてますね。