虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

後々まで影響を及ぼす時期ごとの接し方 1

2017-02-25 20:09:41 | 幼児教育の基本

 

 子どもの月齢や発達の時期によって、後々まで影響を及ぼすような大事な接し方があると

感じています。

たとえば、3歳の子たちは、いろいろな形で自分の頭を使いはじめるものの、

常識の伴わないでたらめともいえる考え方をします。

人は、「重要そうに見えて正しいこと」は、尊重するけれど、

「無意味に見えること」「どうでもいいような思いつき」「つじつまがあわない考え」

などは、軽んじたり、適当に受け流したりしがちです。

また、3歳の子が口にすることよりも、

世間一般で良いとされていることや大人にとって価値があることを

優先することが多々あります。

 

でも、この時期は、無意味に見え、どうでもいいことばかりで、つじつまのあわない考えをするからこそ、

まだ生まれたばかりの思考の芽として、その弱さを守ってあげなくてはならないと

実感しています。

大人が軽んじて無視すれば、子どもは自分が考えようとしていたことすら忘れて、

大人の思考の誘導に従ってしまうからです。大人が否定すれば、

ただイライラする感情だけが残って、ぐずってイヤイヤいうことに終始するかもしれません。

3歳の子たちの知恵がどのようなもので、どうやってそれを守るのか(これまでも何度も書いてきていますが)は、

次の機会に書くことにして、

今回は、4歳の子たちに大事だと思う接し方について書こうと思っています。

 

上の写真は、もうすぐ年中になる子たち、4歳になってまだ日が浅い子たちの

工作風景です。

この時期の子と接していると、模倣が新しい段階に入ったのを感じます。

それまね大人や友達の真似をしてきた経験の蓄積ゆえか、多くの子が、

相手の行動を見るだけで、それは自分にできそうか、理解できるレベルの活動かを

判断するようになるのです。

この時期に、技術面や理解の面で、その子の能力の許容量(キャパシティ)を

超えるものをたくさん目にすると、

「できない」「ママ、やって」「先生、やって」とすぐに大人を頼るように

なることがよくあるのです。

そこで、お手本を見せる時は、子どもがわかるレベルで、できそうだと感じ、

やってみたいという気持ちがそそられるように気をつけています。

 

3歳が頭を使い始める時期だとすると、4歳は頭と体の両方を使う活動を始める時期と

いっていいかもしれません。

 

 

自分で、「こういうことをやってみよう」と思ってやりはじめて、

それに考えを乗せていきます。

行動こそ似ているようでも、それまでは、絵を描きだしたら、描く作業に

気を取られてそれだけで終わるか、「こうしたい」「こうだよ」とアイデアを出す時は、

しゃべることに夢中で、大人の手助けがないと、何をしらいいのか思いつかなくなる子が

ほとんどなのです。

でも、4歳の子らは、自分の「やりたい」に何が必要なのか、どんな手順で何をしていけばいいのか

手本を見ながら読み取るようになります。

といっても、体と頭を統合させる活動をしはじめる時期ですから、

それも身近な人が気遣ってあげないと、まだそれは簡単に摘み取られてしまう

新芽の段階です。

上のしゃしんは、4歳の子がうずまきを描いて、「ぺろぺろキャンディー」を作っていた

時の写真です。切り取った「ぺろぺろキャンディー」をお家の階段の横に

貼り付けて、

「ぺろぺろキャンディーみたいだったけど、っぺろぺろキャンディーの

すべりだいみたいになった」と言っていました。

次回に続きます。

 

 

 

 

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「自分の中心」「自分自身の土台」作りを目指して 続きです。

2017-02-25 08:44:04 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回の記事に書いた

ユースホステルでのひとこま。

 

この日、初めて会ったばかりの年長のAちゃんとBちゃんが、

手に手をとって、ひとりで部屋にいたわたしのもとに現れました。

ふたりはお互いに思い詰めたように見つめあったり、

ワクワクする気持ちではちきれそうな表情を浮かべたり、

何やら小声で耳打ちしあったりしながら、

しばらくもじもじしていました。

「なぁに?何か話たいことがあるの?」とたずねると、

Aちゃんが決心したようにBちゃんの手をにぎって、

「ねっ、先生にだけは秘密を話しちゃおうか?」とささやきました。

Bちゃんは「うーん」と答えを渋っているにも関わらず、そのキラキラ輝いている瞳には

こちらに対する信頼感と親愛の気持ちが揺らいでいるように見えました。

 

「秘密があるの?」と聞くと、

AちゃんもBちゃんも意味ありげに目配せしあいながら、こっくりします。

「先生に秘密を教えてくれるの?」と問うと、

Aちゃんが、「ねっ、話しちゃお」と言ったかと思うと、

わたしの耳に口を近づけて、「あのね……」と話しだしました。

 

それは、ちょっとした冒険でした。

最初に話を聞いた時、わたしが、「えっ、でも、上の階に勝手にふたりだけで行ったりしたら危ないわ。

知らない人が声をかけてくるかもしれないし……もし、どうしても秘密を実行したいなら、

先生がそっと後ろからつけていくけどそれでもいい

……?」と言いかけると、

ふたりはびっくりしすぎて尻もちでもつきそうなほどあわてて、わたしの勘違いを正しました。

「上の階に行くんじゃないよ。2段ベッドの上のこと……それで……」

 

よく聞いてみると、危険度ゼロのかわいらしい冒険でした。

 

「それは面白いことを思いついたわね。でも、○○は大丈夫なの?」

「うん、ちゃんと○○して○○するから絶対大丈夫」とのこと。

新しい秘密の共有者であるわたしに

目だけで真剣なメッセージを伝えながらふたりは帰っていきました。

 

AちゃんやBちゃんのように目で語る子たち……。

よくものがわかっているのに控えめで言葉が少ない子もいるし、

多種多様な溢れるような感情をうまく扱えなくて、つんけんした

あまのじゃくな態度を取ってみたりする子もいるし、

表情やすることからは利発さがうかがえるのにこれといったアウトプットがない子もいるけれど、

その瞳や雰囲気から感受性の豊かさやメタ認知力の高さが感じられるという子たちについて……

最近、わたしの中で新しいちょっとした発見がありました。

 

これまで、子どもの「暗黙の了解をやり取りする力」とか「感受性の豊かさ」や「メタ認知力の高さ」といったものは、

自分の勘や感情で捉えるしかなかったのですが、

実は、今年、『ディクシット』というボードゲームを購入して以来、

( 『DiXit』は、ドイツ年間ゲーム大賞を受賞し、

世界中に“コミュニケーション・ボードゲーム”のブームを巻き起こしたされる有名なゲームです。)

このゲームに夢中になる小学2、3年生というのはたいてい、幼い頃から目で語っていた子たち

だと思いあたりました。

また、このタイプの子たちには、小学2年生くらいで高学年向けの物語を手放さなくなる子もけっこういます。

 

 

「2段ベッドの上へ……」と秘密をささやいていたAちゃん、Bちゃんは、

翌日、ユースホステルの部屋を工作で再現していました。

創る上で、ベッドは必須の様子。

モールでていねいにはしごを取りつけていました。

 

このところ、課題の提出が続いている息子が、ふっと、

「どうしようかと迷っていたけど、やっぱり自分が今、やりたいと思うことを一番に据えることにしたよ」と

言いました。

話をよくきいてみると、以前は、「何はともあれプログラミング」というスタンスだった息子が、

最近は本を読むのが楽しくてたまらなくて、活字ならいくら読んでも苦にならない

そうなのです。難しいと思っていたものもスッと頭に入ってくるそう。

そういえば、この2、3ヶ月、大学の図書館でたくさん本を借りてきては

読みふけっていたし、口を開けば

読んだ本についての話をしていたな……と思い当たりました。

 

息子が何を迷っていたのかといえば、自分の今の気持ちに響くことに力を注ぐべきか、

これまで積み上げてきた得意を死守すべきかといったことでした。

プログラミングの能力には刹那的な一面があって、

ピアノの練習を怠けると、あっという間に指が思うように動かなくなるのと同じで、

ちょっと怠けるとたちまち腕が鈍るので、

どんなに周囲から群を抜いてできていたとしても、しばらく他のことにかまけていると、

すぐにがんばっている人に追いつかれてしまうようです。

少し前まで、ササッと済ませることができたプログラミングの課題に

思いの外、時間がかかってしまっていたことに焦って、

「あちこちより道せずに、ひたすらプログラミングに打ち込むべきか」と

悩んでいたようです。

 

じっくり考えたあげく、「これからもずっと、ぼくにとってプログラミングは大事だし、好きなことに変わりはないけど、

誰にも負けたくないからと、ひとつのことだけ極めようとするのはぼくの性にあってないな。

迷ったけど、今、読書が面白くてたまらなくて、何よりそれを優先したいって感じるなら、

自分の感情を信じてもいいかな 」と結論を出した模様。

 

息子は理系に進んでいることもあって、少し前までは、読書の8割方はプログラミングや数学関連の本で、

文学書や哲学書に関心はあって、時々手に取ってはいましたが、

それらに没頭するということはありませんでした。

が、ゼミの教授と話をしていた時に、ゼミでの研究と哲学の現象学との関連を知って以来、

それまで心のどこかで設けていた理系と文系の壁がなくなったようで、

哲学書に熱中するようになりました。

特に分析哲学は、子どもの頃から抱いていた疑問に対する

考え方の指南を与えられるようです。また、暇さえあったら、読んでいる『ワイアード』という

雑誌に、「書きたい」気持ちを掻き立てられている様子。

 

そんな息子の姿を眺めながら、

「自分の今の気持ちに響くことに力を注ぐべきか、

これまで積み上げてきた得意を死守すべきか」という選択は、

どの子も、誰もが、大きく揺れる悩みで、

(特に今後、大学入試のあり方が変わって、高校在学中に少しの回り道も許さないような形になればなおさら)

実際にそれに直面する当事者とすると、簡単に答えが出せるものでは

ないのだろうな、と思いました。

どちらかに正解があるものではなく、その都度、どちらを選ぶべきか

「自分の中心」といったものと真剣に向き合って、

結論を導くべきものなのでしょう。

 

自分のことだと近すぎて気づかないけれど、

子どもを育てていると、成長して大人の仲間入りをする年になっても

幼い子らと似た敏感期と呼んだらいいような時期があるんだな、と感じます。

 

「興味」と「衝動」と「学び習得する力」が

同期して急速に高まるような時期のことです。

 

そうした時期に「興味」と「衝動」に従って、

自分にとって大切なものを学び習得することは、

意外に難しいことなのかもしれません。

 

一度、競争の波に呑み込まれたら、

その時、自分にとって大事そうだと響くものに出会っても、

勝ちを競争相手に譲って、

まだ海のものとも山のものともわからない何かに

関わる勇気はなかなか持てないでしょうから。

 

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「自分の中心」「自分自身の土台」作りを目指して

2017-02-24 14:31:03 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

過去記事です。

いつも寄らせていただいている『マイコー雑記』というブログで

『一対一で過ごす時、より根本的な調整』というタイトルの記事を

読みました。

 

思春期の娘さんと「ふたりきり」の買い物。

一対一で過ごす中で、少しきしむことのあった歯車が、

潤滑油を足されたようにスムーズに回りだした、という話が綴られていました。

忙しい日々の中で、子どもへの対応が対処的なものだけに傾きがちなのは、

子どもの年齢を問わず、どの家庭も同じなのでしょう。

 

ただ、そちらのブログにあった、

<二人だけの時を楽しみ、普段なかなか出来ない話をする時というのは、

より「根本を調整」してくれる。

そしてこうした一対一の時とは、幼い子でも、ティーンであっても、

 パワフルに有効なのだなと、しみじみ感じている。>

 という気づきを得るのは、誰でもできることでは

ないのかもしれません。


実は、昨日、ユースホステルでのレッスンから帰ってきて、

その余韻を味わいながら、

先のブログで目にした「根本を調整」してくれる、という言葉について

ずっと思いをめぐらせていました。

 

ユースでは、子どもたちとは、昼も夜も翌朝も、遊んで遊んで、食べて、おしゃべりして、

作って、勉強して、あれこれ思いめぐらして、計画して、また遊んで、ごたごたして、おしゃべりして……を

エンドレスに繰り返しています。

そうして密に長い時間いっしょに過ごし、合間合間に、子どもと一対一で関わると、

子どもとの関係や大人も子どもも内面の風景が非常に深い部分で変容していくのを感じます。

ひとりひとりの子の個性と付き合っていくことについて、時間の許す限り、親御さんと言葉を交わすことも

そうした変容を支えているのかもしれません。

まさに「根本を調整」してくれるという言葉が、しっくりくる感じです。

 

今回のユースホステルには、まだ虹色教室に通うようになって日が浅い

小1のAちゃんが参加していました。

Aちゃんは社交的で積極的で友だちが多い一方、ひとりで活動するのも好きな

外向的でも内向的でもある凛とした女の子です。

Aちゃんのお母さんはAちゃんを頭の回転が速い魅力的な子だと思っているものの、

「あまり考えずに行動することが多いのでは?」「考えるのを面倒がることも……」と

気にかけていました。

 

Aちゃんは物作りが好きで、教室での活動はいつも工作を選びます。

作るものに工夫を凝らすよりも、さまざまな素材を試し、その素材について

他の子らや大人に使い方を説明することに最も熱心です。

 ユースホステルでも、Aちゃんは珍しいタイプのビーズ手芸や

パステルでの重ね塗りの仕方を他の子や大人たちに紹介していました。

いの一番に目新しい素材の使い方をマスターし教えているとはいえ、その後は、

それらを使って何か自分の作りたいものを作る……という発展はなく、

素材で遊んでみる、素材を使ってみるというレベルから、すぐに次の新しい素材を使うことに

気持ちが移るようでもありました。

勉強においても同様で、覚えもよく物分かりもいいし、学校で習ったことを他の子らに説明するのは

好きだけれど、応用問題となると、たちまち興味が失せるようでした。

 

わたしはAちゃんを「あまり考えようとしない子」という目で眺めるのは、

時期尚早だと考えています。(まぁ、もっと先になっても、そうしたレッテル貼りに意味があるとは思えませんが……。)

それよりも、Aちゃんの旺盛な好奇心と創造的な遊びが好きなところ、他人に説明するのが好きなところ、

素材に興味があって精通しているところなどの長所をどんどん支援して、

それがもっともっと豊かに膨らんだ頃に、

「じっくり考える」という態度が追いついて育ってきたら

どんなに素敵だろう、などと考えています。

 

教室にはAちゃんと似たタイプの3年生の子がいます。

他の子の真似でやってみたり、ちょっと触りだけやってみるのは好きだけど、

発展させるほどじっくり関わりはせずに、それを紹介することに熱心という子です。

低学年のうちは、少し考え方に固いところやあまり深く考えないところがあったけれど、

3年生になるころには、ゆっくりと考える力が身についてきました。

そうして、いざ、考える力が高まってくると、

それまで他の子らに

説明するのが好きだった時期に鍛えに鍛えた言葉での表現力が、

遊びの場でも学習の場でも、

「何ごとも理路整然と相手がわかるように説明できる能力」として輝きはじめました。


「説明するのが好き」をたくさん実行に移すうち、

少し苦手だった「じっくり考える力」が育ってきて、

「何ごとも理路整然と相手がわかるように説明できる能力」を発揮しはじめた3年生の女の子。

Bちゃんとします。

Bちゃんの成長の道筋は、

子どもの「苦手」や「弱点」にどう関わるべきか、

子どもの「好き」「強み」「得意」「癖」「特徴」「個性」をどう支えたらいいのか、

考えさせてくれます。

 

ユースホステルでの大人向けの勉強会で、Aちゃんのお母さんとのやり取りから、

そんな子どもの得手不得手への対応についての話題に話が流れました。

 

子どもの「好き」に気づくと、すぐさま、それに関連する

習い事に通わせて、「好き」を「子どもの特技」に変えてあげなくてならないと考える方は多いです。

子どもの個性を大切にするということは、その子の才能にいち早く見つけて、

周囲に評価してもらえるレベルまで高めてあげることだと捉えている方も少なくありません。

 

習い事をさせるべきか、させない方がいいか自体は、わたしがとやかく口を挟める話ではないのですが、

「ピアノが好きそうだから、ピアノを上達させてくれると評判の教室に通わせよう」

「絵が好きだから、賞を取っている子が多くいる教室に通わせよう」などと、

安易にそれを伸ばすことだけに走るのには、「ちょっと、待った」を入れています。

 

「好き」や「得意」なことを通して、子どもが開拓していく

その子の資質は、最初に見えていた表面的な「好き」や「得意」の背後に隠れていること

ほとんどだからです。

 

前回の話を蒸し返すようですが、

Bちゃんが最初に「好き」になったのは、

工作でした。「持って帰れるものが作りたい」が口癖で、本に載っている見本通りに、

パパッと作って、他の子やわたしに作り方を教えるのを楽しんでいました。

 

そこでこちらも、工作につきあいながらも、「どんな順序で作ったの?」

「どうして、こっちを先に作ってから、貼り合わせなきゃいけないの?順番を変えたら、まずいことでもあるの?」

「その作品の一番のセールスポイントはどこ?」

「これを作る際の急所というか、最重要ポイントだと思う点をみんなに教えてあげてよ」など、

質問を投げかけて、Bちゃんがどんな質問も真剣に咀嚼して、いきいきと答える姿を見守ってきました。

 

次にBちゃんが夢中になったのは手品です。

教室に着くと、必ずひとつふたつ手品を披露してくれます。

皆が驚くと、さっそく種明かし。手品の演じ方をていねいに説明するBちゃん。

そこで、教室でも手品の道具を作ってみたり、科学手品を教室の遊びの

ひとつに加えたりしました。

 

そうするうちに、勉強では、あまり考えもせずに、「わからない」と言いきったり、

型通り解くものの応用となるとやりたがらなかったBちゃんに、

思考力がついてきました。

と、そのとたん、Bちゃんがレッスン中、一番いきいきとしているのは、

算数中、「なぜ、そのように考えたのか」

「どうやって答えを導きだしたのか」を順序立てて解説していく時となりました。

 

Bちゃんに対して、「工作が好きそうだから、造形教室」「手品が好きそうだから、手品を教えてくれるところはないかと探す」

といった対応では、「最初は喜んで通っていたけれど、しばらくすると飽きて行きたがらなくなった」

という結果に終わっていたかもしれません。

それなら、どのように関わるといいのでしょう。

わたしは、「好き」そうだから、その「上達」だけを目指すのではなく、

それを通して、最初に思っていたのと異なる芽がその土壌から顔を出すのを許すくらいの

余白や遠回りやその子という個を見つめるまなざしが必要だと考えています。

 

また、苦手にしても、「○○という方法」で無理矢理に解決を目指すよりも、

「得意」にスポットライトを当てながら、

その子がくじけずに自分の苦手に向き合えるよう支援し続けることが重要だと感じています。

 

話を前回のAちゃんに戻しますね。

Aちゃんは「お風呂とトイレがついているユースホステルの和室」を作っていました。

Aちゃんは、お風呂の前にぶらさげる「シャワーカーテン」に、ポンポンを作る時に使う

薄いポリひもを使うことを思いつきました。

ポリひもは簡単にひだを作ることができるし、安価ではさみで切りやすく、透き通っていてシャワーカーテンに

これほど適した素材はないことを伝えると、真剣に話を聞いて、顔を輝かせていました。

 

その後、Aちゃんは薄緑の紙をじゃばらに折ったものに切り込みを入れて広げると

竹とそっくりになることを発見しました。

他の子たちが忍者屋敷を作っていたため、これは大好評。

忍者ブームの教室としても画期的な発見です。

竹の完成に気を良くしたAちゃんは、次は他の子らがパンチでハートなどを

抜きとった後の紙ゴミの裏に別の色を貼って、新しいタイプの壁材を作りだしました。

そして、嬉々としてそれら作り方を説明していました。

素材について説明するのが大好きだったAちゃんは、

いつの間にか、新しい素材を作り出して、その作り方や使い方について

懇切ていねいに説明するようになっていました。

気づくと、Aちゃんの作品も、これまでよりずっと工夫を凝らした

面白いものになっていました。

 

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年中さんのレッスンで <ボードゲームと算数の関係>

2017-02-23 14:30:16 | 算数

年中のAくん、Bくん、Cくんのレッスンの様子です。

 

『ポーション・エクスプローション』という魔法学校で魔法薬を作る

ゲームで大いに盛り上がりました。

このゲームは対象年齢が14歳以上とありますが、実際には『すごろく』で

遊べる子は十分に楽しめるくらいのルールです。

教室では2歳くらいの子から甘めのルールで参加していますし、年中児は、ほとんど手助けなしで

ルール通りに遊んでいます。

(その点、以前紹介した『コルトエクスプレス』という同じ会社から出ているゲームは、

ゲームの進行を幼い子たちだけでするのは難しいので、

小学1~2年生くらいまでは大人の手助けが必要だと思います。)

 

『ポーション・エクスプローション』は、自分が作りたい魔法薬に必要な

ビー玉を選んで、魔法薬を完成させていくゲームです。

玉の配置をよく見て、ビー玉の選び方によって

爆発を起こして、たくさんのビー玉を手に入れるようにします。

また、完成させた魔法薬のさまざまな効能を使って、よりたくさんの

魔法薬が作れるよう知恵を絞ります。

 

ゲーム中、AくんとBくんは、これまでしたいろいろなボードゲームの経験のおかげか、

とてもよく考えた手を使っていました。(Cくんはまだ教室に参加し始めたばかりの子です)

何段階か先に起こることを予測して

ビー玉を選んでいました。

 

その後の算数のレッスンで、AくんとBくんが、ボードゲームの時に見せていた

頭の中で何段階かの思考を組み立てて考えている姿を見て感心しました。

Aくんたちがチャレンジしていたのは、こんな算数の問題です。

 

9人の人形を並べて考えます。

「前から3番目の子と後ろから3番目の子の間には何人いますか。」

「9人でかけっこをしています。前から5番目を走っていたたけしくんが、前のふたりをぬかしました。

たけしくんは前から何番目でしょう。」

 

 

 

 

ボードゲームと算数の能力のつながりを強く実感しました。

 

 

 

 

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親御さんへの「ダメ出し」 これでおしまいです 

2017-02-22 19:43:53 | 日々思うこと 雑感

以前の記事で紹介した
『自閉症のDIR治療プログラム』の療育プログラムの解説の一部に次のような一文ありました。
ごく一般的な自閉症ではない子を育てている親御さんにも読んでいただきたくて紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

考える力を育てるために、子どもが要求や関心を表現できるように
促しましょう。気持ちや意志を表現せざる得ない状況を
作りだすのです。ゴッコ遊びでも言葉のやりとりでも、自分の
考えを表現させます。
その際、言葉と行動と感情は深く結びついていることを忘れないように
します。言葉や考えを、常に感情や行動と結びつけるのです。
考えはすべて尊重し、感情にしても興味にしても、子どもが追及したいことをすべて尊重するのです。
子どもの考えを絵画、記号、空間デザイン、さらに言葉などのいろいろな表現手段で具現化していくのです。

      『自閉症のDIR治療プログラム』(S.グリーンスパン 創元社)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自閉症スペクトラムの子たちが、一般的な子と同じ発達をたどるように促すためのプログラムです。

 

一般的な子の場合、日常生活や遊びが豊かなら、ごく自然に

自分の要求や関心や意志を表現するようになっていくでしょう。

でも、そうしたハンディーキャップ等はない子でも

環境や親子関係が原因で、

「自分」を外に表現していく力が弱くなっているのをよく見かけます。

 

どうも日本では、自分の考えを表現することを「わがまま」と捉えるか、

他人の存在を無視するような本当にわがままな自己主張まで、

個性を育てることだと捉えるなど

両極端に走りがちなようです。

 

自閉症スペクトラムではない子にも、上の療育プログラムにあるような

「関わり方の知恵」が必要なのかもしれないな~と感じています。

 

話が飛んでばかりですが……

「子どもが自分の考えを表現しようとするのを

知らないうちにおさえがちになってしまう大人と子どもの関係があるな~」

と思っています。

たとえば、スポーツ好きのチャレンジャーな親のもとに

詩を作るのを愛するような繊細な文学少年、文学少女タイプの子が生まれたとしたら

親がかわいがるほど子にはプレッシャーになっていくという事態が起こるかもしれませんよね。

もしそうした親子のペアにも関わらず、

自己肯定感の高い考える力のある子になるよう育てていこうと思えば、

親の側が自分の価値観や視野を意識して広げ続けていく努力が必要になってくるのでしょう。

 

私が何組かの親子関係で、「注意が必要!」と感じたのは、

前にも書いたように直観が優れている親御さんと感覚が優れている子のペアです。

(感覚が優れている子といっても、

必ずしも感覚が優越機能にある子というわけではなく

感情型の子の感覚寄りの子や思考型の子の感覚寄りの子の場合も考えられます。)

 

直観が優れている親御さんは、いろいろなことに気づきやすいし、

あれもしようこれもしようという未来のアイデアや目標をたくさん

持っていることが多いです。

何かをするときには、

何十もの選択肢から「どれにしようかな」と選ぶといったことは、

苦もなく毎日やっているものです。

もともと、自分のアンテナに引っかかればそれでOKなので、いくつかのものから選ぶことに

苦痛がともなうなどとは夢にも思っていません。自分が選ぶときには、自分のフィーリングで選ぶのが

当たり前になっているからです。

でも他のタイプもそうかというとそうではないのです。

かつて私は、(私は直観タイプです)

感覚が優れている知人にいくつかの提案をして、

あんまり相手が苦しそうに悩むので、じりじりとじれてきて、「何か悪いことでも言ったのか」と不安になった

ことが何度かあります。

後からわかってきたのですが、

感覚が優れている方にすれば、提案された選択肢に関する情報が

それぞれ同じフィールドで比べようがなく、

比べる基準がない中でどうやって選べばいいのか途方にくれていたようなのです。

 

私が提案した相手が直観タイプの人なら、たいてい私が10挙げた提案をヒントにして

自分も「ああしようか」「こうしようか」と思いついて、

お互いに好き放題いろいろ言い合ったあげく、天のお告げのように

相手の直観タイプの人のアンテナに響いた何か(たいていご自分で考えた案)が選ばれるということになります。

 

感情タイプの方なら、私の提案のひとつが

その方の価値観にぴったりあうかどうかが決め手でしょうし、

思考タイプの方ならそれらの提案を取捨選択しながら、

その方の思考の構築に一役買うか、疑問を感じて質問を受けて意味を広げていくきっかけになるでしょう。

 

最初の感覚タイプの方は、直観タイプから見ると優柔不断に映りがちです。

でもそれは事実と少し異なります。

感覚タイプの人は全てのデーターをきちんと把握した上で

比べて選ぼうとするし、

直観タイプの人は次々ひらめく海のものとも山のものともわからないアイデアから

自分にピピピッと響けばそれを選ぶわけですから、

根本的に何をするか決めるときの方法がちがうだけなのです。

 

それを優柔不断ととらえてじりじりしたのでは

あまりに感覚の優れている方がお気の毒……なのですが、

親子関係の場合、遠慮がない分、そうした感性のずれが

一方の性質を誤解したままになったり、押さえつけてしまうようなことも

起こりがちなのです。

私は教室の感覚が優れている子たちと長い年月にわたってつきあっていくうちに発見したのは、

直観タイプの人にとったら、10のうちの「ひとつ」や100のうちの「ひとつ」にしか感じられない

1の案が、

感覚が優れている子にすると、その1の内部に、

これまで蓄積された10なり100なりのデーターがそろっていて

本人にすれば、その中でたくさんの選択肢が含まれているものなんだ~

 

という事実です。

 

保守的な遊び方になっていたのは、

まずデーターをそろえて自分で把握したものから

することを選ぼうとしていたからなんだな~とちょっと尊敬。

 

感覚が優れている子たちは繊細で、大人の反応についても

ちょっとしたため息につき方や口調の強弱も自分の内部にデーター化している子がいますから、

大人の反応が、「また、それ?」というものが多いと、自分に自信を失っていくようです。

親御さんも同じ感覚タイプの方の場合、同じことばかりしたがる子をむしろ歓迎するところがあるので、

とても自信がある様子で自分の世界を深く広く広げている子がよくいます。

前回のユースホステルのレッスンにも感覚が優れていると思われる◇くん(お母さんもおそらく感覚タイプの方)が参加していたので、

いっしょに参加していた他の子のお母さんからこんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

昨日~今日とホテルでのレッスンありがとうございました。素晴らしい子ども達、素敵なお母さん達、Kちゃんやボランティアのお兄さんとの出会いもあり、一緒に過ごした一瞬一瞬が大きな学びになり、感謝の気持ちでいっぱいです。私もたぶん直感が優位なので、本で読んだり、仕事で多くの子ども達と関わりながらも、感覚が優れている子ども達ってどんな子なんだろう?と、まったくわかりませんでした。レッスンやホテルであまり話す機会がなかった◇くん。最後にホテルから駅まで歩く少しの時間に、話すことができました。これから海遊館に行くと聞き、(まぐろのスターターを作ってたので)「まぐろいるかな~?」と声をかけてもキョトンとして、◇くんは水族館に行くのになんでまぐろだけ?と感じている様子。その後、電車も好きという話になり、「魚と電車とあと何が好き?」と聞くと、笑顔いっぱいに『虫!』と答えてくれました。お母さんと一緒にかまきりを飼っていることや餌に蛾や蝶を捕まえている事など、うれしそうに話す様子から、◇くんの愛情が飼っているかまきりだけでなく、餌として捕まえている蛾や蝶、そして食物連鎖のしくみ、生態系すべての物への愛情にあふれていました。これが感覚が優位ということなのか~と圧倒されて、なんて深くて広大な愛情なんだ!と衝撃と感動でいっぱいになりました!スターターのまぐろも大好きなすべての魚からの(スピードの出るピタゴラに合うように)愛情あふれたチョイスなんでしょうね~。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感覚タイプの子は誤解を受けやすいです。

自閉症スペクトラムの子の特徴として、「こだわり」とか、「限定された狭い対象への興味」といった言葉が

使われているために、

年がら年中、電車や恐竜の話をしている子とか、好きな色や感触にうるさい子は、

「ちょっとこの子、発達障害とか大丈夫ですかねぇ?」と親御さんが心配を口にされることがあります。

 

でも、感覚が優れている子たちの多くはそうした言葉の上では

自閉傾向のある子たちと似ている特徴を持っているけれど、

人との関わり方や社会性や推論の発達などには

全く問題がない場合がほとんどです。

たとえば、教室に3歳の時から通ってくれている現在小学1年生の

感覚タイプの男の子は、最初の1年は、工作するときも遊ぶときも「トーマス」一色。

その後、恐竜にはまって、口を開けば恐竜の話で、途中で動物も好きになったとはいえ、

教室でのレッスンのほとんどが、恐竜に関わることに占められていました。

「何がしたい?」とたずねると、毎回「恐竜」という答えなので、「えっ、また?」と問い返したくなるのですが、

大人にすると「恐竜」という同じひとつのものも、

本人の中では非常にたくさんの要素が含まれていて、自分でひとつひとつ開拓して

データーを蓄積してきた膨大な情報の貯蔵庫でもあるのです。

この男の子の中では恐竜への興味はあらゆる方面に枝葉を広げていき、

恐竜の時代ごとの分類や、恐竜の住んでいる世界地理への興味となり、さらさらと世界地図や恐竜の絵が描けるようになって

オリジナルの恐竜図鑑作りに励むようになりました。

また、発掘作業やさまざまな画材で恐竜を描くことや

恐竜のジオラマ作りなどにも熱心でした。

そうするうちにIQ問題や算数の文章題にもきちんと取り組むようになり

お友だちと関わることが上手で社会性の発達もしっかりした想像力豊かな子に育ってきました。

 

 

上の写真のように「遺跡作り」に熱中する子、電子ブロックの回路作りに熱中する子など

感覚が優れている子たちは

ひとつの世界と深く根気よく関わります。

 

感覚が優れているけれど

あまり器用でない子もいます。

そうした子は、パン作りとかスライム作りとか、化学実験のような

器用でなくても、繊細な変化に長時間関われる作業を喜びます。

温度のちがいや感触のちがいを

感じとって遊ぶ作業にいつまでも熱中します。

そうした非常に繊細な差異を比べていくための言葉で会話をしたり、

ささいな変化をいっしょに楽しむようにしていると、

語彙が豊かになり考える力がついてきます。

外からはわかりにくいけれど内面は感覚タイプの子そのもの……

という子もいるのですよ。

注意が必要な親子のペアというと、

本当は感覚タイプの親御さんと直観タイプの子とか、

思考タイプの親御さんと感情タイプの子とか、

感情タイプの親御さんと思考タイプの子といった組み合わせの方が、大きな問題を抱えやすいのかもしれません。

 

感覚タイプの親御さんが直観タイプの子を育てている場合、あまりにも親子のペースがちがいすぎて、

「多動があるのじゃないか?」と心配して厳しいしつけや精神的な虐待に走るケースや、

感覚タイプの親御さんの好む単調な生活に退屈した直観タイプの子が、

知的な好奇心を攻撃性に向けるようになっているケースにたびたび出会います。

 

また、思考タイプの親御さんが

感情タイプの子の「お友だちがするからする」「お友だ

ちが言うこらこうだと思う」といった人間関係中心に物事を考えていく

感性についていけなくて、言葉で馬鹿にしたり、

思考タイプの人の感情面の苦手さから感情タイプの子に十分な愛情表現がしてあげられないため

もともと人との関わりが上手なはずのこのタイプの子が

情緒不安的で攻撃的な性質になっているケースもありました。

 

また感情タイプの親御さんが、思考タイプの子の頭の良さを理解せず、

習い事等で人とうまく関われるかや、単純な暗記モノの学習結果でその能力を測ろうとするため

思考タイプの子が内に閉じこもって神経質でわがままな態度に終始していることもよくあります。

 

それでも私が直観タイプのお母さんと感覚タイプの子の組み合わせに、特に「注意が必要」と

感じているのは、その「わかりにくさ」からです。

直観タイプの人の大らかでアバウトなところと、感覚タイプの人の過敏で繊細なところは

どちらかが相手を理解していこうと努力していかないかぎり、

どんなに愛情があってもすれちがうものですから。

 

以前、感覚が優れている知人のBさんとショッピングに出かけた時のこと、

Bさんがお店の店員の態度やショッピングモールのデザインが購入者の目線に立っているかどうかなどに

いちいち不満を抱いて愚痴るのを聞いて、ひどく動揺した経験があります。

(私のようなアバウトな人間は、いっしょに空気を吸っているだけでイライラの対象になるのじゃないかと心配になって……)

Bさんというのはとても気が長くて親切な方で、裏表がある性格でもないのです。

でも「○○のお店の店員」とか「ショッピングモール」とか「レストラン」などに

求める最低限のマナーなり利用しやすさの基準がやたら高いのです。

 

Bさんが、庶民的な店に求める「常識がない……」として怒るレベルが私にすると、

冠婚葬祭の式場や高級ホテルレベル……?

 

感覚が優れている方はそれぞれその人が気にかけているものについてだけ厳しかったり細かかったりするので、

別に何もかもにそんな高い要求をしているわけではなく

むしろ寛容すぎるほどの面も大いに持ち合わせているのです。

 

でも、その人その人の中で体系化されている比較対象のデーターが細かいので、

「○○の店員なのに、○○という名前も知らないなんて信じられない」といった

私からすると想像だにしたことがない怒りにつながる模様です。

「学生バイトじゃないかな?」と適当にうけながすと、

「○○の店で学生バイト雇うなんて……それにちゃんと教育すれば、あんな風になるわけないわ」という返事が……。

 

逆に直観タイプの言動が感覚タイプの人や子を動揺させていることも

多々あるのです。

たとえば、直観タイプの人は、自分があれこれやり方を指示されるのが嫌だし、

たいていのことは自分でコツをつかんで自己流でやりたいと思っていて、それでまぁまぁうまくこれているのもあって、

「子どもにもあまり細かいことを言わないようにしよう」と親切心から、子どもを放任しがちです。

でも、感覚タイプの子は、きちんと手順通りの型を覚えて、完全にマスターしてできるようになりたいと感じていて、

日常のささいなことも「お手本」をしめして、できるまでていねいに関わってもらいたいものも

けっこうあるのです。

それが「どれ」なのか、その子によりけりですが、

そうした思いをきちっとキャッチして対応してあげないと、

とても自信なげな頼りない印象になることがあるのです。

そうした自己肯定感が低くなっているように見える感覚タイプの子が

虹色教室に来たとき、感覚タイプの子の好む作業を、お手本を見せてきちんと型を教えながら

本人の望むようにしてあげていると、

親御さんがびっくりするほど明るい表情でいきいきと根気よく活動するようになることがあります。

 

■くんの話題が途中のまま、ずいぶん脱線してしまいましたが、

■くんが感覚タイプかどうかはまだはっきりしないけれど、

五感を満足させる体験や繊細な差異を言葉で分類していくこと、

自分のそれまで関わってきたものをさらに広げる体験を好むことなどから、

そうした性質への理解を広げながら関わっていくことが大事なように思いました。

 

自分からしゃべる量が少ない子と

同じくらいの比率で会話しようと思うと、シーンと静まりかえってしまって

心配になるかもしれませんが、

子どものしゃべる量が少ないからと、親がそれを補うようにしゃべっていると、

子どもが自分で考えたり話したりするのをやめたり、

「図鑑を見ているときやテレビを見ているときだけ話す」のように会話する場面が減ってくるので、

気をつける必要があります。

 

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