学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

「おかしも」と非常口

2007-03-12 | 授業の雑談
学校で火災などが発生したときの
避難の原則は,
「おかしも」であることはよく知られている。
つまり,押さない・駆けない・喋らない・戻らないである。

避難訓練などのとき,
その原則を守りつつ,非常口までくると,
非常口を示す緑色の絵文字(ピクトグラム)の人は,
非常口に駆け込んでいる姿なのである。

これを見て,
「こりゃたいへん,走らなきゃ」と思ってしまう
子どもはいないだろうか?
ちょっと心配である。

仰げば尊し

2006-03-03 | 授業の雑談
ずっと前,別のところでブログをやっていたとき
書いたことがあるのだが,
このブログには書いていないので,
もう一度書いておきたい。

3月といえば,卒業式の季節である。

卒業式といえば,「仰げば尊し」である。
とはいえ,「仰げば尊しわが師の恩」などとは
思ってもらえない御時世であるから,
この歌を歌わない学校のほうが多いかもしれない。

私のパソコンでも「わがし」は「和菓子」としか
変換されないのである。

それはさておき,
「仰げば尊し」の歌詞は,
古文の勉強をさぼっていると
わけがわからなくなる歌詞なのである。

一例をひとつ。

「いまこそ わかれめ」の
「わかれめ」は,
「分かれ目」ではないのである。

これは,係り結びなのである。

「こそ」の結びが「め」である。
「め」は助動詞「む」の已然形である。

かく言う私も,
はずかしながら
昔は「分かれ目」だと
思っていたのである。

卒業の季節になると
生徒に話すたわいのない雑談である。

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Xmas

2005-12-25 | 授業の雑談
Christmasを略して,
Xmasと書くが,
決してX'masではない。

なぜなら,Xは,
ギリシア語のΧΡΙΣΤΟΣ(christos:クリストス:キリスト)の頭文字であって,
英語のX(エックス)ではないからである。

ギリシア語では,省略のアポストロフィは使わないのである。

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窓を開けて換気をしましょう

2005-09-25 | 授業の雑談
最近は,冷暖房完備の学校も増えてきたせいか,
夏でも窓を開けない教室が増えてきた。

なかには,窓を開けなくても換気ができる装置を備えた贅沢な学校もある。
少々サービス過剰である。


以下は,窓を開けないと換気ができないふつうの学校の場合である。


これから冬に向かうと,ますます窓を開けることが減ってくる。
寒くなってくると,生徒は窓を開けることを嫌がる。
窓を開けないので,教室の空気が悪くなる。
教師は,「窓を開けましょう」「換気をしましょう」と呼びかける。

しかし,その呼びかけの効果は長続きしない。

そこで,長年わたる試行錯誤の結果,ついに,
実に効果的な「生徒に換気させる方法」を発見したので,
本日はその秘策を公開する。

ただし,この方法は,
教師と生徒の間に十分な信頼関係が成立していることを
確認後行うべきである。

そうでない場合は,総スカンを食う場合があるので
やめておいた方が無難である。

ともあれ,この方法は劇薬である。


生徒を前にして,おもむろに以下のように説明する。

「あなたは,1分間に何回息をはいていますか?
 数えてみてください。

 1回にどのくらいの量の空気をはいていますか?
 想像してみてください。

 この教室の容積はどのくらいですか?
 だいたいでいいから考えてください。

 この教室に何人の人がいますか?
 数えてみてください。
 
 いつからこの教室は窓を閉め切っていますか?

 ということは,あなたの今すっている空気はどんな空気?
 
 さて,人間の呼吸は,
 1回の呼吸で,吸った空気のなかの酸素を全部使ってしまうのではなく,
 そのごく一部を使っているので,
 はく息にもまだたくさん酸素は含まれています。
 だから,マウス トゥー マウスの人工呼吸をしても大丈夫なわけで,
 人がはいた息を吸っても,とりあえず呼吸はできるわけです。

 タバコを吸っている人の近くにいて,
 タバコの煙が来ていやだなと思ったことはありませんか。
 あれは,その人の吐いた煙に色とにおいがついているから
 わかりやすいのですが,
 通常,人のはいた息は,よほどその人に近寄らないと無味無臭です。
 でも,空気の流れは,タバコの煙と似たようなものでしょう。

 さて,ここまでのお話でおわかりのように
 長時間締め切った部屋にいるあなた方が,
 今吸った空気は,誰かがはいた空気です。

 前の方に座っている皆さん,
 今あなたが吸った空気は,わたしがはいた空気です。」

と,言った瞬間,生徒は,悲鳴と共に
教室のすべての窓を勢いよく開け,
それ以降,いくら寒くても窓は開けたままだった。

ちょっと,効きすぎたか。

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頭上注意

2005-07-28 | 授業の雑談
「大きな栗の木の下で」という歌がある。

でも、この歌、よく考えると危険である。

大きな栗の木の下であなたとわたしが仲良くあそぶのは結構だが,
いつ,頭の上にいがが落ちてくるかわからない
極めてスリリングな状況なのではないだろうか。

シラクサの独裁者ディオニュシオス1世が,
王の幸せを味わいたいといったダモクレスを
山海の珍味の並ぶ贅沢な玉座に導いたが,
その頭上には馬のたてがみ1本で剣がつるしてあり,
おそれをなしたダモクレスに対して
ディオニュシオス1世が,
「王の幸せとはこのようなものだ」といったというお話の
あの「ダモクレスの剣」のような深~い意味があったりして。

なにげない日常にひそむ危機を表した意味深長な歌だったりしたら
こわいですよね。

「大きな栗の木の下で」を聞くたび,
このような勝手な事実無根の想像をしてしまうのであった。

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サルに失礼

2005-07-24 | 授業の雑談
よく立ってものを食べると,
「サルみたいなまねをするな」としかられることがあるが,
これはサルに失礼である。

よくサルを観察してみたまえ。
ちゃんとしゃがんで食べている。

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ノルウェーのフィヨルド

2005-07-22 | 授業の雑談
ノルウェーには,断崖絶壁のフィヨルドがある。

プレケシュトーレンという,この断崖絶壁に登ったときのことである。
数10メートルもあるこの絶壁のうえに登ったとき,
驚いたことには,登山道から頂上に至るまで,柵もなにも一切ない。
全く自然のままなのである。
うっかりするとおっこちてしまうのである。

びびっている私に,
私を案内してくれたノルウェー人のいわく,

「ここまで2時間もかけて登ってくる人は,
 自分の身は自分で守ることができるはずで,
 そのような人には柵は必要ない。
 柵といえども,自然を壊すことになるのだから,
 そんなものは必要ない」。

つまり,落ちるのは,落ちた者の責任であって,
それより自然を守ることが大切だというわけ。

徹底した自己責任の考え方と自然保護の考え方に
我が国との発想の違いを痛切に感じてしまったのであった。

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コロンブスの卵

2005-07-19 | 授業の雑談
「コロンブスの卵」という話がある。

卵を立てるのに、彼は卵の底を割って立てたというのである。

発想の転換の例としてよく言われるが、
私は,
卵を割らずに一生懸命立てようとしていた人々の愚直さを
断固支持する。

蛇足だが,コロンブスの本名は,コロン。
ブス(bus)は,ラテン語の語尾変化である。

ちなみに,バス(英:bus)も,
omnibusの語尾の部分をとったもの。

テスト中,先生と目が合いませんか?

2005-07-19 | 授業の雑談
テストを受けているときに,こんなことを感じたことはないだろうか。

テスト中に,考えがまとまらず,
ふと顔を上げると
こちらのほうを向いている試験監督の先生と目が合う。

しばらくして,また顔をあげると,
また,試験監督の先生と目があう。

おかしいなあ,クラスには,何十人もいるのに,
先生は,わたしにばっかり目をつけているのかなあ。

先生は,じっとわたしのほうばかり見ているのかなあ。
どうして??


実は,これは誤解である。

教師になって,試験監督をやってみて
謎が解けた。

クラスの全体が,下を向いてテストに取り組んでいるときに,
ひとりが顔をあげると,
自然とそちらのほうに目がいくのである。

もぐらたたきのもぐらのように見えるのである。

別にあなたに注目しているわけではないのである。

不思議

2005-07-18 | 授業の雑談
自分の身の回りを見回してみると,
世の中は不思議に満ちている。

それゆえ,疑問はいくらでもわいてくる。

わたしは、鳩を見るたび思う。
なぜ、彼等は歩くときに首を振るのだろう。

あの首にコルセットをはめたら、果たして歩けるのかどうか?
年来の疑問である。

まだ実験は実施していないので、なぞのままである。

鳩をみるたび、疑問を持つことの楽しさを想う。

カエサルとアウグストゥス

2005-07-18 | 授業の雑談
7月はローマのJulius Caesar の月でJuly,
8月はAugustus の月でAugust,
ローマの支配者は暦まで自由にできる力があったらしい。

いい迷惑なのは,ずらされてしまったSeptember 以降の月である。

October なんか,せっかく”たこ”(Octopus)の親戚で8を主張しているのに,
10月にされてしまっている。

実にかわいそうである。

走るべからず

2005-07-16 | 授業の雑談
よく学校で,廊下は走らないようにと注意される。

ところが,廊下を走らないためには,実は,強い意志がいるのである。

動物はもともと,自分の蓄えているエネルギーをなるべく消費しないように行動するよう
プログラムされているそうである。

一定のスピードを超えると、早歩きをするよりも小走りに走る方がエネルギー消費が少ない。
そのため、急いでいると本能的に走ってしまうのだ。

それでも走らないようにするには,意識して,早歩きをする必要がある。

そう考えると,「廊下を走らない」ということには
深い意味があるのである。

すなわち,本能を理性で抑えよということなのである!

常に理性的であれ!
これこそ,「廊下を走らない」ことの本質なのである。

なんちゃって。

テストを考える

2005-07-15 | 授業の雑談
中間テストや期末テストは、
生徒諸君にとっては、とってもいやなものだろうけれども、
それは、教師にとっても同じである。

一枚しか作らなかったはずの解答用紙が、
テストが終わると、
生徒の人数分押し寄せてきて、
早く採点しろとせまる。

まさに悪夢である。

生徒にとっても教師にとっても、
いやなものであるテストがなくならないのは、
目下最大のなぞである。

ハイヒールをめぐる文化摩擦

2005-07-13 | 授業の雑談
我が国の人々がかかとの高いハイヒールをはくとき,その問題は生じる。

そもそもハイヒールは西洋のはきものだから,西洋人にふさわしい。
かれらは,どちらかというと足を後ろにけって重心を前へ前へと移動させながら歩くので,
後ろになった足に重心が残らず,ハイヒールをはいてもひざがまがらず歩ける。

しかし,我が国の人々は,わが国固有の和服の伝統を未だ有しているせいでもあろう,
現在でも歩くときに重心を後ろにしっかりと残して,足を前に出しながら歩く人が多い。
いわゆるすり足のような形。

この我が国の美しい歩き方を身につけた人が,
かかとの高いハイヒールを履くと,
ここに由々しき文化摩擦が生じるのである。

重心を後ろに残して,しかもかかとが上がっているということは極めて不安定な体勢である。
安定を維持するため,ひざを少し曲げて歩かなければならない。
それでも不安定なので,腰を少し曲げて歩かなければならない。

我が国の伝統的な美しき歩き方は,
まさしくその美しさのせいで,
極めてネアンデルタール人に近い歩き方になってしまうのである!

人類は,長い年月をかけて直立二足歩行を身につけたというのに,
この文化摩擦によって,進化の過程を逆行していくのである。

いまやレッサーパンダが直立したことを,
喜んでばかりはいられない危機なのである。

授業中居眠りをするときの注意事項

2005-07-12 | 授業の雑談
授業中、居眠りをするときは、
筆記用具は必ず机の上に置いてからにしましょう。

時々、シャープペンシルを手に持ったままで、
こくりこくりやっている人がいます。
時々、そのシャープペンシルの先が上に向いていることがあります。
ささりますよ!