スーパーで新鮮なビーツを売っていたので、買ってきました。278円でした。
「東京都産」”HACHIOJIビーツ”と袋にありました。
茹でてビーツ入りポテトサラダを作るつもりです。
ふつう食べ物では見たことのない鮮やかなピンク色のポテトサラダができあがります。
小梅はふつうの大きさの梅が出回る時期には終わっていますから、とりあえず500グラムですが、
買いました。
スーパーで新鮮なビーツを売っていたので、買ってきました。278円でした。
「東京都産」”HACHIOJIビーツ”と袋にありました。
茹でてビーツ入りポテトサラダを作るつもりです。
ふつう食べ物では見たことのない鮮やかなピンク色のポテトサラダができあがります。
小梅はふつうの大きさの梅が出回る時期には終わっていますから、とりあえず500グラムですが、
買いました。
数日前、この葉が若草色のゼラニウムに初めて花が咲いたと書きました。
その後少しずつ花が開いてきました。
ちょうど茎を挿しをしてから、1年です。これは一株ではなくて、何株か集まっています。
だからボリュームがあって 花が映えるな、なんて自己満足して ながめていい気分になってます。
コロナの期間中「今日一緒にね」と胸元にいつもつけていたのは、お気に入りのシマエナガのピンブローチでした。
選んでとりあげる瞬間、今日一日なんとなく心強いというか、そんな大げさでもなく、ちょっとだけ気持ちがあったかくなるような・・・・
数か月前に同じ陶器の犬を買いました。ちょっとかわいすぎたので、ふだん着につけてます。気持ちが若がえるというか、元気になります。
今月ネットで見つけて、ちょっと迷ったのですが、真鍮の犬を買ってしまいました。実際に見たら、小さすぎたのですが、つけてみると、また気分がちがうかもしれません。
明日は第4日曜日で会のある日です。久しぶりに実際に参加するつもりです。多分、新しく買った犬と。
出かける前につけてみたら、ピンブローチは後ろの差し込み部分がけっこう高さがあります。今どきに着てゆく服はセーターとちがって薄手なので落ち着かないのです。それで真鍮の犬は、今回一緒にお出かけしませんでした。布バッグにつけようかな。
ちょうど一年前になるでしょうか、ダーチャのお隣のⅠさんからいただいたゼラニウムに初めて花が咲きました。
お隣の花は真紅といえるような赤でしたが、わが家のはオレンジがかった赤い花です。(11月7日
違う種類のゼラニウムだと分かりました。)
分かりました。)
このゼラニウムの魅力はなんといっても若草色の葉っぱですが、花が咲くとやっぱりうれしいものですね。
昨年の2月24日、ロシアのウクライナ侵攻を知ったときの衝撃は今でも忘れがたいものがあります。あれから一年以上たった今も休みなくつづく理不尽なウクライナへの侵略は、プーチンが権力の座にいるかぎり、つづくのでしょうか。
ちょうど一年前ウクライナの美しい港湾都市マウリポリが激戦の末、ロシアの支配下に置かれました。アゾフスターリ製鉄所に籠城して最後まで戦ったウクライナ兵たちは全員降伏し、捕虜になりました。捕虜の兵たち、また連れ去りにあった子供や市民たちの移動先のひとつにロシア領のタガンローグ市があります。
タガンローグはウクライナとの国境からおよそ50キロ、マウリポリからは100キロと近く、鉄道が通っているのでロシア各地へウクライナの人々を運ぶことができるのです。例えば、「ロシアに強制移送されたマリウポリ市民、帰国を切望」 彼女はマウリポリからとりあえずタガンローグへ運ばれ、列車に乗せられ1000キロ離れた町に運ばれたのでした。彼女はたまたまロシアを出国できたわけですが、できなかった人たちは今どうしているのでしょうか。
ロシア侵攻による捕虜や連れ去りの町として出会うことになったアゾフ海のタガンローグ湾に面した港湾都市タガンローグ。タガンローグといったら、戯曲『桜の園』などで知られるロシアの作家チェーホフが生まれた町です。タガンローグとの不幸な出会いではありましたが、これをきっかけに私の中でチェーホフ熱が再燃しました。
チェーホフは1860年農奴解放の一年前にタガンローフで生まれました。ギムナジウムに通い、教会のお勤め好きの父親に幼いときから兄たちとともに教会で歌わされ、家業の食料雑貨店の店番をさせられ、専制主義的な父親の意に染まなければ鞭打たれて育ちました。その父親は破産して、モスクワに夜逃げしてしまいます。16歳のチェーホフはギムナジウム6年生でしたが、父親はそのチェーホフに店の後始末を押しつけたばかりか、「金送れ」といってくる。母は「お前以外に頼るひとはいない、お金を送っておくれ」と涙ながらに懇願してくる。苦労してやっとひねりだした12ルーブリを送金すると、返事には「20ルーブリ必要だったのに」とある。もちろん自分の学費、生活費は町中駆け回って何軒も家庭教師をして自分で稼がなければなりませんでした。
チェーホフがタガンローグをあとにしたのは、ギムナジウムを終え、モスクワ大学医学部にヒ入学した19歳のときでした。自分ばかりか遠く離れたモスクワの家族の生活の援助までしなければならなかった日々は苦しかったにちがいないのですが、父親から精神的に自由になって、学校にかくれて劇場に通ったり、自分でも戯曲を書いてみたり、図書館で読書したりと、貧しさにおしつぶされず、のちの何事にも屈せず、とらわれない精神の強靭さをはぐくんだ貴重な時間だったといえます。
モスクワでは極貧の家族が待ち受けていました。チェーホフがユーモア雑誌に投稿したのは生活のためでした。モスクワでもチェーホフは兄たちが顧みない家族の生活を支えたのでした。医者になってからも、ユーモア雑誌に書いて書いて書きまくりました。チェーホフというひとは、自分は金をかせぐ機械とで思っていたようなところがあって、それがいくらお金を稼いでも特別な贅沢をしてるわけでないのになくなってしまい、金欠、金欠といいつづけ、それでも慈善のためとお金を乞われるたびに払うのでした。
タガンローグをきっかけにインターネットでチェーホフのことを読むようになると、チェーホフのじつにさまざまな情報がいっぱいあるのでした。ウクライナの人がいうようにたしかにチェーホフはウクライナに近しいところがあります。実際、父方の祖母はウクライナ人の農奴でした。
1週間前偶然にチェーホフが生きた、さまざまのシーンと作品論を組み合わせた伝記にいきあいました。ひきこまれて、熱中してました。ますますチェーホフが好きになりました。
いろいろ興味深いことを新たに見つけました。こんど、紹介しますね。
4月30日喘息で呼吸困難になって救急車で緊急入院した夫は翌週火曜日に退院しました。
その後入院前と同じくらい元気をとりもどした様子で、1週間たった今週火曜日に「野菜の苗を植えるので、行ってくる」と
ひとりでダーチャに出かけてしまいました。さすが「別荘大好き」の夫です。
予定していた苗を植え終わったようで、今日無事に帰宅しました。
これはおみやげの花々です。
3月でしたか、eriさんからのらぼう(菜)をたくさんもらいました。ゆでても目減りしなくて、食べでがあります。
eriさんのお家では、うらやましいことに大量にもらうのだそうです。
太い茎の節の下で切って、はじめ水をいれた小鉢にさしておきました。
そのうち茎から根のようなものが出てくる気配?がします。
それで、小枝をさしたり、とんでもないところに飛んだ種から生えた植物などを仮植えしている
プランターに植えておきました。
今日見たら、立派に枝分かれして花を咲かせています。
のらぼうは生命力の強い野菜なのですね。私も栽培したいです。
鉢から抜けないので、そのまま 夏中バケツにつっこんでおいて、冬を前に小さすぎる鉢に植えて、
家にいれた極楽鳥花。
あたたかくなってから、外に出しました。
夫が入院してあれを届け、これを届けしていて、読書もする気がなくなってきて、手もちぶさたで
いたとき、せめてこれくらいしようかなと小さすぎる鉢の極楽鳥花を植えかえました。
冬前に家に取り込んだ時と比べてください★ この鉢の穴からもう根が出ていました。
極楽鳥花は、ほんとに丈夫な植物です。
でも、花を咲かせるにはどうしたらいいのでしょうか。花が見たいです。
極楽鳥花はストレルチア。そのお話前に書いた記憶が・・・・。これでした★
月下美人とか極楽鳥花とか、年を増すごとに私はド派手な花が好きなってる?
本日 夫は退院いたしました。