批判的思考力というものが大事である。
PISA型学力においても重視されている。
さて,乏しい批判的思考力を駆使して,
2006年PISA調査を考えてみよう。
考えるべき諸点をあげておく。
1 PISAの提唱する学力観は,果たして妥当なものであるか?
2 PISAの行っているテストは,果たして,PISAの提唱する学力を
はかることができているのであろうか?
3 OECD(経済協力開発機構)が,学力観を提示し,
世界各国の学力を順位付けすることの政治的意図は何か?
4 PISA型学力を,我が国の学校で育成することが
果たして可能であるか,不可能であるか?
5 PISA型学力を,我が国の学校で育成する必要性があるのか,
ないのか?
6 なぜ,新聞各紙をはじめマスコミは
PISAが指摘している我が国の教育の強みと弱みを冷静に報道せず,
ランキングというわかりやすい指標のみ強調したがるのか?
また学力低下を,PISAの結果が示す以上に強調するのか?
その意図は何か?
7 我が国の,いわゆる新学力観や「ゆとり教育」の理念は,
冷静に見ればPISA型学力を先取りする形のものであったのに,
なぜ,その理念のもとでの学力形成が十分できなかったのか?
8 アンケートに対する回答傾向に及ぼす文化的要素を
どの程度斟酌しているのか?
9 無回答が多いことに関して,なぜ,無回答にしたのかを
無回答とした受験者から聞き取る等の解明手段が
存在するのか否か?
思いつくままにあげてみたが,
これらの事柄は,
それこそ論理的に追究されなければいけない問題であるが,
いかんせん,PISAの場合は,
問題が完全には公開されていなかったり,
個々の生徒がどのように解答したかが公開されていないなど,
この結果を論理的に分析することはほぼ不可能である。
したがって,この結果をめぐる論議は,
すべからく印象批評とならざるを得ない。
学力観そのものも,雑多な印象批評によって
翻弄されている我が国においては,
学力向上の具体的方策が提示される可能性はない。
そもそも子どもの学力低下が仮に存在するとして,
学力低下とは,
それが我が国の社会に
どのような影響を及ぼすかの評価がなされ,
それが我が国に将来的な危機をもたらすということが
認められる場合にのみ意味のある議論であって,
印象批評を繰り返すべき問題ではないであろう。
PISA型学力においても重視されている。
さて,乏しい批判的思考力を駆使して,
2006年PISA調査を考えてみよう。
考えるべき諸点をあげておく。
1 PISAの提唱する学力観は,果たして妥当なものであるか?
2 PISAの行っているテストは,果たして,PISAの提唱する学力を
はかることができているのであろうか?
3 OECD(経済協力開発機構)が,学力観を提示し,
世界各国の学力を順位付けすることの政治的意図は何か?
4 PISA型学力を,我が国の学校で育成することが
果たして可能であるか,不可能であるか?
5 PISA型学力を,我が国の学校で育成する必要性があるのか,
ないのか?
6 なぜ,新聞各紙をはじめマスコミは
PISAが指摘している我が国の教育の強みと弱みを冷静に報道せず,
ランキングというわかりやすい指標のみ強調したがるのか?
また学力低下を,PISAの結果が示す以上に強調するのか?
その意図は何か?
7 我が国の,いわゆる新学力観や「ゆとり教育」の理念は,
冷静に見ればPISA型学力を先取りする形のものであったのに,
なぜ,その理念のもとでの学力形成が十分できなかったのか?
8 アンケートに対する回答傾向に及ぼす文化的要素を
どの程度斟酌しているのか?
9 無回答が多いことに関して,なぜ,無回答にしたのかを
無回答とした受験者から聞き取る等の解明手段が
存在するのか否か?
思いつくままにあげてみたが,
これらの事柄は,
それこそ論理的に追究されなければいけない問題であるが,
いかんせん,PISAの場合は,
問題が完全には公開されていなかったり,
個々の生徒がどのように解答したかが公開されていないなど,
この結果を論理的に分析することはほぼ不可能である。
したがって,この結果をめぐる論議は,
すべからく印象批評とならざるを得ない。
学力観そのものも,雑多な印象批評によって
翻弄されている我が国においては,
学力向上の具体的方策が提示される可能性はない。
そもそも子どもの学力低下が仮に存在するとして,
学力低下とは,
それが我が国の社会に
どのような影響を及ぼすかの評価がなされ,
それが我が国に将来的な危機をもたらすということが
認められる場合にのみ意味のある議論であって,
印象批評を繰り返すべき問題ではないであろう。
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