masumiノート

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私の遺骨はゴミに

2009年08月17日 | 葬送について



「私が死んだら葬式せんといてな。墓も法事も一切要らんで。遺骨もゴミとして捨ててな。」

こうちゃんに頼んでいるんだけど、今のところ良い返事は貰えていないのだ(T^T)

・・・・・

「遺骨をゴミですって?!」と怒らないでくださいね(汗)

他人の遺骨までゴミだと言っているわけではありません。
あくまで私個人のことです。

夫や他の人間が葬式や墓、法事など、従来通りの事を希望しているのであれば、その意思は尊重し慣習に従うつもりです。


でも、私個人は、故人を偲びご先祖様に感謝するのに
「何も要らない、手を合わせて祈ればそれで良い」と思っています。

それでは何だか心許ないっていうところから、位牌や仏壇、お墓なんかが出来たんじゃ無いのかな?と想像しています。

慣習通りにしないと成仏出来ないと恐れている人には必要かも知れないけど、私には必要ない。
必要だと思っている人には、してあげればいいし、私もさせてもらうけど、私の為には必要ない。

檀家として寺との付き合いも、波風立てずにきちんとやってくれとこうちゃんに頼まれているから、それはさせてもらうつもりでもいます。

ただ、私の分を除けてもらえるように、私の死後の手続きをする人間が、寺や親戚、近所から非難されて困らないように、どうにかして手を打っておこうと考えています。

ただ「それはお前のわがままで、そんなことをされたら残された人間は迷惑するに決まっている」と言われると辛い。
でも、誰かが前例を作らないと、慣習というものは変わらないとも思う。

「お経や線香が無ければ成仏できない」って言うけど、そう思っている人はそうかも知れないけど、私はそれらが無くても大丈夫だって知っている。

「残された遺族には(心を癒すための“何か”が必要だ」・・・写真一枚と遺骨の一部があれば良いのでは?


お墓参りに行っても、「このお墓は近年どなたも参っておられません。関係者の方はご連絡ください」なんて札が掛かっている墓石が結構多い。

子供が結婚しないと言っては(跡取り)(墓守)の心配をし、結婚しても子供が出来ないと又その先を心配している・・・


正直、(もしかしたら恥ずかしいことかも知れませんが)檀家とか氏子というものも最近知りました。

檀家制度というかお寺に疑問を持ったのは、数年前に寺の改築に係わる寄付金の強制があったからです。

夫の父が実権を握っていたので夫はノータッチでしたが、確か100万程の割り当てがあったと記憶しています。

お客様の中に、同じ檀家の方が居て、寄付の話の出た前年にその方の事業が倒産し銀行からの借金を抱えていました。息子さんが結婚されたのですが、「何もしてやれなかった」とそこのおばあさんが泣いていたという話も聞きました。当然、その事情は寺も知っていた筈なのに、免除はされませんでした。寄り合いの後、その方はとても辛そうだった、と人づてに聞きました。

それを聞いて、「困った人を助けるのが宗教では無いのか?!」と大変腹立たしく思った記憶があります。

檀家制度って、周りの人たちは“昔からのこと”だからとそれが当たり前のように言いますが、昔からと言ったって江戸時代からですよね。

現代のように本やネットで情報を得る術が無かった昔にはお坊さんの説法も価値のあるものだったかも知れませんが、・・・葬式宗教なんて云われている現在、お寺の存在意義や制度も見直す必要があるのではないでしょうか?

ただ、お盆や法事の行事は、家を出た家族が集まる機会でもあり、年老いた親にとっては、そうやって子や孫と会える嬉しい日でもあるので、そういう意味では肯定しています。