日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

私の煙草遍歴から『煙草のめのめ』へ

2005-06-05 13:58:04 | 旅行・ぶらぶら歩き
私は煙草を吸わない。
しかし一時は一日に四十本以上吸うかなりのヘビー・スモーカーだった。

吸い始めは満二十歳を過ぎた大学生の頃、多分友人が吸っているのに好奇心から手を出したのがはじめてであろう。日本育英会から奨学資金の貸与を受けている身分、奨学資金は煙草を買うためではない、とか勝手な理屈をつけてその友人に煙草をたかるのが常であった。「禁煙なんて簡単なもの、何回でもできるからね」じゃないが、ほぼ10年にわたる学生生活の間、何回も禁煙を試みながら煙草からは縁が切れなかった。

大学院の頃は徹夜が多かった。冷房室なんて高嶺の花の1950年代、常温では傷みやすい『生もの』を使っての実験を夏の日中に行うことは出来ない。夕闇が迫る頃、近所の炭屋兼氷屋から十貫目の氷塊を手かぎに引っかけて運び込み、『生もの』を処理する機械装置など、冷やせるところををビニール袋に入れた『ぶっかき』で冷やしながら夜通し仕事をするのが常であった。その時、一番困ったのが機械の調子よりも夜中に煙草の切れることであった。外に出ると自動販売機があるようなご時世ではない。惨めにもあちらこちらの灰皿からしけモク(吸い殻)を漁った。しけモクからも見放された時に、思い切って煙草を止めようか、と思うことがあった。

1966年に渡米したときは煙草とはすっかり縁が切れていた。それがロスアンジェルスでさくら丸から下船し、大陸横断列車でシカゴ、ニューヨークを経由ニュー・ヘブンに向かう間にまた縒りが戻ってしまったのである。大陸横断には丸三日かかった。食事にダイニングカーに出向いたところ、案内されたテーブルの上にキャラメルの箱を引き延ばしたような洒落たパッケージが置いてある。何だと給仕に尋ねると、煙草の新製品で長い煙草だという。道理で煙草のパッケージに見えなかったはずだ。試供品だから試してみろ、と勧めるのでふと手に取ったのが運の尽き、それから2年間の滞米中に煙草浸りになってしまった。

スーパーマーケットに行く。驚くほど煙草の種類が多い。それを米国人はカートンで何本もショッピング・カートの中にほりこんでいく。銘柄は何十種類もある。そこで私は即刻決断、どうせ吸い始めた以上は全部試してみることにした。新しい銘柄にチャレンジするのがとても刺激的でスーパーやドラッグ・ストアにせっせと通い、私の好みは遂に「KENT」なる銘柄に落ち着いた。

2年間の滞米生活を終えて帰国後は「hi-lite」党になった。その頃から紙巻き煙草と肺ガンの関連が取りざたされるようになったかと思うが、愛読していた團 伊玖磨氏の「パイプの煙」シリーズに影響されたこともあってパイプ党に変身した。「ハーフアンドハーフ」のような輸入煙草や「桃山」を嗜んだと思う。いつも安楽椅子にどっかりと腰を下ろしパイプを燻らすことが出来れば問題はないが、仕事に追われる身なので不便を託つようになった。紙巻きとは異なり、パイプを口に咥えたまま両手を動かすような作業が出来ないのである。仕方なしに紙巻きに舞い戻ったが、驚いたことに『ニコチン』の強さの違いのせいであろうか、紙巻きの消費量がパイプ前の倍になってしまった。

「偉大な発見は準備された心にのみ可能である」というのはパスツールの有名な言葉である。たとえ小発見といえども、かねてからの問題意識があってこそ可能になることを、私は幸いにも何回か実感できた。同じことが『禁煙』にも当てはまると思うのである。私が永久的に禁煙できたのはほんのちょっとしたきっかけで十分であった。ある会合の最中に煙草が切れたとき、抜け出して買いに出かけるわけにもいかないし、そうだ、止めてやろう、とふと閃いたのが最終的に私にとっての『廃煙』につながった。何回も禁煙を繰り返し、でもやっぱり止めたいなとの思いがあったからこそ禁煙が可能になったのである。そこで、パスツールの言葉の「偉大な発見」を「禁煙」と置き換えて世の中の『禁煙願望症候群』の諸氏に送りたい。

やはり、禁煙は簡単にできる

煙草から遠ざかって30年にはなるが、でも時々夢の中で煙草を吸っている。不思議とこれは夢の中なのだと云うことが自分には分かっていて、だから安心して煙をふかすのである。この30年の間に喫煙が「肺ガン」をはじめとする多くの疾病の原因に一役かっているなどと云われだし、喫煙者の側でいるだけでも『副煙流』の害が強調されるようになり、『嫌煙権』なる言葉も生まれた。

自分が煙草を吸わなくなるといつのまにか煙草の煙自体を不快に感じるようになった。煙草を燻らす人に近づかないよう自衛策をとるようになった。禁煙席を選ぶのもその一つである。しかし喫煙者の気持ちも分からないわけではない。だからやむを得ない状況下で同席者から「煙草を吸ってもよろしいですか」と同意を求められたら、周りを見わたして影響を受けそうなのが私一人なら「まあ、一本ぐらいはどうぞ」と応じる。先方もその言い方で私の心情を察してくださる。しかし見ず知らずの間柄の、たとえばレストランのようなところで同席した人が、このような気遣いをしめすことは残念ながら皆無に近い。周囲に何の顧慮を払うことなく、そして悪びれることなく煙草に火をつける人がほとんどである。その時は煙そのものよりも喫煙者のマナーの欠如に心が苛立ち、『人を憎んで煙を憎まず』の心境になる。

喫煙はとどのつまり嗜好の問題だから、私が嫌な思いをさせられない限り、煙草をおやめなさいなんて他人にお節介する気は毛頭無い。肺ガンであれなんであれ病気になるのもご本人の勝手である。適当に病人を作るようにしておかないと、患者ゼロの病院が早々と実現したら手持ちぶさたの医者が何を考え出すのか、その方に気が散ってしまう。だから煙草好きはドンドン煙をふかせばいい。

先週東京に出かけて千代田区だったか「路上禁煙地区」とかの立て札を目にした。見つかると罰金をとられるらしい。嫌煙論者からみれば有難い処置であろうが、愛煙家は反対に閉塞感を覚えるのでは、と同情する気も生れた。私の常識では愛煙家のいるのも現実であるから、『公』が喫煙を禁止するのであれば、同時に喫煙者が周りに気兼ねせずに喫煙できる喫煙施設を同時に作らないと片手落ちになる。国家が喫煙者を事業として育成したのだから最後まで面倒を見ルのが当然である。現状では喫煙者を二階に追い立てて梯子を外すようなことになりかねない。でもその対策はこれこそ商売上手の『民』に任せるのが上策であろう。『喫煙窟』を作ればいい。必要とあれば法を改正する。もちろん禁煙者は立ち入り禁止のSMOKER'S HAVENである。ついでにこんな歌を流したらいい。「煙草のめのめ」、大詩人北原白秋の格調ある詞に中山晋平が節をつけている。

♪煙草のめのめ 空まで煙せ、
 どうせ、この世は癪のたね。
   煙よ、煙よ、ただ煙、
   一切合切、みな煙。

七番まである。その最後

♪煙草ぷかぷかキッスしていたら、
 鼻のパイプに、火をつけた。
   煙よ、煙よ、ただ煙、
   一切合切、みな煙。

岩波文庫「白秋愛唱歌集」から引用した。



大正七年に芸術座が上演したメリメ原作「カルメン」の劇中歌だそうである。
その『喫煙窟』で煙草工場の女工姿のウエートレスが、口紅と火のついた煙草をサービスしてくれるなんていかがであろう。

この歌、私の好きな藍川由美さんが典雅に歌っている。