ずっと前,別のところでブログをやっていたとき
書いたことがあるのだが,
このブログには書いていないので,
もう一度書いておきたい。
3月といえば,卒業式の季節である。
卒業式といえば,「仰げば尊し」である。
とはいえ,「仰げば尊しわが師の恩」などとは
思ってもらえない御時世であるから,
この歌を歌わない学校のほうが多いかもしれない。
私のパソコンでも「わがし」は「和菓子」としか
変換されないのである。
それはさておき,
「仰げば尊し」の歌詞は,
古文の勉強をさぼっていると
わけがわからなくなる歌詞なのである。
一例をひとつ。
「いまこそ わかれめ」の
「わかれめ」は,
「分かれ目」ではないのである。
これは,係り結びなのである。
「こそ」の結びが「め」である。
「め」は助動詞「む」の已然形である。
かく言う私も,
はずかしながら
昔は「分かれ目」だと
思っていたのである。
卒業の季節になると
生徒に話すたわいのない雑談である。
応援してくださる方は,上のふたつのクリックをよろしく!
書いたことがあるのだが,
このブログには書いていないので,
もう一度書いておきたい。
3月といえば,卒業式の季節である。
卒業式といえば,「仰げば尊し」である。
とはいえ,「仰げば尊しわが師の恩」などとは
思ってもらえない御時世であるから,
この歌を歌わない学校のほうが多いかもしれない。
私のパソコンでも「わがし」は「和菓子」としか
変換されないのである。
それはさておき,
「仰げば尊し」の歌詞は,
古文の勉強をさぼっていると
わけがわからなくなる歌詞なのである。
一例をひとつ。
「いまこそ わかれめ」の
「わかれめ」は,
「分かれ目」ではないのである。
これは,係り結びなのである。
「こそ」の結びが「め」である。
「め」は助動詞「む」の已然形である。
かく言う私も,
はずかしながら
昔は「分かれ目」だと
思っていたのである。
卒業の季節になると
生徒に話すたわいのない雑談である。
応援してくださる方は,上のふたつのクリックをよろしく!
「わかれめ」、私も全く同じ勘違いをしていて、同じように古文を学んで目からウロコの思いをしました。
もう一つ、「いととし」も「いとしい」と同じような意味だと思っていたのです。
「蛍の光」の「いつしか年もすぎの戸を」の「すぎ」が掛詞になっていることを知った驚きとともに、それから古文が好きになるきっかけを作ってくれた思い出です。