マインドフルネスを進めていくと、
自らの感情や思考に敏感になるあまり、
よりきつく辛くなることもあるかもしれない。
どんな些細な物事にも引き起こされるあらゆる感情や思考が、
むき出しの神経に迫るような。
「親切にフレンドリーにネガティブな感情も迎えてやる」
というような言葉通りに親切な宿屋の主人を演じ、
そのまま感情という客に振り回されたり。
確かに、どんな感情が湧き上がりつつあるのか、
それがじわじわと形になろうとする時点で、分かるようになってくる。
そして気づいていることで、
移り変わる天気を過ぎやるように、
また穏やかに落ち着いていくと。
「しっかり感じることを通して」という言葉に、
しっかり感じ続けてずたずたになり、
疲弊して立ち上がる力さえ失ってしまうこともあった。
とてつもないネガティビティーには、
とてつもないポジティブさをまとい向き合うことで、
バランスが取れ落ち着いていくようにも感じる。
とてつもないポジティブさをまとっているのなら、
しっかり感じることもできる。
とてつもないポジティブさ。
それは内の底から湧き上がる
ジョイ、活力、パッション、のようなもの。
ペルシアの詩人ハーフェズが、
「私は理由ある以前でさえ幸福である
空が太陽や月に挨拶する以前でさえ私は光に満ち溢れている」
と言うように。
ハーフェズの詩に溢れるあの能天気な笑い!
確か去年見たTEDで欧米人の尼さんが、
きらきらとした目で、
「内から湧き起こるジョイを行き渡らせ続ける」
と言っていたのだけれど、その感覚。
とてつもないネガティブな感情が湧き起こるのに気づきつつ、
このジョイを行き渡らせるのならば、
気持ちはハッピーに満たされ、活力がみなぎる。
それは、たとえ、きつい状況にあったとしても。
「理由のある以前にさえ、幸福」に。
これらは、宗教色を排したマインドフルネスでは、
もう範疇を離れたことなのだろうか。
探っていきたい。