fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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クリスマス ~俳句

2021年12月25日 | 日記
          

 これは、この前のおくの細道ツアーでお昼をいただいたホテルのツリー。
 
 みちのくの川のほとりの聖樹かな   あぶみ

 川は那珂川なんですが、考えると「みちのく」は、道の奥 で白河以北かな。俳句は創作なので、これはもっと北の川ということにします。
 ツアーで作った他の句は、

 ふりあふぐ遊行柳や雪婆
 はせを忌の殺生石に行きつきぬ
 枯野きて鏡ヶ池の黒々と
 十五代高久家当主大根干す      あぶみ


 旅行の句は、あまり自分にひきつけられない。
 旅にあっては、家にいるように、家にいては、旅にあるように。そんなふうに作るのが、理想なのですがね。なかなか、難しいです。それでもなんとか絵はがきのような句にならないよう、がんばりました。2句目の「行きつきぬ」は何か別にしたいところ。
 ふりあふぐ遊行柳 の句は、ふりあふぐ裸の遊行柳かな  と句会に出したのですが、裸の がちょっとキツイとご指摘がありました。たしかに、それでなおした句です。
 
 あ、クリスマスなのですから、クリスマスの句を出しましょう。

 地下鉄の出口の遠き聖夜かな  あぶみ

 私、この句はかなり好きなんです。辻桃子「童子」主宰からは、都会のクリスマスであって、地下から外の出口へ向かって歩いている、そこが信仰の「道」を感じさせる句 ・・的に(的っていうのは、そのときのはっきりした言葉を覚えてないから)言っていただきました。 
 
 皆さま、どうぞよいクリスマスをお過ごしください。
 

おくの細道の旅③遊行柳 芭蕉直筆の懐紙

2021年12月20日 | 日記
 おくの細道の旅。2日目の続きです。
 
 遊行柳については、過去にも書いています。こちら。 赤文字をクリックすると、過去記事に飛びます。

 
 田一枚植えて立ち去る柳かな  芭蕉

 もちろん、芭蕉が訪れたときの柳の木、そのものではありません。柳というとしだれたものを想像していましたが、そうではありませんでした。
 春とかならまた違うのでしょうか。芭蕉は田植えの時期に、訪れたのですね。まわりにある田んぼ、ずっと残っているといいのですが・・。

*立ち去ったのは誰なのか。芭蕉なのか、田植えをしていた早乙女か、いや、両方にかけている。と、読みはいろいろあるようです。私は以前の記事では、西行が立ち去り、そして自分もまた と読んでますね。早乙女にもまたかかっているのでしょう。
 

 

 芭蕉と曾良は、高久村の高久さんという方のお宅に2泊しています。その高久家15代当主の方が庭で、この芭蕉の直筆の懐紙を見せてくださいました。すごいお宝! 芭蕉さん、達筆です。

みちのく一見乃桑門同行二人那須の
篠原をたつねて猶殺生石みむとて
急き侍る程に雨降り出ければ
此ところにとゝまり候
           風羅坊
落くるやたかくの宿の郭公
木の間をのぞく短夜の雨  曽良


 風羅坊は、芭蕉のこと。殺生石を見ようと急いでいたけど、雨だったので、とどまった。ってことですよね。

 まだ少し続きます。

田一枚植えて立ち去る柳かな(芭蕉)「奥の細道」

2014年05月25日 | 俳句

                          早苗

 私たちは、句会に句を出して、お互いにいろいろ言い合います。そのとき、読んだ人がその状況を理解できないと、こてんぱん。基本的に前書きをつけないので、一句が勝負です。

 田一枚植えて立ち去る柳かな   芭蕉

 でも、芭蕉のこの句は、「奥の細道」という紀行文の中に収められているので、前後の状況がわかる。柳というのは、かつて西行が立ち寄り、

 道のべに清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ  西行 (新古今)

 と、歌を残している遊行柳(栃木県那須)なわけで、そこで田を一枚植えたくらいの時間をすごし、立ち去ったという意味だと解釈が可能になるわけです。

  ここで、田一枚を植える時間って、どのくらいか? 一時間? 二時間? いや、もっと?という疑問も湧きます。江戸時代の田ですから、今の区画整理された田と違って、小さいかな。実際に芭蕉が田植えをしたわけではないでしょうから、一枚の田を一人が植えていたのか? 何人もいたのか? とか。 

 ネット検索で調べると、解釈はいろいろあるようでした。立ち去ったのは田植えをしていた早乙女たちか? というのも。でも、私、田植えをしてみると、田植えをしたあとに帰ることを「立ち去る」とは言わないのでは? と感じます。立ち去ったのは、やはり芭蕉。

 「かな」止めの句に関しても、この句だと「去る」でちょっと切れる。あるいはたくさんのこと(「あの西行がここに立ち寄り、そして歌を詠んだあの……ということを)を省略しているわけで、正直一見しただけでは〈わかりにくい句〉だなあと思ってしまいます。でも、かな止めの句はその前の部分こそが句の中で最も言いたいこととも言われていて、としたらここで芭蕉がいいたいのは、「柳」であること。西行への畏敬の念であるとも読むことができる。

 と、ここまで書いて、やはり芭蕉は西行の歌を踏まえている。としたら、西行が「しばし」と読んだ時間を「田一枚植えて」と表現した。西行が「立ち止まった」のに対して、芭蕉は「立ち去った」とした。と思えました。

 読んでくれる人が「いいな」と思ってくれれば、それでよし。そういう反応がなければ、独りよがりとあきらめる。それが座の文芸のよさであり、危うさであると、田植えをしたものだから、この句を思い出し、改めて考えました。とりとめもなく、でした。

* 日中は暑くなるという予報だったので、朝のうち草刈り。そして、カラーの球根を植えました。(ところで、カラーの球根は高かったということも書いておこう。切り花を買うより高い。これで芽も出なかったら……)