学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

2006年PISAの結果をめぐって

2007-12-06 | 教育
批判的思考力というものが大事である。
PISA型学力においても重視されている。

さて,乏しい批判的思考力を駆使して,
2006年PISA調査を考えてみよう。

考えるべき諸点をあげておく。

1 PISAの提唱する学力観は,果たして妥当なものであるか?

2 PISAの行っているテストは,果たして,PISAの提唱する学力を
 はかることができているのであろうか?

3 OECD(経済協力開発機構)が,学力観を提示し,
 世界各国の学力を順位付けすることの政治的意図は何か?

4 PISA型学力を,我が国の学校で育成することが
 果たして可能であるか,不可能であるか?

5 PISA型学力を,我が国の学校で育成する必要性があるのか,
 ないのか?

6 なぜ,新聞各紙をはじめマスコミは
 PISAが指摘している我が国の教育の強みと弱みを冷静に報道せず,
 ランキングというわかりやすい指標のみ強調したがるのか?
 また学力低下を,PISAの結果が示す以上に強調するのか?
 その意図は何か?

7 我が国の,いわゆる新学力観や「ゆとり教育」の理念は,
 冷静に見ればPISA型学力を先取りする形のものであったのに,
 なぜ,その理念のもとでの学力形成が十分できなかったのか?

8 アンケートに対する回答傾向に及ぼす文化的要素を
 どの程度斟酌しているのか?

9 無回答が多いことに関して,なぜ,無回答にしたのかを
 無回答とした受験者から聞き取る等の解明手段が
 存在するのか否か?

思いつくままにあげてみたが,
これらの事柄は,
それこそ論理的に追究されなければいけない問題であるが,
いかんせん,PISAの場合は,
問題が完全には公開されていなかったり,
個々の生徒がどのように解答したかが公開されていないなど,
この結果を論理的に分析することはほぼ不可能である。

したがって,この結果をめぐる論議は,
すべからく印象批評とならざるを得ない。

学力観そのものも,雑多な印象批評によって
翻弄されている我が国においては,
学力向上の具体的方策が提示される可能性はない。

そもそも子どもの学力低下が仮に存在するとして,
学力低下とは,
それが我が国の社会に
どのような影響を及ぼすかの評価がなされ,
それが我が国に将来的な危機をもたらすということが
認められる場合にのみ意味のある議論であって,
印象批評を繰り返すべき問題ではないであろう。



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
たいへんもっともな疑問です。 (柴田勝征)
2010-12-12 10:21:30
上記の1~9.は全て、たいへんもっともな疑問です。何故、日本では、ジャーナリズムも教育学者も、まったくこういう疑問を抱かないのか? 「疑問を持たない人々の国」というのは不気味な世界です。そういう気持ちから、私はこの2年間、自分なりにこれらの疑問の回答を見つけ出そうとして悪戦苦闘してきました。その結論は、未だ道半ばですが、私のホームページをぜひ閲覧してみてください。
 できれば、感想なりコメントなりを頂けると嬉しいです。
返信する
Unknown (madographos)
2010-12-13 08:33:11
>柴田勝征先生 コメントありがとうございます。ホームページ,拝見させていただきます。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。