日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

政治家は政治家らしく言葉をたっぷりと使いましょう

2005-06-14 12:22:20 | 社会・政治
中山文部科学相の6月11日、静岡市で開かれたタウンミーティングにおける『従軍慰安婦発言』を巡って、13日には細田官房長官が談話を発表したり、中国外務省が「強烈な非難」を表明していると云う。

このような問題を私はマスメディアの報道を介して知るわけだが、何が問題なのか新聞記事などを読んでもなかなかすっきりと頭に入ってこない。そこで私なりに整理してみた。

中山文部科学相が歴史教科書に関連して、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」と述べた、ということである。この通りの発言なら、「従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった」という立場を私もとるから、何も問題になるとは思わない。

ところがこの中山氏の発言にわざわざ細田官房長官が「問題は言葉ではなく実質だ。実質的に従軍慰安婦の存在があった以上、政府の今までの考え方は変わらない」とコメントしていると云うのである。

中山氏の真意が言葉の有無だけを取り上げたのであったら、細田氏が「問題は言葉ではなく実質」とわざわざ述べるのは余計なお節介というものだ。しかし何かを危惧したからこそこの細田氏の発言が飛び出したのでは、と推測させる状況が今や日本を取り巻いている。

それがあってか、中山氏がは3日に都内で記者団に対して「・・・ただそういう用語はなかったということだ」とあらためて自分の真意を強調し、しかし同時に慰安婦におわびと反省を示した政府見解と、立場に違いはないことを強調した、そうである。何故最初からその意を尽くした発言をしなかったのだろうか。

これだけの報道を見るとこれで一件落着の筈である。ところが、この経緯のどこにどう反応したのか今度は中国が「慰安婦問題は日本軍国主義が第2次大戦中に犯した重大な罪だ」と指摘し「日本の教育の責任者が、この醜い歴史事実を公然と否認した」と非難している、そうである。

私はマスメディアの報道姿勢にはかねてから距離を置いているので、報道内容をそのまま素直に受け取ることはしないが、今回の問題の発端は中山文部科学相の『従軍慰安婦発言』、すなわちそういう言葉は無かった、との発言にあると思う。中山氏は公人、『従軍慰安婦』なる言葉がその当時存在しなかったと述べることが、その言葉の意味する実体の否定と受け取られかねない『周辺状況』が厳然と存在することに想像力が及ばなかったのであろうか。そうだとすると氏は明らかに政治家としての資質に欠けているると私は云わざるをえない。

日本のトップは政治家といわず経営者といわず各界において、自分の言葉で喋ることが極めて少ない。喋らなくても『下』がトップの意を慮り代弁するすることが日本の文化にすらなっている。トップが自分の考えを周りに理解して貰うために自分の言葉で熱意を込めて語る、先ずはそれを政治家に望みたい。

政治家は雄弁でなければならない。講談社が『大日本雄弁会講談社』であった時代になんとなくノスタルジアを感じるのは私だけだろうか。