7日に、岩手から東京へ移動したのですが、今回は仙台で常磐線に乗り換え、亘理まで行きました。ここから、角田在住作家の「どじょうさん」こと、堀米薫さん運転する車で、鳥の海という海岸と山元町へと行ってきました。山元町は、2011年3月11日の震災で、津波で大きな被害を受けました。中浜小学校は、避難所が少し離れた中学校になっていたのですが、校長先生が移動しては逆に危ないと判断し、屋上に子どもたちを避難させ、全員が助かったのです。寒さに震えながら一晩救助を待つという試練ののちも、家族を失ったり、その後転居をよぎなくされたりと様々な暮らしをしていることでしょう。
まだ瓦礫が残っています。
私が何度か行った大船渡や陸前高田から比べると、随分南になります。このたびの震災が、どれほど広範囲にわたっていたか、頭ではわかっていても、実際にこれほど離れたところに来てみると、恐ろしくなりました。 そして、岩手のリアス式海岸の地形と大きな仙台湾、広い仙台平野という地形の違いも、目の当たりにしました。鳥の海から山元町まで、延々と平野が続きます。津波で家や田畑がさらわれ、瓦礫が取り除かれた跡には、草が生え、それが一面の枯野原となっています。地図を改めて見ると、ほとんど福島との県境です。
町があったところなのです。
山元町中浜小学校
避難場所に指定されていた中学校が比較的近くにあるのかと思っていたら、見える場所にはありません。中学校へ避難をしていたら、間に合わなかったと言われています。岩手の場合は、振り返ると山があり、(ああ、あそこにすぐ避難すれば)と思えるのですが、ここは全くそういう高台がありません。
鳥の海 公園跡
遊具だったのでしょうが、倒れたまま。土台が、十字架のようです。
これが、1年半以上過ぎた現在です。広い平野に堤防工事などのための(?)トラックが行き交い、復旧に努めている方の姿が見られます。「こういった人たちのおかげで、私は生かされている」と、どじょうさんが何度もおっしゃいます。農業を営み、ご実家が福島なこともあり、原発、放射能に対する強い怒りもひしひしと伝わってきます。
お忙しい堀米さんには、お世話をおかけしました。でもあの広さは、テレビや写真だけではわかりません。
その後、大河原から、今度は東北本線で仙台へもどります。ここで仙台在住作家佐々木ひとみさんと合流。3人で、いろいろとお話をしました。お忙しい中、お時間をさいてくださったお二人に、感謝します。
堀米薫さんは、『やったるぜ! 牛太郎』、児童文芸家協会新人賞受賞作『チョコレートと青い空』の作者。近々、震災後の牛に関したノンフィクションの新刊が出ます。http://khori.asablo.jp/blog/佐々木ひとみさんは、椋鳩十賞『ぼくとあいつのラストラン』の作者。今月末には、こちらも新刊『ドラゴンのなみだ』が出ます。http://blogs.dion.ne.jp/roku/私なんかが一緒にいていいのだろうかという、ご活躍の二人です。新刊、楽しみにしております。
東北方面に行かれることのある方。ぜひ、沿岸部まで足を伸ばして、現状をご覧ください。堀米さんも、佐々木さんも、「見てほしい」とおっしゃっていました。こういったブログへのアップも、辛いけれども大事なことという考えもいっしょです。こうして写真を並べて、書いた文章を読み返すと、実際を伝え切れていないと、歯がゆい思いもしています。
(おまけ 堀米さんちの牛舎)
現在150頭の牛がいます。時間がなく、牛さんとの対面は果たせず、ほのかなフレグランスのみを味わってきました。