Cape Fear、in JAPAN

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シネマしりとり「薀蓄篇」(90)

2014-09-17 03:07:16 | コラム
ぶるーさん「だー」→「だー」くないと(ダークナイト)

映画小僧の仲間が、ある日ふと「まっき~、『ダークナイト』について書かないよね」といってきた。

これ、初めてのことじゃない。
とくに自分より若い友人知人にいわれることが多く、そういわれる理由も、なんとなく分かる。

批評家・町山智浩も「避けては通れない作品」という『ダークナイト』の支持率は、40代よりも30代のほうが、30代よりも20代のほうが高い。

最近の映画(2008)だからではなく、若いひとの感性にあうから、、、でもない気がするが、どういうわけか若ければ若いほど、この映画のことが好きなんだ。

それはたぶん、ジョーカーを演じたヒース・レジャーの存在が関係しているのだろう。

自分より上の世代にとって、ジェームズ・ディーンが永遠の等身大スターであることに似ている。
自分の世代にとって、リヴァー・フェニックスが永遠の等身大スターであることに似ている。

このふたりの存在と同じ役割を、ヒースが担ったというわけ。





まもなく公開の『猿の惑星』新シリーズ第二弾にもいえることだが、シリーズ物に対してファンは「勝手に」心配し、アアダコウダと喚きがちである。

オリジナルに対する愛着と敬意がそうさせているのだが、自分も含めて猛省したほうがいいのかもしれない、、、などと、ときどき思う。

もうちょっと創作者を信用しようぜ、ってね。
(まぁオリジナルに泥を「塗りたくる」創作者も居るからこそ、そうなっちゃうのだが)

俊英監督、クリストファー・ノーランはちがった。
コミックスにも、テレビ版にも、ティム・バートン版にも敬意を表したうえで、しかしそれらとはまったく別のアプローチで新生『バットマン』のシリーズを創作した。

第一作『バットマン ビギンズ』(2005)も悪くはなかったが、インパクトという点では第二作目の『ダークナイト』には及ばない。
ちなみに公開前、多くのひとが『夜=NIGHT』と解釈していたが、ナイトは「K」のつく『KNIGHT』のほうだった。

つまり「暗闇の騎士」、これはバットマンのことであると同時に、宿敵ジョーカーのことでもあったはず。


ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは、どこか、、、というか完全にコミカルだった。
よく踊るし、よく笑う。
バットマンが運転するバットウィングを見て「いい玩具を持っていやがる、ほしいな」なんて羨ましがっていたし。

いやヒースの演じたジョーカーも、よく笑っていた。
笑うには笑うのだが、「ジャック・ジョーカー」の笑いが無邪気であったのに対し、「ヒース・ジョーカー」の笑いはどことなくシニカル。

ヒース・ジョーカーはいう、「お前も俺と一緒だ。怪物なんだよ」と。


映画はバットマン役のクリスチャン・ベイルをはじめ、マイケル・ケインやゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマンなど映画好きが歓喜する「渋い」キャスティングで固めてはいるものの、結果として「彼ら全員が」ヒースを際立たせるための「やや地味な」存在となっている。

監督ノーランは、最初からそのつもりだったんだろうねぇ。。。


2008年1月22日―ヒースは『ダークナイト』が公開される前に命を落としてしまう。

享年28歳。

急性薬物中毒による事故死ではあるものの、ドラッグのオーバードースというわけではなかった。
演技にのめりこむあまり不眠症となり、さらに婚約解消など私生活でも不運の連続、睡眠薬やインフルエンザの治療薬などを併用摂取したことによる事故だったという。

翌年の春、ヒースはピーター・フィンチ以来となる「故人のオスカー受賞」を果たした。


表現が適切とは思えないが、ある意味、「持っている」俳優だったということか。

こうしてヒースは『ダークナイト』とともに神格化され、20代の映画小僧(なりたて)のこころを鷲掴みにしたのである。


あぁ、リヴァー死去のニュースが飛び込んできた「あのころ」を思い出してしまうなぁ・・・。






次回のしりとりは・・・
だーくない「と」→「と」くだね。

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コメント (3)
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