Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

スナック血みどろ

2014-09-30 05:42:13 | コラム
生傷の絶えない生涯を送ってきました―などと太宰風に表現したところで、格好よくは決まらない。

ただ、それはほんとうで、1年中、身体のどこかに包帯やら絆創膏やらサポーターやらギブスやらを装着しているため、いっつも友人に「どうした?」と聞かれる。

二の句は、「また怪我?」だ。

厄介なのはそれを「なかば」喜んでいるところがある、、、ということ。

馬鹿だねぇ。
阿呆だねぇ。

まぁそれも、結局のところ生死に関わるほどではないから、なのだけれども。


誤解を受ける表現かもしれないが、映画における血の描写が好きだ。

ヘンタイといっても、そっち方面? ではないし、また、献血マニアというわけでも、もちろんヴァンパイアでもない。
ないが、スクリーンを鮮やかに彩る赤い液体に「ゾクゾクする」ところがあるのは事実。

ある種の映画は、血によってダイナミズムやリアリズムを獲得する―とまでいったら、妙な表現になるのかね。

今回、印象に残る「血の描写のある映画」を選出してみたところ、生涯のベストテン映画との類似性に気づいた。
かなり「かぶっている」のである。

単なる偶然だろうが、自分は映画に「ゾクゾク」を求めている―それはたしかなこと、なのだと思う。


(1)『キャリー』(76)

豚の血を浴びるキャリーはもちろん悲惨だが、あれだけの血を集めるためにはどれだけの豚が必要だったか。
それを考えると、親の敵じゃあるまいし、よくまぁそんな手のこんだことをやったもんだと感心もしてしまう。

(2)『レザボア・ドッグス』(92)

ひとって、なかなかにしぶとい。



(3)『椿三十郎』(62)

精子よりも潮よりも勢いよく噴き出す血。
実際にああなるのかは分からないが、インパクトは充分。

(4)『タクシードライバー』(76)

自死の覚悟を決めたトラビスは、人差し指を銃に見立て、自分のこめかみに当てた。
その指は、血が滴っている。

沢山殺したので、もう誰の血だかも分からないよね。

(5)『TOKYO FIST』(95)

本能のまま戦ったら、リング上は血しぶきショウとなっていた。

痛さを感じるという意味では、これを超える映画はない。

(6)『カノン』(99)

娘を射殺してしまう父親。

即死するはずが、なぜか死なない。
血が流れ続け、彼女は痛がっているのである。

このシーンの直前、ご丁寧にも「感受性を傷つけるおそれがあります」というテロップが入る。

ギャスパー・ノエは、ほんとうに性格が悪いのだろうね笑

好きだけど。
大、好きだけど。

(7)『うなぎ』(97)

イマヘイの映画としては、出来はけっしてよくない。
よくないが、不貞の妻を殺害し、返り血を浴びたままの格好で自首をするオープニングは「さすが!」だと思った。

(8)『ダイハード』(88)

ガラス片が刺さり、足の裏が血だらけのマクレーン。
怪我としては地味だが、いやいや、地味な痛さというのは派手な痛さより「精神的に」きついのだ。

(9)『あした』(95)

これは「マジか!?」と思った出血のシーン。

初潮を迎えた少女を「脚をつたう血」で表現、おまけに両親はそれを見て喜んでいる・・・女性の監督だったら、こういう描きかたはしないのではないかな、そう思った。

(10)『ブレインデッド』(92)

芝刈り機でスプラッターショウ。

もう、ここまでくると呆れて大爆笑。


※『金八先生』で、個人的に勘違いしていることが、ひとつあった。
自分は暴走族が集うスナックの店名を「ちみどろ」だと記憶していたのだが、そうではなく、
スナックは『Z』といい、そこに集う暴走族たちを『魑魅怒呂』(ちみどろ)と呼んでいたのだった。




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コメント (2)
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