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そして名前のことを、少し考えはじめる…

2015-11-27 | トークタイム
T・Sエリオットの「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」の
猫の名前を、時々眺める。
そして名前のことを、少し考えはじめる。

猫や犬に名前をつける時って、
その子から受けとる印象を音にしようとしたり、
或いは素敵な意味を名前にしてあげたいと思ったり。
名付けたときから、もう物語は始まっているのだなと思う。

名前について、よく思うのだけど、
名前をつけることで、膨大な宇宙の時間を一輪の花のように
切り取ることができるのだと思う。

私が知らないだけで、小さな雑草にも本当は名前が
つけられている。名前をつけた人は、隣に生える植物との
差異を理解したのだ。はじめは食べられるかどうかが
肝心なことだったのだろうと思う。食に適した植物は
特徴を名づけられたりして所有される。

そのように時代によっては、植物を名付けることは
調査のためだったかもしれない。
1対1で向かい合った時間から、人間よりもずっと長い
時間を生きているかもしれない植物は、
人間の言葉に触れて関わりを持ち始め、
別の時を打ちはじめる。
名前がついた時間を共有し始めたのだ。

名前というのは、所有することなのだと思う。
興味あるものの名前を知りたくなるし、
名前のないものには名付けたくなる。

所有といっても、手のひらに包み込むことではないが。
例えば、琴座のベガという名前を知ることで、
星さえも自分の時間にとりこめたりする。

やっと、話が猫に戻れそうだが…、
猫に名前をつけることで、一緒の時間を刻めるように
なったりする。野良猫も名前で呼んでいると、
時々顔を見せにきて、その子に流れる時間を共有させて
もらえる。

名前の不思議を思う。結局呼び名ということだが、
昨日まで見知らぬ子だった犬や猫、人もそうだけど、
呼び名を持つことで特別な繋がりができるものなのだ。

雨や風、自然にも人は微妙な変化の様子を、
呼び名を変えて名付けたりする、その特徴を共有し、
自分の時間に所有しようとすることへの情趣を
感じるのだ。面白いなと思う。…



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