ちょこっと本音

自分のこと、趣味のこと、ダイエットのこと・・・
心の声をちょこっと文字に。

夜の梅

2010年03月10日 | 日々雑感
昨日はとても寒く、ついに夕方頃から雪が降ってきた。
春の雪・・・
とそんなロマンチックなものでもなく車のフロントガラスにはペタッペタッと吸い付いてくるようだった。
家につき街灯ごしに梅の木をみると、黒い枝には白いかたまりがふんわりとのっている。
梅の花なのか、雪の花なのか・・・。

「夜の梅」というお菓子を思い出した。
宮内庁御用達のとらやを代表する銘菓、小豆の入った羊羹だ。
その切り口の小豆が、夜の闇にほの白く咲く梅をあらわしているとか。

もうひとつ思い出した。
昔勤めていた事務所で、営業のおじさんが、翌朝早くにお客さんのところに行かなければならなくなった。
もう時間は遅く、おじさんは手土産を調達するのに焦っていた。
そしておもむろに電話を

「もしもしっ! お宅にようかんおいてますかっ?」

電話先は銀座のとらや。
羊羹屋に羊羹おいてますか、というなんて。
よっぽど焦っていたのだろうとは思うけれど、たぶん電話の先でもこちら側と同じように笑っていたと思う。

もう10年以上も経つ話だけれど、今もその会社で語り継がれてもいなければ、都市伝説にもなったとも聞いていない。

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2010年03月09日 | myself
朝起きたら、なんだか左目がゴロゴロしている。
もしかしてものもらい?
と思って鏡をみたらびっくり!
白目の部分半分が真っ赤になっている。
どうやら毛細血管が切れたらしい。

この1~2年、こういうことが良く起きる。
目を使いすぎたりすると白目全体が真っ赤になってしまう。
目の老化現象かな?
見た目は相当不気味だけれど、本人はちょっと違和感があるけれど、痛くも痒くもないし視力に影響はない。
多分、このところPCを使いすぎていたのに、電車の中で本をずっと読んでいたからだろう。
目が痛いなとは思っていたけれど、本が面白くてやめられなかったのだ。

人間の身体は、そのどれが欠けても生活がしにくい。
内臓や手足、欠けたものをあるものが補って通常に近い生活はできるが、それまでは大変だ。
たとえ小指1本、怪我をしてバンソーコーを巻いていても使いにくい。
ましてや目が見えなくなったら、私は仕事ができなくなる。
もっと大事にしなくては・・・と思っても、やはり少し時間があるとつい読んでしまう。

でも本が読めるようになっただけ、身体は回復したんだと思う。
入院中は、あんなに時間があったのに、本を読む、雑誌を読む気にもなれなかったのだから。
その空白を埋めるように今は本をあさるように読んでいる。
まだ読んでいない本があるのにも関わらず、新しく買ってしまう。
今買わないと返品されてしまい、いつまた、その本に出会えるか分からないからだ。
またハードカバーは文庫になるまで待とうか、とか自分の中で駆け引きをしている。

とにかく好きな本が読めなくならないように、適当に仕事をし(?)、電車内ではあまり本を読まないように気をつけよう。
でも電車内が一番、本に没頭できるのだけどな。

朝から比べると、目は少し赤味がひいてきた。
今日は帰りの電車では大人しく寝て帰ろう。

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椿

2010年03月08日 | 日々雑感
ことしも庭の椿のつぼみがプクッとふくらんだ
まんまるで、ころっとしたつぼみからは
あでやかな大輪の花は想像もつかない

まあるいつぼみの中に
いくつかの色が透けて見える
なんだか楽しげな花びらが
まあるくかたまって笑っている

そして花開く時がきて
つぼみとは似ても似つかぬ大輪の花が咲く
誇らしげに花びらをひろげるのだけど
それをめがけて鳥がくる
そして花びらををついばみ
ボロボロにしてしまう

食べられたところは茶色く色を変え
不ぞろいな花びらのまま
恥かしげに咲いている

もしも椿がまあるいままなら
外へ花びらをひらかなければ
鳥につつかれることもないのに・・・

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眠る・・・眠る

2010年03月07日 | myself
昨日は午前中に久しぶりに母と出かけた。
母が美容院へ行っている1時間の間に、頼まれた買い物に走る。
ついでに自分の買い物にも走る。
そのせいか足と腰が痛くて、美容院を済ませた母と合流したときはへとへとだった。
とにかく早く買い物を済ませて家にかえりたくてしょうがなかった。

帰ってから遅めの昼食を済ませてからずっと寝ていた。
テレビがついていたので、夢にドラマが入り込んできた。
現実と夢のはざまをうとうとと。
夕食が出来る7時までずっと寝ていた。

夕食の間、ほんの1時間ほどは起きていた。
食べるのだけはしっかり食べている。
そうすると元気になったようなきもする。
さてテレビでもみてのんびりと・・・と思うとソファで寝ている。
またまた夢と現実の世界を行ったりきたり。
気がついたら11時過ぎ。
あわててお風呂に入り12時30分にはベッドの中。

今朝はまったく目が覚めない。
それでも9時にようやく起きて朝ごはん。
(休みの日は母と一緒に朝食も必ずとることにしている)
そのあとまたまたソファで午前中は夢の中。

お昼ができたからと起こされる。
なぜか食事ごとには起きているな。
食後はすぐに身体が横になりたがる。そして気づくと眠っている。

いつものことかもしれないけれど、また時間を無駄にしたと後悔する。
どれだけあるかわからない人生の時間。
そのうち大事な2日間をただただ寝て過ごしてしまった。

1週間、自分で生活の波を作れない。
仕事の波に流されているから疲れてるのだろうか。
いや、それはたんに言い訳で、本当は何もしたくない怠け者なのかもしれない。
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さくらさくら

2010年03月05日 | 日々雑感
今年から気象庁は桜の開花予報をしないことになった。
あまりにも季節がおかしなことになっているから、予報が追いつかないからだろう。
東京では靖国神社に開花宣言の標本木がある。(見たことないけど)
この写真は、靖国神社の隣り、千鳥が渕に新しくできた遊歩道に咲いていた3本の桜のうちの1つだ。

1年は早い。
去年の春は心身ともに辛かった。
季節の移り変わりすら私と違う次元のことのように思えたし、桜が咲いたからと言って心踊ることはなかった。

今年は・・・。
少しは周りをみる気持ちの余裕もできたようだ。
次々と名乗りをあげるように花が咲き、和らいだ光は水面で反射し、あともうひと月もすると、千鳥が渕全体が薄いピンク色に染まっていく。

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どこでもドラぁ~?!

2010年03月04日 | 日々雑感
結局、会社近くのスーパーでは、午後からも桜餅を仕入れることはなく、帰りにのぞいてみたら、やっぱり、棚いっぱいのどら焼きがメインとなっていた。
昼はパンが乗っている棚までどら焼きで埋まっていたがどうやら売れたらしく、どら焼きは二段だけとなっていた。
とはいえ棚を埋め尽くすどら焼きは結構壮観!
しかも一個50円!
桜餅をやめてどら焼きに変更しようかと思ったが、やはり季節のものはその季節に食べてこそ美味。

駅近くに和菓子店が一軒ある。
あまり美味しくないので、いつもはいかないのだけど、今日は仕方なく寄ってみた。
なんと、ここも売り切れ!
こうなれば意地になってくる。
裏通りにお弁当を売っているお団子屋がある。
というかお団子も売っているお弁当やさん?
ま、どっちでもよろし。
最後の砦ということで寄ってみたら・・・ほっ。
道明寺がまだ少し残っていた。

それにしても高田馬場は面白いところだ。
先月の恵方巻もそうだけど、今月のちらし寿司も、出店がでるありさま。
歩いていると、中国語や韓国語が飛び交っている地域なのに、日本の行事もちゃんとしている。
(お店に踊らされているのかな?)

家へ帰り、ちらし寿司と菜の花の辛子和え、道明寺で今年もつつがなくひな祭りを終えた。

ひな祭りを終えたのもつかの間、すぐにひな人形を片づける。
もう今さら・・・と思うけれど、一応すぐにしまう。
後に残ったのはひなあられ。
ぽりぽりと食べてひな祭りの夜は更けていった。


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桃の節句

2010年03月03日 | ちょっと賢くなれる雑学

日本には人日・上巳・端午・七夕・重陽という五つの節句がある。

日(じんじつ):陰暦正月七日(七草がゆ)
上巳(じょうし):陰暦3月3日(ひな祭り)
端午(たんご):陰暦5月5日(端午の節句)
七夕(たなばた):陰暦7月7日(七夕祭り)
重陽(ちょうよう) :陰暦9月9日(菊の節句)

平安時代の貴族の間では、五つの節句はそれぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事だった。

今日は桃の節句。
夜は散らし寿司と蛤のお吸い物。
そしてやっぱり桜餅(or明寺)。

と思ってお昼過ぎに会社の近くのスーパーに行ったら、散らし寿司は山とあったけれど、なぜか桜餅がない。
店員さんに聞いてみたところ、午前中で全部売れてしまったとか。
今日はどうしても桜餅を食べなくては「厄」が落ちない!(・・・というのはうそだけど)

午前中、桜餅があったはずの棚には、店員さんが一生懸命ドラ焼を並べていた。
棚1本全部がドラ焼というのも壮観!
いったいどんだけ~ドラ焼を仕入れたのだろう?
というよりも、どうしよう桜餅・・・。



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千の風よ吹け

2010年03月02日 | 優しいことば

朝日新聞で昨年『千の風になったあなたへ贈る手紙』という募集をしていた。
私も『千の風』になった父にどうしても言いたいことがあって書きたかったのだけど、去年は体調不良で応募できなかった。
父が亡くなった年の紅白で『千の風になって』が初めて歌われた。
聞きたくなかった。
でもやはり聞いてしまった。
涙が出て止まらなかった。
あれからもう4年たっても『千の風になって』を聞くと辛い。

昨日の朝日新聞の天声人語にポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカの詩集『終りと始まり』の一節が載っていた。

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑が萌えるのが止まったりはしないと・・・

訳者の沼野充義さんによると、これは夫の死を悼んだ詩だそうだ。
自然は色をかえすのに人は戻らない・・。(一部引用)

私が父に言いたかったこと、それはだんだん身体の自由が奪われていった父が全身を振り絞ってようやく出したことばと、哀しそうだけどとても優しい目で私を見つめたことへの私の想い。
ベッドに添い寝をしていた私の頭を、動かない手をようやく動かしてなでたこと。
それはいつまでも忘れない、そして誰にも言わない父と私の最後の秘密だということ。

私は父が亡くなってから声を出して泣いたことがない。
父の死を悲しんで涙があふれても、悲しみを声に出していない。
全部自分の中へと、またしまいこんでいる。
だから、だからいつまでも父は私の中にいる。

いつかは声にだして泣かなければならないと思う。
そうしなければ、父はいつまでたっても『千の風』になれないような気がする。
自由に空を飛びまわり懐かしい人々の所へ行けない気がする。
でもまだ私は泣けない。
だから私はまだ父を独り占めしている。


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