Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

2度、読む。

2017-09-04 06:53:56 | コラム
誰もがそうだろう、好物というものは何度口にしても飽きない。

自分の場合、鶏の唐揚げであれば、家庭的なカレーであれば、365日連続だって苦じゃない。

それは「喰うこと」にかぎった話ではなく、
気に入りの音楽であれば、いつだって聴いていられるもの。

けれどもこれが「映画を観る」となると「繰り返し」であることに、けっこう驚かれることがある。


自分の最多鑑賞映画は『グッドフェローズ』(90)で50回超、
ついで『タクシードライバー』(76)、
『天国と地獄』(63)、『アマデウス』(84)とつづく。


問題となるのは、ただひとつ「所要時間」だろう。

映画の平均時間は100~120分であり、こんなに長い「曲ひとつ」はないからね。
アルバム1枚にしたって、60分程度であるし。


「そんなに観て飽きない?」とよく聞かれ、「ぜんぜん飽きない。好物を毎日食べるのと同じこと」と返しているが、

ほんとうは「よくそんな暇あるね、映画狂を自称するのであれば、観ていないものをひとつでもクリアしていくほうが重要なのでは?」と指摘したいのかもしれない。

もちろん、そういう意識だってある。

しかし自分は基本、「一途」なんだ。
「チャラく」ない。
とっかえひっかえ、は、出来ないのである。


同じことが、小説にも当てはまる。

小説もまた「時間を食う」ため、音楽とはちがって「繰り返し」であることに驚かれる。

ただ映画と比べれば、まだ理解を得られるかもしれない。

映画では難しいというか面倒な行為となる、「少しずつ進めていく」ことが可能だから。

寝る前に数ページ、トイレ時に数ページ、、、という具合に。


以下は、自分が「2度以上、読み返した」ことのある小説10作品。

上位3作は10回を優に超えていて、映画よりかは理解が得られるとはいえ、やっぱりちょっと呆れられる、、、みたいなところがあるのだった。


(1)『それから』(夏目漱石)



終生の愛読書としているから。

(2)『山月記』(中島敦)



国語の教科書で出会い、これを脚色化することが夢になったので。

(3)『沈黙』(遠藤周作)

スコセッシによる映画化が現実味を帯びてくると、その公開日を待ち焦がれるように繰り返し読むようになった。

(4)『悲しみよこんにちは』(フランソワーズ・サガン)

憧れの女子に薦められ、結果、薦めた本人よりも夢中になってしまった。

(5)『予告された殺人の記録』(G・ガルシア=マルケス)



これほど無駄のない、完璧な小説をほかに知らない。

(6)『片腕』(川端康成)

乱歩もそうだが、代表作とされるものより、文豪の「もうひとつの側面」を知ることが出来る作品に魅かれる。

(7)『杜子春』(芥川龍之介)

読書感想文(小学校4年時かな)のために読み、その感想文がクラス代表に選ばれ、それがきっかけで「書く行為」が好きになった。

(8)『黒い雨』(井伏鱒二)

中学3年時の読書感想文用に読む。

トップ画像を見れば、読み込んだ感じが伝わってくるでしょう?

(9)『月のアペニン山』(深沢七郎)



『楢山節考』を目当てに読んだのだが、収録されているべつの短編のインパクトが強烈で。

(10)『コインロッカーベイビーズ』(村上龍)

高校1年時、いじめから逃げるため休み時間になるときまって図書館にこもり、これを繰り返し読んだ。





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明日のコラムは・・・

『もうカレンダー選び』
コメント (2)
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