今読んでいる遠山茂樹著『森と庭園の英国史』(文春新書 平成14)から、マッソンのことを紹介しますね。
キュー植物園の園長バンクスによって最初のプラントハンターとして選ばれたのがフランシス・マッソン(1741~1805)だった。彼はスコットランド北部の港町アバディーン生まれで、庭師の見習いをし、ロンドンに出てキュー植物園で働くようになったといわれている。「もの静かで感情をあまり表に出さない」マッソンの勤勉な働きぶり、植物に対する並々ならない好奇心などがバンクスに見込まれたのだった。
クック船長の探検航海の船に乗船し、南アフリカの喜望峰で下船。1772~74年まで当時オランダの勢力下にあったケープタウン周辺で植物採集に従事した。牛に引かせた一台の荷車に生活道具一式を摘み込んで、現地の召使を連れての採集行であった。
この植物採集はすばらしい成果をあげ、400種(500種とも)もの新たな植物をイギリスにもたらしたのだった。なかでも50種ものケープ産のゼラニウムはまたたく間にイギリスの一般家庭に入り込み、ゼラニウムはヴィクトリア朝の人々にこよなく愛される花となった。さらにヨーロッパじゅうに一大園芸ブームを巻き起こし、その後もヨーロッパの窓辺を飾りつづけている。マッソンがいなければ、『ピーターラビットのおはなし』にゼラニウムの鉢が登場することはなかっただろう。
(3鉢には別々の種類のゼラニウムが植えられていますね。)
さらに人々を驚かせたのはストレリチアで、当時の社交界の話題を独占したのだった。『ボタニカル・マガジン』(1787)はマッソンが持ち帰ったこの花を絵入りで紹介し、「イギリスにもたらされた最も珍しく、最も華麗な花のひとつ」と絶賛しているという。
キュー植物園のパームハウス(大温室)にはマッソンが南アフリカで採取したソテツの一種「エンセファラルトス・アルテンステイニー(Encephalartos altensteinii )」の大きな鉢植えが置かれている。
マッソンはその後もプラントハントに出かけたが、第1回目ほどの成功には遠かった。北アメリカに出かけ、気候が合わずに、モントリオールで1805年12月23日に死去。寡黙で穏やかだったマッソンに、どうやら、家族はいなかったようだ。クリスマスにその地の教会墓地に葬られたそうだが、葬られた地が南アフリカだったらよかったのに。(←これは私の感想)
今もキューの大温室ではマッソンが採集したソテツが「世界最古の鉢植え植物」として展示され、毎年2センチずつ成長しているという。(キュー植物園での植え替え風景)