学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校教育の結果責任

2009-09-05 | 教育
学校教育は,
ある一定の内容を教えるということには責任を負っているが,
教えた結果,被教育者がどのように変容したかについては,
責任を負えないのではないか。

最近よく,学校の教育の結果に責任をもつようなことを
学校自らが表明するような場面によくでくわすのだが,
それははなはだ軽率な話ではないだろうか。

親でさえ,子供の人生の結果には責任を負えないのである。

人間を相手にしている場合は,他の職業でも同じことが言える。
例えば,
医者は最善の治療を行うという意味での責任は負っているが,
患者を必ず治癒させる責任があるとは言えないのではないか。

人間に対しては,製造物責任は適用できないのである。

そのことを深く考え直すべきである。

教師は,最善の教育を行うということに責任を負っているのであって,
教育の結果に対しては責任を負うことのできない存在なのである。

なぜならば,学力であれ素行であれ,
被教育者に生ずるさまざまな変容は,
よきにせよ,悪しきにせよ,
決して,ある教育の結果だとは言い切れないからである。

教師の仕事は,どこまでいっても
賽の河原の石積みの如きものである。

そのことを自覚していないと,
教師は道を誤ってしまうのではないか。




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1 Comments

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管理人様なら花は咲きます (tsuguo-kodera)
2015-08-13 13:03:22
 何度でも言います。初等科の及川先生の河原にはたくさんの花が咲きました。
 劣等生列伝です。一番のハナタレ小僧が東大文一に合格し外交官になりました。一番の頭脳持ちになったのかもしれません。お金はだめでしょうが。
 一番野球が上手かった奴は成城学園の中学から大学までの野球部総監督になりました。彼もお金はダメですね。
 一番の喧嘩屋は私でした。会社員時代は社長とも喧嘩し、しばらく学校の責任者と喧嘩を楽しんでいたのですが、今では相手としてもの足りないのでもうやめました。私もお金はだめですね。
 劣等生もそれなりに生きていますが、金持ちにはなれませんでした。秀才の坊ちゃんだった嫌味な奴に収入では勝てなくても良いのでは。
 今は喧嘩屋は管理人様にくどくどと喧嘩を売っているのかもしれません。ご愁傷様です。すみません。(笑)
 相手として不足ないのは今では管理人様だけなのだと思ってご容赦ください。
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