日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」が何故売れる?

2005-06-27 11:33:47 | 読書
山田真哉著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」(光文社新書)にふと手が出た。本屋には山積みされているだけならともかく、「さおだけ屋」という時代離れした商売が出てくるので、それに惹かれたのかもしれない。

あっという間に読んでしまった。

「身近な疑問」として取り上げられたのが七つのエピソード、その最初が「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」である。全編を通じて、誰でも常識として、また生活の知恵として身につけている『ものの見方・考え方』が、ここが著者の『冴え』であるが、会計学の用語に結びつけて語られているだけなので、なるほどなるほど、と抵抗もなく頷きながら読んでしまうのである。

たとえばあるところで《院長は会計に強いわけでもなんでもないが、経験からそのことを知っていたのである》(196ページ)と記されているが、《院長》を《読者》と置き換えればそのまま通用するようなエピソードばかりである。

会計学の用語といってもさほど特殊なものではない。各エピソード毎に記されている「利益の出し方」「連結経営」「在庫と資金繰り」「機会損失と決算書」「回転率」「キャッシュ・フロー」「数字のセンス」などの副見出しがそうである。

では「さおだけ屋がなぜ潰れないのか?」
もちろん本書にはその答が出ている。しかし私がそれをバラスわけにはいかない。推理小説の『トリック』を明かすようなもので、それでは著者に申し訳けない。

エピソード2「ベッドタウンに高級フランス料理の謎」、エピソード3「在庫だらけの自然食品店」、エピソード4「完売したのに怒られた!」・・・、みなしかり、それぞれに『トリック』が仕掛けられている。

私は新聞、通勤電車中吊りの週刊誌広告の見出しを連想した。「何だろう」と好奇心を上手に掻き立てて買わせる、あの『見出し』である。この新書の『見出し』はそれに決して見劣りはしない。

そこで読者が本に目を通すと、自分の身についた考え方とか行動が、会計学のちょっとした専門用語で語られているにに出会って、「あれっ、自分てけっこう高尚なことをやっているんだ」と呟いてニンマリとしたらこれで著者の勝ち。この仕掛けが全編に鏤められているから読者は快く自尊心をくすぐられる。2月20日に出版され6月20日にはやくも14刷を重ねているのも宜なるかなである。

ここで辛口を一言。エピソード5で回転率の重要性を説明するのに「トップを逃がして満足するギャンブラー」と題して、麻雀荘での「フリー麻雀」勝負の情景が2ページ半にわたって述べられている。が、麻雀に不案内の私には何のことだかさっぱり分からない。私と言わずす麻雀に不案内の読者も多いだろうに、このような話題を取り上げるのは思慮が足りない。分からないことに字面を追わされるだけで損をした気になる。

著者はその記述に続いてこのように述べている。
《私はギャンブルはやらない性質(たち)だ。まして、マージャンなどルールすら知らない》

オイオイちょっと待て、これこそ『ルール違反』じゃないか、と思わず声が出た。読者どころか著者自身からしてこれでは話にならない。もっともこのようにはさらに続く。
《この話は、知り合いのKさんがフリー麻雀で実際に体験した話である》。回転率を説明するのに適切なエピソードは他にいくらでもあるだろうに、と思った。このエピソードの扱いは杜撰である。

「金返せ」と言いかけてグッと言葉をのみ込んだ。
著者はちゃんと《商売の原則は等価交換》(51ページ)で予防線?を張っているのを思い出したからだ。少し長いが引用する。

《商売には原則がある。等価交換という原則だ。たとえば100円ショップで買ったものがすぐに壊れたとしたら、あなたはわざわざお店まで文句をいいに行ったりするだろうか?おそらく「100円だからいいや」と思ってあきらめるはずだ。しかし、これが100円ではなく、数万円のものだったらどうだろうか?「数万円もしたのになんで?」と、すぐにお店に駆け込むはずだ。》

この新書本は700円也、私は「金返せ」と叫ぶのを止めることにした。