Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

もの食う人びと  辺見 庸(角川文庫)

2007年10月01日 | 本と雑誌
Hitorigaten

 ギリギリの精神状態で、ギリギリの世界(そこに在る人びとの価値観とは無関係な評価)の「食」を見聞すると、「文明の衝突」を超越する、「残酷なまでに尊い生命の輝き」に到達できるのか。 著者の慧眼に刮目していたら、あとがきの裏から、荘厳なグレゴリアン・チャントか読経が流れていたような・・      「未来はまだ捨てたものじゃない」(100冊目の後始末)

○禽獣は食らい、人間は食べる。教養ある人にしてはじめて食べ方を知る(美味礼讃)
○残飯を食らう者。大量輸入しては残す者。食の神がいたら、まちがいなく前者に涙し後者には飢渇の何であるかをいつか思い知らせるのではないか
○飲食・便利(排泄)・睡眠・言語(話すこと)・・・止む事を得ずして多くの時を失う(徒然草第百八段)
○超がつくほど大きいレストランとなると、人間の大群のもの食う姿の壮観にもう「はあ」と感動のため息が出るばかり
○「食」ほどすてきな快楽はなく、しかし容易に差別の端緒にする営みもない
○だいたい、「純正」の民族・宗教なんてありはしないのだ。食べて生きる方が、民族、宗教を誇るよりだいじなのだ
○大きな白人たちがこうして焼き魚を喜々として食っているのを見ていたら、民族の差なんか大したことないなと思えてきた
○セルビア正教、カトリック、イスラム教三つどもえの遺恨合戦の観がないでもない。しかし遺恨の元はなんなのか
○この褐色の赤ちゃんも、われわれ日々もの食う者たちの一人なのだ。働き手がない、安全なミルクが買えない。危うい母乳を飲ませてでも、さしあたりいまを生かすしかない。世界にはこんな食の瞬間もある。ほんとうに静かだ
○見えない像を見なさい。聞こえない声をききなさい
○よほど注意しなければ目に入らぬかそけき風景と人の表情が、とてつもなく大切なことに思われた
○三十数年まえにフランスで流行したテーゼを憶いだそう-実存は本質に先行する

コメント
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