学校教育を考える

混迷する教育現場で,
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応援の意味を込めて書いています。

「教壇」に立つ

2005-09-13 | 教育
教師として,教室で教えることを
「教壇に立つ」とか「教鞭を執る」とかいう。

「教壇」や「教鞭」は,教職の象徴であったのである。

しかるに今や,
「教鞭」の実物を見た人もまれになり,
「教壇」に実際に立つことも少なくなりつつある。

今日は,失われつつある「教壇」について考えてみたい。

地域差もあるようだが,
徐々に「教壇」が教室からなくなっていることは事実のようだ。

その理由はさまざまだろうが,
教師と児童生徒が同じフロアに立つことが望ましいとする一種の児童中心主義も
大きな理由のひとつであるようだ。

しかしながら,この理由は多分に情緒的なものではないか。
教壇があることがすなわち,
教師と児童生徒の間を隔絶させることにはならないはずである。

逆に,教壇があることのメリットは容易に看過できるものではない。

教壇に立つことで,教師からは,児童生徒の様子が見やすくなり,
児童生徒の側からも,教師が見やすくなるのである。

また,子供たちが黒板に文字を書こうとするときにも,
小さい子供たちにとっては特に,教壇があったほうが黒板に書きやすいのである。

また,劇やロールプレイングなどを実施する場合には,
教壇は,ステージとして機能するので好都合である。

教師が,教壇に立って話すときと,教壇を降りて机間指導するときの
めりはりがつくことも,また捨てがたいメリットであろう。

実際,教壇がある教室のほうが授業がしやすいように感じるのだが,
いかがだろうか。

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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
師弟関係は崩せない (丹澤 三郎)
2005-09-15 22:32:35
教壇がなくなりつつある…という話は私も聞いたことがあります。しかし、実際その現場を見たことはありません。小学校などは多いのでしょうか。教師は、時に同じ視点で子供達に接することが必要かと思いますが、こと授業においては、師弟関係は崩してはならないことだと思うのです。その主張は、悪しき平等主義のようにも見えます。教壇に立つことで、子供達との関係が隔絶されるようは人は、教壇に立たなくても、縁遠くなるはずです。
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Unknown (madographos)
2005-09-16 00:47:07
>丹澤三郎様。コメントありがとうございます。おっしゃるとおり,教壇の有無と教師と生徒の関係は,直接のかかわりはないと思います。
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教壇?ありませんねえ。 (七星 来人)
2005-09-17 17:23:35
教壇?見たことありませんねえ。大学とか予備校とか高校にはあったと思いますが、勤務初めてからは特別教室以外は見たことありませんねえ。

低学年だと黒板に届かないので、その都度椅子を持ってきて書いてますけれど、教壇があればそんな苦労は少なくなりますね。

教員と子どもが平等だからという理由で無くなっているとしたら『平等って意味分かってる?』って聞いてみたくなります。教室で教える側、教えていただく側である限り教師と子どもが平等だなんてあり得ません。

そんなことをやっているから子どもは敬語を覚える機会を失うんですよ。ちゃんと話す機会を失うんですよ。教室では教師と子どもは平等ではありませんものね。
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Unknown (madographos)
2005-09-17 23:26:58
>七星来人様。コメント・TBありがとうございました。全く同感です。教壇がなくなっているのは,危険だからとか,オープンスペースとして教室を使う際に邪魔だからとかいった理由もあるようですが,教師と生徒は平等という理由が第一のようです。いずれにしても教壇があることとないことのメリット・デメリットを勘案すれば,教壇がどんどんなくなっていく現状は,ちょっと解せないものがあります。
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