Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(168)

2016-05-26 00:10:00 | コラム
じょしこうせ「い」→「い」のせんと(イノセント)

18歳から26歳くらいまで、映画の自主制作サークルを立ち上げていた。

現代のようなネット社会ではなかったので、雑誌の投稿ページで参加者を募ったりして。
市民ホールの小さな会議室を借りて、上映会なんかしたりして。

その過程で、沢山の映画監督志望に出会った。

上映会は、彼らの作品なども流して1日をかけておこなわれる。

彼らの大半は、大学か専門学校で映画術を学んだものたち。

しかし授業で「NG」とされている描写を多用していて、こだわりなくそういう描写を入れることが「いちばん嫌い」だった自分は、よく彼らと喧嘩をしたものである。

登場人物が交通事故に遭って、ドラマが動き出すという安易な展開であるとか。
すぐに近親相姦を持ち出したりとか。

そして、いちばん困るというか、「またか…」と思ったのが、「無垢なる存在」の登場。

innocent(イノセント)とは、簡単にいえば「純粋」「無垢」「純潔」「潔白」の意味。

AVのイメージ映像なら分かるが、年頃の女子が白いワンピース着て、ウサギかなんかのぬいぐるみを抱っこしている―そんな、安い描写を多用するひとが「ヘドが出るほど」多かったんだ。

分かるよ、そういうことしたくなる気持ち。
そういう恥ずかしい映像を創り、辱めを受けて(?)ひとは、大人になるのかもしれないし。

でもちょっと、安易に過ぎやしませんか? と。


無垢なる存在の描写は、ほんとうは、ひじょうに難しいはずで。

みながよく知っているキャラクターを挙げれば、それはやっぱりフォレスト・ガンプになるのだろう。

「あんた、バカなの?」
「バカなことをするひとがバカなんだって、ママがいってた」

ガンプは知能指数が低い、というキャラクター。
学校ではいじめられ、幼馴染みのジェニーとの初体験も失敗、しかしどういうわけか軍人としては優秀だった。

面白いというか、これが本作の優れたところなのだが・・・

ジェニーも、両足を失ったダン中尉も、ガンプのもとを去っては再び現れ、また去って現れる、、、ということを繰り返す。

どういうことかというと、
これは批評家ピーター・トラバースがいっていたことだが、あまりに純粋な存在を前にすると、我々は同じ場所に留まることが出来ない―らしい。

あぁなるほど。

もっとアケスケにいえば、汚れたウチらには、イノセントは眩し過ぎるということ。

すげー分かるな、この感覚。

『フォレスト・ガンプ』(94)は、じつはあんまり好きではないが、このことを踏まえた構造になっていたとするならば、映画としてはたいへんに優れていると思う。


黒澤の『白痴』(51)に登場する亀田(森雅之)も、イノセントなキャラクター。



265分の超大作として完成させたものの、松竹が大幅にカットし166分の短縮版が公開され、それを知った黒澤が「切りたいなら、フィルムを縦に切れ!!」と激怒した―そんな逸話が残る異様な傑作。

トム・ハンクスもそうだが、こういう映画を観ると俳優さんってすげぇな!! と思う。
森さん、ほんとうに(敢えてこう表現するが)少し頭が足りないようなひとに見えるんだもん。


『トト・ザ・ヒーロー』(91)で、全世界の映画小僧たちを歓喜させたジャコ・ヴァン・ドルマルによる『八日目』(97)。

こちらは主人公の相棒という形で、ダウン症の青年が登場する。


偽らざる本音をいえば。
プロによる映画でさえも、こういうキャラクターが登場したときに受け手「の何割か」は、構えてしまうというか、困惑してしまうというか、どう見ていいか分からなくなるもので。

そのくらい難しいキャラクター造形なんだもの、セミプロが安易に登場させたら火傷するよ、気をつけましょう。






次回のしりとりは・・・
いのせん「と」→「と」り。

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明日のコラムは・・・

『ボックスかソフトか』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(167)

2016-05-25 00:10:00 | コラム
ときをかけるしょう「じょ」→「じょ」しこうせい(女子高生)

自分の女子高生好きは、いまに始まったことじゃない。

たぶん自分が高校生だったころからのもので、当時は冴えないガキゆえに、同級生女子とマトモに会話さえ出来ず、そうした「後悔、のようなもの」が蓄積されつづけ、現在の自分が出来上がったんだと思う。

デリヘルさんを呼ぶときは、「高校生に見える感じの子で」とリクエストするし、制服や体操着をオプションでつける。


映画の世界でも女子高生は大活躍だ。
いつの間にかJKと記号化された彼女らの強みは、(90年代ころから、だろうか)自分たちの価値を「よく」知っている―これに尽きると思う。

だから映画でも、そういう描きかたをされる。

アンノ監督による『ラブ&ポップ』(98)は、ジャンルとしての「女子高生映画」を確立させた快作。

なにがどうというわけではなかったが、最後の最後には感動してしまう不思議な映画だった。




レンタルショップで、手に精子を付着させられる―この場面に象徴されるように、女子高生の存在とエロは直結している。
が、そういうものとは無縁の描きかたを「敢えて」選んだのが、 矢口史靖監督の『スウィングガールズ』(2004)だろう。

「ジャズやるべ!!」

王道の青春映画であり、だからこそ万人の支持を得た。
自分だって嫌いじゃないが、こころに深く刺さるのは『ラブ&ポップ』なんだ、やっぱり。

たぶん、現実が顔を出しているからなんだと思う。
良い悪いではなく、女子高生は「こうあってほしい」と思う映画と、現実を突きつけてくる映画、どっちが好きかって話なんだろう。

だが。
前言を撤回する形にはなるが、自分にとってもはや女子高生は、現代を映す鏡なんかではなく、単なるコスプレのキャラクターである。

だからQTタランティーノが創出させた「ゴーゴー夕張」が好きだし、



タイトルロールの「キックアス」より「ヒットガール」(トップ画像)が目立つのは当然だろうし、

『エンジェル ウォーズ』(2011)が「ごく」一部でおおいなる支持を得ているのも、「そりゃあそうだろう!」と思うわけなんだ。




いうまでもないが。
彼女らの魅力のひとつ・・・というか、これがすべてだったりするのだが、それはやっぱり制服で。

クィーンとして長いこと君臨してきたセーラー服が希少価値となり、その代わりに注目されるようになったのが極端に短いスカートと「脚のありかた」だ。

ルーズソックスから紺のハイソックスへの流れは劇的(??)で、自分なんかは歓喜のあまり泣いてしまうほどだった。
(半分は誇張だが、もう半分は「割とマジ」である)

極論をいえば、制服を脱いでしまったら彼女らの魅力は半減する。
単に若い女子がいいのであればJCだって女子大生だって「あり。」のはずだもん、いや別の意味では「あり。」なのだが、あの制服を纏うことによって、エロなり攻撃性なりが表現出来るようになり、映画における女子高生のキャラクターは輝くこととなる。


小松菜奈がビッチを熱演する『渇き。』(2014)や、優等生ローラ・パーマーの裏の顔が暴かれる『ツイン・ピークス』(90~91)を観て、ゲンナリするひとも多いだろう。
だが『青い山脈』(49)だって公開当時は、「けしからん!」みたいな声も聞かれたわけで。

いまの感覚で観れば、なんと健全な青春であろうか!! と思うけれどね。


今後も、沢山の女子高生キャラクターが生まれてくることだろう。
それが現実の鏡であれ、非現実的であれ、エロであれ、自分は一種のコスプレ劇としておおいに楽しみたいと思っている。


あすのしりとりは・・・
じょしこうせ「い」→「い」のせんと。

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サクサクなのに、20分超

2016-05-24 07:00:46 | コラム
きのうは完全オフ。
新しいパソコンが届き、酒呑みながらいろいろカスタマイズして、早くも自分色全開のマシンとなった。

※ログイン前の画面



笑ってしまったのが、データのコピーである。
似非とはいえモノカキだから、原稿など「それなりの」量だったはずなのに、コピーは数分も要さない。
すんごい容量のパソコンであるし、サクサクいくのは当たり前のこと。

しかし、画像のコピーがやけに時間を要する。

当たり前だバカ、美女画像だけで50000枚以上あるんだぞ、トップ画像やこの画像がそれで、



結局、20分超もかかってしまった。

音楽データでさえ、10分程度だったのに!!

分かってはいたが、完全にヤバい奴だ。
アイドル刺した気狂いも自分と同じような奴だったのかもしれないが、自分との違いをいうとするならば、自虐の精神で生きられることを知らなかったんだろう、それはそれで不幸なことだが、それで刺された女子はたまったもんじゃない。
未だ意識不明というが、目を覚ましてもらいたいよね。
(本物を気狂い、社会的にぎりぎり許されるものに関しては「キチガイ」と片仮名表記するのが主義である)

※デスクの周りも一新、あんまり変化がないか!




結論。
3代(台)目のパソコン、余は満足よ。

あしたからまた飛ばし気味のコラムを再開させるので、きょうはこのへんで。。。

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俳優別10傑 海外「た行」篇(1)

2016-05-23 00:10:00 | コラム
~トム・クルーズのキャリア10傑~

80年代に青春を送ってきた映画小僧にとって、スピルバーグとトム・クルーズというビッグネームは、好き嫌いを抜きにして、ハリウッドの象徴というか、ひじょうに重要な存在でありつづけている。

21世紀に映画の魔力に取り憑かれた若い映画好きは、スピちゃんトムちゃんの名前を聞いたところで「お!」と思わないんだよね。

そのことにうろたえることもあるけれど、時代の波なんだからしょうがない、
ただふたりとも、前世紀(全盛期)に比べれば影響力は落ちているにも関わらず、現在でもスマッシュヒットを記録することもあるし、たいしたものだ!! と感心する。

トムちゃんは現在53歳、
彼よりもすばしっこく動ける若手は沢山居るのに、それでもスパイ映画の主人公を身体を張って演じつづけている。

昔は、そんなに好きな俳優ではなかった。
・・・が、ハンサムにはハンサムなりのナヤミゴトがあって。
汚れ役や難役への積極的な挑戦は、ハンサムキャラからなんとか脱皮してやろうという格闘の表れだったんだろう。

たぶん、実生活でもいいヤツなんだろうな・・・と思うようになって、彼の新作であれば可能なかぎりスクリーンで観ておこう―そう思えるようになった。


(1)『ザ・エージェント』(96…トップ画像)

・・・と、ナンダカンダいってみたが、彼の最大の魅力は、やっぱり爽やかな笑顔なのではないか。

(2)『マグノリア』(99)



実父を前にしての泣きの演技。

俳優として、ここに賭けていたんだろうなと思う。

(3)『レインマン』(88)

最後の最後で、やっとサングラスを外してレイモンドを見るチャーリー。

この映画は、ダスティン・ホフマンではなく、トムちゃんを褒めるべきだろう。

(4)『アイズ ワイド シャット』(99)

思慮の浅い旦那を好演。
ニコールばかり褒められたが、トムちゃんも悪くなかったよ。



(5)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)

ブラッド・ピットが霞んでいた。




(6)『7月4日に生まれて』(89)

初めての汚れ役。

ロン・コービックの名や、独立記念日を知った―という自分のような映画好きは多かったはずで、スターがこういうキャラクターを演じる効果って計り知れないものがある。

(7)『宇宙戦争』(2005)

スピちゃんトムちゃんのコンビによるビッグバジェット・・・のはずなのに、この不気味で、後味の悪い感じ。

多くの映画ファンには不評であったが、自分のようなヒネクレモノは喜んだはず。

(8)『ハスラー2』(86)

ポール・ニューマンの引き立て役に徹した。



(9)『卒業白書』(83)

バカな青春モノだが、光るものはある。

レベッカ・デモーネイが最も美しかったころの出演作で、トムちゃんも彼女の魅力にやられて、撮影後、交際にまで発展した。

(10)『カクテル』(88)

日本では同時期に公開されたので、『レインマン』と同じ日に鑑賞。

改めて観返してみると、けっこう綻びが散見される・・・ものの、得意の笑顔で相殺されている。

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明日のコラムは・・・

『サクサクなのに、20分超』
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相棒は3代目

2016-05-22 00:10:00 | コラム
騙し騙し使っていた2代(台)目のパソコンがいよいよ最期を迎えそうなので、新しいのを買った。

きょう、もうすぐ届くはずなので、本日のコラムは簡単な画像祭りを展開して「逃げること」としたい。


トップ画像は、本文とは一切関係なし。

・・・ともいえないかな。

安吾のこのショットがたまらなく好きなのだが、自分だって元はといえば超のつくアナログ人間で、
ケータイを持つようになったのは25歳を過ぎたあたりからであったし、初代パソコンを買ったのは28歳のころである。

つまりそれまではシナリオも批評も、すべて手書きだった。
(誇らしかったペンだこが、いつの間にか消えてしまった!!)


初代パソコンはVAIO(ウィンドウズXP)で、なんやかんや揃えたら合計20万円くらい要してしまった。


※本体よりも、異様な部屋のほうが気になってしまう、、、と「よく」いわれる笑






高いだけあって、初代は8年くらい持ち堪えた。

2代目はlenovo(ウィンドウズ7)で、これは7万円くらい。


※上の写真に比べれば、少しだけおとなしい部屋になりました笑






これだって7年頑張ってくれたが、最近はリカバリした直後から処理能力が異常に遅く、もうダメだなと。

ただ相性がよかったので、3代目もlenovo(ウィンドウズ10、約9万円)にしてみた。


※関係ないが、画像整理をしていたら歴代のケータイ画像が出てきて、ガラケーではこのデザインと色合いがいちばんの気に入りだった




使用頻度によって差異が生じるものだろうが・・・
3~4年でお釈迦になってしまうというひとも居れば、いやいや10年使っていても無問題、というひとも居て。

パソコン選びもチャリ選びも、極端にいえば人間関係も同じようなものなんだな、、、などと思う。


要は、相性!! だものねぇ。。。

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明日のコラムは・・・

『俳優別10傑 海外「た行」篇(1)』
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