まいぱん日記

身近なあれこれ、植物のことなど

ロシアのジャイアント・ホグウィード

2021年09月01日 | ロシア

                            (リャビンカ-カリンカ 第19号 2005年11月27日発行)より

 ロシアのジャイアント・ホグウィード(ボルシチェヴィーク)


八月末から八日間、友人とふたりでロシアへ行った。ペテルブルグからプスコフへ向かうバスの窓から外を眺めていると、防雪(風)林として植えられたトーポリの手前の道路脇に人間より背の高い逞しい植物が密に生えている。葉も一メートルもあるかと思えるくらいに大きく、濃緑で縁がぎざぎざしている。葉の間からは枯れて茶色くなった太い花茎がまっすぐに伸び、その頂きにこれまた大きな半円形の散形花序がドライフラワーになって何本か傘型に広がっている。なんだろう?と気になりながら、プスコフ市内やミハイロフスコエ周辺では見かけなかったので、名前をきく機会がなかった。

 プスコフに二泊して、ペテルブルグにもどってから、また週末でダーチャに向かう車で混みあう同じキエフ街道を七〇キロほど走り、レニングラード州ガッチナ地区を訪ねた。プーシキンの曽祖父ガンニバルの田舎屋敷『スイダ』は当時の石造りの小さな屋敷が博物館になっている。二〇歳前に見える、愛らしく感じのよい館員がはにかみながら一生懸命に説明してくれ、古い並木道や石の腰かけのある庭も案内してくれた。大きな池のほとりにくると、彼女はプーシキンの『ルスランとリュドミーラ』の「入江のほとり、緑のオークの木あり、黄金の鎖、その幹にかかりて……」の「入江」はここだといって、詩を朗読してくれた。(ちなみに、この詩はチェーホフの『三人姉妹』でマーシャが何度となく口にする。)詩でうたわれたオークは枯れてしまい、小片にして受付で売っていたので、記念に買い求めてきた。

   

   レニングラード州ガッチナ地区プーシキンの曽祖父ガンニバルの田舎屋敷『スイダ』

   小さな博物館の庭の横に群生するボルシチェヴィーク

池に沿った道の片側には、あの逞しい草が見事に群生していた。さっそく彼女に名をたずねてみると、「ボルシチェヴィークです」との答。触ると皮膚が火傷したように腫れあがり、危険な草だけれど、白い花をたくさんつけた大きな散形花序はきれいで傘に見立てて遊んだこと、枯れてしまえば触っても大丈夫なことなどを話してくれた。

 日本に帰ってから、調べてみると、「ボルシチェヴィーク」はセリ科ハナウド属、属名のHeracleumは草の逞しさからヘラクレスに由来する。またボルシチェヴィークは古くよりロシアで食材、および薬草として用いられ、ボルシチの語源となったのだそうだ。だがそれは「ボルシチェヴィーク・シビールスキイ(ロシアのシベリアのハナウド)」で、ロシアに自生する背丈一・五から二メートルの草で、汁がついても炎症を起こすことはない。危険なのは「ボルシチェヴィーク・ソスノヴスコボ」で、こちらはより逞しく、草丈高さ三、五メートルにもなる。直径一〇センチにもなる中空の茎、上方で分岐し、その茎ごとに散形花序になっている。波状の切れ込みのある葉の長さ五〇~六〇センチ。根は直径三〇センチで非常にしっかり張っている。天気のよい日 不用意に触ると草に含まれる精油成分が反応し、皮膚に火傷のようなひどい水疱状の炎症を起こし、体がだるくなり、頭は割れるように痛み、高熱を出す。子どもはしばしば茎を折り取ってちゃんばらごっこをして皮膚に炎症を起こしたり、中空の茎を笛にして遊んで唇が水ぶくれになってはれ上がって苦しむ。子どもだけでなく、成人の被害者も毎年数千人におよんで、病院に運ばれるという。

この植物は一〇〇年前家畜の飼料としてカフカスから持ちこまれた。これをロシア中に広めたのはスターリンで、アメリカでこの植物が価値ある飼料にされていると知り、畜産業の能率を上げるべく飼料として栽培するように命じ、その方針はフルシチョーフ、ブレジネフへと受け継がれた。ボルシチェヴィークは簡単に野生化し、マロース(厳寒)も酷暑も恐れず、ロシア中の日のあたる湿った森辺、川岸、道端、野原へと進出していった。

一九七〇年代ソ連の指導者は東側諸国でも栽培を奨励した。ポーランドの畜産家はこれを食べた雌牛の乳には苦味が出るとし、毒草だと判明したため栽培は止められたが、畜産家たちはその後も長い間この草を「スターリンの復讐」と呼んだそうだ。ロシアでもこの草をめぐっては環境汚染のため特殊任務の研究所にひそかに持ちこまれたとか、アメリカのスパイが持ちこんだとの噂があった。

この草を絶やすには、種が飛び散る前、天気の悪い日を選んで、皮膚に触れないよう防護服で武装し、根こそぎ掘り起こす。種子が飛んだあとの場合、根の周囲には種子が残っているので土を掘り起こして焼き払う。多くの株が地面を蔽いつくしているような最悪の場合は除草剤を使うなどの方法を用いる。

スターリンの御代が終ったとも知らず、ボルシチェヴィークは何ものも恐れず進撃をつづけ、今では都市の公園や中庭にまで姿を見せているという。

*2018年以降モスクワ地方では個人の、また法人の所有地にボルシチェヴィークを繁殖させていたら、罰金を科せられるそうだ。2021年の今はその分布をさらに広げて、極地のムルマンスクなどにまで進出しているそうだ。

    ボルシチェヴィークの画像一覧 

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