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fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

『童子』2012/12月号

2012年12月15日 | 俳句

 毎月、ぎっしりと俳句のつまった一冊なのに、もっと勉強しないといけないなあと思います。先日関西からいらしたSさんに「若い人は勉強が足らん」と言われました。本当にそうです。(若くはないからこそ、いっそう)

 今月号の主宰エッセイには、来年建立予定の句碑の石を捜しに、秋田の男鹿半島まで出かけたことが書かれていました。男鹿半島は、大好きなところ。小さいときから何度も行っているのに、石切場があるなんて、初めて知りました。

 千年や二千年など石の秋   辻 桃子

 私は夏に行った花巻吟行記を担当。他には、

 「だぐすこ」と口で囃して踊りけり   あぶみ

 という花巻での句を含む5句を発表しています。

 アフター句会という言葉があります。句会のあとの二次会ですが、先日のアフター句会はSさんもいらしたこともあり、主宰副主宰編集長を交えて様々な話が飛び交い、とてもおもしろかったです。皆さん博識で、すばらしい。「勉強することは楽しいこと」と主宰がおっしゃっていたのに同感です。でも、すぐに忘れてしまうのですよね。

 私は「初心にもどって爽波を読みます」と言ったところ「爽波は○○だから、その前の人のほうがいい」と主宰副主宰に言われました。ところが、その肝心の○○がなんだったか、思い出せないのです。「特殊」かなあ、ちがうなあ。「素十のほうが素直でいいでしょうか」と言ったら、「そうだね」と言われたのですけどね。まったく情けない。

 大会で坂口昌弘氏が「タオイズム」について述べていたことを受けての話もかなりありました。道教という仏教以前の思想が日本人の根底にあるというのは、興味があります。アニミズムと童話というのの関係と通じるものがあるような気がするのです。少しずつやっていきましょうか。        

 

 写真はぜんぜん関係なく、先日荻窪で食べたガレット。そば粉のクレープです。おいしかった!! こぼうのスープも。


雪だ

2012年12月14日 | 日記

              

 積藁のぼこぼこ雪の畑かな と作ったら、積藁のぼこぼこ畑に雪積もり あるいは

 積藁のぼこぼこ雪の積もりけり  と添削いただきました。 畑ないのがいいかな。

    除雪機出動。

 この除雪機が、見ているとラクチンそうなのですが、やってみると、バシバシ雪が顔に降りかかります。

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 年内東京にもどらない予定でしたが、一度もどります。週明けにまた岩手に来て、雪がたいへんそうじゃなかったら、秋田へも行き、岩手で年越し。の予定です。予定、ちょくちょく変わるのですが。


師とは有難きものー彫刻家峯田敏郎先生

2012年12月12日 | 日記

               

 「記念撮影-遠い日の風音・私の母と-」2011年峯田敏郎展図録より

 尊敬している方はたくさんいますが、実は尊敬している先生(学校という場での)は、数人です。その数少ない一人が峯田敏郎先生。峯田先生は、秋田大学在学中にお世話になりました。現代日本を代表する彫刻家でもあります。

 卒業後はしばらく年賀状をお出ししたり、銀座でやってらっしゃる個展を訪ねたり、上野の国展を観に行くくらいはしていましたが、ここのところは随分とご無沙汰をしていました。私は教え子だったと言えるほどでもなく、その辺は微妙なのですが、私が直でお世話になっていた先生は別にいて、峯田先生は私の友人の直の先生でした。でもそのお人柄と卓越した芸術家としての魅力に、勝手に何かにつけ、友人にくっついて先生のお話を伺いに行っていたのです。ホント、そういう図々しいところは、他の場面でも結構あります。引っ込み思案なんですが、ここっていうところは頑張るんです。

 そして、その図々しさがまた出てきて。最近、先生にぜひともお願いしたいことができ、勝手ながらお手紙を差し上げました。するともうその日に投函してくださったなというくらいのすぐに、お返事をくださり、お願いに対しては快諾! その上、この作品集を同封してくださいました。涙が出そうになるほど有難いことでした。そして作品集がすばらしくって!! あらためて、すごい! と思いました。

   「芝居は終わった」(作品集より)

 作品集には、新聞などに寄稿した文章も載っていました。これがまた感動もの。その中のものをご紹介したいと思います。

 「私は芸術家になるわけではありませんので、ほどほどにお願いします。専門家のような実技の勉強より、子どもの気持ちを理解でき、楽しく美術を指導できる幅広い知識を身に付けた、立派な教師になりたいのです」「そう、それならまず本格的にやりなさい。たとえ作品が立派にできなくとも、一つのことをとことん追求する、その姿勢を身につけなさい。美術教育は実践する具体的な行為の中にあり、抽象的な理論の中にはないのだから」

 かつて先生と学生との間に交わされた会話です。まさに峯田先生は一つのことをとことん追求されていることで、教育者としての姿を示されている方でした。そういう先生の姿に感動はしていたけれど、実践できなかったという悔いはあります。が、まだ人生は終わっていないと、思うわけです。

 他にも、宮沢賢治の詩を引用していた文章があり、私は今年賢治と再会したともいえたので、感無量でした。

 その詩がこちら

…みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに

 おまえはひとりであの石原の草を刈る

 そのさびしさでおまえは音をつくるのだ

 多くの侮辱や窮乏のそれらを嚙んで歌うのだ

 もしも楽器がなかったら

 いいかおまえはおれの弟子なのだ

 ちからのかぎり

 そらいっぱいの 

 光でできたパイプオルガンを弾くがいい

 http://www.kokugakai.com/cyoukokubu/ryakureki/minetatoshirou.html

 で、先生の作品の写真が数枚見られます。


日比谷公園

2012年12月11日 | 俳句

              

 ビルが間近に見える公園というのも、いいものです。

  池にイチョウが散り。

 公園の吟行は難しいのですが、この日、満点句という出席者全員がとってくれるという句がありました。でも予想通り、主宰からは、まあまあという程度の○しかいただけません。そういうものです。こうして評価に一喜一憂するのは、ホントはもう卒業したいのですが、なかなかそうもいかないのが実情です。

  

 きれいすぎて、私はこれらの木に巻き付けられている菰巻俳句で、なんとか今月分の投句が揃いました。*こもまき。冬の季語・松などの木に巻き付けられている小さなゴザのようなもの。害虫が暖かいところを求めて、そこに入ってくるので、越冬したあと一緒に焼いてしまう害虫駆除のためのもの。


童子25周年記念大会ー一期一会

2012年12月07日 | 日記

 2日(日)、横浜インターコンチネンタルホテルにて、童子25周年記念大会がありました。50名ほども来賓をお迎えし、総勢200名を越える祝賀会は、あまりにも広い会場で、圧倒されました。各賞の受賞式もかねていたため、私も壇上で、「童子賞」の記念品をいただきました。

 慣れない着物で動き回り(ご来賓案内係、受賞者うながし係でした)、くたくた。

    25年前、たとえて言えば、同人誌程度の人数で始まったのが、今500人を越える会員になっているのですから、すごいと思います。今俳壇で花鳥諷詠を提唱してやっているのは、ごく一部である。芭蕉の時代でも、芭蕉の一門はごくわずかであった。他はほとんどが月並みな俳句をただ楽しんでいた。自分たちは芭蕉の流れをくむという立場で、これからもやっていきたいという主宰の挨拶が印象的でした。

 花鳥諷詠を詠み(これは人間、人間の暮らしを全て含むということです)、月並みに落ちない俳句を作り続けるという意味だと、私は解釈しています。翌日の吟行、句会でも、私自身は相変わらずたいした句はできませんでしたが、「いいなあ」「好きだなあ」「こういう句、読んだことない」と思える句に出会いました。3句出しの101人なので、303句。そう思えたのは、数句ではありますが、こうして多くの方と句座を共にできるというのは、一期一会のことだと感じました。 

   IMG_2519句会_1200

 写真は童子の俳句仲間タローさんのブログから拝借しました。私は部屋の一番向こうの角(笑)カメラを忘れるというドジを踏んでしまい、でも 「童子」のHP主宰走るにも写真あります。(左のブックマークからどうぞ)

 写生句についての議論もありました。何が正しいということのない世界ですが、前日の大会で評論家坂口昌弘氏が、講演で「写生はそのものの魂を写すこと」とおっしゃっていらしたのが、ひとつの答えなのではないかという気が、今しています。若手俳人が、がんばって発言してくれたことが議論のきっかけでした。若い人が、どんな場でもこうして発言できる結社だということも、嬉しいことです。

    記念品の手拭いと目録


旧角川源義邸ー幻戯山房(すぎなみ詩歌館)

2012年12月06日 | 日記

           

 現在は杉並区の施設になっています。端正な高級住宅街の一角にあり、静かな環境。庭も広々としていて、一室には、源義さんが使っていらしたテーブルや旅行用のトランクなどが置かれています。

 先日仲間内の勉強会でした。去年も同じ時期にやっていて、そのとき窓のたてつけが悪く、10センチほどの隙間のある部屋だったので、寒かったけど、今年はさすがに直っているだろうと思っていたら、なんとまだ同じ状態! 信じられませんでした。年が明けてから大々的に改修するということで、今直しても無駄ということなのでしょうが、それにしても安いとはいえ、料金をとっているのに。それ以外は、庭の眺めよし、建物自体もきれいでよし、環境も静か、でいいのですが。

     最寄り駅 荻窪の荻


唐楓落ち葉(テンペラ画②)

2012年12月05日 | 自作紹介

                

 このテンペラ画を描こうと思ったきっかけになった画家さん、群馬直美さんは、ひたすら葉っぱだけを描いてらっしゃる画家さんです。数年前の個展にでかけたときに、売ってらっしゃる様子がなかったのでおききしたところ、自分のやっているこの仕事は、バラバラにしてはいけないと思って、売らないことにしたということでした。私は、群馬さんのファンになってすぐのころ、一枚購入しています。「貴重な原画保有者の一人です」と言っていただきました。いつか、美術館ができたらいいなと思うほどです。『木の葉の美術館』『木の実の宝石箱』という画集もステキです。

 しかし、こうやって古いとはいえ、自分が描いたものを改めて見ると、また描きたくなってしまいます。でも、絵の具を出す、描く、しまう、このエネルギーを考えたら、「文章に全力投球しろよ」と思い直します。これらの絵は、一筆一筆、面相筆で時間をかけて描いているので、勢いのある筆遣いをするタイプの絵は描けないのです。「童子」主宰の辻桃子氏の描く絵は、まさに筆に勢いのある俳画です。

 それに、描きたいけど描けない。というと、童話でも「よく書けないなんて100年早い」とスランプ的に言う方に先輩作家が叱咤する場面があります。私もそれはそう思うわけで、書けないということはなく、(厳密にないとはいえませんが)でもどんなものでも《書かずにはいられない》、です。(下手な自分に落ち込むこともありますが)これが絵の場合はそうではなく、気持ちの中で「ああ、描けたらいいな」と思うだけで、実際には描かないのだから、雲泥の差。(そして描くと、ヘタさ加減にもっと落ち込む)自分にはやはり文章のほうなんだなと、思うわけです。

 文章も、日の目を見ているのは、ごく一部です。大半は、お蔵入り。それでも書きたい、書かずにはいられないという自分を信じたいと思います。 このブログに関しても、いつかネタがきれるのでは? と思いつつ、楽しんで書いています。この力と時間を物語に向けたら? という内なる声もなきにしもあらずですが、書いたものをどなたかが読んでくださるというのは、嬉しいものです。

 それにしても 予想以上の方に見ていただいています。先日の童子全国大会でお会いした方からも、思いがけず「ブログ読んでます」と言っていただき、感激しました。島根のMさん、ありがとうございました。皆様ありがとうございます。今後も、よろしくお願いいたします。


桜落ち葉(テンペラ画①)

2012年12月04日 | 自作紹介

  もうちょっときれいなんですが……。(いいわけ)

 階段の壁に飾っているので、光がイマイチ。(いいわけ)

 もう10年以上前になりますが、テンペラ画を描いていたことがありました。実際の葉っぱを見てひたすら描きました。ただこれ、群馬直美さんという画家さんがいて、その方の絵が好きで、その真似をしただけなので、オリジナリティに欠けます。でも、自宅のあちこちに飾っています。

 少しずつ、アップしますね。

 テンペラ画というのは、古典的な技法です。油絵は、顔料を油で練って、それで紙などに描いても落ちないようにしているわけで、水彩画はアラビアゴム。このテンペラは、卵の黄身を使っています。それから、これは紙ではなく板に、ボローニャ石膏というとても粒子の細かい石膏を湯煎したウサギ膠で溶いて、それを薄く何層にも塗り重ね、その上に、黒を塗り、赤を塗り、また地の色を塗るという行程をしています。塗っては乾かし、塗っては乾かし、とひたすら根気の仕事です。今はもうとてもとてもできません。でも、板がしあがったときのあのなめらかな風合いはなんともいえませんでした。この板を作って地塗りをしたら、もう8割できたようなもの。

 中世の宗教画などは、この技法を使っていて、油絵のように退色しないので、美しく残っているのが多いということです。私は油絵のあのギトギト感が、どうしても肌に合わず、このテンペラはとても好きでした。顔料も、とてもきれいで、もう描かなくなったのに、そのまま残してあります。

 私が勝手に師匠と呼んでいた群馬直美さんのHPは、こちら。すばらしい仕事をしてらっしゃいます。

http://www.wood.jp/konoha/

  本物の桜落ち葉。(きれい……)

 先日陣崎草子さんのことも書きましたが、私はこうして絵が好き、描けたらいいなという気持ちが強い、でも描けない。だから絵を描ける方への尊敬(じゃないか思慕といっては失礼?)が強いのだなと思います。先輩作家Hさんから陣崎さんの私のブログへのコメントをお聞きし、え? 見てくださっていたの?! と喜んでいるって、こりゃ完全にファンになってるよと思いました。それにHさんも、一太郎ユーザーだということで、そうですよね、日本語書くなら一太郎よね。

 陣崎さん、立川か吉祥寺あたりで個展をしてください。


落ち葉の季節

2012年12月03日 | 日記

               

 (東京の)うちの前を、となりのおかあさんと小学生の男の子二人といっしょに落ち葉掃きをしました。掃いても掃いても降ってきます。大きな市のボランティア袋に3つ。(うちのほうは、家庭のゴミは有料のゴミ袋に入れて出します。でも道路などの清掃したものは、ボランティア袋というのでok)今まで最高で一日に6つできたことがありましたっけ。

  

 となりの親子がいなくなったあと、道路向かいの市の緑地帯の境の針金に、こんな籠がさがっていました。かわいいなあ。道路を歩く人も、きっとなごんでくれるでしょう。(タバコを捨てないでくれたらいいな)

 お隣は、来年は小学1年、4年、6年と三人が小学生。おかあさんもおとうさんも、がんばってます。お兄ちゃん二人が落ち葉掃いていたとき、妹は熱を出していたみたいで、(○○は、ダメ。家にいなさい!)とおかあさんに言われていました。それにおとうさん、先日は外でダイニングテーブルを手作りしてました。真ん中の子が小学校に上がるときは、二人のために学習机も作ってましたっけ。


北上川

2012年12月02日 | 日記

             

 天気がいいと、きれいに撮れる。

 いつもの散歩コースより、少し奥

  

 コンクリで固められてないのが嬉しいです。でも、この反対側も、何やら大がかりな工事をしていました。全くどこもかしこも。

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 なんて、岩手の自然をアップしながら、本人は今日明日横浜です。12月の横浜はいいわよ~、ライトアップがきれいよ~というM姉さまのお言葉にふらふらとなびき、桜木町のビジネスホテルを予約しました。きょうはインターコンチネンタルホテルで童子25周年全国大会(つまり宿泊は安いところをとったわけで)、明日は横浜吟行と句会です。


南部鉄瓶

2012年12月01日 | 日記

                 

 鉄瓶もガスレンジも使い込まれているって感じ? 鉄瓶はもう20年以上使っています。うちはお茶自体は、いつもスーパーで安いものを買ってくるのですが、この鉄瓶でお湯をわかしていれているので、おいしいと思うのです。私の味覚は鈍なので、はっきり言い切れないのですが、これまでも何人かに、「おいしい」と言っていただいています。(そりゃあ、マズイとは言わないでしょうが)

 お茶を飲んで、鉄瓶に残っている白湯も飲みます。マイルドで、体に優しい感じがします。たぶん鉄分もこれで採れているのでは? とも思っています。この南部鉄瓶、このごろは、カラフルな色をつけて、フランスで評判になったとか? 形ももっとシンプルで、現代のリビングにもマッチしたものが出てますね。うちのこれはたしか、量販店で6000円くらいで買ったものです。(はっきりとは覚えてませんが)岩手のお店では、十万円以上のものも見かけます。匠の技となると、数十万。ガラスケースの中に展示されています。どこが違うって、やっぱり「すごい!」と思いますよ。

 今検索してみたら、カラーポットというのが5、6千円で売っていました。でも、これは、ポットなので、お湯を沸かすことができない? ようするに急須?  それに長く使うと色がはげてきて、案外きたなくなるのでは? という気がします。ホーローのような感じだと考えたら大丈夫なのか? どちらにせよ、私はもともとの伝統的なもののほうが好きです。伝統の南部鉄瓶、こちらも検索すると、IH対応のものなども出てきているようです。やっぱりこっちですよ。

 ちなみに、年末の掃除前のガステーブルですので、あしからず。(他の方のブログで、こういうとき私はぜったい、鉄瓶そのものよりまわりを見るので)←年末といっても、ちょこちょこしかしませんが。

 それから、岩手の家では、ステンレスのやかんです。(爆)←(爆)のこの使い方、正しいでしょうか? ずっとモヤモヤとわからずにいます(爆)