マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

理由のある以前にある幸福

2015年05月31日 | イメージ

マインドフルネスを進めていくと、

自らの感情や思考に敏感になるあまり、

よりきつく辛くなることもあるかもしれない。

 

どんな些細な物事にも引き起こされるあらゆる感情や思考が、

むき出しの神経に迫るような。

 

「親切にフレンドリーにネガティブな感情も迎えてやる」

というような言葉通りに親切な宿屋の主人を演じ、

そのまま感情という客に振り回されたり。

 

確かに、どんな感情が湧き上がりつつあるのか、

それがじわじわと形になろうとする時点で、分かるようになってくる。

そして気づいていることで、

移り変わる天気を過ぎやるように、

また穏やかに落ち着いていくと。

 

「しっかり感じることを通して」という言葉に、

しっかり感じ続けてずたずたになり、

疲弊して立ち上がる力さえ失ってしまうこともあった。

 

とてつもないネガティビティーには、

とてつもないポジティブさをまとい向き合うことで、

バランスが取れ落ち着いていくようにも感じる。

 

とてつもないポジティブさをまとっているのなら、

しっかり感じることもできる。

 

とてつもないポジティブさ。

それは内の底から湧き上がる

ジョイ、活力、パッション、のようなもの。

 

ペルシアの詩人ハーフェズが、

「私は理由ある以前でさえ幸福である

空が太陽や月に挨拶する以前でさえ私は光に満ち溢れている」 

と言うように。

ハーフェズの詩に溢れるあの能天気な笑い!

 

確か去年見たTEDで欧米人の尼さんが、

きらきらとした目で、

「内から湧き起こるジョイを行き渡らせ続ける」

と言っていたのだけれど、その感覚。

 

とてつもないネガティブな感情が湧き起こるのに気づきつつ、

このジョイを行き渡らせるのならば、

気持ちはハッピーに満たされ、活力がみなぎる。

 

それは、たとえ、きつい状況にあったとしても。

「理由のある以前にさえ、幸福」に。

 

これらは、宗教色を排したマインドフルネスでは、

もう範疇を離れたことなのだろうか。

探っていきたい。 


背もたれにちょっとふんぞり返って

2015年05月31日 | イメージ

目の前のアップダウンだけを追っていたら、

ぐるぐる振り回されて、

心身共にへっとへと。

 

後頭部あたりに手を組んで、

背もたれにちょっとふんぞり返り、

距離を持って眺めてみる。

長く広い視野に身を引いて。

 

どこへ行こうとしているのか。

何を見据えているのか。

 

 


その起こる時に穏やかに気づいている

2015年05月31日 | 覚えておきたい言葉

Everyday Mindfulness @mindfuleveryday


夫の言葉にありがとう

2015年05月30日 | 日常

もう少しゆっくり慣らしていけばよかったかな、

とため息をつく私に、

準備できてないところにはやってこない、

調度よい時だったんだよという夫。

この人と一緒にいてよかったなと思う。


裏返り、豆一つ

2015年05月30日 | 分類の外

擦り切れた神経は

それでも擦り切れたからこそ閉じることを忘れ

そこへ世界が入り込み

裏返る

 

世界に変えられないためと力の入った身体を緩めたら

自分は消え去り

ただ 豆が一つ


眠ってしまう感覚を起こして

2015年05月30日 | イメージ


恵みに感じ入るときを、

日常に散りばめることで、

物事への対し方は随分と変わってくる。

 

きつく辛い時こそ。

 

たとえアタマは冴えていても、

溢れる恵みに鈍くなった感覚が、

よりきつく辛いダウンスパイラルを生み出す。

 

眠ってしまう感覚を、

揺り起こして。

 

思考には安易な楽観性を削ぎ落とした中立的客観性が必要だけれど、

人生には希望に溢れた楽観が必要。


うねりたつものが盾となり

2015年05月30日 | イメージ

こうして生きていることの奇跡を、

与えられているものその一つ一つを、

心の底のところで感じる。

 

アタマで、

これは感謝すべき、感謝しなきゃいけない、ではなく、

深い深いところで感じ入る。

 

そうしてうねりたつものが、

層となり、

このむき出しの神経を幾重にも包み込む。

 

どんなことがあろうとも、

盾となり、

突き抜けていく存在を可能にする。