マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

10年ぶりの友人家族とのひととき

2015年10月26日 | 風景・旅

昨日は、10年前にアラスカから引っ越した友人家族と再会。

息子君がここから1時間半ほどのところにある大学に進学し、

そのオープンハウスの帰りに寄って下さった。

 

10年の間に、お互いたくさんのことを経て。

大病を克服し、今では元気溢れる友人。

小学生だった息子君は大学生、娘ちゃんも高校生。

牧師の夫さんの眼差しも、変わらず凛と優しくて。

かけがえのないひとときだった。

 

左下のボールは、10年前今は高校生の娘ちゃんのお下がりにともらったもの!

話に花咲く横で、今では次男が、取っ手を握りしめまたがりピョンピョン飛び跳ねる。

 

今度会う時も、きっとまた、まるで昨日まで一緒にいたかのようなんだろうな。

 

変わるものと、変わらないもの。

変わらないものの貴さを、噛み締めた一日だった。


70年前のあの日と今と、機長の母親の名前がつけられた飛行機

2015年10月26日 | 風景・旅

一昨日は、スミソニアン国立航空宇宙博物館(smithsonian national air and space museum)へ。

ハロウィンの催し物があり、コスチュームを着こんで。

宇宙服に触れ。

温度を下げるため水の管に包まれている。

金メッキ。

真空状態で水が沸騰したり、

マシュマロが干物みたいになる様子を観察したり。

数々のスペースシップ。

スペースシャトルの表面!

数々の飛行機などが展示され。

 

 

その中に、銀色に光る戦闘機。

エノラ・ゲイ。

機長の母親の名前がつけられたという飛行機。

 

8月6日の朝、広島上空から「リトル・ボーイ」を落とした70年前、

コスチュームを着て行き交う親子の笑顔に囲まれた今。

 

それは、あまりにもかけ離れていて。

 

繋がりの見えない闇と光を、目の前に同時に見ているような。

 

 

「ママ、泣かないでね」という子供たちの声に、

はっと我に返り。

右に小さく柔らかな手を握り、

左に同じ背丈の子の肩を抱き。

 

あの朝あの地に、

こんな親子の姿が、

いくつあったのだろう。

 

Rest in Peace.


放課後スクールで算数&アートクラスを担当することに

2015年10月24日 | 放課後スクール

公立小学校の放課後スクールで、

「算数が苦手な子のケアクラス」&「アートを通してサイエンスに親しむクラス」

を担当することになった。

来週から研修が始まる。

 

今年で20年目!になるというこの放課後プログラムは、

放課後プログラムとしては州で最も補助金を受け、

最も大きなプログラムなのだと担当者の方が説明して下さった。

 

ベテランスタッフに囲まれ、授業カリキュラムも充実している。

学ぶことが山のよう!

 

「アートを通してサイエンスに親しむクラス」のサンプル授業では、

針や糸を使ってエイリアンのぬいぐるみを創りつつ、

宇宙について学ぶといったカリキュラムを見せてもらった。

 

仮面について勉強していたことがあると言うと、

仮面を使った授業もあるのよ!と担当者の方が嬉しそうに。

仮面を創りつつサイエンスに親しむ・・・。

な、なんて楽しそう!

是非担当させていただけませんかとアプライ。 

昨夜、正式に雇っていただけることに。

 

 

これまで大学で日本語を教えたり、

日本文化センターの子育て支援を担当したり、

公立小学校で日本プロジェクトをしたり、

自宅で1対1や2.3人相手のクラスをしたり、

小学校やキンダーで先生のアシストをしてきたけれど、

日本や日本語に全く関係ないところで、

何十人を相手にした授業を自ら持つというのは、

私にとって、新しいチャレンジ。

 

英語を磨くために、

非営利団体のスピーチクラブにも加ろうと調べ中。

 

こうした機会を与えていただけたことに感謝。

この体験を、未来に生かしていきたい。

 

いい授業にしていきたいなあ。

新しい始まり。


少しずつ少しずつ新しいチャレンジ

2015年10月22日 | 雑感

日本で育ったということや日本語を話せるということをメインや強みに用いることなく、

英語のネイティブスピーカーと肩を並べて、

教育関係に携わっていくこと。

 

東アジア系のコミュニティー市場がほとんどないこの環境で、

背中を押され、踏み出しつつある道。

 

英語の発音や言い回しや語彙など、

これまで注意を向けることのなかった細部まで、

意識を向けて。

といっても、ネイティブには届かないのだけれど、

日々できる限り磨き続けていく。

 

こうして多くの移民が、ハンディを背負いながら、頑張ってきたんだなあ。

公立高校で「アメリカの歴史」を教えていた姑は、

何度か「そのアクセントで、その名字で、アメリカの歴史の先生?」と言われたと。

 

先人達に励まされつつ、

ああ、新しいステップ、新しいチャレンジ、

そんな言葉を噛み締めている。

少しずつ、少しずつ。


しくしくと泣く長女の先輩ちゃん、未来の可能性は何ら狭められやしない

2015年10月21日 | 中学・高校

バレーボールの先輩が、

アイビーリーグの一つの大学の面接で、

他の学校に行くよう勧められ泣いていたと、

昨夜長女が夕飯時に。

 

 

以前この学区のギフテッドプログラム担当の方と話した時に、大学進学の話になり、

いくつかの大学があげられその中に世界的にも名の知れた有名校があったのだけれど、

「州立の大学でもかなり充実した教育を受けられるのに、

学費や遠方での居住費など高いお金を払って何のために?」

(教師としてではなく、あくまでも個人の意見としてという前置きと共に)

とまっすぐな目でおっしゃるので、はっとしたことがある。

 

確かに周りを見回すと、夫も含め、輝かしい大学に進学せずとも、

後にそれなりの分野に深く関り、今それなりの生活を築いている人々がたくさんいる。

というか、そちらの方がマジョリティーだったりする。

もしくは学校名よりも、どんな分野で学士や修士を持っているかの方が重要だったりする。

一流大学卒と、そうでない人々が、同じような職場で、同じような地位につき、

同じような経済レベルの生活を送っていたりする。

 

また何歳になってもそれなりの学位や資格が取れるシステムも充実している。

30代から医師や弁護士を目指し、その後活躍している人々も身近に何人か知っている。

夫もこの年になって、専門分野で修士を取る費用を、勤め先から出してもらえることになったようだ。

 

 

また周りがうらやむような大学に受かっても、将来を考え、

奨学金をよりくれるランクを下げた大学へ進学することに決めた家庭もいくつか知っている。

 

 

本当に、大学の名前より、その後どう生活していくかなのだなあと、

こちらに暮らしてつくづく思う。

卒業してしまえば、大学名よりも、じゃあ何ができる?が問われる。

 

じゃあ何ができる?と聞かれ、差し出せるものを育てていくことをサポートできたら、

そう思う。

 

 

 

 

 

バレーボールの先輩ちゃん、今は悲しいだろうけれど、

未来の可能性は何ら狭められることはない。

 

どうしてもその大学に入りたいのならば、

一年目に希望校ことごとく全滅で地元の大学に通い、

二年目からアイビーリグの大学に編入したという子もいる。

あと、大学院でその大学を目指すという手もあるしね。

それでもしその学校に入れなかったとしても、

あなたの目指す地への道が、

閉ざされることは決してない。

 

夢を抱いて、前を向いて。

 

そんなことを話しつつ、

 

ああ長女、

ますますのんびりしてしまうかな、

そんなことも思いつつ。(笑)

 


外れる歩みを経活躍する子達

2015年10月21日 | 中学・高校

いい成績、いい大学といった道筋に、

立ち向かい「成功した」子供を持つ親が、

あたかも「親の模範」や「親の成功」かのように世に出てくることが多いわけだけれど。

 

いい成績、いい大学からは外れるような歩みを経、

生き生きと幸せにクリエイティブに活躍する子の姿が、

世にもっと出てきて、

多様な道筋を描くことになれば、そんなことを想う。


アラスカでホームスクールを始めた友にエール

2015年10月21日 | 小学校

一昨日、アラスカで娘の一人のクラスメートだったA君のお母さんが、

ホームスクールを始めたと知らせてくれた

 

クラスでも、飛びぬけて勉強ができ、

何学年か先の課題も、読みであろうと算数であろうとスラスラとこなしていた。

 

少しませたところがあり、話し方や仕草など、小学生低学年の頃から、

ティーンや大人のようでもあった。

 

そしていつからか、ヒップホップのダンスにはまり、廊下でも校庭でも踊っていた。

またこのリズム感が、子供とは思えないほど!

 

 

去年何度かお母さんと話した時には、「アカデミックへの意欲がなくなってしまった」と言っていた。

貪るように本を読み、輝く表情で算数の問題を解いていた姿を小さな頃から見ていたので、意外だった。

 

次第に先生から授業態度などについて注意を受け、お母さんが呼び出されることも多くなり。

 

「この子を導くのは、集団をまとめなければならない先生には無理。

でも、私にはできると思うの」

 とお母さん。

 

 

 

アラスカのあのプログラムで学んだことのひとつは、

持っている力と表われがかみ合わない場合が本当にたくさんあるということ。

表に現れていないから、その子に力がないというわけでは、全くないということ。

 

多分A君だったら、トップの成績を取ることも、可能なのだろう。

やる気さえあれば、はるか上を駆け抜けていくのだろうA君のような子に、

何人も会ってきた。

 

本人に、関心ややる気があるかないかの大きさ。

 

そしてまた、マジョリティーが期待するように駆け抜けることには、

関心もやる気もない子達もいる。

その上またこれがやけに頑固だったり、芯が強かったりするものだから、

なかなか難しかったりする。

それで、周りはがっかりすることもあるのだけれど。

 

 

 

周りにできるのは、

その子自身に火が付く環境を整えること。

刺激を与えること。

 

A君のお母さんは、ホームスクールでそれを目指していくと言っていた。

燃え上がる炎がたとえ、アカデミックに対してではないとしても。

 

エールを送りつつ。

 


非効率な動きの効用

2015年10月21日 | ヘルス

先日、骨粗しょう症の母が電話口で、

 「筋肉を鍛えるよう医師に言われ、歩くようにしているのよ。

骨の性質など遺伝もあるだろうし、

あなたも骨を支えるために、

今の内から筋肉を鍛える習慣をつけておいた方がいいのよ」

 と。

 

筋肉の衰えをしみじみ感じる今日この頃。

 

足は階段上り下りしたり、歩いたりとまだ使うのだけれど、

この上半身の弱さ!

赤ちゃんを抱っこしていた頃は、腕や肩も鍛えられたのだけれど。

 

 

そこで、ダンベルを購入し、エホイエホイしている。

歩いている時も腕や肩をグルグル回したり。

運転している時も座り「金魚運動」してみたり。

AからBまで移るのにも、モモ上げしてみたり回ってみたり。

一応、周りに人がいないか確認しつつ。

 

「無駄な動き」を日常に取り入れるようになって、

調子が良くなったように思う。

元々冷え性低血圧気味なのだけれど、身体もポカポカ。

 

貧乏ゆすりが冷え性に聞くなんて話を聞いたことがあるけれど、

「動かす」ことで循環が良くなるというの、分かるように思う。

 

動かないという状態がどれほど体によくないか、

この年になると痛感する。

しばらくすると、ぎしぎしとあちらこちらきしみ始める。

 

 

一昔前は、何事もより「非効率的」で、

家事ももっと身体を使っただろうし、

畑仕事などで筋肉も日常的に随分と鍛えられたのだろう。

 

「動き」を意識的に取り入れていきたい。


「いいコミュニティー!」とおっしゃるMさん夫婦

2015年10月20日 | メモ

これまで暮らしてきて、

これほど大人も子供も仲良しな近所に住んだのは初めて。

 

学校から帰宅後&週末、

誰かしら玄関に来て、「あそぼー」と誘ってくれる。

しかも5人それぞれの年齢に合った遊び相手が近所にたくさん。

 

高学年以上になればほとんどの子がスマートフォンを持っているのだけれど、

集まってスクリーンを囲んでのゲームという光景が見られるわけでもなく、

森でかくれんぼ、鬼ごっこ、フットボールなどして日が暮れる。

週末には、小学校高学年から高校生までが夜闇の中、各家の裏庭に続く森で鬼ごっこして盛り上がったりする。

先週末朝には、「近所の沼地の森に、豚くらいの骨格だけ残った死骸があるらしい、見に行こう!」と、

小学生から高校生までの子供達がずらりと玄関口に並び。

 

何だか一昔前の子供達を見ているような。

これは一体どういうことなのだろうと不思議になったりする。

 

親達も、たき火を囲んでわいわいと集まることしばしば。

先週末は夜中近くまで!

 

家族親戚友人達から離れ新地に暮らす我が家にとって、

何ともありがたい環境。

子供達もアラスカを恋しく思いつつも、

それなりに新しい環境を楽しめているのも、

この近所のおかげが大きいのだろうなと思う。

 

 

 

いつも自宅を開放し、誘って下さるMさん夫婦。

「この近所は本当にいいコミュニティーなのよ!」

越してきて以来何度かそうおっしゃているのだけれど、

時がたつにつれ、

こうした「いいコミュニティー」であるのも、

このMさん夫婦の尽力のためが大きいのだなとつくづく思う。

 

人と人とが繋がる場を、自ら楽しそうに、頻繁に提供し続けてらっしゃる。

大人も子供もその場の皆が楽しめるよう、ユーモアたっぷりに気配りされて。

 

結果、

コミュニティー全体に、家族という枠組みを越えた、

昔ながらの「近所のおばちゃんやおじちゃんの目」が行き届いているようなところがある。

 

「ここ辺りは本当にいいコミュニティーでね!」

今度Mさん夫婦がそうおっしゃったら、

「あなた方に感謝してます」

そう伝えてみたい。

 

Mさん夫婦は、多分、きょとんとされるのだろう。 

 

 


木漏れ日にキツネと出会い

2015年10月19日 | 風景・旅

昨日の近所散歩。

海に囲まれた湿原。

木漏れ日にうっとりしていると、

キツネに出会った。

 

 

米国横断16日間の旅の間、

アラスカ&カナダの壮大な大自然を過ぎると、

見渡す限り農地に牧地にと耕やされた平地が続いた。

その後、東海岸に近づくにつれ、

次第に手つかずの森や丘陵に囲まれ始めた時、

何だかとてもほっとしたのを覚えている。

ここなら、暮していけるかもとさえ思ったのだった。

 

少し行くと、海に森に囲まれる。

ハイウェイ周りも、木々に覆われ。

DC周辺がこんなに自然溢れたものだとは思わなかったなあ、

車を走らせるたびに、驚いている。